【感想・ネタバレ】暇と退屈の倫理学(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。

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Posted by ブクログ

簡単なことを、難しく言っているのかと思い、読んでいるタイミングでは、ああなるほどと思ったりしたが、振り返るとよくわからなくなる。やっぱり難しいことを言っていたのだと思う。何度か読んでいて途中で、辞めては、また最初から読み直す。ある意味、一生読める本かもしれない

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2026年03月01日

Posted by ブクログ

まず思ったのは、「めっちゃおもしろいな」という率直な感想だった。暇とか退屈って、あまりにも身近で、なんとなく語り尽くされているようなテーマに見える。でも読み始めれば、人間の定住化という想像以上に大きなスケールの話から始まり、そこから現代の消費社会や生き方の倫理にまでつながっていく。その展開がすごくダイナミックで、個人的にはフィギュアスケートの演技を見ているような感覚があった。静かなテーマのはずなのに、思いがけない高さまでジャンプしていく面白さがあった。

特に印象に残ったのは、ハイデガーの退屈論だった。対象がつまらない第一の退屈に対して、第二の退屈は、何をしても満たされないような感覚が続き、世界全体が少し色あせて見える状態だという。この説明を読んだとき、自分のある時期の感覚と重なっているなと思った。
一昨年、大失恋をしたときのこと (当時は大失恋だと思っていた)。別れた後に自分に残ったのは、ぽっかりとした心の空白だった。もちろんそうなることは想定できていたが、その状態から抜け出すのは想定の幾億倍難しかった。毎日手帳を書いて気持ちが溢れださないように制御しながら、少し遠くまで出かけてみたり、何か新しいことをしてみたりして、新しい何かが始まって自分の心をどこかへ連れて行ってくれるのを待っていた。というか待つしかなかった。でもその全ては一時的な気晴らしにしかならなくて、何をしても結局同じ場所に戻ってきてしまう感覚があった。時間は進んでいるはずなのに、何も変わっていないような日々が続いていく。毎日がこの繰り返しならば、人生はなんて長い暇つぶしなんだろう、そう思ったことを覚えている。

さらに思い返すと、その時間にあった「待つしかない」という感覚は、悲しみというよりも、どこか静かな諦めに近かった。何をしても、この問いからは逃げきれないのだと分かってしまうような感覚だった。
そしてこの「諦め」の感覚は、失恋の時期だけでなく、自分の中に昔からある「自分をちゃんとしたいのに出来ない」というところから来る不安とも似通っていた。この先まだ生きていくなら自分のこういう部分を直さなければならない、これに立ち向かう勇気を持たなければいけない、そういうことを分かっていながらも、私はいつでも消費や小さな暇つぶしで先延ばしにする (何ならそうしている自分にも気づいている)。そしてまた結局我に返り、同じ問いに戻ってくる。その繰り返しは、まさに第二の退屈の感覚だったのだと思う。

この本を読んで、退屈をどう乗り越えるべきかという答えが得られたわけではない。ただ、退屈に戻ってきてしまうこと自体が、自分の生き方を問い直している証なのかもしれない、という視点は残った。何をしてもまた同じ問いに行き着くという感覚は、時に諦めのようでもあるけれど、同時に、自分がまだその問いを手放していないということでもあるのだと思う。
退屈を完全に埋めることはできないし、これからも我に返っては同じ場所に立ち戻るのだろうと思う。それでも、そのたびに少しずつ違う見方をしたり、違う気持ちを持ったりするのかもしれない。そうやって退屈と行き来しながら生きていくこと自体が、人間らしく生きるということなのではないかと感じた。
退屈は避けるべきものというよりも、自分の問いに立ち戻るための感覚であり、もしかすると、自分が何を大事にしたいのかを思い出させてくれるものでもあるのかもしれない。そう考えると、退屈の中にも、ほんの小さな希望のようなものが含まれているのではないかと思った。

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2026年02月25日

Posted by ブクログ

退屈は個人的な弱さではなく、人類が長く向き合ってきたテーマなのだと気づかされる一冊でした。

本書を読んでまず感じたのは、退屈は自分だけの問題ではないという安心感です。
過去の人々も同じように退屈と向き合い、そこから哲学が生まれてきたのだと思うと、日常の感情が少し俯瞰できるようになりました。

