【感想・ネタバレ】暇と退屈の倫理学(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。

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Posted by ブクログ

「哲学書で涙するとは思いませんでした」
そんな帯のコメントが、"倫理学って何?おもしろそうだけど難しそう…"と購入を迷っていた気持ちを後押ししてくれた。
涙はしなかったけど、豊かな生き方のヒントをくれたような本だった。

二足歩行が始まって400万年。
人の生活に革命がおこって1万年。
法律も経済も信仰もすべてはここから。
暇ができ、退屈がうまれた。
常に新しい刺激を求める性。
気晴らしをたのしむ教養。
400分の1。なんかちっぽけにみえた。

消費と浪費の違いを初めて認識できた。
消費行動の中に虚無を感じていた理由がよくわかった。そして、浪費を求めていたんだと。

著者自らの「読み飛ばしてもいい」の言葉に甘えながら、気楽に読み進めることができた。
読み飛ばしながらも、著者のロジックや事例にワクワクしながら読み終えた。
「そうだ本を読んでる時って、こんなたのしかったんだな。」
あらためて、そう思った。

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2025年12月07日

Posted by ブクログ

大学生の頃に買って、5、6年の時を経てやっっと了読。

ここ半年くらいずっと輪郭の掴めなかった不快感。一昨日くらいにふと「もしや退屈なのでは?」と思い至り、久々に引っ張り出して読んだら凄い良かった。
なんか、安心した。
人生って退屈とどう向き合うかでもあるんだなってわかったことが収穫でした。

人は反復によって習慣を身につける。習慣がないと人は生きていけないけど、習慣によって退屈が生じる。とか最近の自分に心当たりがありすぎて「それ〜〜〜!」と思いながら読んでて楽しかった。

色々な物を受け取れるように自分を育てていきたいし、とりさらわれる瞬間を待ち構えれる場所を増やしたいな。


読書ってタイミングもあるんだなぁ。

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2025年11月23日

Posted by ブクログ

先日全4回を終えた読書会で取り上げたので、再読。増補版は初めて読んだので付録が新鮮。(読書会について後日あらためて投稿したい)暇と退屈を切り口に現代に漂う疎外を射抜いた名著だなと改めて感じた。結論冒頭の、「本書を読むこと、ここまで読んできたことこそ、〈暇と退屈の倫理学〉の実践の一つにほかならない。だから正確には、あなたは既に何事かをなしている。」というくだりは何度読んでも痛快!これを読むと人生深まりますよ。

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2025年11月20日

Posted by ブクログ

ひたすらに、普段なら見過ごしてしまうような行動に対する疑問を追求し、より深い理解へと掘り進めていく印象であった。そうした問答の積み重ねが自然と私を惹き込み、読み手を思索へと誘う力があった。

また、挙げられるエピソードの多くに共感できたため、読み進めるほどに面白さを感じられた。時折、話題が急に転換する場面もあったが、そのタイミングは絶妙であり、しかも「暇と退屈」という主題から逸れることなく一貫しているため、飽きを感じることは一度もなかった。

筆者の哲学者に対する理解は底知れないものがある。しかし、こうした哲学的テーマに不慣れな読者からすると、数多くの哲学者の局所的な見解が次々と引用され、しかも基本的に批判的な視点で語られるため、やや圧倒される印象を受けるかもしれない。だが、この種のテーマが好きな私にとっては、むしろ筆者の信念や思想の筋が通っており、独自の視点をもって自説を展開していく構成に圧巻さえ覚えた。

また時間をおいて、ぜひ読み返したいと思う。

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2025年11月17日

Posted by ブクログ

なかなかに読み応えのある内容とボリュームの本ではありますが、普段身近にある"暇と退屈"というものを、様々な著書を引用しながらロジカルに講じられていくので、どんどんと内容に引き込まれながら読み進めていけます。シンプルに倫理学とは奥深いものだと思うばかり。

