あらすじ
「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
私にとっては少し背伸びをしたはじめてのジャンルの本でした。正直に言って100%の理解をできたとは思っていません。ただ、「暇」と「退屈」についての関係性・形式の種類など、自分の中でこれまで考えたこともない視点が非常におもしろく、最後まで読みきることができました。よい本に出会えたと思っています。
Posted by ブクログ
『暇』何もすることのない。人の感情は無関係。
『退屈』
何かしたいのにできないという感情、気分。人の感情は関わってくる。
人類の歴史は遊動生活から定住生活を始めた頃から余裕が生まれ退屈が出てきたとある。
その気晴らしとして土偶にデザインが入ってくる。
本書を読む事でお金や自由が満たされても現代人が幸せになれないのが深く理解できる。
ロシアの哲学者、アレクサンドル・コジェーヴが
1950年代米国の自由と便利の世界を歴史の終わり→人類の終わりと評しているのは興味深い。
そして、そのコジェーヴが当時の日本を訪問して日本人こそ歴史以降の人間の姿といっている。
著者はこれについては反論しているが個人的にはコジェーヴに賛成である。確かに理由が『ハラキリ、特攻』の形式が人間的であるのは如何な物かと思うが。
残念ながら今の日本人には無くなったが当時の日本人には気品、知性がコジェーヴがそう考えたのかと思う。やはり東洋思想がこれからは重要だと認識している。
他の方の感想にもあったが暇を埋める為のスマホいじりなども含め、生活の見直しから考えさせられた。そしてたくさんの本を読む事で所謂『環世界』を広げていきたい。
Posted by ブクログ
ふと、自分の人生がつまらないと感じてしまう瞬間がある。そんな時、恵まれない環境で必死に生きている人に比べれば贅沢な悩みだと自分を戒め、自らが置かれている環境への感謝を胸にそんな気持ちをやり過ごす。しかしそれでもなお、しばらくすると同じような虚しさがぶり返してくる。このモヤモヤの正体は一体何なのだろうかと日々考えていた。そんな疑問に対して、ひとつの答えを示してくれたのが本書だった。
本書はまず、人間にとって暇や退屈とは何かを、古代人類の歴史を遡りながら丁寧に紐解いていく。暇や退屈という身近な現象を、哲学だけでなく歴史学や社会学など、あらゆる学問の観点から徹底的に解析していく。加えて、過去の偉大な哲学者たちの思想を丁寧に紹介しつつ、時には批判も交えながら独自の新しい解釈へとたどり着く展開は、専門知識がない初心者であっても思わず引き込まれる非常に興味深い構成になっている。
そして本書は、私たちが日々の生活の中で暇や退屈にどう対処していくべきなのかについても、深く納得できるひとつの考え方を示してくれる。
読み進めるうちに、この本を通読すること自体が、退屈に対する見事な対処法のひとつであるということに気づかされた瞬間は、本当に腑に落ちるものがあった。
自分の内側にある得体の知れない感情と向き合いたい人におすすめしたい1冊。
Posted by ブクログ
実際に何かを理解するといった経験を繰り返すことで、人は次第に自分の知性の性質や本性を発見していく。この理解する過程を無視してしまうと、与えられた情報の奴隷になってしまう。芸術などを楽しむためには知識や教養が必要である、ということはよく知られているが、もっと日常的な楽しみに関しても同じことが言えると思う。一般的につまらないとか退屈だといわれる公園での待ち時間や移動時間を心の底から幸福だと思えるのは、風や光や匂いといった感覚で楽しんでいる部分もあるだろうし、これまで見た小説や映画が自分の感性の一部となっている部分が大きい気がする。ただ、これが「今これがエモい」的な流行の言葉だけを見て、体験しているのであれば、それこそ情報の奴隷でしかない。そう考えると、私が流行り物に苦手意識を持っていたのも、本書でいう「消費」への抵抗感だったのだろうか。
Posted by ブクログ
ハイデガーの話や、環世界の話など、とても面白かった。
具体例も多く分かりやすい。
