【感想・ネタバレ】暇と退屈の倫理学(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。

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Posted by ブクログ

ハイデガーの話や、環世界の話など、とても面白かった。
具体例も多く分かりやすい。

色々な哲学者、思想家の話を、噛み砕いてくれているので理解しやすい。

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2026年07月11日

Posted by ブクログ

ソ連がウクライナに進行した時に直感的に、これはプーチンがコロナ禍を過ごしたからに違いない、と確信した。何年も経って本書に触れてあながち独断的な勘違いであったのではないと思えた。

村上龍が人生の目的を楽しむこと、世界を知ること、生き延びること、としていて一部では納得しつつもどことなくスノッブな感じが嫌だった。しかし本書を読むとなるほど楽しむこと、つまり真摯な訓練と知識に裏打ちされた楽しみは豊かな人生そのものだろう。

消費と浪費については國分功一郎先生お得意の概念だが、若干資本主義否定に偏っている。要は斎藤幸平先生の部類に足を突っ込んでしまっている危うさは感じるが、それ以上に共感の度合いの方が強くて首肯することばかりだ。

とにかく十年に一度の良書であることは間違いない。

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2026年06月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

感動した。もっと早く読めばよかった。
暇と退屈、消費と浪費、仕事と労働、自己愛と利己愛、動物と人間などの区別が非常に面白かった。
消費されるのはモノではなく、記号。意味を吸収するため、限界がない。故に満足しない。
また、存在しない本来性への回帰が疎外概念の議論を妨げていた話も興味深かった。(本来性なき疎外として捉えることが大事。)
定住革命や環世界の話も面白い!!全体的に頷ける部分が沢山ある中で、うーんとなるような部分もあった。そこからまた思考が深められそう。

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2026年06月16日

Posted by ブクログ

人間は安定を求めるが、安定に退屈してしまう矛盾した生き物。
確かに、休みが欲しいと常々思っているのに、いざ休みがくると何をしようかわからなくなることが私にもままある。
そしてなんとなく退屈を感じ、仕事へと没頭していく。
でもそれこそが人間らしい。
消費ではなく浪費をしよう。贅沢にお金や時間を使ったっていいのだ。

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2026年06月14日

Posted by ブクログ

(1) 第4章のルソー&マルクス論を引く人々の手つきにみられる「本来性」措定への批判と、(2) 第5章のハイデガー退屈論検討時の「退屈の第三形式(決断主義)は第一形式と同型でありどちらも退屈の奴隷、退屈の奴隷でないのは第二形式だけ……という話、(3) それから補論にある痛みの記憶とセリエンシーの話は初期仏教思想における煩悩(無明)の話のようでもあった。

(特に(1)については、アレントのマルクス読解は「労働」の否定範囲の点で間違っており、マルクスは「必要な労働」は拒否していない、資本主義によって増やされる不当な労働を短縮していく方向と読み直せる……と読めたし、直近の日本共産党の政策論方向性の良さと合致するものがある。疎外論というマルクス理論のone of themに限定すれば、これまで見聞きしてきた中で一番マシなマルクス解釈に思える。)

ところで、私はいつのころからか、思想を突き詰めてゆく行為のうち、本質論や本性論を採用してしまうとそれは「テロリズムを正当化する陽明学」のようになっていくのだと思っていて、それはマルクス主義(≠マルクス思想)も例外ではないと思っていた。そして自分は、陽明学的な修身論に好意を持ちつつもずっと警戒し続けてもいた。そのような思考の文脈を抱えていたものだから、國分の暇退倫理学における問いの立て方は、反=陽明学的な処方箋のひとつとして有効かもと思われた。

一読しての回答として、こういう文を書いた:

> 本性や本質を追求せずとも人は平等と公正と幸福を実現でき、虚妄を払い続けることができるはず。

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2026年06月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ


個人的に、ものすごく面白かった。
個人的にと書いたのは、ずっと自分の中で暇や退屈と上手く向き合えていない自覚があった中、その課題感にドンピシャにはまる内容だったから。若いヨーロッパ人は何としてでも何かに苦しみたい欲望がある、と指摘したニーチェ。没頭したい、狂信できる何かが欲しいと苦しんで、確かな没頭できる自分や、信仰がないことで苦しんでいた頃の自身と少なからず重なった。

本書では退屈を3形式に分けている。
1つは時間の引き止めに合う、時限的な退屈。列車が来るまでに4時間あるときのような。
2つめは、気晴らしと結びついた、安定と均衡を持った退屈。自分で自由時間にパーティに行く、と選択し、楽しかったのにもかかわらず、退屈だったことに気づくという類の退屈。
3つめは、なににも結びつかない何となく退屈だ、と声が湧き上がる、深い退屈。やがて自身を特定の目的、決断、仕事の奴隷へと掻き立てる深刻な退屈。