特に印象に残ったのは、非定住社会から定住社会への移行という歴史的な視点です。
生きるために狩猟や農耕へ向けていたエネルギーが、やがて文明の発達へと向かったという論じ方は、とても刺激的でした。
退屈を単なる気分の問題ではなく、社会構造の変化と結びつけて捉える視点に、新鮮さを感じました。

また、かつては下流階級には暇や退屈がほとんどなく、上流階級だけがそれと向き合う術を持っていたという指摘も興味深かったです。
退屈が「贅沢な問題」であった時代があったことを知り、現代の自分の立ち位置も考えさせられました。

そして本書が提示する退屈の解決策としての「浪費」という考え方。
それは金銭的な贅沢ではなく、一つひとつの物事からより多くを受け取ろうとする態度のことでした。
この姿勢は、これからの生活の中で大切にしたいと思います。

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2026年02月24日

Posted by ブクログ

面白かった
わかりやすい例を出してくれるので、難しい理論も理解(表面上では)することができた
表面上だけでしか読めていない所も沢山あったと思うけど、読み切ることができたのが大きい
自分の知識が増えていく気がして読んでいて楽しかった
読み返す度深まって、賢くなれそう

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2026年02月07日

Posted by ブクログ

色々な角度から、多くの読者を置いて行かないレベルの言葉で書かれた本。内容は深いのに私レベルでも興味深く読める本でした(正しく理解できているかは置いておいて)


以下自分の勝手な解釈のメモ

楽しみを求めている状態こそ、退屈していない状態 つまり退屈の反対語は快楽ではなくその過程である興奮。

楽しむには負荷が必要

退屈を潰すための手段を目的としてすり替えている

そもそも人は動遊生活者であったというのは、面白い見方で納得してしまった


暇は特権

将来への気遣いの欠如は贅沢のしるし

消費社会は消費するのを妨げる社会、浪費を我慢させる社会

消費とは記号や観念の消費と捉えている


余暇は自分は好きに時間を使っているという観念を消費している


退屈を埋める手段としての消費をビジネスにしている。退屈な人は消費するものを選ばされているだけ。でも人はそれこそが目的だとすり替えて認識する。が、結局満たされる(浪費している)状態にはならない。なぜならそれは消費しているだけだから。


人が言う、本来性とは、本当に存在するのか。


人間はその他生物と異なり、環世界移動能力が高い。一方で特定の環世界が弱い。だから人間は退屈する


分かりやすいものに逃げる、例えば勉強に逃げるのは、狂気。=なんとなく退屈という自分の声から逃げるように世間の言う行為の奴隷になる。

これはとても実感する


楽しむことには訓練が必要で、その訓練には思考が欠かせない。思考の強制をさせる物にとりさらわれ動物になる。つまり人間を楽しむことで動物になる。

どんなことでも本当に楽しむためには、ある種の困難を乗り越えていくことが必要。分かると楽しい、できると楽しいというのは人間という動物に与えられた本能なのかな。


これまでのサリエンシーに対応した記憶が、サリエンシーが無い状態に置かれた時に反作用のように呼び起こされる=暇は嫌だ退屈だとなる


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2026年02月04日

Posted by ブクログ

これは本当に読んでほしい。
マイベスト本。
堅苦しくなく読みやすいのに内容は深い。
本当に頭のいい人が書いた文章は頭が良くなくても理解しやすいらしい。

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2026年02月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

〜〜〜要約〜〜〜
豊かで、革命が喫緊の課題ではないような社会を生きる現代人は、その余った時間をどう使っているのだろうか?
資本社会において、満足をもたらす「浪費」(食べ物を永遠に食べることはできないから満足する)が減り、意味や物語といった「観念」を「消費」するようになったことで満足しにくくなった。このように、供給側の意図によって、満足することのない「消費」が促されている…

退屈には3つのかたちがある。
① 目的を果たすまで待つ時間の退屈。(バス待ってる時間)
② 楽しみを求めて何かをしているにも関わらず感じる退屈。(パーティきたけどなんか退屈)
③ 理由がない、「なんとなく退屈」という退屈。

①と③は性質が近い。人はこのような退屈に対して、気晴らしとして刺激を求める。しかし、結局何をしていても退屈に感じる②の状態が生じる可能性がある。

刺激について考えると、生物としては刺激が少ない方が安全であるように思われる。しかし人間は、刺激を積極的に求める存在でもある。人間は環境に順応してしまうため、刺激はやがて効力を失う。そこで常に現在とは異なる環境に身を置くことで、新たな刺激を得ようとする。それは仕事である場合もあり得る。そこでも②の退屈が生じうる。

②の退屈はなぜ生じるか?パーティを楽しめるほどの教育や訓練を受けていないからだ。アートとか野球とか、美味しいものも、知っていて、楽しむ訓練をしていれば楽しく感じるだろう。結局、楽しむための教育や訓練を通じて対象を深く味わう力を身につけない限り、この退屈の循環から抜け出すことはできない。

最後に、人間は退屈による空白が耐えられない。空白が生じると、嫌な記憶とかが思い起こされたりするから…

で、あってるかな〜???全く読み返さずに書いたから、私の偏った理解が入ってるかも?

