あらすじ
「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。
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Posted by ブクログ
パートナーは、ルーティンを好み、ひとつのことに打ち込むタイプ。
私は変化を好み常に刺激を求めがち。だが、日々のわずかな変化を楽しむことができ、また思考をめぐらすことができる。
この本によれば、パートナーのほうがより退屈しないタイプだが、私も、飽きっぽいながらも愉しみを見出すタイプなので、どちらも比較的あまり退屈せずに人生を歩めるタイプなんだろうな。
いにしえの哲学者の各論説は筆者の痛烈なツッコミで分かりやすく、定住して人は退屈するようになったという考古学的な視点や、マダニがいかに哺乳類から吸血するかといった生物学的な視点など、とても面白く、のめり込める本だった。
もう少し考えて、頭の整理をしたくなる本。
Posted by ブクログ
やるべきことはたくさんあるけど、なんとなく常に暇だと思って読んだ本
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* 人間は退屈する存在
* 退屈から抜けるには「消費」ではなく「浪費(没入)」が必要
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■ 人間が退屈する理由
* 人は「環世界(観世界)」の中で生きている
* しかし人間は別の環世界へ移動できる
* その結果:
* 一つに留まり続けられない
* 没入が壊れる
* → 退屈が生まれる
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■ 消費と浪費
* 消費:
* 観念(情報・イメージ)を対象
* 次々と乗り換える
* 満足しない
* → 環世界を移動し続ける
* 浪費:
* 物・体験を対象
* 受け取り続ける
* 深く味わう
* → 環世界に留まる
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■ 動物になるとは
* 動物:
* 一つの環世界に没入
* 移動しない → 退屈しない
* 人間にとっては:
* 一つの環世界に留まり続けること
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■ 没入が起きる条件
* 観世界移動が止まるとき
① 強い思考に捕まる
* 解決せざるを得ない問い
* 気になって離れない違和感
* → 思考が固定される
② 浪費しているとき
* 物や体験を深く味わう
* → 注意が一点に集中する
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■ 楽しむことと思考
* 楽しむこと:
* 感覚や意味を受け取り続ける
* 没入的思考:
* 対象について考え続ける
* 共通点:
* 一つに留まる
* 受け取り続ける(=浪費)
* → 楽しむこと=没入的思考
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■ 違和感の役割
* 違和感:
* 「おかしい」と感じるもの
* 既存の環世界で説明できない
* 分岐:
* 逃げる → 消費 → 退屈
* 留まる → 思考 → 没入
* → 違和感は没入の入口
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■ 統合
* 人間は環世界を移動する → 退屈する
* 消費はそれを加速
* 浪費は環世界に留める
* 没入が生まれる
* 楽しさ・思考はその状態
* 違和感が入口
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■ 一言まとめ
* 退屈=移動し続けること
* 浪費=留まり続けること
* 楽しさ・思考=没入状態