3の退屈にたどり着いたとき、退屈は自由を教えている、決断せよ、というハイデガーの理論には安易に巻き取られそうになるし、わたしにもその意見に肯定して自分自身で苦しかった覚えがある。

だからこそ、「楽しむことと思考すること」を答えとした本書の結論には深く頷きたくなった。

まず、2の退屈と折り合いを続けることが人間的に生きることである中、仕事や目的の奴隷になることに逃げ込むのではなく、2の気晴らしを存分に楽しむ、消費ではない贅沢を取り戻すこと。日常を楽しむ訓練が鍵。

そして退屈と共存するには、上記の人間であることを楽しみながらも、ときおり動物になること。自分が何にとりさらわれるか(何によって思考に導かれるか)を知り、待ち構える。テロリストや狂信者やワーカホリックのように、3に逃げ込んで自らを奴隷に掻き立てるところに答えがあるわけではない。最近大好きだった美術館から足が遠のいて、忙しさで自分の心の声に耳を塞いでいる自分に刺さる…。

「一つの環世界にひたっていることができないことに、退屈に悩まされる理由がある。動物はひとつの環世界に留まることに長けていて、衝動の停止と解除を繰り返している。人間はそうではない」「人間は基本快を求め生きていて、思考は何かショックを受けて仕方なくするものだ」等々の話が、本当に思ってもない観点で、目から鱗だった。



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2026年05月30日

Posted by ブクログ

これはおもしろかった。論理は明確で非常にわかりやすい。世界がつながり、名前がついていく感覚。あれこれと発想が繋がって、自分の脳みそがてつがくのうみそにグニグニと変化していくような感覚。ほんとうはもう少し注や原典にあたったり批判的に読まないといけないんだろうけど。
人間は本来的に遊動する生き物だから片付けとトイレが苦手だ、とか面白いよね。ハイデガーの環世界批判を痛烈に批判してるけど、著者もちょっと都合よく使ってない?とは思った。環世界はソフトウェアの話でなくて、ハードウェアの話なんじゃないかな。ノミのハードは単純だから3つくらいしかアプリが入らないけど、人間のハードはもう少し上等だからいろんなアプリ選択して入れられるよね。って話じゃないかなとは思ったけど。人間の環世界は1つ。でもやや特別で、そのデスクトップは多様性がある。まぁこの解釈でも本旨は変わらなくて、著者とハイデガーがもう少し仲良くなれるんじゃないくらいの意味しかないんだが。
結論は普通というか突飛ではない。付録はブッダの教えとかにも通ずるものがある。ただここまで整理されることに知的な歓びを感じた。

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2026年05月28日

Posted by ブクログ

自分が今なぜこういう生き方にたどり着いたのかを解説してくれるような本だった。

本書は、「暇と退屈」とはなんなのか、「暇と退屈」とどのように付き合えばよいのか、つまり人間はどのように生きていけばよいのかについて考えるものである。

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結論として、著者は2つの論を提示している。
一つは、人間らしい生き方とは、ハイデガーが定義した「退屈の第二形式」のように退屈から逃れようとするのではなく、退屈の中にいながらも多少の楽しさを味わい生きることであって、
それを洗練させていくためには「消費」ではなく「浪費・贅沢」がヒントになるということ。

消費とは物ではなく物を通して観念を味わうということであり、終わりがない。
浪費とはそのもの自体を味わうということである。
現代は消費の誘惑にあふれている。例えば、僕の好きな漫画や映画も「みんな読んでる/人気No.1」の文字で飾られている。それはもともとは「それだけ面白い」というアピールだったのかもしれないが、今やそれ自体が「みんな読んでるのみ読まないの?」「人気No.1なのに知らないの?」という煽りとして本質になってしまっている気がする。

消費にからめとられずに、浪費を楽しむためには、物を味わう技術や知識が必要であるという。
漫画や映画の本当の楽しさや味わい深さを知っている人は、「みんな読んでるかどうか」に惑わされることは少ないだろう。もし惑わされたとしても、それが本当に価値あるものなのかどうかを、少なくとも知識と技術がない人よりも客観的に判断できると思われる。

つまり、文化や芸術などを楽しみ、そのために学ぶことこそ、暇と退屈との付き合い方であると語っている。
(これだけ書くと非常にありふれた論に行きついたように思ってしまうが、理解が足りないことと語る言葉が足りない自分の責任で、もっと胸に来る何かがあったんだ)