感想を簡単な言葉で言い表せる内容でもないけれど、自身の考え方に一石を投じる本でした。故に、ふとした時にまた読み返したくなる本でもあります。

個人的には浪費と消費の考え方がとてもツボでした。

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2025年11月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

めちゃくちゃ簡潔に言うと、
「退屈を恐れすぎず、気晴らしに身を任せ、楽しみ方を訓練して心得よ。」
というふうに解釈したが、それに至る過程を理解していなければ、真に実行出来ない、という意味で、読んで非常に良かったと感じる。

人間は1万年ほど前から、気候変動による植生の変化により、定住を余儀なくされた。それ以前、遊動生活をしていた際に、遺憾なく発揮された洞察力や探索する力は、定住と農業によって必要性を失った。そして発揮する場所を失った人間の能力は、文明や文化の発展へと向かうことになる。
暇を得た人間は気晴らしをせざるを得ない。現代社会、消費社会では産業からあらゆる形の気晴らしが供給される。そこでは、産業が消費者に訴えかけて消費者の内に欲を生み出している。この構造により、産業は消費者に、物でなく観念を、消費させ続けることになった。観念の消費は、物の浪費に対して、満足しない。すると、消費によって我々は、「したかったこと」のはずのものに、「これじゃない感」を感じてしまうのである。
豊かな社会、人々が総じて暇を得る前、有閑階級は暇を飾る方法を知っていた。ありふれた生活を如何に楽しむことが出来るかを知っていた。楽しみ方は訓練によって獲得することが出来た。
ところで、ハイデッガーによると、人間の体験する退屈には、①時間がぐずつき、周りが言うことを聞いてくれない退屈、②退屈と気晴らしが絡み合ったもの、③なんとなく退屈、の3つの段階があった。ハイデッガーは、いずれも③を根底に持つと考え、人間は③の状態にあるとき、あらゆる可能性の先端に位置しており、決断によって可能性を発揮するべきであると主張した。
ハイデッガーは、環世界を人間以外の動物が持ち、人間は環世界を持たないからこそ、「とりさわれる」ことがなく、自由であり、自由故に退屈すると考えた。しかし、人間もそれぞれ環世界は持っている。人間とそれ以外を区別するのは、環世界間を移動する能力が相対的に、しかし非常に、高いことだ。つまり、人間は一定の環世界に留まっていられない。それ故に「とりさらわれ」続けることが出来ず、故に退屈する。
すると、様々な環世界を行き来し、気晴らしをしながら生きている人間の姿は、退屈の②の段階にあてはまる。多くの人間の多くの過ごし方は②に当てはまっていると考えることが出来る。②には、①と③には無い、余裕と安定と均整が存在する。そこでは、楽しみ方を訓練することによって、退屈を飾ることが出来る。
人間の生は、主に②であり、ときどき「何となく退屈だ」という感覚が大きくなると①=③に逃げ込みたくなる。その後②に戻るのだが、①③にい続けては仕事の奴隷になってしまう。
②を過ごすうち、楽しみ方を心得たり、環世界を獲得するうちに、どういった状況が自分に「とりさらわれ」を引き起こすのか理解できるようになる。すると、意図したような「とりさらわれ」も不可能では無い。このようにすると、人間が何かに没頭する、つまり退屈から解放される方法を獲得することも可能なのかもしれない。

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2025年11月06日

Posted by ブクログ

(堅苦しくて難しそうだな)とこの本を敬遠している人は今すぐにでも読んだ方がいいと思う。確かに堅苦しい内容のところもあるが、作者が噛み砕いて1から説明してくれているのでスラスラ読める。本当に頭が良い人というのは小難しい内容を芯から理解し、相手の分かりやすいように伝えられる人なんだなと実感した。

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2025年11月04日

Posted by ブクログ

非常に面白かった。
自分の中に世界の見方が新たに一つ追加された感じ。
とっつきにくい哲学の考え方を知ることができたのもよかった。
著者は読者の理解に非常に寄り添ってくれたおかげで、抽象的な内容にもかかわらずサクサクと読み進めることができた。
結論の部分は爽快感すらあった。