色々な哲学者、思想家の話を、噛み砕いてくれているので理解しやすい。
Posted by ブクログ
ソ連がウクライナに進行した時に直感的に、これはプーチンがコロナ禍を過ごしたからに違いない、と確信した。何年も経って本書に触れてあながち独断的な勘違いであったのではないと思えた。
村上龍が人生の目的を楽しむこと、世界を知ること、生き延びること、としていて一部では納得しつつもどことなくスノッブな感じが嫌だった。しかし本書を読むとなるほど楽しむこと、つまり真摯な訓練と知識に裏打ちされた楽しみは豊かな人生そのものだろう。
消費と浪費については國分功一郎先生お得意の概念だが、若干資本主義否定に偏っている。要は斎藤幸平先生の部類に足を突っ込んでしまっている危うさは感じるが、それ以上に共感の度合いの方が強くて首肯することばかりだ。
とにかく十年に一度の良書であることは間違いない。
Posted by ブクログ
感動した。もっと早く読めばよかった。
暇と退屈、消費と浪費、仕事と労働、自己愛と利己愛、動物と人間などの区別が非常に面白かった。
消費されるのはモノではなく、記号。意味を吸収するため、限界がない。故に満足しない。
また、存在しない本来性への回帰が疎外概念の議論を妨げていた話も興味深かった。(本来性なき疎外として捉えることが大事。)
定住革命や環世界の話も面白い!!全体的に頷ける部分が沢山ある中で、うーんとなるような部分もあった。そこからまた思考が深められそう。
Posted by ブクログ
人間は安定を求めるが、安定に退屈してしまう矛盾した生き物。
確かに、休みが欲しいと常々思っているのに、いざ休みがくると何をしようかわからなくなることが私にもままある。
そしてなんとなく退屈を感じ、仕事へと没頭していく。
でもそれこそが人間らしい。
消費ではなく浪費をしよう。贅沢にお金や時間を使ったっていいのだ。
退屈なんて普段しっかり考えたことないテーマに惹かれ読みました。哲学書が大好きな私にはとても満足度の高い1冊でした。ちょうど、「幸せ」「不幸」について考えていたので自分なりに少し答えに近づけたような気がします。
より多くの人に読んでほしい。
2024年12月読了。
ず〜っと気にして買っていたのに、中々手が伸ばせずに積ん読状態だったのだが、数年前にTVでオードリーの若林さんが称賛していたのを見て興味が湧き、読み始めたのだが、自分はうつ病を患っており、その時は具合が悪く途中で手を止めてしまった。
その後(つい最近だが)思うところがあり、改めて初めから読み返したところ、夢中に成る面白さで、半日弱で読み終えてしまった。
哲学書でこんなに読み易い本は、早々お目に掛かれない良書だと思った。そして若い読者にも理解しやすい書き方で、現国のテキストに使われたのも頷ける内容だった。
中身を多くは語るまい。読み終えた人だけが、感想をスタート地としてそれぞれに思考を進めていければ良いのだ。
恐ろしく単純に云うとしたら、凸凹の「凹」の真ん中(低い所)に居ると思っている人達に、「そうじゃないんだよ、貴方の居る(べき)場所は、実は凸(の高い所)なんだよ。だから右往左往しないで世の不条理に惑わされず、絶えず《学ぶ》ことが一番大事なんだよ!」という、素晴らしく明快な答えを教えてくれる良書だと云う事だ。
と言っても、コレは読んだ人なら分かる、読んだ人にしか意味が分からない感想かもしれないけどw、補編の《痛みについての考察》は、心の痛み(うつ病)を抱える身の自分にもヒットする部分を感じて、とても嬉しかった。再読して、この病と闘っていこうとも強く思った。
國分先生、病と立ち向かう勇気を貰えました。ありがとうございました。
Posted by ブクログ
【要約】
豊かになり暇や退屈が生まれても、企業に押し付けられた消費に追われては満足に達しない。退屈と切り離せない人間本来の生を受け入れ、与えられた刺激を受動的に消費するのではなく、自ら楽しみを見出して能動的に思考しながら生きるべきである。
【感想】
以前は知的好奇心の赴くままに知識を得れば十分だと思っていたが、先人の考えを客観的に捉えつつ「要はどういうことか」を自分なりに突き詰めてこそ理解になるのだと感じた。