「満足したいのに、満足をもとめて消費すればするほど、満足が遠のく。そこに退屈が現れる。
これこそが現代の消費社会によって引き起こされる退屈の姿であり、本書ではこれを疎外と呼んだ。
いかにしてこの状態を脱したらよいだろうか?消費行動においては人は物を受け取らない。
だから消費が延々と続く。ならば、物を受け取れるようになるしかない。
物を受け取ること、それこそが贅沢への道を開く。」

=====

また、増補版に寄せたあとがきの注釈には、ある人曰く、依存症に陥った人の回復方法こそ「第二形式の退屈」になじんでいくことであると書かれていた。
依存症に陥る人は第一形式の退屈と第三形式の退屈のサーキットを生きている(仕事と空虚の繰り返しの中に生きていて、空虚からポルノやスマホ依存で逃避していた自分はまさにそうだった)ので、「第二形式の退屈」の「ボチボチ楽しいし、ボチボチ退屈である人生」に馴染んでいく必要があるということらしい。

これは目から鱗だった。やっぱり自分の人生の困難を乗り越えるためには、何かに追い立てられることなく、ただただその時間やその一つの本や品目に向き合う読書や料理が必要だったんだと気付くことができた。

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次の理論では、そうはいっても心の奥底から響いてくる「退屈だ」という声についても言及している。
それは人間ならどうしようもない本能の声であり、その遊びや楽しみでは到底逃れられない強い声から逃れるために、人は動物のように何かにとらわれることを目指すともいう。

それ自体は仕方のないことであり、自然なことであると語るが、それが「決断」から生まれるものであってはならないという。
「決断する」ことはほかの何ものをも排除すると決めることであるから、奴隷になるのも同じことであるという。

個人的には、あまりピンとこなかった。
たしかに、例えば人生を仕事に捧げると決断して起業する人は、仕事以外に対して心が閉ざされがちであり、人生を100%仕事で埋めることは物理的に出来ない以上、結局退屈を訴える声に包まれてしまうという意味であるなら理解はできる。
ただ、その人にとってはそれが僕たちの読書や映画鑑賞や食事であり、「時間の浪費」のようなものなのかもしれないと思ったりもする。

同時に、ほとんどの仕事人(ワーカホリックたち)は「楽しさ」の先に仕事に打ち込む人生を見出したというより、空虚な人生を埋める手段として「仕事」を選択している印象があるし、その先に幸せがなさそうである感覚は何となく理解できるけれど。

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増補版に寄せたあとがきとして、「傷と運命」という文章が添えられている。
難解な内容も含まれているので、すべてが理解できたわけではないが、ザックリ解説すると次のような内容だった。

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・そもそも退屈とはなぜ発生するのか
・人間は考えることを避ける生き物である。
毎日町の中に新しい物を見つけて驚いていては心が持たないように、心を守るために様々なことに慣れて記号化することで慣れ/習慣を形作っていく
・生きるために行う「興奮を排除する営み」によって事件のなさ、興奮のなさ=「退屈」が生み出しされてしまうのはなぜなのか
・「退屈」とは「痛みの記憶」を思い出すことなのではないか
・様々な刺激の中を生きてきて、様々な傷を負うのが人間であるが、それらもほとんどが習慣の中で癒されていくものであるが、一部の傷は癒されずに記憶の中にとどまっている。
・刺激という「傷」から逃れるために生み出した「退屈」が、過去の「傷」を掘り起こしてしまうのではないか。
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とてもハッとさせられた。「傷」とはいわゆる嫌な記憶だけではなく、自分が消化しきれていない思い出や考え事のようなものも含むと思うのだけれど、それがせりあがってくるから退屈の苦しさを感じるのかもしれないと気付いた。

他にもいろいろと気づきを得ることができたけれど、まだまだ理解できていないところだらけだし、忘れてしまっているところも多々あると思うので、國分先生の他の本とともに「暇と退屈の倫理学」を一生をかけて味わっていきたいと思う。

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心に残った部分
・退屈の反対は楽しさではなく、興奮である
・「幸いなるかな、快楽を求めることのできる人。彼らは事件をもとめることがないだろう。」
・「仮に『ガレージの職工になった医者の息子』がそういうこぼれ落ちた人間なのだとしても、彼はいかなる劣等感も感じる必要などない。当たり前だ。」
・第一形式のような退屈を感じている人は『時間を無駄にしたくない』という強迫観念にとらわれているのである。仕事に対して真面目なように見えるが、それは大いなる『俗物性』への転落ですらある。
・『第二形式においては心の底から楽しいわけではない。たしかにぼんやりと退屈してはいる。だが、楽しいこともある。そこにもハイデッガーの言う「自己喪失」はあるのかもしれない。だが大切なのは、第二形式では自分に向き合う余裕があるということだ。』

