【感想・ネタバレ】暇と退屈の倫理学(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。

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Posted by ブクログ

暇とは何かこう考えていくんだよー、で終わるのかと思っていたら結論もちゃんとあって、しかも納得できた。

読んでいく中で特に環世界の話は印象的だった。
時間や空間も人や動物で違う。太陽は太陽として捉えていない。人間でなかったらと思うと、それこそ当時生物?になってみないと分からない、真面目に行けるところまで行こうとしたら強力なサリエンシーになりそうだ。

勉強ってなんだろう?と時々考えることがあった。習ったことが全て自分の生活に役立つのか?違うよなという思いがあった。
本書は暇にどう対応して行ったら良いか、という筆者の問題定義に共感して読み始めた。
結論で第二形態の「人間を楽しむために」「勉強する」。ハイデッガーのパーティーの話も分かりやすくて、理解するってこういうことか、と感じられた。筆者の想定している読者としてポーズしてるわけではなく本当にそう感じられた。

哲学については、先に『寝ながら学べる構造主義』だけ読んでいて、これも特にまえがきが素晴らしいなと思って最後まで読んだが、今回のような理解まではできなかった。哲学ってこういう世界なのかと、味わう?と言ってもいいのか分からないけど覗き見できた、という感覚で終わったけど、
本書は哲学っておもしろいって思えた。

寝ながら学べる構造主義が読みにくいというわけではなく自分はまだそのレベルを楽しめる勉強が不足していたのだと思う。

本書は単に内容だけでなく、文章の構造もガイドしてくれてる書き方になってるから、分かりやすいんだと思う。章冒頭で何について論じるかから入り、まとめはこれ、結論はこれという風に明確に書かれている。

暇と退屈って言われてみたときはもやもやしてた。読み終わった今はこんな感じだ。
さあ、どの環世界で楽しもうか?

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2026年01月04日

Posted by ブクログ

要所要所で難しいところはあったが、全体的に読みやすい本であった。
暇と退屈、という切り口でここまで世界観を広げさせるのか!と感じた。

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2025年12月24日

Posted by ブクログ

「哲学書で涙するとは思いませんでした」
そんな帯のコメントが、"倫理学って何?おもしろそうだけど難しそう…"と購入を迷っていた気持ちを後押ししてくれた。
涙はしなかったけど、豊かな生き方のヒントをくれたような本だった。

二足歩行が始まって400万年。
人の生活に革命がおこって1万年。
法律も経済も信仰もすべてはここから。
暇ができ、退屈がうまれた。
常に新しい刺激を求める性。
気晴らしをたのしむ教養。
400分の1。なんかちっぽけにみえた。

消費と浪費の違いを初めて認識できた。
消費行動の中に虚無を感じていた理由がよくわかった。そして、浪費を求めていたんだと。

著者自らの「読み飛ばしてもいい」の言葉に甘えながら、気楽に読み進めることができた。
読み飛ばしながらも、著者のロジックや事例にワクワクしながら読み終えた。
「そうだ本を読んでる時って、こんなたのしかったんだな。」
あらためて、そう思った。

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2025年12月07日

Posted by ブクログ

大学生の頃に買って、5、6年の時を経てやっっと了読。

ここ半年くらいずっと輪郭の掴めなかった不快感。一昨日くらいにふと「もしや退屈なのでは?」と思い至り、久々に引っ張り出して読んだら凄い良かった。
なんか、安心した。
人生って退屈とどう向き合うかでもあるんだなってわかったことが収穫でした。

人は反復によって習慣を身につける。習慣がないと人は生きていけないけど、習慣によって退屈が生じる。とか最近の自分に心当たりがありすぎて「それ〜〜〜!」と思いながら読んでて楽しかった。

色々な物を受け取れるように自分を育てていきたいし、とりさらわれる瞬間を待ち構えれる場所を増やしたいな。


読書ってタイミングもあるんだなぁ。

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2025年11月23日

Posted by ブクログ

先日全4回を終えた読書会で取り上げたので、再読。増補版は初めて読んだので付録が新鮮。(読書会について後日あらためて投稿したい)暇と退屈を切り口に現代に漂う疎外を射抜いた名著だなと改めて感じた。結論冒頭の、「本書を読むこと、ここまで読んできたことこそ、〈暇と退屈の倫理学〉の実践の一つにほかならない。だから正確には、あなたは既に何事かをなしている。」というくだりは何度読んでも痛快!これを読むと人生深まりますよ。

