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「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。
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Posted by ブクログ
ソ連がウクライナに進行した時に直感的に、これはプーチンがコロナ禍を過ごしたからに違いない、と確信した。何年も経って本書に触れてあながち独断的な勘違いであったのではないと思えた。 村上龍が人生の目的を楽しむこと、世界を知ること、生き延びること、としていて一部では納得しつつもどことなくスノッブな感じが...続きを読む嫌だった。しかし本書を読むとなるほど楽しむこと、つまり真摯な訓練と知識に裏打ちされた楽しみは豊かな人生そのものだろう。 消費と浪費については國分功一郎先生お得意の概念だが、若干資本主義否定に偏っている。要は斎藤幸平先生の部類に足を突っ込んでしまっている危うさは感じるが、それ以上に共感の度合いの方が強くて首肯することばかりだ。 とにかく十年に一度の良書であることは間違いない。
人間は安定を求めるが、安定に退屈してしまう矛盾した生き物。 確かに、休みが欲しいと常々思っているのに、いざ休みがくると何をしようかわからなくなることが私にもままある。 そしてなんとなく退屈を感じ、仕事へと没頭していく。 でもそれこそが人間らしい。 消費ではなく浪費をしよう。贅沢にお金や時間を使ったっ...続きを読むていいのだ。
(1) 第4章のルソー&マルクス論を引く人々の手つきにみられる「本来性」措定への批判と、(2) 第5章のハイデガー退屈論検討時の「退屈の第三形式(決断主義)は第一形式と同型でありどちらも退屈の奴隷、退屈の奴隷でないのは第二形式だけ……という話、(3) それから補論にある痛みの記憶とセリエンシ...続きを読むーの話は初期仏教思想における煩悩(無明)の話のようでもあった。 (特に(1)については、アレントのマルクス読解は「労働」の否定範囲の点で間違っており、マルクスは「必要な労働」は拒否していない、資本主義によって増やされる不当な労働を短縮していく方向と読み直せる……と読めたし、直近の日本共産党の政策論方向性の良さと合致するものがある。疎外論というマルクス理論のone of themに限定すれば、これまで見聞きしてきた中で一番マシなマルクス解釈に思える。) ところで、私はいつのころからか、思想を突き詰めてゆく行為のうち、本質論や本性論を採用してしまうとそれは「テロリズムを正当化する陽明学」のようになっていくのだと思っていて、それはマルクス主義(≠マルクス思想)も例外ではないと思っていた。そして自分は、陽明学的な修身論に好意を持ちつつもずっと警戒し続けてもいた。そのような思考の文脈を抱えていたものだから、國分の暇退倫理学における問いの立て方は、反=陽明学的な処方箋のひとつとして有効かもと思われた。 一読しての回答として、こういう文を書いた: > 本性や本質を追求せずとも人は平等と公正と幸福を実現でき、虚妄を払い続けることができるはず。
これはおもしろかった。論理は明確で非常にわかりやすい。世界がつながり、名前がついていく感覚。あれこれと発想が繋がって、自分の脳みそがてつがくのうみそにグニグニと変化していくような感覚。ほんとうはもう少し注や原典にあたったり批判的に読まないといけないんだろうけど。 人間は本来的に遊動する生き物だから片...続きを読む付けとトイレが苦手だ、とか面白いよね。ハイデガーの環世界批判を痛烈に批判してるけど、著者もちょっと都合よく使ってない?とは思った。環世界はソフトウェアの話でなくて、ハードウェアの話なんじゃないかな。ノミのハードは単純だから3つくらいしかアプリが入らないけど、人間のハードはもう少し上等だからいろんなアプリ選択して入れられるよね。って話じゃないかなとは思ったけど。人間の環世界は1つ。でもやや特別で、そのデスクトップは多様性がある。まぁこの解釈でも本旨は変わらなくて、著者とハイデガーがもう少し仲良くなれるんじゃないくらいの意味しかないんだが。 結論は普通というか突飛ではない。付録はブッダの教えとかにも通ずるものがある。ただここまで整理されることに知的な歓びを感じた。