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このままでも十分使えますが、
次は「行動レベルに落とす」と一気に意味が出ます。
Posted by ブクログ
時間を要したけど今読んでよかった。
ひとりでいる不安を消すために予定を詰めたりしていたけど、病まない程度に暇ときちんと向き合いたいと思った。
わたしは大学生で、自分も周りの子達も隙間がないほどバイトや遊び、就活など予定を入れている。一昔前の大学生は人生の夏休みと言われるほど、ゆとりがありのんびりしているイメージだった。SNSの普及により、資本主義の奴隷になっていたり、暇ではいけないという潜在的な認識に駆られているような気がしている。
Posted by ブクログ
人間がうまく飼い慣らせず、それ故に人生や幸福そのものに深く関わってくる「暇と退屈」について、人類の系譜や哲学者の論述から分析した上で、我々現代人に対して一定の提案をしてくれる本。
色々な哲学者(主にハイデッガーとユクスキュル)の話をベースに、批判もしつつ良いとこ取りして、現代人にしっくり来る結論に落とし込んでいく論述過程が非常に面白かった。
登場する哲学者のことはほぼノー知識で読んだが、順を追って丁寧な論理で進めてくれるので大丈夫だった。難易度は低いと思う。
結論はわりとあっさりしているが、論述全体を追うことで読者自身の思考が変容していくこと、そしてそれを楽しむことこそが重要と著者は言っており、その通りだなと思った。
Posted by ブクログ
暇と退屈の倫理学。ずっとこれは読みたいと思っていたのに、実際見てみるとなかなか頭に入ってこず、でもいつか読みたいと積読になっていた本。だけど、改めて向き合ってみると、なんと丁寧に説明されているか。通読してほしいと書いていた著者のいいたいことが少しだけわかる気がした。実は買ってすぐに結論のところやわかりやすそうなところを飛ばし飛ばし読んでいたのだが、その時はやはり全然あたまに入ってこなかったのだが、通読して始めて、著者の結論が色々な視点から繋がって成されていることがわかり、腑に落ちるところがあった。
私は保育者として日々子どもと関わっているなかで、退屈だ。と感じてしまうところがある。それに悩んでもいる。考えたいのに考えられないという時がある。でも、この本によれば、考えることは環世界が多かれ少なかれ破壊された時だという。保育が習慣化されてしまうといつもと同じ景色、同じような出来事。と無意識に飽きてしまっているののかもしれない。だから、何かを考えて感じるためには、勉強して訓練して楽しむ。しかないのだという。環世界が破壊される何かを待ち望み、探し続けるしかないのだ。
Posted by ブクログ
人間にとっての「暇」 「退屈」とは何か、退屈にどう立ち向かっていくべきかを哲学的に問いながら消費社会の現代を如何に生きるべきかを考える書籍。
暇(=何もする必要のない時間)、退屈(="何か"をしたいのにできない時間)と定義し、いかにして退屈を回避(本来の"何か"ではない娯楽・消費では更なる退屈を呼ぶ)することなく、退屈と向き合うという、生き方を説く。
あさま山荘事件で「マルクス主義が~」に疲れた脳に、本書でまた「マルクス主義が~」と出てきたのは苦しかったですが、マルクスやハイデッガーの哲学書、そしてその批判にもNoを突き付けながら思考・議論を深めていく内容はとても楽しく読むことができた。
自動化・効率化・最適化を推進するという仕事の結果生み出された暇で、この暇をどう再定義するかなど示唆になる部分もある。「忙しいのに満たされない(暇はないが退屈)」 「忙しくないし満たされない(暇はあるが退屈)」などを感じてる方には特にお勧めです。
Posted by ブクログ
國分先生の文章構成がとても読みやすく、哲学への興味をさらに広げてもらえました。
〜印象な話〜
貧困や戦争にははっきりとした外的原因がある。
あるいはそれか分かっている。しかし、日常的な不幸にはそれがない。なんとなく不幸であるのに、なぜだかが分からない。だからこそ逃れようにも逃れられない。そのことがこの不幸をますます耐え難くする…
平和ボケのような感じですね。日本の現代人にとっての社会問題だと思い、非常に興味深かったです。