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2025年11月20日

Posted by ブクログ

ひたすらに、普段なら見過ごしてしまうような行動に対する疑問を追求し、より深い理解へと掘り進めていく印象であった。そうした問答の積み重ねが自然と私を惹き込み、読み手を思索へと誘う力があった。

また、挙げられるエピソードの多くに共感できたため、読み進めるほどに面白さを感じられた。時折、話題が急に転換する場面もあったが、そのタイミングは絶妙であり、しかも「暇と退屈」という主題から逸れることなく一貫しているため、飽きを感じることは一度もなかった。

筆者の哲学者に対する理解は底知れないものがある。しかし、こうした哲学的テーマに不慣れな読者からすると、数多くの哲学者の局所的な見解が次々と引用され、しかも基本的に批判的な視点で語られるため、やや圧倒される印象を受けるかもしれない。だが、この種のテーマが好きな私にとっては、むしろ筆者の信念や思想の筋が通っており、独自の視点をもって自説を展開していく構成に圧巻さえ覚えた。

また時間をおいて、ぜひ読み返したいと思う。

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2025年11月17日

Posted by ブクログ

なかなかに読み応えのある内容とボリュームの本ではありますが、普段身近にある"暇と退屈"というものを、様々な著書を引用しながらロジカルに講じられていくので、どんどんと内容に引き込まれながら読み進めていけます。シンプルに倫理学とは奥深いものだと思うばかり。

感想を簡単な言葉で言い表せる内容でもないけれど、自身の考え方に一石を投じる本でした。故に、ふとした時にまた読み返したくなる本でもあります。

個人的には浪費と消費の考え方がとてもツボでした。

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2025年11月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

めちゃくちゃ簡潔に言うと、
「退屈を恐れすぎず、気晴らしに身を任せ、楽しみ方を訓練して心得よ。」
というふうに解釈したが、それに至る過程を理解していなければ、真に実行出来ない、という意味で、読んで非常に良かったと感じる。

人間は1万年ほど前から、気候変動による植生の変化により、定住を余儀なくされた。それ以前、遊動生活をしていた際に、遺憾なく発揮された洞察力や探索する力は、定住と農業によって必要性を失った。そして発揮する場所を失った人間の能力は、文明や文化の発展へと向かうことになる。
暇を得た人間は気晴らしをせざるを得ない。現代社会、消費社会では産業からあらゆる形の気晴らしが供給される。そこでは、産業が消費者に訴えかけて消費者の内に欲を生み出している。この構造により、産業は消費者に、物でなく観念を、消費させ続けることになった。観念の消費は、物の浪費に対して、満足しない。すると、消費によって我々は、「したかったこと」のはずのものに、「これじゃない感」を感じてしまうのである。
豊かな社会、人々が総じて暇を得る前、有閑階級は暇を飾る方法を知っていた。ありふれた生活を如何に楽しむことが出来るかを知っていた。楽しみ方は訓練によって獲得することが出来た。
ところで、ハイデッガーによると、人間の体験する退屈には、①時間がぐずつき、周りが言うことを聞いてくれない退屈、②退屈と気晴らしが絡み合ったもの、③なんとなく退屈、の3つの段階があった。ハイデッガーは、いずれも③を根底に持つと考え、人間は③の状態にあるとき、あらゆる可能性の先端に位置しており、決断によって可能性を発揮するべきであると主張した。
ハイデッガーは、環世界を人間以外の動物が持ち、人間は環世界を持たないからこそ、「とりさわれる」ことがなく、自由であり、自由故に退屈すると考えた。しかし、人間もそれぞれ環世界は持っている。人間とそれ以外を区別するのは、環世界間を移動する能力が相対的に、しかし非常に、高いことだ。つまり、人間は一定の環世界に留まっていられない。それ故に「とりさらわれ」続けることが出来ず、故に退屈する。
すると、様々な環世界を行き来し、気晴らしをしながら生きている人間の姿は、退屈の②の段階にあてはまる。多くの人間の多くの過ごし方は②に当てはまっていると考えることが出来る。②には、①と③には無い、余裕と安定と均整が存在する。そこでは、楽しみ方を訓練することによって、退屈を飾ることが出来る。
人間の生は、主に②であり、ときどき「何となく退屈だ」という感覚が大きくなると①=③に逃げ込みたくなる。その後②に戻るのだが、①③にい続けては仕事の奴隷になってしまう。
②を過ごすうち、楽しみ方を心得たり、環世界を獲得するうちに、どういった状況が自分に「とりさらわれ」を引き起こすのか理解できるようになる。すると、意図したような「とりさらわれ」も不可能では無い。このようにすると、人間が何かに没頭する、つまり退屈から解放される方法を獲得することも可能なのかもしれない。