【アクション】
日々の習慣に流されて思考停止に陥るのを防ぐため、日常や仕事で疑問に思った対象を一つ絞り込み、徹底的に深掘りする習慣を身につけていきたい。
Posted by ブクログ
退屈が自分のまわりにまとわりついて、何をしても離れず、耐えられなくなって救いを求めて本書を手に取る。
退屈の理解と研究についてが本書の中心であり、興味深いのだけど、読み終えてもどうにも手応えがない。面白いのだけど。
自分が求めていた「退屈に取りつかれた際の処方箋」ではないことがその要因だと思う。つまり、今苦しんでいて処方箋を求めている方には少し冗長すぎる本だと思う。そういう方は終盤の「結論」からまずは読んでみるといいのではないでしょうか。
中でも「贅沢を取り戻すこと」は個人的に素晴らしい処方箋を受け取れたと感じた。食でも娯楽でも、ただ消費するのではなくて、受け取って楽しむ。そのためには必要を超えて浪費することが必要となるそうだ。
さらに、贅沢をより楽しむには、そのための訓練や知識が必要となる。例えばワインを楽しむには、原材料や産地の特徴、歴史などを理解していれば何倍も楽しめる。
退屈を感じたなら、贅沢を取り戻そう。
Posted by ブクログ
人はパンのみに生きるにあらず。
豊かさを得るために浪費をしよう。
ただし限界のない消費は資本主義の罠なので回避しよう。
人は安定を好むが、同時に安定による退屈に苛まれる矛盾を抱える。
人生で本当にやりたいことを見つければ、退屈しのぎは不要になる。
解釈としてはこんなところだろうか。
Posted by ブクログ
何か画期的で飛躍的な結論は書かれていないが
誰もが付き合っていかなくてはならない「暇と退屈」についての捉え方を示してくれる。
個人的に暇を多く抱えたこの1年間に読めたのは非常に有意義でまだまだ理解が足りないところもある。もう少し大人になって環境が変わって時間がたったタイミングで再読したい一冊である。
Posted by ブクログ
『暇と退屈の倫理学』を読んで
國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』を読んで、私は退屈というものを、単に「することがなくてつまらない状態」と考えていたことに気づいた。本書では、退屈は人間の欲望、労働、消費、幸福、さらには自由の問題と深く結びついている。とりわけ印象に残ったのは、人間は暇を得れば自然に幸福になるわけではなく、むしろ暇をどのように過ごせばよいか分からないために退屈するという指摘である。
パスカルは、人間は静かに自分自身と向き合うことに耐えられず、退屈から逃れるために気晴らしを求めると考えた。仕事、遊び、社交、賭博などに夢中になるのは、それ自体が目的だからというより、自分の有限性や死、不安について考えずに済むからである。この考えは、現代のスマートフォンやSNSにも当てはまるように思う。私自身、少しでも時間が空くと、特に目的もなく動画やSNSを見てしまうことがある。その行動は本当に楽しみたいからではなく、何もしていない時間に耐えられないからなのかもしれない。
これに対してラッセルは、退屈を完全に排除しようとすることが、かえって人間を幸福から遠ざけると考えた。刺激を求め続けると、同じ刺激では満足できなくなり、さらに強い刺激が必要になる。穏やかな生活や継続的な学びを楽しむためには、ある程度の退屈に耐える力が必要である。この議論から、幸福とは刺激の多さではなく、日常の中から満足を受け取る能力に関係しているのだと感じた。
本書における「浪費」と「消費」の区別も興味深かった。浪費とは、必要以上のものを受け取り、それを十分に味わうことである。一方、消費とは、物そのものではなく、それに付けられた流行や地位、個性といった意味や記号を求める行為である。食事や音楽を心ゆくまで楽しむ浪費には、満足による終わりがある。しかし、記号を追い続ける消費には明確な終わりがない。そのため、現代人は多くの物を持っていても満足できず、次の商品や情報を求め続ける。