〜〜〜感想〜〜〜
非常に論理的でクリティカルな内容だった。なんで仕事や遊びで忙しいのに、大好きな友達がいっぱいいるのに、退屈と感じてしまうのか気になっていたので、読んだ。
読んだけど、私の退屈は解消される気がしない。楽しむ訓練はかなり難しいと考える。私は長く真剣にやっている趣味が多いが、たまにしか楽しいとは感じていないと思う。旅行なんて、友達とのおしゃべりが楽しいわけで、その土地に出向くことの楽しさがまだわからない。
そしてみんな、趣味としているものをやっていても、ふと飽きたって思ってしまうことはないだろうか?
また、最後の方に関して疑問を感じたのでそこまで重要ではないかもしれないが要約で触れてみた。「退屈が嫌な記憶を呼び起こす」のは、本当に精神状態によるんじゃない?
退屈には教育や訓練で対処するか?動物的な、ある意味「無意識」な瞬間を積み重ねるべきか?と議論を並べると、これらは「退屈」に対する概念とはまた違う次元の話をしている気がする。
「退屈が時間の無駄である」としたら、対処すべきだが、そうでなければ退屈もいいんだろうな、とよく友達と話しているが…私の、意味づけのない時間、「退屈」への不満は解消されない。
物事に対する感情の起伏をコントロールするようにしていたら、刺激を刺激と感じにくくなってしまった…退屈だなぁ
ただ、時代背景や哲学と退屈を結びつけて論じられていることがとても面白くて、かつ、哲学への批判的な考察に納得させられて、読んでる間は退屈しなかったので⭐︎5!

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2026年01月29日

Posted by ブクログ

岩波文庫の哲学書をすこしかじり始めたタイミングだったので、色々な哲学者の話を批判的に視点で拾っていく様子が、面白かった。

贅沢を取り戻す。消費ではなく浪費をすること。
浪費は物そのもの、体験そのものを受け取ること。そして受け取ったら満足すること。

読み進めながら結論がどうハードルが上がっていったけど心配いらなかった。
①自分を悩ませるものについて新しい認識を得ること、それが第一歩(この本を読み終えたこと自体もその一つっていうのがグッとくる)、②贅沢を取りもどす(衣食住や芸能,芸術,娯楽を楽しむ。浪費。)、③いつか出会う環世界に浸っていられるように待ち構えること(余白を持って感受性をみがくこと)

いい読書だった〜。

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2026年01月21日

Posted by ブクログ

暇とは何かこう考えていくんだよー、で終わるのかと思っていたら結論もちゃんとあって、しかも納得できた。

読んでいく中で特に環世界の話は印象的だった。
時間や空間も人や動物で違う。太陽は太陽として捉えていない。人間でなかったらと思うと、それこそ当時生物?になってみないと分からない、真面目に行けるところまで行こうとしたら強力なサリエンシーになりそうだ。

勉強ってなんだろう?と時々考えることがあった。習ったことが全て自分の生活に役立つのか?違うよなという思いがあった。
本書は暇にどう対応して行ったら良いか、という筆者の問題定義に共感して読み始めた。
結論で第二形態の「人間を楽しむために」「勉強する」。ハイデッガーのパーティーの話も分かりやすくて、理解するってこういうことか、と感じられた。筆者の想定している読者としてポーズしてるわけではなく本当にそう感じられた。

哲学については、先に『寝ながら学べる構造主義』だけ読んでいて、これも特にまえがきが素晴らしいなと思って最後まで読んだが、今回のような理解まではできなかった。哲学ってこういう世界なのかと、味わう?と言ってもいいのか分からないけど覗き見できた、という感覚で終わったけど、
本書は哲学っておもしろいって思えた。

寝ながら学べる構造主義が読みにくいというわけではなく自分はまだそのレベルを楽しめる勉強が不足していたのだと思う。

本書は単に内容だけでなく、文章の構造もガイドしてくれてる書き方になってるから、分かりやすいんだと思う。章冒頭で何について論じるかから入り、まとめはこれ、結論はこれという風に明確に書かれている。

暇と退屈って言われてみたときはもやもやしてた。読み終わった今はこんな感じだ。
さあ、どの環世界で楽しもうか?