P.S. (こっちでは漫画しか載せてなかったけど、読書アプリの『ビブリア』と共に本の感想も載せていくことにする)

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2026年05月24日

Posted by ブクログ

・暇と退屈は違う。2軸4象限でまとめると分かりやすい。目指すは「暇があって退屈していない状態」。暇を作ろう
・退屈を恐れて人は気晴らし・決断の奴隷になる。奴隷になって視野狭窄になった状態を、他の人とは違う崇高で優れた状態と誤認する。資格勉強に逃げるのはやめよう
・と言いつつ、人間は退屈から逃れることはできない。気晴らしも決断も行う。完全に退屈から決別する人生は無い。やるべきは「動物的になること」を意図的にコントロールすること。
→ジャーナリングで自分の退屈を分析して【自己分析】、そこから解決の糸口を見出して実行してみて【読書】、さらに半年くらい夢中に楽しめそうな新しい気晴らしを実行する【体験・趣味】、そんなルーティンを繰り返す人生にするのがいいのかな。80歳で死ぬとして残り50年、半年に1つ楽しんだら、あと100個楽しんだら人生は終わる

まず暇と退屈が異なるものであることを知れるのが面白い。退屈しているのに暇がない、という現代病。

退屈の第3形式から決断せよ!になるのは何か分かるなあという感じでした。自分もそう思って、周りを突き放して没頭しようとしてた時があった。そしてそれも結局は気晴らしあるいは決断の奴隷であると分かった。

結論として、これが最強の答え、みたいなものってないよなと。退屈を分析した結果、こうすれば退屈を完全に脱却できる、みたいなものはない(ちょっと期待してたけど)
どちらかというと、退屈と気晴らしの中でずっと生きていくのが人生。なんというか、分かってたようで、分かりたく無かったリアル。

本書からの学びは、退屈さにやられる人生のなかで人生を楽しむ方法。それは「動物的になること」。自分の解釈としては、「動物的になること」を意図的にコントロールできるようになること(そのためにどうすれば、どこにいけば動物的な自分が引き出されて没頭できるのか?を日々研究して理解していく必要がある)。

環世界の話とか面白かったからもうちょい再読して深めたいなぁ。

まずは動物的に没頭できる楽しみを見つけることからかなと。



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2026年05月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

哲学書を読むとはどういうことか、哲学するとはどういうことか。
その実践として本書を読んだ。そして、その結論も非常に納得した。
何より、学びとはいいことだ、と心の底から共感できた。

そして、奴隷ではなく、自由に生きたいと強く願った。本書は、多くの人びとにとっての自由への第一歩となるだろう。

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2026年05月14日

購入済み

退屈なんて普段しっかり考えたことないテーマに惹かれ読みました。哲学書が大好きな私にはとても満足度の高い1冊でした。ちょうど、「幸せ」「不幸」について考えていたので自分なりに少し答えに近づけたような気がします。

#タメになる

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2025年01月19日

ネタバレ 購入済み

より多くの人に読んでほしい。

2024年12月読了。

ず〜っと気にして買っていたのに、中々手が伸ばせずに積ん読状態だったのだが、数年前にTVでオードリーの若林さんが称賛していたのを見て興味が湧き、読み始めたのだが、自分はうつ病を患っており、その時は具合が悪く途中で手を止めてしまった。
その後(つい最近だが)思うところがあり、改めて初めから読み返したところ、夢中に成る面白さで、半日弱で読み終えてしまった。
哲学書でこんなに読み易い本は、早々お目に掛かれない良書だと思った。そして若い読者にも理解しやすい書き方で、現国のテキストに使われたのも頷ける内容だった。

中身を多くは語るまい。読み終えた人だけが、感想をスタート地としてそれぞれに思考を進めていければ良いのだ。

恐ろしく単純に云うとしたら、凸凹の「凹」の真ん中(低い所)に居ると思っている人達に、「そうじゃないんだよ、貴方の居る(べき)場所は、実は凸(の高い所)なんだよ。だから右往左往しないで世の不条理に惑わされず、絶えず《学ぶ》ことが一番大事なんだよ!」という、素晴らしく明快な答えを教えてくれる良書だと云う事だ。
と言っても、コレは読んだ人なら分かる、読んだ人にしか意味が分からない感想かもしれないけどw、補編の《痛みについての考察》は、心の痛み(うつ病)を抱える身の自分にもヒットする部分を感じて、とても嬉しかった。再読して、この病と闘っていこうとも強く思った。