Posted by ブクログ
簡単なことを、難しく言っているのかと思い、読んでいるタイミングでは、ああなるほどと思ったりしたが、振り返るとよくわからなくなる。やっぱり難しいことを言っていたのだと思う。何度か読んでいて途中で、辞めては、また最初から読み直す。ある意味、一生読める本かもしれない
Posted by ブクログ
まず思ったのは、「めっちゃおもしろいな」という率直な感想だった。暇とか退屈って、あまりにも身近で、なんとなく語り尽くされているようなテーマに見える。でも読み始めれば、人間の定住化という想像以上に大きなスケールの話から始まり、そこから現代の消費社会や生き方の倫理にまでつながっていく。その展開がすごくダイナミックで、個人的にはフィギュアスケートの演技を見ているような感覚があった。静かなテーマのはずなのに、思いがけない高さまでジャンプしていく面白さがあった。
特に印象に残ったのは、ハイデガーの退屈論だった。対象がつまらない第一の退屈に対して、第二の退屈は、何をしても満たされないような感覚が続き、世界全体が少し色あせて見える状態だという。この説明を読んだとき、自分のある時期の感覚と重なっているなと思った。
一昨年、大失恋をしたときのこと (当時は大失恋だと思っていた)。別れた後に自分に残ったのは、ぽっかりとした心の空白だった。もちろんそうなることは想定できていたが、その状態から抜け出すのは想定の幾億倍難しかった。毎日手帳を書いて気持ちが溢れださないように制御しながら、少し遠くまで出かけてみたり、何か新しいことをしてみたりして、新しい何かが始まって自分の心をどこかへ連れて行ってくれるのを待っていた。というか待つしかなかった。でもその全ては一時的な気晴らしにしかならなくて、何をしても結局同じ場所に戻ってきてしまう感覚があった。時間は進んでいるはずなのに、何も変わっていないような日々が続いていく。毎日がこの繰り返しならば、人生はなんて長い暇つぶしなんだろう、そう思ったことを覚えている。
さらに思い返すと、その時間にあった「待つしかない」という感覚は、悲しみというよりも、どこか静かな諦めに近かった。何をしても、この問いからは逃げきれないのだと分かってしまうような感覚だった。
そしてこの「諦め」の感覚は、失恋の時期だけでなく、自分の中に昔からある「自分をちゃんとしたいのに出来ない」というところから来る不安とも似通っていた。この先まだ生きていくなら自分のこういう部分を直さなければならない、これに立ち向かう勇気を持たなければいけない、そういうことを分かっていながらも、私はいつでも消費や小さな暇つぶしで先延ばしにする (何ならそうしている自分にも気づいている)。そしてまた結局我に返り、同じ問いに戻ってくる。その繰り返しは、まさに第二の退屈の感覚だったのだと思う。
この本を読んで、退屈をどう乗り越えるべきかという答えが得られたわけではない。ただ、退屈に戻ってきてしまうこと自体が、自分の生き方を問い直している証なのかもしれない、という視点は残った。何をしてもまた同じ問いに行き着くという感覚は、時に諦めのようでもあるけれど、同時に、自分がまだその問いを手放していないということでもあるのだと思う。
退屈を完全に埋めることはできないし、これからも我に返っては同じ場所に立ち戻るのだろうと思う。それでも、そのたびに少しずつ違う見方をしたり、違う気持ちを持ったりするのかもしれない。そうやって退屈と行き来しながら生きていくこと自体が、人間らしく生きるということなのではないかと感じた。
退屈は避けるべきものというよりも、自分の問いに立ち戻るための感覚であり、もしかすると、自分が何を大事にしたいのかを思い出させてくれるものでもあるのかもしれない。そう考えると、退屈の中にも、ほんの小さな希望のようなものが含まれているのではないかと思った。
Posted by ブクログ
退屈は個人的な弱さではなく、人類が長く向き合ってきたテーマなのだと気づかされる一冊でした。
本書を読んでまず感じたのは、退屈は自分だけの問題ではないという安心感です。