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2026年01月04日

Posted by ブクログ

要所要所で難しいところはあったが、全体的に読みやすい本であった。
暇と退屈、という切り口でここまで世界観を広げさせるのか!と感じた。

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2025年12月24日

購入済み

退屈なんて普段しっかり考えたことないテーマに惹かれ読みました。哲学書が大好きな私にはとても満足度の高い1冊でした。ちょうど、「幸せ」「不幸」について考えていたので自分なりに少し答えに近づけたような気がします。

#タメになる

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2025年01月19日

ネタバレ 購入済み

より多くの人に読んでほしい。

2024年12月読了。

ず〜っと気にして買っていたのに、中々手が伸ばせずに積ん読状態だったのだが、数年前にTVでオードリーの若林さんが称賛していたのを見て興味が湧き、読み始めたのだが、自分はうつ病を患っており、その時は具合が悪く途中で手を止めてしまった。
その後(つい最近だが)思うところがあり、改めて初めから読み返したところ、夢中に成る面白さで、半日弱で読み終えてしまった。
哲学書でこんなに読み易い本は、早々お目に掛かれない良書だと思った。そして若い読者にも理解しやすい書き方で、現国のテキストに使われたのも頷ける内容だった。

中身を多くは語るまい。読み終えた人だけが、感想をスタート地としてそれぞれに思考を進めていければ良いのだ。

恐ろしく単純に云うとしたら、凸凹の「凹」の真ん中(低い所)に居ると思っている人達に、「そうじゃないんだよ、貴方の居る(べき)場所は、実は凸(の高い所)なんだよ。だから右往左往しないで世の不条理に惑わされず、絶えず《学ぶ》ことが一番大事なんだよ!」という、素晴らしく明快な答えを教えてくれる良書だと云う事だ。
と言っても、コレは読んだ人なら分かる、読んだ人にしか意味が分からない感想かもしれないけどw、補編の《痛みについての考察》は、心の痛み(うつ病)を抱える身の自分にもヒットする部分を感じて、とても嬉しかった。再読して、この病と闘っていこうとも強く思った。

國分先生、病と立ち向かう勇気を貰えました。ありがとうございました。

#深い #タメになる #アガる

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2024年12月10日

Posted by ブクログ

やっぱ散歩だな!(笑)

時に人類の歴史を辿り、時に動物の感覚を味わい、時に哲学の巨人に立ち向かいながら、様々なジャンルをまたいで暇と退屈について論じることで、「人間は暇と退屈にどう向き合っていくべきか」という巨大な問いに迫ります。

過去に読んだことのある哲学チックな軽い読み物(「人生に役立つニーチェの言葉」みたいな?)にくらべると、重厚な文体と内容ですが(それでもおそらくカタい哲学の学術書に比べると相当やわらかく書かれているだろうことは、学術書を読んだことのない私でも察しがつく)、読み応えがあり、読後の達成感もひとしおでした。文章の解像度が高すぎて私の脳では処理に苦しむ箇所もあったりして、少し心が離れかけましたが、古代の人類に触れた章や生物学に触れた章あたりは興味のあるジャンルなのでグイグイページが進み、最終的には感動のゴールを果たすことができました。

「定住」というパンドラの箱を開けた古代人類は、あまった時間と気力によって技術革新、文化芸術の発展を成しとげましたが、同時に「暇と退屈」が生まれ、つまらない平和より奮い立てる戦争を選びかねない不安定さや、熱中、没頭、使命を得られるのであれば苦しむことすら厭わない愚かさも持ち合わせてしまったとのこと。人間は指針を欲しがります。こう生きるべきという、見本のようなあるべき姿を。でも今の世の中、宗教や伝統に頼れない者は、どう生きていいのかがわからなかったりするでしょう。私もその指針ほしさに、読書している節がある。いや、絶対にそうなのです。

現代的退屈にはスマホも一役買っているでしょう。満員電車で乗客全員が前かがみでスマホをいじっている光景はもはや当たり前となりました。情報・記号の消費は当たり前のものとなっています。