有閑階級と労働者階級の議論からは、暇そのものが必ずしも自由を意味しないことが分かった。有閑階級は、働かないことや浪費できることを社会的地位の象徴として示した。一方、労働者階級は長時間の労働から解放されても、疲労や習慣によって自由時間を主体的に使えず、用意された娯楽を消費して暇を埋めることがある。人々は自由時間を得るために働いているはずなのに、得られた時間を楽しむ方法が分からない。この矛盾は、現在の私たちの生活にも残っていると思う。
また、ユクスキュルの「環世界」という考え方は、退屈を別の角度から理解する手がかりになった。それぞれの生物は、同じ物理的空間に存在していても、自分にとって意味のある刺激によって構成された異なる世界を生きている。人間も、知識、経験、関心、職業などによって異なる環世界を生きている。同じ森を見ても、植物学者と写真家では見えているものが異なる。つまり世界が退屈なのではなく、自分が世界から意味を受け取れなくなっている場合があるのである。
人間は学習や経験によって環世界を広げることができる。音楽を学べば、それまで聞き分けられなかった音の違いが分かるようになり、植物を学べば、単なる草むらが多様な生命の集まりに見えてくる。退屈を乗り越えるために必要なのは、刺激を増やすことではなく、同じ世界からより多くのものを受け取れるようになることなのだと思った。
ハイデッガーは退屈を三つの段階に分け、特に「深い退屈」を重視した。深い退屈では、特定の対象ではなく、世界全体が意味を失ったように感じられる。しかし彼は、この状態を単なる苦痛とは考えず、人間が日常の役割や目的から離れ、存在そのものに向き合う契機と捉えた。この考えから、退屈は避けるべき失敗ではなく、自分が何を望み、どのように生きたいのかを問い直す時間にもなり得ると分かった。
ただし著者は、退屈から逃れるために、強い使命や大きな決断へ向かうことには慎重である。人は自分を強く刺激し、方向づけてくれる思想や集団に引き寄せられる危険があるからである。本書が提案するのは、退屈を劇的に克服することではなく、物や文化を十分に楽しむ力を身につけることである。
私は本書を通して、自由とは何にも縛られないことではなく、何かに夢中になりながら、必要なときにはそこから離れ、別の世界へ移ることのできる状態なのだと考えるようになった。退屈を消費によって埋め続けるのではなく、本を読むこと、音楽を聴くこと、学ぶこと、人と話すことを丁寧に味わう。そのための知識や経験を積み重ねることが、暇を本当の意味で享受することにつながるのだと思う。
『暇と退屈の倫理学』は、退屈をなくす方法を教える本ではない。むしろ、なぜ自分は退屈するのか、何を本当に望んでいるのか、与えられた時間をどのように生きるのかを問いかける本である。これからは退屈をすぐにスマートフォンや娯楽で埋めるのではなく、一度立ち止まり、自分がどのような世界を生き、そこから何を受け取っているのかを考えてみたい。
Posted by ブクログ
参考文献の膨大さと難解な引用文に怯みそうになったが、著者と一緒に暇と退屈にまつわる思考を辿っていくと、だんだんと社会と人間がみえてくる様が面白かった。増補版にあてて追加された章もとても興味深かった。
Posted by ブクログ
料理が好きだ。得意ではないが。特に家で一人で晩酌をするとき。食べることだけが目的ではなく、話し相手もいない単独飲酒時の手慰みとしてちょうどいいのだ(無駄を結構愛するので、こういった類のことを自分では積極的手段の目的化と呼んでいる)。とか思ってたけど、これ、退屈の第二形式の中にあって、気晴らしを享受している・浪費して贅沢ができているんだね~。料理という行為そのものの楽しさ、忙しい日常の中の必須行為ではなく、余暇での料理。
「こだわりとは、自分の好きなことを知っているだけ」(シトロエン)って言葉が好きなんだけど、自分にとって何が楽しいかを知るというのは通ずるところがある。教養がないと楽しめない事柄だけではなく、何がおいしく感じるか等の身体的なものにも訓練が必要、と本書。そんで歳食っていく分、経験してこなれていくんだろうな。大AI時代、自分のアイデンティティのためにも、この哲学を大事にしていきたい。