國分先生、病と立ち向かう勇気を貰えました。ありがとうございました。

#深い #タメになる #アガる

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2024年12月10日

Posted by ブクログ

自分の読書履歴をChatGPTに入力して勧められたのがこの本。
読んでると思ったけど読書履歴になかったたので…。と言われちゃうと読むしかないなとw。
東大京大生に一番読まれた本、と言えば自分の記憶では外山滋比古さんの「思考の整理学」だったけど、今は「暇と退屈の倫理学」なのかぁ。時代は変わる。
久々のガチンコ哲学の本。
暇な時、退屈な時に感じる理解しにくい不快な感覚、自分の感覚を言語化してくれるのかな?と期待して読んだが、なんかしっくり来ず。
後書きには少し納得。

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2026年07月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

鼻につくところも納得がいかないところもちらほらあったが、新しい視点が入って面白かった

環境に慣れて快くなろうとするが、慣れると退屈という不快が現れる、というのは納得感がある。「使命がある」とか、「夢中」って幸せだよなぁと思う。退屈が怖くて嫌だから日常の仕事の奴隷になったり、多少の危険やリスクがあっても気晴らしを望むのは、まぁそういう生き物なんだろうなと思う。そういうことをする個体のほうが、生存確率が高かったのかもしれない。

暇を搾取する消費社会になっている、というのはあまりピンとこない。観念を受け取るにも時間とリソースが必要で、消費にも上限はあると思う。企業は売れるものを作っているだけだし、個人は欲しい体験を買っているだけだし、そこに搾取も何もないように思う。

退屈の形式と環世界の話は面白かった。「環世界の違いの大きさ」という概念は面白い。人間は一つの環世界に浸っていられないから退屈する、というのもわかる気がする。「決断」は第三形式から第一形式への逃げ込み、というのもなんとなくわかる。「自分なりの安定した環世界を想像していく過程」という捉え方はすごくいいように思う。退屈と変化を繰り返しながら、想像していく生き物なのかも。

色んなことを楽しめるようになろう、時々刺激を受け取って環世界を破壊して考えて再構築しよう、という結論は、無難な気もするが、実際それぐらいしかないよな、とも思う。
色んな本を読んだり体験をしたりして、同じことを見聞きしたときに感じたり考えたりできることを増やしたい、とここしばらく感じていたが、それはこの本で言うところの「訓練」と一致するように思う。この本自体が良い「不法侵入」だった。

「他への慣れが行われる過程において自が出来上がる」「記憶は経験の傷跡」「サリエンシーになれる過程の蓄積こそが個人の性格を作り出す」良いなぁ。素敵な考え方だと思う。個人的には、刺激を避ける性質と求める性質の両方を持っていることにはそんなに矛盾を感じない。そういう生き物なんだろう。他者を経由した慣れの獲得は、まさしくカウンセリングでやってることだなぁ。記憶の消化をお手伝いしている。

「暇と退屈にどう向き合うか」、だが、「気晴らし」が無力である、という主張に納得感があったから、その時のリソースと相談しつつ、環世界の破壊を試みていこうかなぁと思う。楽しいし。
「私はこれでいい」っていう、日々の労働の奴隷になっている状態や、狂信者になっている状態は避けたいかなぁ。変わり続けたい。

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2026年07月11日

Posted by ブクログ

自己の環の中の出来事しか認識できない。自分が認識できていないだけで、この世界は想像もできない形をしているのかも。実は真っ暗な世界かもしれない。なんだかワクワクする。

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2026年07月11日

Posted by ブクログ

- 「東大・京大で1番読まれた本(2022/2023年1月~12月文庫ランキング)」とあり、最近書店でも新書が目立つので、読んだ。
- スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなどの思索が紹介され、読み物としては面白い。
- 初版は2011年に発行されたということで、脳科学の知見があまり生かされていないので、「暇と退屈」という脳の働きを分析するには物足りない。
- 環世界論の話は掘り下げ不足に感じた。人間も人間の環世界論で閉じているのではと思う。
- ハイデガーの退屈の3分類は著者がいうほど有用なのかもいまひとつピンとこない。
- 消費社会批判は妥当だが、独自性は感じられない。
- 退屈を避けるために奴隷になることではなく、浪費を楽しむこと、そのためには勉強が必要だという結論には首肯できる。
- 【目次】
増補新版のためのまえがき
まえがき
**序章** 「好きなこと」とは何か?
**第一章** 暇と退屈の原理論――ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
**第二章** 暇と退屈の系譜学――人間はいつから退屈しているのか?
**第三章** 暇と退屈の経済史――なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?
**第四章** 暇と退屈の疎外論――贅沢とは何か?
**第五章** 暇と退屈の哲学――そもそも退屈とは何か?
**第六章** 暇と退屈の人間学――トカゲの世界をのぞくことは可能か?
**第七章** 暇と退屈の倫理学――決断することは人間の証しか?
**結論**
あとがき