哲学者ハイデッガーの「退屈は人間特有でそれ以外の動物にはない」とする退屈論と、生物学者ユクスキュルの「環世界」の観点をバトルさせる「暇と退屈の人間学」の章が個人的に一番スリリングで、「好きな日高敏隆さん(動物行動学者)の書籍で知った環世界だ!」という嬉しさもあり読んでてワクワクしました。ハイデッガー対ユクスキュルの大勝負! 私は生物学が好きなのでユクスキュル贔屓だったかもしれませんが(ミーハー)、ハイデッガーは人間が何かしら絶対的な存在だと驕っているような印象がありました。人間の絶対性に根拠が感じられなかったです。哲学者って意外とデタラメな部分もあったりするんだな〜。自分の用意した答えのために論理を組み立てたり、自分の主張のために物事を決めつけたり。でもどんな人間にも考えの偏り、フィルターがある。著者の國分さんにも、もちろん私にも。でもハイデッガーに「決断しろ!されば道はひらけん!」て言われたら、私は単純だから「決断」て言葉の甘美さに惹かれて「はい!」て言っちゃうかも(笑)

決断した人が退屈から自由になったように見えて羨ましく思える、という著者の意見に同意します。過激な政治運動をしたり、新興宗教にどっぷりハマったり、陰謀論を信じたりする人のことを白眼視しつつも、人生を賭けられることがあるのは羨んでしまいます。しかしそんな彼ら彼女らは、考えることをやめ自らを省みる必要すら失くした、ひとつの価値観しか見えない危うい状態なのだと著者は説きます。ひとつの考え方に支配された奴隷のように生きることは、人間らしさがない危険なものだという著者のメッセージに感じ入りました。だから大事なのは、退屈から逃げないこと。身を任せ、自分に向き合うこと。狂信的・盲信的になることは、感受性をとじてしまうこと。感受性、、、受け取って感じる力。感受し続けることこそ人間の生き方であって、感受性は訓練して育むものであるという著者の力強いメッセージが心に響きました。著者に励ましてもらえた気分です。

ラストの結論で、これまで7章・400ページ弱に渡って論じられてきた言説のピースがカチカチとはまっていき、結論が力強く提示されます。あまりにも我が意を得たりで、その気持ちよさだけで読んでしまったので、今いちど冷静に読み直すべきかもしれません(笑)。ちなみに著者は結論の前置きとして「今までの400P弱をすっとばして結論だけ読んでも意味ないからね」と立札を建てます。要約すると、この400ページ弱の読書体験の間、読者は自分なりに暇と退屈をどう捉えるかを思案しています。読む行為はそれだけですでに実践しているのであって、読む前と読んだあとで読者に変化がおきている。自分なりに「暇と退屈」の大系のようなものが頭の中で出来上がった上で、結論に触れることに意味があるんだよ、と。ここまで読んできたことが褒められたような、なんか皆勤賞がもらえたような嬉しい気持ちになりました。

私は感覚さえ養えられれば、どんなことも楽しめるのでは?と思っています。以前、友達が「寝ることが楽しい」と言って休日まるまる寝ていたことがありますが、その態度には「平日の疲れのために、週末は寝貯めしとこう」という後ろ向きな部分がなく、積極的に睡眠を楽しんでいるようで、外出したい派の私には全くもって考えられなかったけど、それは私に睡眠の感覚が養われてなくて、単に休息・回復としてしか睡眠を受け取れないからだったかもと思い直しました。高齢の私の両親はTV番組「プレバト!!」を見て俳句にハマってから毎日楽しそうに見えます。暮らしそのものが俳句のネタで溢れているかのようで、季節が変われば季寄せを傍らに、俳句のヒントを探しています。定年後の膨大な暇をまるごと楽しんでいるようで羨ましいです。私は、やっぱ散歩かな!ベストな過ごし方は(笑)

スマホの普及、ネットコンテンツやサブスクなどインスタントかつ大量な暇つぶしに溢れたこの世の中で、口の中でゆっくりアイスを溶かす時みたく、丹念に味わうように思考したいですね。時がとまったと思えるような、田舎の駅の待合室で。

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2025年12月22日

Posted by ブクログ

あんまり考えたことはなかったけど、自分はどんな時間の使い方をしてるかな、と改めて考えさせられました。

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2026年02月22日

Posted by ブクログ

おもしろい
最初の数行でこれは時間かかってもいいからしっかり読みたいって直感して読み進めてったけど、数年経つと内容全然覚えてない…
また読み返せるからこれは買っておいて良かった本