人間が悩まずにいられないのは、退屈を退屈のまま享受できないからなんだな。
ぼーっと生きていたくないけど、ぼーっと生きていきたいぜ。
---
以下メモ
・遊動生活から定住生活になったことで退屈が課題になった(人間の持つ「優れた探索能力」を持てあます/遊動生活はちょうどいい負荷)=退屈という悩みは人類の生活様式の大きな変化とかかわっている
・「暇」=客観的な条件 「退屈」=主観的な条件 四象限的に表すことができる(有閑階級の品位あふれる閑暇)
・暇なき退屈とは?消費社会と退屈の結びつきで説明される(消費は退屈を紛らわすために行われるが、同時に退屈を作り出してしまう)
・「本来性なき疎外」がベースの枠組みとして考えられるべきだが、ありもしない本来性を追い求めることで、消費社会と退屈が助長される?
・ハイデッガーの三つの退屈の形式(第一形式=何かによって退屈させられること 第二形式=何かに際して退屈すること 第三形式=なんとなく退屈…このループ)
・人間は動物と違い、高い「環世界移動能力」を持つ
★贅沢を取り戻す=贅沢とは浪費すること=浪費することとは必要の限界を超えてものを受けとること(現代社会では浪費家ではなく消費家にしかなれない/消費の対象はものではなく観念(それも資本社会・消費社会によって作られる)なので、満足できないので消費を繰り返す/浪費はものを受け取り、満足ができる)
★贅沢の中で、「動物になること」=自分がなににとらわれるのかを知る営み(人間と動物の違いは、環世界の移動能力。どの世界で動物のように一つの世界にひたって、退屈しないでいられるのかを知る)
★暇と退屈の中で、どう生きるのか
Posted by ブクログ
自分の読書履歴をChatGPTに入力して勧められたのがこの本。
読んでると思ったけど読書履歴になかったたので…。と言われちゃうと読むしかないなとw。
東大京大生に一番読まれた本、と言えば自分の記憶では外山滋比古さんの「思考の整理学」だったけど、今は「暇と退屈の倫理学」なのかぁ。時代は変わる。
久々のガチンコ哲学の本。
暇な時、退屈な時に感じる理解しにくい不快な感覚、自分の感覚を言語化してくれるのかな?と期待して読んだが、なんかしっくり来ず。
後書きには少し納得。
Posted by ブクログ
鼻につくところも納得がいかないところもちらほらあったが、新しい視点が入って面白かった
環境に慣れて快くなろうとするが、慣れると退屈という不快が現れる、というのは納得感がある。「使命がある」とか、「夢中」って幸せだよなぁと思う。退屈が怖くて嫌だから日常の仕事の奴隷になったり、多少の危険やリスクがあっても気晴らしを望むのは、まぁそういう生き物なんだろうなと思う。そういうことをする個体のほうが、生存確率が高かったのかもしれない。
暇を搾取する消費社会になっている、というのはあまりピンとこない。観念を受け取るにも時間とリソースが必要で、消費にも上限はあると思う。企業は売れるものを作っているだけだし、個人は欲しい体験を買っているだけだし、そこに搾取も何もないように思う。
退屈の形式と環世界の話は面白かった。「環世界の違いの大きさ」という概念は面白い。人間は一つの環世界に浸っていられないから退屈する、というのもわかる気がする。「決断」は第三形式から第一形式への逃げ込み、というのもなんとなくわかる。「自分なりの安定した環世界を想像していく過程」という捉え方はすごくいいように思う。退屈と変化を繰り返しながら、想像していく生き物なのかも。
色んなことを楽しめるようになろう、時々刺激を受け取って環世界を破壊して考えて再構築しよう、という結論は、無難な気もするが、実際それぐらいしかないよな、とも思う。
色んな本を読んだり体験をしたりして、同じことを見聞きしたときに感じたり考えたりできることを増やしたい、とここしばらく感じていたが、それはこの本で言うところの「訓練」と一致するように思う。この本自体が良い「不法侵入」だった。