**付録** 傷と運命――『暇と退屈の倫理学』増補新版によせて
文庫版あとがき

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2026年07月10日

Posted by ブクログ

暇と退屈について書いてあります。暇と退屈はなぜ発生するかから始まり、どうすればそこから脱却できるか指針が書かれています。400ページからある本なので、読みやすく書いてあるとはいっていますが、それなりに読むには骨が折れました。
結論からいうと「人間であることを楽しみ、動物になることを待ち構える」ということです。動物になる、とはどういうことか、読まないと何のことかわかりませんが、没頭することは暇と退屈を回避してくれそうです。

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2026年07月06日

Posted by ブクログ

とことん贅沢を味わい、人生を全うしようと思ったのと、仕事で暇を潰さないようにしようと思った。貴族になりたい。

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2026年07月06日

Posted by ブクログ

以下の文章がこの本の内容を説明している。

「人は楽しいことなどもとめていない。
退屈する人間は興奮できるものなら何でももとめる。
それほどまでに退屈はつらく苦しい。」

買った後、何度も読み返している。

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2026年07月05日

Posted by ブクログ

1. 「暇」と「退屈」は別物である

暇:客観的な条件
(=やることがない時間、自由な時間)。
退屈:主観的な感情(=何かしたいのに、したいことがなくて苦しい状態)。


2. ハイデッガーの「退屈の3つの形式」

第1形式:何かに「よって」退屈させられる
駅で電車を待っている時の退屈。時間が経つのが遅く感じられ、早く過ぎ去ってほしい状態。
第2形式:何かの「際に」退屈する(←現代人はこれ!)
楽しいはずのパーティーに参加しているのに、ふと心に押し寄せてくる虚しさ。満たされているはずなのに、何かが足りないと感じる現代人特有の退屈。
第3形式:なんとなく退屈だ
特定の原因があるわけではなく、人間という存在そのものが根源的に抱えている深い退屈。

3. 結論:どうすればいいのか?(「贅沢」を取り戻す)

消費:次から次へと新しい物を欲しがり、記号(ステータスや流行)を消費する行為。終わりがなく、退屈の根本解決にならない。
浪費(贅沢):目の前にあるもの(食事、芸術、趣味など)を、時間をかけてじっくりと味わい尽くすこと。
物をじっくり味わうには「訓練(受け取る能力)」が必要です。**「楽しむための訓練をして、物事を深く味わえるようになること。それこそが退屈に対抗する倫理(生き方)だ」

全く知識がない状態だと、高級なワインを飲んでも「ただの渋いぶどうジュース」としか感じられないかもしれません。
訓練: 「このワインはこういう品種で、こういう気候で作られて…」という最低限の知識(作法や文脈)を少しだけ学んでみる。 すると、今まで「渋い」としか感じられなかった液体から、複雑な香りや歴史を「受け取る」ことができるようになります。

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2026年07月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

面白かったけど、途中からついていけへんかった。また読み返す。暇してる時にうっすら感じてた感情を言語化してくれて助かった。
めちゃくちゃ決断する事を増やして、めちゃくちゃ贅沢してみよう。