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2026年02月19日

Posted by ブクログ

とりあえず読み終えたことに満足。
面白いと思うところもないわけじゃなかったけど、私には勉強として読む感じでした。
でも、自分がこうしようと思っていたことが作者がこの倫理学の解決法とあげていたことに少しリンクしていたことが嬉しかった。その点から言うと、これからの人生を歩む勇気がもらえたなと思います。
また読み返すだろうな

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2026年02月18日

Posted by ブクログ

むずくて全然わからんなーと思ってたけど、おもんない飲み会の帰りに読んだらめちゃくちゃ何言ってるかわかった

全体的におもろいとことむずくてわからんとこが順番こにくる感じ

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2026年02月18日

Posted by ブクログ

退屈は人間にとって必要なものだった。
なぜなら移動→定住→文明の発展のように人間に退屈という感情、思考かな?が湧いたからこそ人間はその才をさまざまに生かしながら発達してきたから。他にも退屈を感じられるからこそ人間はより良く生きようと試みたり、新しいものを常に生み出そうとするから。
私自身は退屈がとても怖いと感じる。何もしていないと自分だけが置いていかれているような気持ちになる。これは一種の「とらわれ」?笑かもしれないけど。本書を読んで退屈は不快なものかもしれないけれど、悪いものではない気がする。退屈があれば、反対に自分が感じたいと思ったものに触れられるし、自分が吸収することができる。だから退屈と気晴らしが絡み合うこの人間の生を楽しみたいと思った。

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2026年02月17日

Posted by ブクログ

暇とは何か。退屈とは何か。それは本当に主観的な感情なのか。それとも、近代社会が構造的に生み出した状態なのか。
著者である國分功一郎は、古代から近代に至る思想史を横断しながら、退屈を倫理の問題として再定義する。
刺激過多の社会において、私たちは退屈を回避することに最適化されている。しかしその回避行動そのものが、実は退屈の深化である。この逆説が中々目から鱗。

退屈とは、世界との関係が断絶した状態であると同時に、新しい関係を開きうる契機でもある。刺激を消費し続けるのではなく、世界を再び見るための余白。それが退屈。
正直に言えば、私はこれまで「暇」や「退屈」について真剣に考えたことがほとんどなかった。むしろ忙しさを誇り、退屈を感じないことを美徳のように扱っていた。しかし本書を読んで気づく。
退屈を感じないのではない。退屈を感じないように訓練されていただけなのだと。
暇とは空白ではない。
退屈とは欠如ではない。
それらは、世界の見え方が変わる瞬間の入口なのかもしれない。
読後、自分の時間感覚がわずかにずれる。その“ずれ”こそが、この本の最大の効能である。
でも読んだ所でなにか倫理観が変わるのかといった全くそうでもない気がする。

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2026年02月16日

Posted by ブクログ

前半は歴史的・政治的な話が多くてスっと入ってこないところがあったけど、後半は日常生活に当てはまって面白くて一気に読んじゃいました⚑⚐゛︎︎︎
特にハイデッガーの退屈の形式→環世界の話がすごく刺さった!

【 個人的なまとめ 】
~ 退屈の種類 ~
①第一形式…何かによって退屈させられること
⇒ 自分の今の生活にはほとんどない。例えば電車の時間(約15分)は仕事のお客様とのやりとりLINEと1日の振り返りを書くのに使うけどそれは自分にとって大事な時間で、そうじゃない時は本を読むようにしている。昔は退屈の気晴らしに携帯でSNSを見る毎日だったけどそれを辞めてからすごく有意義。大好きな仕事なので研修や会議も楽しくて、「引き止め」「空虚放置」はあまり感じない。暇の使い方◎

②第二の形式… 何かに察して退屈すること
⇒ これはよくある。例えば、会社の飲み会や久しぶりに遊ぶ友達。好きな人達としか遊ばないけどそれでもどこか気を遣う自分がいて、気晴らしのはずなのになぜか疲れた気分になる時ある( ; ; )逆に心から気を許してる旦那とは、2人で1日中家にいる暇な時間も1日外に出てた日でも退屈だと感じることはあまりない
⇒これに対して結論で、物を楽しむことを訓練すると良いと書いてあった。
確かに。食事・音楽などの物を心から楽しめるようにしていきたいと思った。