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2025年10月29日

Posted by ブクログ

咀嚼して書いたと本の中で著者の方は言っているが完全に理解するには何度か読み直さなければいけないくらい、分かっているようで分かりきれてない、そんな感じ。
しかし自分が普段感じていた人生とはなんだろうみたいな違和感をこの本が説明してくれた。

人は定住するようになってから退屈と感じるようになったという点は非常に納得した。

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2025年10月17日

Posted by ブクログ

退屈から逃げるため人はミッションや仕事の奴隷になる、浪費や退屈と向き合うことを通して、物事を楽しむ訓練がなされる。

消費ゲームから抜け、浪費を楽しむ
自分が動物になることを待ち構える

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2025年10月13日

Posted by ブクログ

退屈の第1・2・3形式の話は、とても勉強になった。

というのも、私自身がこれらの退屈にのっとった行動を繰り返してきたからだ。

空白の時間が生まれると、何もしていないことが不安になり、躍起になれる目標を探して、しばらくするとそれに飽きて(もしくはうまくいかず)、また空白の時間が生まれる……

本書でいうところの第1と第3の退屈を繰り返してきたのである。
まさか反復してきた出来事が「暇と退屈」で説明できるなんて、この本を読み始めるまで一切思ったことがなかった。

著者は哲学を専門とされており、本書での話の進め方も「これでもかっ」というくらい、丁寧に慎重にじっくりと進められる。本書のなかで、先人の哲学に投げかけられる“著者からの批判”も、理屈っぽくはあるのだけど、ある種直感に響くものでもあり、「そのとおり!」と拍手したくなるものばかり。そのようにして議論が進められるから、読んだあとの納得感がとてもある。

初めての哲学関連の本だったが、とてもおもしろかった!

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2025年10月06日

Posted by ブクログ

ある書店でパッと直感で目について読んでみたいと思った本を、ようやく読むこととなった。

暇と退屈、現代における人間の普遍のテーマであると感じていたことが、本書により少し噛み砕かれた気がする。

様々な哲学者の考え方を通して結論に至るのだが、まあまあな長さ。途中飛ばしたい気持ちもあり、速読してキーワードを拾った。少々回りくどいかなとも思ったが、全部読まないと見えてこないものもあるように思う。

暇にも種類があり、自分が生きている世界の常識の範疇だけで生活していると安定はあるが、暇を感じやすい。消費を促される現代社会の有り様だなと思う。

楽しむこと、浪費すること、考えることが大事だと思った。しかし自分の環世界から“とりさらわれる“ということについては、読み切った今も体感を伴っていないように感じる。

考えるに値する内容であるが、こうしたらこうなる、というような結論の仕方ではないのと、内容が深くて、自分なりの結論を出すのにまた人生を考えさせられる、といったような本に感じる。

読者である自分も、自分なりのフィロソフィーと呼べるものを作りあげていきたいなと思った。

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2025年09月29日

購入済み

退屈なんて普段しっかり考えたことないテーマに惹かれ読みました。哲学書が大好きな私にはとても満足度の高い1冊でした。ちょうど、「幸せ」「不幸」について考えていたので自分なりに少し答えに近づけたような気がします。

#タメになる

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2025年01月19日

ネタバレ 購入済み

より多くの人に読んでほしい。

2024年12月読了。

ず〜っと気にして買っていたのに、中々手が伸ばせずに積ん読状態だったのだが、数年前にTVでオードリーの若林さんが称賛していたのを見て興味が湧き、読み始めたのだが、自分はうつ病を患っており、その時は具合が悪く途中で手を止めてしまった。
その後(つい最近だが)思うところがあり、改めて初めから読み返したところ、夢中に成る面白さで、半日弱で読み終えてしまった。
哲学書でこんなに読み易い本は、早々お目に掛かれない良書だと思った。そして若い読者にも理解しやすい書き方で、現国のテキストに使われたのも頷ける内容だった。