自分が今なぜこういう生き方にたどり着いたのかを解説してくれるような本だった。 本書は、「暇と退屈」とはなんなのか、「暇と退屈」とどのように付き合えばよいのか、つまり人間はどのように生きていけばよいのかについて考えるものである。 ===== 結論として、著者は2つの論を提示している。 一つは、人...続きを読む間らしい生き方とは、ハイデガーが定義した「退屈の第二形式」のように退屈から逃れようとするのではなく、退屈の中にいながらも多少の楽しさを味わい生きることであって、 それを洗練させていくためには「消費」ではなく「浪費・贅沢」がヒントになるということ。 消費とは物ではなく物を通して観念を味わうということであり、終わりがない。 浪費とはそのもの自体を味わうということである。 現代は消費の誘惑にあふれている。例えば、僕の好きな漫画や映画も「みんな読んでる/人気No.1」の文字で飾られている。それはもともとは「それだけ面白い」というアピールだったのかもしれないが、今やそれ自体が「みんな読んでるのみ読まないの?」「人気No.1なのに知らないの?」という煽りとして本質になってしまっている気がする。 消費にからめとられずに、浪費を楽しむためには、物を味わう技術や知識が必要であるという。 漫画や映画の本当の楽しさや味わい深さを知っている人は、「みんな読んでるかどうか」に惑わされることは少ないだろう。もし惑わされたとしても、それが本当に価値あるものなのかどうかを、少なくとも知識と技術がない人よりも客観的に判断できると思われる。 つまり、文化や芸術などを楽しみ、そのために学ぶことこそ、暇と退屈との付き合い方であると語っている。 (これだけ書くと非常にありふれた論に行きついたように思ってしまうが、理解が足りないことと語る言葉が足りない自分の責任で、もっと胸に来る何かがあったんだ) 「満足したいのに、満足をもとめて消費すればするほど、満足が遠のく。そこに退屈が現れる。 これこそが現代の消費社会によって引き起こされる退屈の姿であり、本書ではこれを疎外と呼んだ。 いかにしてこの状態を脱したらよいだろうか?消費行動においては人は物を受け取らない。 だから消費が延々と続く。ならば、物を受け取れるようになるしかない。 物を受け取ること、それこそが贅沢への道を開く。」 ===== また、増補版に寄せたあとがきの注釈には、ある人曰く、依存症に陥った人の回復方法こそ「第二形式の退屈」になじんでいくことであると書かれていた。 依存症に陥る人は第一形式の退屈と第三形式の退屈のサーキットを生きている(仕事と空虚の繰り返しの中に生きていて、空虚からポルノやスマホ依存で逃避していた自分はまさにそうだった)ので、「第二形式の退屈」の「ボチボチ楽しいし、ボチボチ退屈である人生」に馴染んでいく必要があるということらしい。 これは目から鱗だった。やっぱり自分の人生の困難を乗り越えるためには、何かに追い立てられることなく、ただただその時間やその一つの本や品目に向き合う読書や料理が必要だったんだと気付くことができた。 ===== 次の理論では、そうはいっても心の奥底から響いてくる「退屈だ」という声についても言及している。 それは人間ならどうしようもない本能の声であり、その遊びや楽しみでは到底逃れられない強い声から逃れるために、人は動物のように何かにとらわれることを目指すともいう。 それ自体は仕方のないことであり、自然なことであると語るが、それが「決断」から生まれるものであってはならないという。 「決断する」ことはほかの何ものをも排除すると決めることであるから、奴隷になるのも同じことであるという。 個人的には、あまりピンとこなかった。 たしかに、例えば人生を仕事に捧げると決断して起業する人は、仕事以外に対して心が閉ざされがちであり、人生を100%仕事で埋めることは物理的に出来ない以上、結局退屈を訴える声に包まれてしまうという意味であるなら理解はできる。 