③第三の形式… 何となく退屈
⇒ すごく納得したし、1番深い。今の仕事がすごく好きで、子供かできたとしても一生仕事を続けたい!! と思っているけど、それは何となく退屈になることを避けるための気晴らしなのかもしれないと。
でも結論に退屈の解決策として楽しむことが大事だとあったから、好きで没頭できることが仕事なのは有難いことだなと感じた。
「労働の奴隷」とマイナスよりな言い方もできるけど、私は今の自分の労働に関してはポジティブに捉えたい。

好きな仕事をしてプライベートは消費ではなく浪費を楽しむ。

定住生活になり自由ができて退屈が生まれ、真の答えになかなかたどり着けない暇と退屈の永遠ループを私なりに楽しむ人生にしたい!と思いました。

色んな哲学者たちの思想が知れて勉強になったし、逆に作者に対して「?」って批判したくなるところもあったけど、それも含めて哲学って面白いなと思えた本。

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2026年02月16日

Posted by ブクログ

・とても読みやすい。一文の区切りが短いのと、情報の出る順番が丁寧だからだと思う。Aという主張をするために、前提となる情報を出す。この基本に忠実な文体。新しい情報を出す前に入念に復習や補足まで行なってくれる。優しい塾の先生みたいなやり方だと思った。

・消費と浪費は違う。モノそのものの価値ではなく、それが新しいだとか、みんなが使っているだとか、そこに付与した記号を買わされることを消費と定義されていた。三宅香帆さんの著書「考察する若者たち」で言及されていた、「報われ消費」と近い考え方だなと思った。

・消費というと、現代ならスマホが一番近いような気がする。スマホには天井がない。延々と続く情報の海に流されてるうちに、時間はどんどん消費されていく。消費された時間は、広告料として企業が潤っていく。これは本書でいう「気晴らし」にあたるわけだが、どれだけ続けても満足は得られないだろう。本書では、消費ではなく浪費をしようと一つの結論を出していた。浪費とはつまり没頭のことだと思う。ふとしたきっかけで、思考に耽る、その環世界に浸る瞬間。これは端的に言えば没頭と言えるだろう。没頭できるなにかがあれば、やっぱり幸せだ。その瞬間を「待ち構える」という表現があった。素敵な表現だと思う。

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2026年02月07日

Posted by ブクログ

人はなぜ暇の中で退屈するのか、そもそも退屈とは何か、退屈とどうむきあうべきか、を命題とした哲学書。暇を客観的条件、退屈を主観的状態と定義したうえで、過去の哲学者たちの主張を丁寧に追って展開されていく営みは、哲学という学問の面白さを感じさせる一方で、全てを理解しきれないもどかしさも感じる一冊だった。漠然と身近にあった暇という現象に対してこうした解釈がなされるのは非常に面白かった。
人間は環世界を相当な自由度をもって移動できるから退屈するのであり、定住革命と同時に暇と向き合うようになり、供給側が需要を操作しているといる現代の高度消費社会においては、終わることのない観念消費のゲームとして資本主義が暇を搾取している。

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2026年01月24日

Posted by ブクログ

今まで読んだなかで一番難しかった本。

暇や退屈は避けられない。
でも、教養があるとそれを「消費」ではなく「味わう時間」に変えられる。

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2026年01月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いわゆる哲学書で気にはなっていた(積読状態)→「スマホ時代の哲学」から続けて読んでみた。
関連する話題でもあり、相関もあって興味深い。(記憶が混同するデメリットもあるけど)
分かりやすく面白いが、簡単ではないし読むのに時間はかかる。
整然と論理構成をまとめて教えてくれる形式ではなく、ひとつずつ問いかけ、考察を加えるという形で物語的、あるいはドキュメンタリー的に進めていき、長旅に付き合う感覚。咀嚼して頭にすっとはいってくる訳ではなく、自分で頭を整理する必要がある。
スマホ時代の哲学同様、ことばの定義に注意が必要。
スマホに比べればトリッキーな語用は少ないのでまだ理解しやすいが。
結論では、要は目の前のことに真剣に楽しんでいるか、というところに行きついたが、
それはスマホ時代の哲学にも(孤独と趣味という言い方)つながるし、
たとえばLISTENで人は人の話を聞いているようで聞いていない、という話にもつながってきた。
過去未来ではなく、今その場の感覚に意識を集中しよう、という禅やマインドフルネスにもつながっていないか。
まずは目の前の料理を味わうとか、今その瞬間を楽しむことを意識してみることを何度も説かれた感覚。