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2025年11月06日

Posted by ブクログ

(堅苦しくて難しそうだな)とこの本を敬遠している人は今すぐにでも読んだ方がいいと思う。確かに堅苦しい内容のところもあるが、作者が噛み砕いて1から説明してくれているのでスラスラ読める。本当に頭が良い人というのは小難しい内容を芯から理解し、相手の分かりやすいように伝えられる人なんだなと実感した。

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2025年11月04日

Posted by ブクログ

非常に面白かった。
自分の中に世界の見方が新たに一つ追加された感じ。
とっつきにくい哲学の考え方を知ることができたのもよかった。
著者は読者の理解に非常に寄り添ってくれたおかげで、抽象的な内容にもかかわらずサクサクと読み進めることができた。
結論の部分は爽快感すらあった。

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2025年10月29日

購入済み

退屈なんて普段しっかり考えたことないテーマに惹かれ読みました。哲学書が大好きな私にはとても満足度の高い1冊でした。ちょうど、「幸せ」「不幸」について考えていたので自分なりに少し答えに近づけたような気がします。

#タメになる

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2025年01月19日

ネタバレ 購入済み

より多くの人に読んでほしい。

2024年12月読了。

ず〜っと気にして買っていたのに、中々手が伸ばせずに積ん読状態だったのだが、数年前にTVでオードリーの若林さんが称賛していたのを見て興味が湧き、読み始めたのだが、自分はうつ病を患っており、その時は具合が悪く途中で手を止めてしまった。
その後(つい最近だが)思うところがあり、改めて初めから読み返したところ、夢中に成る面白さで、半日弱で読み終えてしまった。
哲学書でこんなに読み易い本は、早々お目に掛かれない良書だと思った。そして若い読者にも理解しやすい書き方で、現国のテキストに使われたのも頷ける内容だった。

中身を多くは語るまい。読み終えた人だけが、感想をスタート地としてそれぞれに思考を進めていければ良いのだ。

恐ろしく単純に云うとしたら、凸凹の「凹」の真ん中(低い所)に居ると思っている人達に、「そうじゃないんだよ、貴方の居る(べき)場所は、実は凸(の高い所)なんだよ。だから右往左往しないで世の不条理に惑わされず、絶えず《学ぶ》ことが一番大事なんだよ!」という、素晴らしく明快な答えを教えてくれる良書だと云う事だ。
と言っても、コレは読んだ人なら分かる、読んだ人にしか意味が分からない感想かもしれないけどw、補編の《痛みについての考察》は、心の痛み(うつ病)を抱える身の自分にもヒットする部分を感じて、とても嬉しかった。再読して、この病と闘っていこうとも強く思った。

國分先生、病と立ち向かう勇気を貰えました。ありがとうございました。

#深い #タメになる #アガる

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2024年12月10日

Posted by ブクログ

やっぱ散歩だな!(笑)

時に人類の歴史を辿り、時に動物の感覚を味わい、時に哲学の巨人に立ち向かいながら、様々なジャンルをまたいで暇と退屈について論じることで、「人間は暇と退屈にどう向き合っていくべきか」という巨大な問いに迫ります。

過去に読んだことのある哲学チックな軽い読み物(「人生に役立つニーチェの言葉」みたいな?)にくらべると、重厚な文体と内容ですが(それでもおそらくカタい哲学の学術書に比べると相当やわらかく書かれているだろうことは、学術書を読んだことのない私でも察しがつく)、読み応えがあり、読後の達成感もひとしおでした。文章の解像度が高すぎて私の脳では処理に苦しむ箇所もあったりして、少し心が離れかけましたが、古代の人類に触れた章や生物学に触れた章あたりは興味のあるジャンルなのでグイグイページが進み、最終的には感動のゴールを果たすことができました。

「定住」というパンドラの箱を開けた古代人類は、あまった時間と気力によって技術革新、文化芸術の発展を成しとげましたが、同時に「暇と退屈」が生まれ、つまらない平和より奮い立てる戦争を選びかねない不安定さや、熱中、没頭、使命を得られるのであれば苦しむことすら厭わない愚かさも持ち合わせてしまったとのこと。人間は指針を欲しがります。こう生きるべきという、見本のようなあるべき姿を。でも今の世の中、宗教や伝統に頼れない者は、どう生きていいのかがわからなかったりするでしょう。私もその指針ほしさに、読書している節がある。いや、絶対にそうなのです。