ただ、その人にとってはそれが僕たちの読書や映画鑑賞や食事であり、「時間の浪費」のようなものなのかもしれないと思ったりもする。 同時に、ほとんどの仕事人(ワーカホリックたち)は「楽しさ」の先に仕事に打ち込む人生を見出したというより、空虚な人生を埋める手段として「仕事」を選択している印象があるし、その先に幸せがなさそうである感覚は何となく理解できるけれど。 ===== 増補版に寄せたあとがきとして、「傷と運命」という文章が添えられている。 難解な内容も含まれているので、すべてが理解できたわけではないが、ザックリ解説すると次のような内容だった。 ----- ・そもそも退屈とはなぜ発生するのか ・人間は考えることを避ける生き物である。 毎日町の中に新しい物を見つけて驚いていては心が持たないように、心を守るために様々なことに慣れて記号化することで慣れ/習慣を形作っていく ・生きるために行う「興奮を排除する営み」によって事件のなさ、興奮のなさ=「退屈」が生み出しされてしまうのはなぜなのか ・「退屈」とは「痛みの記憶」を思い出すことなのではないか ・様々な刺激の中を生きてきて、様々な傷を負うのが人間であるが、それらもほとんどが習慣の中で癒されていくものであるが、一部の傷は癒されずに記憶の中にとどまっている。 ・刺激という「傷」から逃れるために生み出した「退屈」が、過去の「傷」を掘り起こしてしまうのではないか。 ----- とてもハッとさせられた。「傷」とはいわゆる嫌な記憶だけではなく、自分が消化しきれていない思い出や考え事のようなものも含むと思うのだけれど、それがせりあがってくるから退屈の苦しさを感じるのかもしれないと気付いた。 他にもいろいろと気づきを得ることができたけれど、まだまだ理解できていないところだらけだし、忘れてしまっているところも多々あると思うので、國分先生の他の本とともに「暇と退屈の倫理学」を一生をかけて味わっていきたいと思う。 ===== 心に残った部分 ・退屈の反対は楽しさではなく、興奮である ・「幸いなるかな、快楽を求めることのできる人。彼らは事件をもとめることがないだろう。」 ・「仮に『ガレージの職工になった医者の息子』がそういうこぼれ落ちた人間なのだとしても、彼はいかなる劣等感も感じる必要などない。当たり前だ。」 ・第一形式のような退屈を感じている人は『時間を無駄にしたくない』という強迫観念にとらわれているのである。仕事に対して真面目なように見えるが、それは大いなる『俗物性』への転落ですらある。 ・『第二形式においては心の底から楽しいわけではない。たしかにぼんやりと退屈してはいる。だが、楽しいこともある。そこにもハイデッガーの言う「自己喪失」はあるのかもしれない。だが大切なのは、第二形式では自分に向き合う余裕があるということだ。』 P.S. (こっちでは漫画しか載せてなかったけど、読書アプリの『ビブリア』と共に本の感想も載せていくことにする)
・暇と退屈は違う。2軸4象限でまとめると分かりやすい。目指すは「暇があって退屈していない状態」。暇を作ろう ・退屈を恐れて人は気晴らし・決断の奴隷になる。奴隷になって視野狭窄になった状態を、他の人とは違う崇高で優れた状態と誤認する。資格勉強に逃げるのはやめよう ・と言いつつ、人間は退屈から逃れること...続きを読むはできない。気晴らしも決断も行う。完全に退屈から決別する人生は無い。やるべきは「動物的になること」を意図的にコントロールすること。 →ジャーナリングで自分の退屈を分析して【自己分析】、そこから解決の糸口を見出して実行してみて【読書】、さらに半年くらい夢中に楽しめそうな新しい気晴らしを実行する【体験・趣味】、そんなルーティンを繰り返す人生にするのがいいのかな。80歳で死ぬとして残り50年、半年に1つ楽しんだら、あと100個楽しんだら人生は終わる まず暇と退屈が異なるものであることを知れるのが面白い。退屈しているのに暇がない、という現代病。 退屈の第3形式から決断せよ!になるのは何か分かるなあという感じでした。自分もそう思って、周りを突き放して没頭しようとしてた時があった。そしてそれも結局は気晴らしあるいは決断の奴隷であると分かった。 