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2026年01月03日

Posted by ブクログ

暇と退屈について深く言語化されていた。
日々の習慣を通して環世界を移動したい。
「楽しむことは思考すること」

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2026年01月01日

Posted by ブクログ

生きるとは、習慣の連続である。
生きていれば、お腹が空くからご飯を食べる。
清潔に保つために毎日お風呂に入る、歯を磨く。
健康を保つために運動をする。
そんなことが死ぬまでずっと続く。
あぁ、めんどくさい。退屈だ。なんか楽しいことないかな。
そうして好きなことを見つけ、気晴らしする。
だけど消費させられてるばかりでは、退屈からは脱することはできない。
衣食住や、娯楽を心から楽しむ。
心から楽しむためには、知識や教養が必要。
そのために勉強する。
そうすると見え方が変わってくる。人生がカラフルになる。
退屈するのは間違いないが、少しでも彩りのある人生にしていきたい。

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2025年12月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

筆者の考えを全て理解できたかと言われると、追いつかなかった部分もあるが、おもしろかった。
消費社会に取り込まれてしまっているいま、“生きること”を取り戻す必要があるように感じた。
自身の時間の過ごし方と、3歳の子どもの時間の過ごし方を見ていると、子どもは「人間であること」を楽しみ、「動物になる」ことができているように感じるのだが、第二形式を楽しむことには訓練が必要であるにも関わらず、訓練していなそうな子どもが楽しむことができているというのは、どういうことなのだろうか。楽しむことを大人になる過程で忘れる/失ってしまい、訓練により取り戻す必要があるということなのだろうか。
自分は第三=第一形式に入ってしまうことが時折あると感じた。マインドフルネス的なものとはまた何か違うのだろうか。そのあたりがまだしっかり理解できていない。

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2025年12月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

今の自分にこれ以上の評価をつける哲学に対する知識を持ち合わせていない。もっと哲学に対する造詣が深くなれば、あと⭐️2つはつけれるだろう。
とはいえ、⭐️3つ分の内容を以下に記したい。
習慣化することは、ある環世界に浸ることだと考える。ただ、習慣化しただけでは退屈してしまうので、人は新しいものを取り入れる。
この流れ自体が、1つの環世界となると、常に新しい物事を取り込みながらも、退屈のしない幸せな生活が待っているんじゃないかと感じた。
特に、自分自身が「習慣化」をテーマに生活をしているので、これからもこの本に書かれたことを指針の1つにしていきたい。

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2026年01月25日

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観念の消費ではなくモノの浪費
モノを楽しむための教養と知性

元々暇も退屈もあまりしない人間だからか?読む時期が悪かったか?ガツンと響くことはなかった。

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2026年01月10日

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人間であることを楽しむことで、動物になることを待ち構えることができるようになる

ハイデッガーの退屈
退屈の第一形式
何かによって退屈させられること
仕事の奴隷になることで第三形式の退屈から逃げ去ろうとする、自己喪失が大きい

退屈の第二形式
退屈と気晴らしとが独特の仕方で絡み合っている
自分に時間を与えることで奴隷にはならず、自分自身に向き合う姿勢がある

退屈の第三形式
なんとなく退屈だ
自由があるのだから、決断によってその自由を発揮せよ

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2026年01月06日

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自分にとって難解だったが、暇ではいが退屈になりそうなときこそ、気晴らしという楽しみを創造する知恵を働かせることの必要性を訴えていることがわかった。

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2026年01月03日

Posted by ブクログ

暇と退屈を歴史、哲学などの視点から考察した本。恐らく、本書は暇と退屈を以下のように定義している。

•暇: 義務に時間を拘束されていない状態
•退屈: 刺激がなく不快な状態

本書の興味深かったところは、(1)暇で退屈、(2)退屈と気晴らしの混合(気晴らしにも退屈を含む)、(3)何か退屈、という3つの状態が円環をなすという点だった。確かにこれは多くの人に当てはまる気がする。また、暇や退屈をネガティヴに捉えすぎないことと、暇=退屈だと誤認しないことが大切だと感じた。

単純に今の気分と合っていなかったせいであるが、正直なところ、タイトルから想像したほど面白い本ではなかった。「面白いかも」と思い次の頁をめくると、「どうでもええこと考えてるな」という気持ちになる、刺激と退屈が交互にくる読み物だった。

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2025年12月28日

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