過去の人々も同じように退屈と向き合い、そこから哲学が生まれてきたのだと思うと、日常の感情が少し俯瞰できるようになりました。
特に印象に残ったのは、非定住社会から定住社会への移行という歴史的な視点です。
生きるために狩猟や農耕へ向けていたエネルギーが、やがて文明の発達へと向かったという論じ方は、とても刺激的でした。
退屈を単なる気分の問題ではなく、社会構造の変化と結びつけて捉える視点に、新鮮さを感じました。
また、かつては下流階級には暇や退屈がほとんどなく、上流階級だけがそれと向き合う術を持っていたという指摘も興味深かったです。
退屈が「贅沢な問題」であった時代があったことを知り、現代の自分の立ち位置も考えさせられました。
そして本書が提示する退屈の解決策としての「浪費」という考え方。
それは金銭的な贅沢ではなく、一つひとつの物事からより多くを受け取ろうとする態度のことでした。
この姿勢は、これからの生活の中で大切にしたいと思います。
退屈なんて普段しっかり考えたことないテーマに惹かれ読みました。哲学書が大好きな私にはとても満足度の高い1冊でした。ちょうど、「幸せ」「不幸」について考えていたので自分なりに少し答えに近づけたような気がします。
より多くの人に読んでほしい。
2024年12月読了。
ず〜っと気にして買っていたのに、中々手が伸ばせずに積ん読状態だったのだが、数年前にTVでオードリーの若林さんが称賛していたのを見て興味が湧き、読み始めたのだが、自分はうつ病を患っており、その時は具合が悪く途中で手を止めてしまった。
その後(つい最近だが)思うところがあり、改めて初めから読み返したところ、夢中に成る面白さで、半日弱で読み終えてしまった。
哲学書でこんなに読み易い本は、早々お目に掛かれない良書だと思った。そして若い読者にも理解しやすい書き方で、現国のテキストに使われたのも頷ける内容だった。
中身を多くは語るまい。読み終えた人だけが、感想をスタート地としてそれぞれに思考を進めていければ良いのだ。
恐ろしく単純に云うとしたら、凸凹の「凹」の真ん中(低い所)に居ると思っている人達に、「そうじゃないんだよ、貴方の居る(べき)場所は、実は凸(の高い所)なんだよ。だから右往左往しないで世の不条理に惑わされず、絶えず《学ぶ》ことが一番大事なんだよ!」という、素晴らしく明快な答えを教えてくれる良書だと云う事だ。
と言っても、コレは読んだ人なら分かる、読んだ人にしか意味が分からない感想かもしれないけどw、補編の《痛みについての考察》は、心の痛み(うつ病)を抱える身の自分にもヒットする部分を感じて、とても嬉しかった。再読して、この病と闘っていこうとも強く思った。
國分先生、病と立ち向かう勇気を貰えました。ありがとうございました。
Posted by ブクログ
◾️メモ
楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取ることができるようになる。<人間であること>を楽しむことで、<動物になること>を待ち構えることができるようになる。これが本書『暇と退屈の倫理学』の結論だ。
◾️感想
暇と退屈はなんとなくある。
それを人類学の観点で始まりから定義していく。
聞いたことのある哲学者たちの思想から紐解いていくプロセスが腑に落ちる部分や理解が追いつかない部分があり、ここに本書の醍醐味を感じた。
Posted by ブクログ
いろいろと忙しくて本が読めないことは、人生的に暇で退屈することと矛盾することではないんだということをいろいろとちょっと複雑に書かれていた。
個人的には飽きるという言葉をよく使うけれど、
つまりもっと今とは違う生き方とかしたい、という欲でもあり、
でもそうやって今を否定してばっかではいられないので、
いろんな可能性にあふれている世の中でも、
今ここで自分が実現できる気晴らしを実践してそれを実感して毎日を送っていくことはまあまあ大事だなーと思った。
あとは、現実逃避に対しては否定的なイメージがあるけれど、
日常という現実ばかりが大事な現実ではないのかもしれないなーとあらためて思った。
Posted by ブクログ