中身を多くは語るまい。読み終えた人だけが、感想をスタート地としてそれぞれに思考を進めていければ良いのだ。

恐ろしく単純に云うとしたら、凸凹の「凹」の真ん中(低い所)に居ると思っている人達に、「そうじゃないんだよ、貴方の居る(べき)場所は、実は凸(の高い所)なんだよ。だから右往左往しないで世の不条理に惑わされず、絶えず《学ぶ》ことが一番大事なんだよ!」という、素晴らしく明快な答えを教えてくれる良書だと云う事だ。
と言っても、コレは読んだ人なら分かる、読んだ人にしか意味が分からない感想かもしれないけどw、補編の《痛みについての考察》は、心の痛み(うつ病)を抱える身の自分にもヒットする部分を感じて、とても嬉しかった。再読して、この病と闘っていこうとも強く思った。

國分先生、病と立ち向かう勇気を貰えました。ありがとうございました。

#深い #タメになる #アガる

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2024年12月10日

Posted by ブクログ

初めて哲学書を読んだけど難しかった。
要所要所の内容は面白かったけれど、結論に深く納得できるまでは至らなかった。
また時間をおいて読みたい。

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2025年11月30日

Posted by ブクログ

再読してまた考えてみたいと思わせてくれる本

難しそうな本だけど序章で引き込まれた。「好きなこと」とは何か?私が好きなものは暇を紛らわすためのお気に入りの気晴らしではないか?
選んできた学問も、選ぼうとしている職業も、人生の気晴らしのために選んでいるのか?それはそれでいい気もしてる。

コスメやアニメグッズ、ファッションの情報を得にSNSを見てしまうが、あれは「欲しいものがあるから探してる」のではなく、「欲しいものを探してる」行為だなと思った。実際、SNSを見て購入に至ったケースが山ほどある。
あの購買ケースは私の欲望を満たしてはくれないことが多い。それはあの購買が「浪費」ではなく「消費」だからなのかと腑に落ちた。

退屈の第一形式、第二形式、第三形式については理解しきれていない気がする。第一形式(=第三形式)への逃げ込みは私自身よくやっている(例:意味のない資格取得など)。第二形式もよくある(行きたかったはずの旅行先で退屈してしまっている)。でもなんとなくの実体験があるだけで國分さんの言っていることが私の中に上手く落とし込めなかった。
そういう個所は多々あるので、時間をおいて再読し、新たな発見とともに「暇と退屈」について私も解き明かしたいなと思った。

楽しむための訓練しよ!

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2025年11月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

退屈から逃れるためには、「人間であること」を楽しむことで「動物になること」を待ち構える。いろんな物事に対して、疑問を持ったり、どうすればより良い物を作れるかなど、思考をできるのは人間だけ。その思考によってある種フロー状態になり動物のように物事に入り込んで楽しめる。仕事で重要な姿勢のようにも感じた。
本書の内容は普通に面白かったがそれ以外に、著者は高校生の頃から自分の哲学を意識しており、それを実際に本書で実現させたという部分のストーリーが興味深かった。

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2025年11月09日

Posted by ブクログ

読む前には難しそうな話だと思っていたけど分かりやすく書かれており自分事として考えながら読み進めることが出来ました。
ワクワクする人生を送れるよう沢山勉強したいと思いました。

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2025年11月05日

Posted by ブクログ

相当前から、「人は、ただ生きる以外に、なぜ仕事なり人との交際なり遊びなり、何かをするのか」が疑問だった。自分なりにいろいろ考えていた。読み進めるうちに、この本がまさにその疑問に答えるものだと分かった。

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2025年11月03日

Posted by ブクログ

暇と退屈を気晴らししながら生きるのが人間らしいってこと?
気晴らしのはずの催しの中で退屈を感じるのは、その気晴らしを受け取るための教養がないから…って分かるような分からんような。難解な映画見てる時の気分とか?

トカゲはトカゲの、ミツバチはミツバチの、ダニはダニの世界を生きているってところが好きだった!