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2026年06月19日

Posted by ブクログ

人生は暇つぶしであり、退屈と感じないためには、日常から人間として楽しむことを意識して生活することである。

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2026年06月14日

Posted by ブクログ

2025/11/27 暇と退屈の倫理学

環世界と習慣。考える。
マダニは、動物を動物と見ていない。
1.枝に登る。
2.酪酸の匂いを待つ。
3.ジャンプする。
4.血が吸える場所を探す。
この4ステップを機械的に生きる。2が15年もある時がある。これがマダニの世界。アルゴリズムで記載できる世界を環世界と言う。
人間は多くの環世界を行き来する。
習慣というのは、考えることなく処理できるショートカットである。環世界をうまく生き抜くための、いらないものを省くことである。人間は考えたく無い。だから、イレギュラーが発生して、環世界を変形させる必要がある場合、初めて人間は考える。考える対象は、環世界のカスタマイズ方法である。
この一通りの環世界の説明に酷く感動した。それぞれ人間は異なる環世界を生きている。ばあちゃんの、茂稔おじの、開の、響子の、お母さんの。それぞれの環世界で生きる。本当に人の中に、世界がある。世界は一つじゃ無い。
付き合うってなんだろう。それは、多くの環世界を相互作用させること。つまり、環世界のカスタマイズをし合いましょう。ということだと思う。例えば、食の環世界。何時に食べる、何が好き、どれだけお金を使う。これだけでも、お互いが個別に最適化された状態から、2人の最適な状態に進む。最適化しないことが両者の最適なんてこともある。別々にしましょうとか。
転職もそうじゃない?この作業をして、誰にどうアピールして、評価される。この環世界に嫌気が指す。したら、この環世界を変えてやろうと思う。変える方法は、対象を変えるか、自分の環世界を捨てて似たものに切り替えるか。
人が子供を考えるように教育するのは、環世界の破壊と再構築に慣れさせるため。
興味というのは、面白い。環世界に関係がない、隣の環世界を覗き見ることだ。そこに、今の環世界を改良するヒントがあるかもしれない。

環世界から見た動物とは、一つの環世界に留まる能力が高いと言える。そして人間も動物になれる。つまり没頭できる。何に?一つの環世界に。


スピノザは言う。わかった!とは、反省的。これはおれが大西さんにドヤったことでもある。おれは、おれがわかるプロセスをわかっている。わかりたい対象を一通り認知し、鎖国し、関係性を整理し、法則を見出し、新たな課題をその法則を使って解決していく。その解決の中で法則に改良を加えていく。


ハイデガーが言う。感動しなければ、哲学では無い。

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2026年06月11日

Posted by ブクログ

本書は、暇と退屈の関係を哲学的に考察し、現代人が消費によって退屈を埋めようとするあり方を問い直したものである。

現代社会では、人はかつてないほどの暇を手に入れたが、その使い方が分からず退屈に苦しんでいる。著者は、私たちが娯楽を消費することでしか退屈を埋められなくなっている状況を「暇の搾取」と捉える。消費は一時的な満足を与えるが、人間を根本的に満たすことはできず、さらなる消費へと向かわせる。

こうした分析の中で対比的に示されるのが「浪費」という考え方である。これは規範というよりも、消費とは異なる生き方の一つとして示されている。目の前のものを消費するだけでなく、その豊かさを味わうことを意味している。私自身、暇があるとついSNSを開いてしまうが、それで退屈が本当に解消されるわけではない。本書を通して、刺激を消費するだけでなく、物事をじっくり味わうという時間の持ち方があることに気づかされた。

退屈をただ埋めるのではなく、それをどう受け止めるかという見方そのものを考え直す必要があると感じた。本書は、暇と退屈の関係を捉え直すことで、日々の時間の使い方を見つめ直すきっかけを与えてくれる。

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2026年06月09日

Posted by ブクログ

人は退屈を何より苦痛に感じる。耐え難い苦痛から逃れるために働き、趣味に没頭する。苦しみを分かち合いたいから誰かと一緒に過ごしたいと思う。生きるとは暇と気晴らしを行き交うこと。眠れない夜に過去の辛い経験を反芻するのは正に人間の本性なんだなと納得の一冊。

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2026年06月07日

Posted by ブクログ

とても面白かった
退屈から逃れるために人は決断し、熱中する
でもそれは結局決断の奴隷になっているにすぎない

ニーチェが「勤勉とは逃避である」と言ったこととも繋がるように感じられる

じゃあどうするか?
退屈しながら気晴らしをしている間のような状態
そこにできるだけい続けることを推奨している

具体的にどうするかはない
自己啓発書ではないだろうし
だからこそ、自分で考える必要があるように感じた
哲学書の哲学書たる所以かもしれない

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2026年06月06日

Posted by ブクログ

人間が、特に明確な原因はないけど、なんとなく漠然と死にたいと思うのもここからきてるのかなーと思った。
普段あまりこういう新書に近いものは読まないが、周りがあまりにもすすめてくるので気になって読んでみた。面白くて最後まで一気に読み進められた。
とても難しいことを簡単に、簡単なことを面白く説明してくれている本だった。自分の持論で「人類皆寂しがりや説」というのがあるのだが、第5章で似たような話がでてきてびっくり。時間なくて読みきれない!という人はせめて5章だけでも読んでほしい。
自分が前に挫折した「生物から見た世界」が出てきたのでこれを機にもう一度チャレンジしたいと思う。