「他への慣れが行われる過程において自が出来上がる」「記憶は経験の傷跡」「サリエンシーになれる過程の蓄積こそが個人の性格を作り出す」良いなぁ。素敵な考え方だと思う。個人的には、刺激を避ける性質と求める性質の両方を持っていることにはそんなに矛盾を感じない。そういう生き物なんだろう。他者を経由した慣れの獲得は、まさしくカウンセリングでやってることだなぁ。記憶の消化をお手伝いしている。
「暇と退屈にどう向き合うか」、だが、「気晴らし」が無力である、という主張に納得感があったから、その時のリソースと相談しつつ、環世界の破壊を試みていこうかなぁと思う。楽しいし。
「私はこれでいい」っていう、日々の労働の奴隷になっている状態や、狂信者になっている状態は避けたいかなぁ。変わり続けたい。
Posted by ブクログ
自己の環の中の出来事しか認識できない。自分が認識できていないだけで、この世界は想像もできない形をしているのかも。実は真っ暗な世界かもしれない。なんだかワクワクする。
Posted by ブクログ
- 「東大・京大で1番読まれた本(2022/2023年1月~12月文庫ランキング)」とあり、最近書店でも新書が目立つので、読んだ。
- スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなどの思索が紹介され、読み物としては面白い。
- 初版は2011年に発行されたということで、脳科学の知見があまり生かされていないので、「暇と退屈」という脳の働きを分析するには物足りない。
- 環世界論の話は掘り下げ不足に感じた。人間も人間の環世界論で閉じているのではと思う。
- ハイデガーの退屈の3分類は著者がいうほど有用なのかもいまひとつピンとこない。
- 消費社会批判は妥当だが、独自性は感じられない。
- 退屈を避けるために奴隷になることではなく、浪費を楽しむこと、そのためには勉強が必要だという結論には首肯できる。
- 【目次】
増補新版のためのまえがき
まえがき
**序章** 「好きなこと」とは何か?
**第一章** 暇と退屈の原理論――ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
**第二章** 暇と退屈の系譜学――人間はいつから退屈しているのか?
**第三章** 暇と退屈の経済史――なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?
**第四章** 暇と退屈の疎外論――贅沢とは何か?
**第五章** 暇と退屈の哲学――そもそも退屈とは何か?
**第六章** 暇と退屈の人間学――トカゲの世界をのぞくことは可能か?
**第七章** 暇と退屈の倫理学――決断することは人間の証しか?
**結論**
あとがき
注
**付録** 傷と運命――『暇と退屈の倫理学』増補新版によせて
文庫版あとがき
Posted by ブクログ
暇と退屈について書いてあります。暇と退屈はなぜ発生するかから始まり、どうすればそこから脱却できるか指針が書かれています。400ページからある本なので、読みやすく書いてあるとはいっていますが、それなりに読むには骨が折れました。
結論からいうと「人間であることを楽しみ、動物になることを待ち構える」ということです。動物になる、とはどういうことか、読まないと何のことかわかりませんが、没頭することは暇と退屈を回避してくれそうです。
Posted by ブクログ
以下の文章がこの本の内容を説明している。
「人は楽しいことなどもとめていない。
退屈する人間は興奮できるものなら何でももとめる。
それほどまでに退屈はつらく苦しい。」
買った後、何度も読み返している。
Posted by ブクログ
1. 「暇」と「退屈」は別物である
暇:客観的な条件
(=やることがない時間、自由な時間)。
退屈:主観的な感情(=何かしたいのに、したいことがなくて苦しい状態)。
2. ハイデッガーの「退屈の3つの形式」
第1形式:何かに「よって」退屈させられる
駅で電車を待っている時の退屈。時間が経つのが遅く感じられ、早く過ぎ去ってほしい状態。
第2形式:何かの「際に」退屈する(←現代人はこれ!)