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2025年11月02日

Posted by ブクログ

 長い探究を続けた先の結論は、びっくりするくらい単純。でもその結論に至るプロセスを紐解いていくことで、自分の無意識下の行動や思考が理解できる範囲に入り込んできて、どこか安心する。
 私は未だに自分が何で満たされるかを知らないから、いつまでたっても満足できない。でも満たされないことを楽しんでいる気もする。まだ自分のこの感覚を言語化することはできないけれど、全てを言語化できるなら芸術はここまで発展していないと思うし、わからないままなのも案外楽しいかもしれない。どんなことも考え方次第だね

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2025年10月26日

Posted by ブクログ

「暇だなぁ。どうにかこの時間を有意義に使えないものか」と読み始めた一冊。中身は思ってたものとだいぶ違い、先人たちの論を学びつつ、暇と退屈に付いて理解を深め、著書と一緒に熟考していく重厚なものだった。内容はとても深く、様々な意見に自身の考えを揉まれ、非常に頭を使わされたが、とてもよく整理されており、意外にも読みやすかった。手頃な自己啓発本とは違い、暇についての解決法は何度もじっくり読み返しつつ考えなければ答えを見つけられなそうだが、とても良いものを吸収できた気がする。

まぁ、難しかったけど倫理って首を突っ込むと簡単には抜け出せないくらい面白いものだぞってことがわかった!!

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2025年10月24日

Posted by ブクログ

過去の偉大な哲学者たちが「退屈」をどう捉えて、どう対処すべきか、難解な哲学書の概要も理解できるように記載されていた。途中、立てられた仮説が突飛に感じたり、結論の落とし所に考えさせられたが、退屈が生ずるメカニズムを自覚できた点で、読む前と後で感覚が変わった。

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2025年10月22日

Posted by ブクログ

上司に推奨されて読む。教養を付けるための入りとして読む。

物質や時間的余裕欲しさに豊かさを目指した結果、その豊かさに喜べない。また、暇や退屈の潰し方は広告などにより教えられている始末。暇と退屈にどう向き合うのが正しいかを考えるのが主題。

暇や退屈は定住生活により生まれ、過去脈々と苦しいものとして認識され続けているというのを過去の哲学者や経済史が示している。それらを振り返りながら、人間の世界の捉え方を認識し、暇と退屈への向き合い方を考えていく。

結論は、色々な環世界を創造しそれらを一つ一つ楽しむという「気晴らし」を継続してすることが人間らしい、暇と退屈との向き合い方であるとのこと。教えられたエンタメやSNSなどの退屈から逃げるような消極的な消費は人間的でない。対比として捉えると、あるべき気晴らしを理解しやすいと感じた。

ちょうどこんまりさんの片付けの本を読んだあとだったので、環世界の一つ一つを楽しむという本書の結論と、ものと向き合うというこんまりさんの教えが近いものであり理解しやすかった

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2025年10月18日

Posted by ブクログ

難しかった。
理解できるようで、理解しきれない。
でも何か少し分かった気がする。
でも言葉にできないからやっぱり理解できていないのだと思う。

ただ、最後の「痛む記憶」が内側からのサリエンシーとなり、耐えざる刺激には耐えられないのに、刺激がないことにも耐えられない、に繋がっているのではという考察がなるほどと思った。
まだ完全に腑に落ちたわけではない。

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2025年10月12日

Posted by ブクログ

いやー、最高ですね。
星4.5以上ですよ。もう5でもいいです。
こんなに綺麗に文章かけるのがすごい。
読んでて「?」が出てくる度に、次の一文で解明されていく。
天才。日本語の本を全部この人に書いて欲しい。
なんとなく退屈だ ここの書き方ヤバいよ。

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2025年10月09日

Posted by ブクログ

難しいことを平易に書いてあるが、やはりそれでも理解をするのが難しいところもチラホラ。それでも、頑張って読んで考えていったらある瞬間にストンと腹に落ちた気がした。読んで良かったです。