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2026年05月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

初めての哲学書。
読みやすかった。
暇も退屈も感じるのは、人間の定め。それでいいんだ。
その上で、私たちは日常を楽しまなければならない。
どんなことにもそこにはどんなワクワクがあるか、探し続けたい。

ただ、習慣化されたり慣れたりするとまた退屈は始まるよね。
その時その時で退屈がやってきたって気づくことが大切かな。
そして、気づいたらその退屈が消え去る何かを待つ。
そのために、本を読んだり人に会ったり、映画を見たり美術館に行ったり、自分の好きなことをする。
それを忘れちゃいけないんだ。
第二形式の暇と退屈を感じる時、私はものすごく虚しくなる。
同じ熱量で楽しめていない時、私は強く虚しさを感じる。
でも、本を読んで人それぞれ違う環世界を生きているから、当たり前なんだと思えた。
自分が楽しんだらいいんだって。

ずっと環境を変えたら、何か変わるかもって思っている節がある。
けど、そうじゃないのかもと思えた。
やっぱ、自分がその物事をどう楽しむかどう捉えるかが鍵だな。


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2026年05月14日

Posted by ブクログ

一気に読んだ。一気に読まな中身入ってこないと思ったから。
書店でピックアップされてたけど、個人的にはうーん…。自分の理解力の問題なのかもしれないけど、うーん…。
退屈だとか暇だとかの概念を人類史やら環時間の違いから紐解くけど結論が自身の心の豊かさ、とか今後の社会の変化でまとめられてて不完全燃焼。な、わりに、哲学だから「実用性」に欠けるんよね。読者に考えてもらうことが著者の目的って言うてるから、それは仕方ないのかもしれないけど。退屈を回避するために日常の中に楽しみを見出す、その方向はわかってるけど方法がわからないから人は苦労してるんじゃないん?
自己啓発本じゃなくて哲学書やからそんなもんやろって言われるとそれ以上は何も言えないけど。

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2026年07月12日

Posted by ブクログ

「暇と退屈」に直面した時、人はとにかく悪い方向に思考が転がってしまいがち。暇と退屈があるから、悩んだり、過去の嫌なことを思い出して落ち込んだり、今の幸せを疑ったり、人生に絶望したりする。
人類はこんなにも暇と退屈を恐れ、悩ませられて来たのかとまず驚いた。

人類が暇と退屈とどう出会ってしまったのか。
人類の文化は暇と退屈によって発展してきたのではないか。
そんな本著の展開は実にスリリングでエキサイティングだった。

人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。とパスカルは指摘している。
しかし、人類は気晴らしという楽しみを創造する知恵をもっている。そこから文化や文明と呼ばれる営みも現れた。

暇と退屈という存在は、人間らしさの象徴のようなものだと感じた。苦しめられつつも、人間を形作っている大きな存在だ。そんな暇と退屈という人間らしさとぐるぐる一緒に迷うことのできるような内容だった。

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2026年05月30日

Posted by ブクログ

メモ

・ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいのではない。
・人間は〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉を取り間違える。ウサギが欲しいからウサギ狩りに行くのだと思い込む。
・ここに人間のみじめさの本質がある。人間はいとも簡単に自分を騙すことができるのである。
・人間は部屋でじっとしてられない。だから熱中できる気晴らしをもとめる。熱中するためであれば、人は苦しむことすら厭わない。いや、積極的に苦しみをもとめることすらある。
・飢餓や貧困や戦争にははっきりとした外的原因がある。あるいはそれが分かっている。しかし、日常的な不幸にはそれがない。なんとなく不幸であるのに、なぜだかが分からない。だからこそ、逃れようにも逃れられない。そのことがこの不幸をますます耐え難くする。
・人は毎日同じことが繰り返されることに耐えられない。だから、今日を昨日から区別してくれるものをもとめる。

20260518-66冊目/年

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2026年05月18日

Posted by ブクログ

前半おもしろかったけど、だんだん理解がふわっとしてきた。
つまりこういうこと、と端的に書かれていないので、皆さんがレビューでまとめてくれたものを読んでやっと頭が整理できた。
結論、この本はわかりにくいんだと思う。
暇と退屈の違い、消費と浪費の違い、ルソーの「疎外」、本来性など、読者メモは色々埋まったけどここには書かない。
人間が定住をしなくなったことで哲学的にも大きな変化があったことや、退屈から逃れるために人は熱中を望み、熱中のためには負荷が必要というパスカルの考えがなるほどと思い面白かった。

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2026年05月12日

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