注の部分を抜いても400ページ超ある文庫で、断続的に読んでいたこともあり、読み終わるまでに一カ月ほど時間がかかった。このままでは読み終えることができないと思い、GW中に一気に読むことにした。
読み応えのある本だったが、哲学的な内容であるため、自分の中で消化できていない、理解できていないモヤモヤした読後感が残るのは悲しいところ。
ただ、暇と退屈についての考察は自分の経験上から、なるほどと思うところもあり、読み物としてはこの手の本としては面白いところもあった。
この本、売れているので、本当によい本なのだろうし、読んでいてもなんとなくいい本なのだろうなという気がする(そこまで自分が評価できるレベルに至っていないのが悲しい)。
本当はもう一回ぐらい読み直して、理解を深めていくのがよいのだろうが、読み終わった今の状況ではその気力はおきない(苦笑)。
Posted by ブクログ
ただ漠然と暇と退屈の抽象的な議論がされているのかと思いながら読み始めたが、全くそんなことはなかった。これは人間の生き様を抽象的かつ具体的に議論できる根幹となる倫理学だ。であるからこそ、自分にも容易に投影できた。
時間を忘れて夢中になれることが自分には無いことをコンプレックスのように捉えてきた人生だった。「自分には何か没頭できるものがあるはずだ」「自分には天職があるはずだ」と。その退屈さに対して無理矢理に自分の進むべき方向を「決断」してきた。その決断が大きかったうえに、あまり幸福とは言えない経験を辿った過去がある故に、とても響く内容だった。
退屈さを受け入れ、思考する。そんな簡素な結論は自分には充分すぎるアドバイスに思える。
Posted by ブクログ
この手の本にしては非常に読みやすかった気がする。色々な哲学者や理論を知らずとも論理明解に落としていくし、結論もまとめられているしでスッキリ読めた。
Posted by ブクログ
「人間であること」を楽しむことで「動物になること」を待ち構えることができるようになる。
この本を読む前は、
・暇をなくすこと、いわば「奴隷になること」
もしくは、
・自分が退屈ではない幸せなのだとと抑え込むように考えること
が退屈しないための手段なのかなと漠然と考えていた。
ポジティブな結論を展開してくれたこの本にあっぱれ!
Posted by ブクログ
今のタイミングで読めてよかった。
人生暇になることが怖かったけれど、結局、退屈と気晴らしを行き来するのが人間らしく生きることであって、人間らしく生きていくしかない、と納得した!
今考えるのは主に婚活だけど、結婚してもしなくても、生活に慣れることによって環世界のようなものはできてしまって、結局その移動によって、楽しみを得ていくしかないのかもしれないなぁ、と思った。
結婚して子どもがいたほうが、自動的に環世界が移っていくかと思っていたけど、仕事でステップアップしていくことと何が違うというのか、いや、同じといえるのではないか。
Posted by ブクログ
日常的な楽しみに関しても楽しむことの訓練を経て習得しているから楽しむことができる視点が面白かった。
しかし、楽しむことの訓練を通してでも個人の性格や価値観、状況によってはそれを楽しめないこともあるのではないかと思う。楽しむことの訓練を受けているにも関わらず、あえて物を受け取らずに退屈を感じる人もいると感じた。
Posted by ブクログ
暇と退屈を過去の哲学者や思想家のスキームなども紹介しながら土台を整えつつ、
暇と退屈をメタ的に考えた書籍
そして倫理というからには、一定のすべきまでを提示している。
個人的に印象的だったところを雑多メモ
17世紀パスカルのうさぎ狩りの例
今から兎狩りに行く人にすでにとれた兎を渡しても彼らは満足しない。兎狩りそのもの、つまり気晴らし的なこと、プロセスへの没頭的なところが欲望原因であり、兎はその対象になっているだけなのだと。これは現代社会のいろいろなところに見て取れるたとえである。
暇の誕生
狩猟採取や遊動的な暮らしは、その日暮らしで、常にやることがあり、移動により新しい土地に新しい景色、新しい刺激というものが日常的に飛び込んでくる状態であった。また、食物やゴミ。廃棄物なども。昔はそんなに自然を壊すような人工物はなかったかもしれないが、そういったものも基本的には放置していれば自然に帰った。