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2025年10月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

現代社会において、生きることは習慣化されて漠然とした退屈に覆われている。

生物によって環世界が違うため、退屈の感じ方が違う。(蝸牛4分の1、人間18分の1、ベタ30分の1秒が最小)

退屈から逃げるためには決断の奴隷になり、人間であること(退屈とその気晴らし)を楽しむ。

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2025年09月30日

Posted by ブクログ

暇で退屈な時に読むべき本。退屈でもないのに「売れてる本だから読んでみよ〜♪」などというミーハーな気持ちで読んではいけない。「退屈」はそれ自体が恵まれたことであり「自由」であることなのだから。

とはいえ著者の主張は納得感もあり面白かったです。退屈は人類が定住生活を始めたためにエネルギーが余っているから感じる避けがたい感情であること。ハイデッガーは「退屈」は「自由」であることの査証であり、その時には「決断」するべきであるという(…なにを「決断」するんだろうね)。それに対し著者は、それでは何かの奴隷になる事に等しく、人間は「パーティーのような気晴らしを(時に退屈さを感じながら)楽しんでいく方が良いのでは?」と問う。ざっくり言うと、たぶんこんな感じ。(ちなみに私は今、不自由な仕事・家事育児・読書の奴隷です(笑))

私も「熱中するものがあるべき」というイデオロギーに若干辟易することがあったので著者の主張には大いに賛成…

…なのだけど、既存の思想への反論が心許ない…気がする。「ぼくはそうは思わない」「言ってることがコロコロ変わるので信頼できない」「日本に旅行したくらいで日本人のなにがわかる」(日本人は人間として「本来的」であると主張したコジェーブへの批判)と、まぁ、日常生活なら違和感ないけど、「学問としてその反論はアリなのか?」という疑問が…。

…もしかして哲学ってそういうものなの!?

というなんだか、モヤモヤした読後感の本でした(^_^;)。

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2025年11月30日

Posted by ブクログ

20251102052

暇と退屈との狭間のなかでより良く生きるためのストレッチをしている自分に気づいた。

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2025年11月02日

Posted by ブクログ

何事もより良くしようとしたり、より楽しもうと工夫したり、時間がきても気にせずやり続けようとしたり、そういう人間でありたい。たまたま好きなことかもしれない。でもこの世は九割九分たまたまな気もする。でも満足するためにはただ何も考えずにやるよりも頭と身体を使ったほうが達成感と満足感は確実にあがる。AIが進化すればこの先もっと退屈になるのだろうか。AIも退屈するのだろうか。わたしは人間らしく一喜一憂し、待ち構え、退屈と向き合って生きていこう。

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2025年10月19日

Posted by ブクログ

スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど歴代の哲学者や思想家の意見を山ほど引用し、現代消費社会における退屈の問題を考える。


消費社会では人は市場にある物やサービスの中から選ぶことに慣れてしまい、本当に欲しいものを自ら欲することができなくなってしまった。つまり資本主義社会が作ったものをひたすら消費するだけの社会になってしまった。労働者は時間を束縛され業務と休暇を与えられる。休暇と言いながら強迫観念で旅行やイベントの予定を押し込む。どうも我々は制約のある社会の中で、当たり前のように縛られて生きていることを自覚しないといけないようだ。


人間は太古の昔に定住化するようになるとともに様々なルールに縛られた奴隷的状態に身を置き始めたそうだ。そして自由を手に入れると不安になり決断という名のもとに制約を入手して安心する。暇(自由)になると、退屈してきて刺激(制約)が欲しくなる。もはやアラブの春の失敗と同じであり、フロムの「自由からの逃走」と同じである。
そのうえで退屈に対処していかなくてはいけないようだ。もう既に、仕事しないと退屈だと贅沢な悩みを訴える友人もいる。若い頃は退屈していたけれど、もう何十年も退屈していない気がする。贅沢な自由を味わえている。それだけでも儲けものですね。



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2025年10月03日

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