結論として、これが最強の答え、みたいなものってないよなと。退屈を分析した結果、こうすれば退屈を完全に脱却できる、みたいなものはない(ちょっと期待してたけど) どちらかというと、退屈と気晴らしの中でずっと生きていくのが人生。なんというか、分かってたようで、分かりたく無かったリアル。 本書からの学びは、退屈さにやられる人生のなかで人生を楽しむ方法。それは「動物的になること」。自分の解釈としては、「動物的になること」を意図的にコントロールできるようになること(そのためにどうすれば、どこにいけば動物的な自分が引き出されて没頭できるのか?を日々研究して理解していく必要がある)。 環世界の話とか面白かったからもうちょい再読して深めたいなぁ。 まずは動物的に没頭できる楽しみを見つけることからかなと。
パートナーは、ルーティンを好み、ひとつのことに打ち込むタイプ。 私は変化を好み常に刺激を求めがち。だが、日々のわずかな変化を楽しむことができ、また思考をめぐらすことができる。 この本によれば、パートナーのほうがより退屈しないタイプだが、私も、飽きっぽいながらも愉しみを見出すタイプなので、どちらも比較...続きを読む的あまり退屈せずに人生を歩めるタイプなんだろうな。 いにしえの哲学者の各論説は筆者の痛烈なツッコミで分かりやすく、定住して人は退屈するようになったという考古学的な視点や、マダニがいかに哺乳類から吸血するかといった生物学的な視点など、とても面白く、のめり込める本だった。 もう少し考えて、頭の整理をしたくなる本。
退屈なんて普段しっかり考えたことないテーマに惹かれ読みました。哲学書が大好きな私にはとても満足度の高い1冊でした。ちょうど、「幸せ」「不幸」について考えていたので自分なりに少し答えに近づけたような気がします。
#タメになる
以下の文章がこの本の内容を説明している。 「人は楽しいことなどもとめていない。 退屈する人間は興奮できるものなら何でももとめる。 それほどまでに退屈はつらく苦しい。」 買った後、何度も読み返している。
1. 「暇」と「退屈」は別物である 暇:客観的な条件 (=やることがない時間、自由な時間)。 退屈:主観的な感情(=何かしたいのに、したいことがなくて苦しい状態)。 2. ハイデッガーの「退屈の3つの形式」 第1形式:何かに「よって」退屈させられる 駅で電車を待っている時の退屈。時間が経...続きを読むつのが遅く感じられ、早く過ぎ去ってほしい状態。 第2形式:何かの「際に」退屈する(←現代人はこれ!) 楽しいはずのパーティーに参加しているのに、ふと心に押し寄せてくる虚しさ。満たされているはずなのに、何かが足りないと感じる現代人特有の退屈。 第3形式:なんとなく退屈だ 特定の原因があるわけではなく、人間という存在そのものが根源的に抱えている深い退屈。 3. 結論:どうすればいいのか?(「贅沢」を取り戻す) 消費:次から次へと新しい物を欲しがり、記号(ステータスや流行)を消費する行為。終わりがなく、退屈の根本解決にならない。 浪費(贅沢):目の前にあるもの(食事、芸術、趣味など)を、時間をかけてじっくりと味わい尽くすこと。 物をじっくり味わうには「訓練(受け取る能力)」が必要です。**「楽しむための訓練をして、物事を深く味わえるようになること。それこそが退屈に対抗する倫理(生き方)だ」 全く知識がない状態だと、高級なワインを飲んでも「ただの渋いぶどうジュース」としか感じられないかもしれません。 訓練: 「このワインはこういう品種で、こういう気候で作られて…」という最低限の知識(作法や文脈)を少しだけ学んでみる。 すると、今まで「渋い」としか感じられなかった液体から、複雑な香りや歴史を「受け取る」ことができるようになります。
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暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
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