現代的退屈にはスマホも一役買っているでしょう。満員電車で乗客全員が前かがみでスマホをいじっている光景はもはや当たり前となりました。情報・記号の消費は当たり前のものとなっています。

哲学者ハイデッガーの「退屈は人間特有でそれ以外の動物にはない」とする退屈論と、生物学者ユクスキュルの「環世界」の観点をバトルさせる「暇と退屈の人間学」の章が個人的に一番スリリングで、「好きな日高敏隆さん(動物行動学者)の書籍で知った環世界だ!」という嬉しさもあり読んでてワクワクしました。ハイデッガー対ユクスキュルの大勝負! 私は生物学が好きなのでユクスキュル贔屓だったかもしれませんが(ミーハー)、ハイデッガーは人間が何かしら絶対的な存在だと驕っているような印象がありました。人間の絶対性に根拠が感じられなかったです。哲学者って意外とデタラメな部分もあったりするんだな〜。自分の用意した答えのために論理を組み立てたり、自分の主張のために物事を決めつけたり。でもどんな人間にも考えの偏り、フィルターがある。著者の國分さんにも、もちろん私にも。でもハイデッガーに「決断しろ!されば道はひらけん!」て言われたら、私は単純だから「決断」て言葉の甘美さに惹かれて「はい!」て言っちゃうかも(笑)

決断した人が退屈から自由になったように見えて羨ましく思える、という著者の意見に同意します。過激な政治運動をしたり、新興宗教にどっぷりハマったり、陰謀論を信じたりする人のことを白眼視しつつも、人生を賭けられることがあるのは羨んでしまいます。しかしそんな彼ら彼女らは、考えることをやめ自らを省みる必要すら失くした、ひとつの価値観しか見えない危うい状態なのだと著者は説きます。ひとつの考え方に支配された奴隷のように生きることは、人間らしさがない危険なものだという著者のメッセージに感じ入りました。だから大事なのは、退屈から逃げないこと。身を任せ、自分に向き合うこと。狂信的・盲信的になることは、感受性をとじてしまうこと。感受性、、、受け取って感じる力。感受し続けることこそ人間の生き方であって、感受性は訓練して育むものであるという著者の力強いメッセージが心に響きました。著者に励ましてもらえた気分です。

ラストの結論で、これまで7章・400ページ弱に渡って論じられてきた言説のピースがカチカチとはまっていき、結論が力強く提示されます。あまりにも我が意を得たりで、その気持ちよさだけで読んでしまったので、今いちど冷静に読み直すべきかもしれません(笑)。ちなみに著者は結論の前置きとして「今までの400P弱をすっとばして結論だけ読んでも意味ないからね」と立札を建てます。要約すると、この400ページ弱の読書体験の間、読者は自分なりに暇と退屈をどう捉えるかを思案しています。読む行為はそれだけですでに実践しているのであって、読む前と読んだあとで読者に変化がおきている。自分なりに「暇と退屈」の大系のようなものが頭の中で出来上がった上で、結論に触れることに意味があるんだよ、と。ここまで読んできたことが褒められたような、なんか皆勤賞がもらえたような嬉しい気持ちになりました。

私は感覚さえ養えられれば、どんなことも楽しめるのでは?と思っています。以前、友達が「寝ることが楽しい」と言って休日まるまる寝ていたことがありますが、その態度には「平日の疲れのために、週末は寝貯めしとこう」という後ろ向きな部分がなく、積極的に睡眠を楽しんでいるようで、外出したい派の私には全くもって考えられなかったけど、それは私に睡眠の感覚が養われてなくて、単に休息・回復としてしか睡眠を受け取れないからだったかもと思い直しました。高齢の私の両親はTV番組「プレバト!!」を見て俳句にハマってから毎日楽しそうに見えます。暮らしそのものが俳句のネタで溢れているかのようで、季節が変われば季寄せを傍らに、俳句のヒントを探しています。定年後の膨大な暇をまるごと楽しんでいるようで羨ましいです。私は、やっぱ散歩かな!ベストな過ごし方は(笑)