元々人間はこちらのライフスタイルから出発している。
一方で気候変動や様々な要因から推定して遊動的な暮らしが難しくなったときに、定住型へと移動し、農業作物栽培へと移行していった。すると頻繁に移動していたときに比べて外界からの刺激が少なくなる。
そうすると、これまで脳を刺激するような行いの代わりの行いを見つけ出すようになり、それが土器の装飾、暮らしのルールづくり、新しい道具の開発、などの技能の探求や、コミュニティのルールづくりなどを行っていった。
一方で、農耕社会は作物を貯蔵することで富の概念が生まれ、それによって余暇と労働の割合が人によってグラデーションになっていった。富んでいる人ほど余暇もあり、それは高貴な証拠担っていった。
貴族は暇を嗜むための遊戯を発達させた。芸術や狩猟、スポーツなども古くはそうであろう。
そして時代は経て、産業革命、資本主義のよる労働者と資本家の関係になってからも、労働者を健康的に働いてもらうためにも、余暇と気晴らし的なものが必要に社会是正されていき、一定の余暇時間がある程度等しく生まれることになっていった。
その結果として、人は暇、余裕が生まれることになったのであるが、ここでこの暇で何をしようとなる。ここで企業群は、暇、退屈を埋めるような製品サービスを余暇の消費のために新たに開発して需要を喚起するようになった。これは消費行為であり、たえず要望を刺激し、退屈を埋める某を発信してくる。終わらない消費活動へと組み込まれていく。
ハイデッガーの退屈の形態
1:何かによって退屈させられる(仕事への隷属)
2:何かに際して退屈する(暇と退屈の均衡)
3:なんとなく退屈(1や何かへの渇望)
ユクスキュルの環世界の話。まさかの個人的にもよく使う環世界の思考フレームがここにもでてくるとは思わなかった。
人間:環世界を生き来するのが比較的容易
動物:所与の環世界を生きる
人間は生き来するからこそ、気晴らしもできるし、退屈もする。自分の環世界を深めることをせずに、ほいほいよその環世界にいってると自分というものが無個性的になってしまったり、何かをしてても退屈に感じてしまう。そこで、何かに隷属する、没頭するようなモードにもチェンジし得る。
これは今風な発露の仕方でいうとオタクとか推し活的なものもそうかもしれない。自分の環世界に掲げた刺激を内在化、深化するように、特定の何かを浪費していくのだ。
こうした暇と退屈への気晴らしをほどよくこなしたり、それらじたいには退屈してきたら、退屈と感じる間もないくらい、何かに身を捧げるのだと。
AIが普及すればするほど、なおさら考えざるを得ないテーマでもあり、このタイミングで読めて良かった作品であった。
個人的にも色々と派生探求したい作品であった。
Posted by ブクログ
哲学書なのにすごく軽く読めて読みやすかった。
暇と退屈の違いというのを改めて認識することができたし、暇になりたい。
暇を楽しめるように環世界の移動を苦なくできるように、訓練したい
Posted by ブクログ
物を享受することが気晴らしと退屈が絡み合う生を豊かにする。
しかし、今の消費社会は享受することを困難にしている(妨害している)。
だから我々は楽しむ訓練によって享受できるものの数を増やし、失われた贅沢を取り戻す必要がある。
めっっちゃ簡単に言えば、楽しむ訓練(教養を身につけるが1番わかりやすい)によって視野を広くすれば、受け取れる物の数は増えて人生ハッピーになるねってことかな。環世界を構成する要素が増えるたびに思考を余儀なくされ、それはすなわち享受であり贅沢である。だから豊かになるって意味だと自分は受け取った。
まぁその通りだと思う。色んな楽しみを知っている人の方がそりゃ豊かだもんね。
退屈とは切り離せない気晴らしをどういうものにするか、その重要性を教えてくれた本。
Posted by ブクログ
消費と浪費の定義が自分自身のこれまでのモノと違ったなと思いつつ、アップデート出来て良かった。積極的に消費ではなく浪費していきたいと思った。
あと、人間というのは気晴らしと退屈が複雑に絡み合った存在である、という落としどころは腑に落ちた。