楽しいはずのパーティーに参加しているのに、ふと心に押し寄せてくる虚しさ。満たされているはずなのに、何かが足りないと感じる現代人特有の退屈。
第3形式:なんとなく退屈だ
特定の原因があるわけではなく、人間という存在そのものが根源的に抱えている深い退屈。
3. 結論:どうすればいいのか?(「贅沢」を取り戻す)
消費:次から次へと新しい物を欲しがり、記号(ステータスや流行)を消費する行為。終わりがなく、退屈の根本解決にならない。
浪費(贅沢):目の前にあるもの(食事、芸術、趣味など)を、時間をかけてじっくりと味わい尽くすこと。
物をじっくり味わうには「訓練(受け取る能力)」が必要です。**「楽しむための訓練をして、物事を深く味わえるようになること。それこそが退屈に対抗する倫理(生き方)だ」
全く知識がない状態だと、高級なワインを飲んでも「ただの渋いぶどうジュース」としか感じられないかもしれません。
訓練: 「このワインはこういう品種で、こういう気候で作られて…」という最低限の知識(作法や文脈)を少しだけ学んでみる。 すると、今まで「渋い」としか感じられなかった液体から、複雑な香りや歴史を「受け取る」ことができるようになります。
Posted by ブクログ
面白かったけど、途中からついていけへんかった。また読み返す。暇してる時にうっすら感じてた感情を言語化してくれて助かった。
めちゃくちゃ決断する事を増やして、めちゃくちゃ贅沢してみよう。
Posted by ブクログ
新書とはまた違うのかな、丁寧に説明してくれているおかげか割と読みやすかった。
哲学の入門書として優しく手を引いてくれている感じもしながら、これは実用書とも言えるんじゃないかと思った。
人間である限り退屈してしまうのは仕方ないから、「消費」しないように気をつけて「とりさらわれ」の状態を求め、できるだけそれを長く持たせようと思った。
あと色んな哲学書を覗くことができてオトク感があった。
あとは、定住にまつわる人類学的な話であったり、現代の資本主義経済の仕組みであったり、虫から環世界について考えてみたり、様々な分野を経由して、身近にあるものを出発点として考えてるので読んでいて楽しかった。
これから退屈を感じるたびに本書の内容を思い出すだろうなと思った。
Posted by ブクログ
退屈から逃げるには、贅沢をする。つまり浪費すること。
浪費は、物そのものをちゃんと受け取ることで、これはどこかで満足に届く。逆に、記号とか観念を追いかける消費は、いくらやっても満足が来ないから退屈が深まる。話題だから行く店、みたいなやつ。
物を主体的に楽しむには訓練がいる。楽しめないなら、その対象を楽しむための知識や経験がまだ足りてないだけ。受け取る力は育てられる。
そうやって受け取って、享受して、生活を楽しめるようになると、ときどき何かに完全に持っていかれる瞬間が来る。それを待ち構えられる状態を作っておくことが、人間らしく生きることだと学んだ。
退屈をなくす方法を学んだというより、「物事を受け取る力を育てることが、人生そのものを豊かにする」という本だった。
Posted by ブクログ
一気に読んだ。一気に読まな中身入ってこないと思ったから。
書店でピックアップされてたけど、個人的にはうーん…。自分の理解力の問題なのかもしれないけど、うーん…。
退屈だとか暇だとかの概念を人類史やら環時間の違いから紐解くけど結論が自身の心の豊かさ、とか今後の社会の変化でまとめられてて不完全燃焼。な、わりに、哲学だから「実用性」に欠けるんよね。読者に考えてもらうことが著者の目的って言うてるから、それは仕方ないのかもしれないけど。退屈を回避するために日常の中に楽しみを見出す、その方向はわかってるけど方法がわからないから人は苦労してるんじゃないん?
自己啓発本じゃなくて哲学書やからそんなもんやろって言われるとそれ以上は何も言えないけど。