教養や興味が広がる場所へ赴いて、とりさらわれる経験を受け入れる態度を持って生きていきたいと思う。
Posted by ブクログ
一見すると、暇と退屈は同じ意味として捉えられるが、哲学的には全く異なるものである。ラッセルの「幸福論」と「退屈論」が本書の中の一節で引用され語られているが、人々がパチンコにハマる理由が何となく分かって面白く感じた。また、ユクスキュルの「環世界」論は、自分が本書を手に取る前から漠然と考えていた事だったので、この理論はとても興味深い。
Posted by ブクログ
暇とは何か。退屈とは何か。それは本当に主観的な感情なのか。それとも、近代社会が構造的に生み出した状態なのか。
著者である國分功一郎は、古代から近代に至る思想史を横断しながら、退屈を倫理の問題として再定義する。
刺激過多の社会において、私たちは退屈を回避することに最適化されている。しかしその回避行動そのものが、実は退屈の深化である。この逆説が中々目から鱗。
退屈とは、世界との関係が断絶した状態であると同時に、新しい関係を開きうる契機でもある。刺激を消費し続けるのではなく、世界を再び見るための余白。それが退屈。
正直に言えば、私はこれまで「暇」や「退屈」について真剣に考えたことがほとんどなかった。むしろ忙しさを誇り、退屈を感じないことを美徳のように扱っていた。しかし本書を読んで気づく。
退屈を感じないのではない。退屈を感じないように訓練されていただけなのだと。
暇とは空白ではない。
退屈とは欠如ではない。
それらは、世界の見え方が変わる瞬間の入口なのかもしれない。
読後、自分の時間感覚がわずかにずれる。その“ずれ”こそが、この本の最大の効能である。
でも読んだ所でなにか倫理観が変わるのかといったら、全くそうでもない気がする。
Posted by ブクログ
奇妙なタイトルである。暇と退屈、一見すると同義に思われる両者に対して、倫理の視点から論説するらしい。割と分厚い本であるが、回りくどい説明が膨らませているのでは?と思いながら読んだ。暇と退屈は、暇だから退屈する、といった因果関係にあるのではなく、相関関係にある。暇と退屈、それぞれの有無で、対応関係を作り、分析を整理していく。暇とは何もすることのない、する必要のない時間を指していて、暇の中にいる人の在り方や感じ方とは無関係で、客観的条件に関わっている。一方、退屈とは、何かをしたいのにできないと言う感情や気分を指していて、人の在り方や感じ方に関わるので、主観的な状態になる。著者は、ハイデッガーの分類をもとに、退屈を分析し、対処に踏み込んでいく。ハイデッガーの分類では、退屈を下記2タイプに分けている。
①何かによって退屈させられること
②何かに際して退屈すること
哲学的思索が、両者を特徴化させ、そこに対処を導き出していくが、その論旨の先に、さらに退屈の新たな類型が提供される。
③なんとなく退屈だ
我田引水的な論究に追随していくのは、迷路に入り込んだようで、ふわっとした納得感へと続く。果たして理解したのか、煙に巻かれたのか、不安定な気持ちが残る。
Posted by ブクログ
哲学書はほとんど読んだことはないけれど興味深いテーマなので読んでみた
テーマとしては確かに面白く
今までない視点による気付きも存在したのだが
哲学書がそうなのか
作者が悪いのか
はたまた自分に原因があるのか
いまいち読み進めることができず読破に3週間ほどもかかってしまった
なんというか回りくどく
同じことを繰り返し
多数の引用をして横道に逸れ
その割には独善的に引用先を否定する
論理の展開も納得できるものもあるが自分の感覚的にはあまり受け入れられないようところも少なくない
ただまぁだとしても誰かの論理の流れを追い
それについて思考すること自体が哲学というものなのかな
というわけで暇と退屈については解決することはありませんが
それについてこれからも自分なりに向き合っていこうと思います
Posted by ブクログ
定住革命以降からだんだんと難しくなってきて、十分に理解できないまま読み終えてしまった。
でも何となく今の自分に必要なことが書いてある気がしたので、少し間を空けて再トライしたい。