スマホの普及、ネットコンテンツやサブスクなどインスタントかつ大量な暇つぶしに溢れたこの世の中で、口の中でゆっくりアイスを溶かす時みたく、丹念に味わうように思考したいですね。時がとまったと思えるような、田舎の駅の待合室で。

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2025年12月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いわゆる哲学書で気にはなっていた(積読状態)→「スマホ時代の哲学」から続けて読んでみた。
関連する話題でもあり、相関もあって興味深い。(記憶が混同するデメリットもあるけど)
分かりやすく面白いが、簡単ではないし読むのに時間はかかる。
整然と論理構成をまとめて教えてくれる形式ではなく、ひとつずつ問いかけ、考察を加えるという形で物語的、あるいはドキュメンタリー的に進めていき、長旅に付き合う感覚。咀嚼して頭にすっとはいってくる訳ではなく、自分で頭を整理する必要がある。
スマホ時代の哲学同様、ことばの定義に注意が必要。
スマホに比べればトリッキーな語用は少ないのでまだ理解しやすいが。
結論では、要は目の前のことに真剣に楽しんでいるか、というところに行きついたが、
それはスマホ時代の哲学にも(孤独と趣味という言い方)つながるし、
たとえばLISTENで人は人の話を聞いているようで聞いていない、という話にもつながってきた。
過去未来ではなく、今その場の感覚に意識を集中しよう、という禅やマインドフルネスにもつながっていないか。
まずは目の前の料理を味わうとか、今その瞬間を楽しむことを意識してみることを何度も説かれた感覚。

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2026年01月03日

Posted by ブクログ

暇と退屈について深く言語化されていた。
日々の習慣を通して環世界を移動したい。
「楽しむことは思考すること」

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2026年01月01日

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生きるとは、習慣の連続である。
生きていれば、お腹が空くからご飯を食べる。
清潔に保つために毎日お風呂に入る、歯を磨く。
健康を保つために運動をする。
そんなことが死ぬまでずっと続く。
あぁ、めんどくさい。退屈だ。なんか楽しいことないかな。
そうして好きなことを見つけ、気晴らしする。
だけど消費させられてるばかりでは、退屈からは脱することはできない。
衣食住や、娯楽を心から楽しむ。
心から楽しむためには、知識や教養が必要。
そのために勉強する。
そうすると見え方が変わってくる。人生がカラフルになる。
退屈するのは間違いないが、少しでも彩りのある人生にしていきたい。

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2025年12月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

筆者の考えを全て理解できたかと言われると、追いつかなかった部分もあるが、おもしろかった。
消費社会に取り込まれてしまっているいま、“生きること”を取り戻す必要があるように感じた。
自身の時間の過ごし方と、3歳の子どもの時間の過ごし方を見ていると、子どもは「人間であること」を楽しみ、「動物になる」ことができているように感じるのだが、第二形式を楽しむことには訓練が必要であるにも関わらず、訓練していなそうな子どもが楽しむことができているというのは、どういうことなのだろうか。楽しむことを大人になる過程で忘れる/失ってしまい、訓練により取り戻す必要があるということなのだろうか。
自分は第三=第一形式に入ってしまうことが時折あると感じた。マインドフルネス的なものとはまた何か違うのだろうか。そのあたりがまだしっかり理解できていない。

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2025年12月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

定住生活の開始により探索能力有り余り、退屈発生。退屈により非日常、切り離された今日を求める。他方、生物は安定を好む。一方、ヒトは環世界移動できる、しようとする、でも、習慣化によって安定する。が故に退屈が生まれる。そのため、新たな環世界でどうぶつになりたがる。この堂々巡りが、第一=第三形式に陥らない第二形式か?それでは、そもそも何故退屈は生じるのか。安定は過去の記憶に潜む痛みを呼び起こしてしまい苦しめるから。これが退屈の正体では。以上が本書の私の理解。簡単に纏めることなんてできないけど、備忘録として。この類いの本、あまり読まないので、最後まで通読できて良かったです。

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2025年12月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

Audible!!

よくある「明日から使える!」系のビジネス書じゃなくて、ひとつのテーマを徹底的に深掘りして、論理を積み上げていくタイプの本!
なのでかなり難解だけど読み応え抜群でした。

【学んだこと】
◆「暇」と「退屈」は別物
ヒマ:客観的(あの人は暇に見える)
退屈:主観的(この仕事は退屈だ

目指すべき状態は「暇だけど、退屈していない人」
成り易いのは「退屈しているのに、暇がない人」

◆退屈は3つに分解できる
① 電車を待つ退屈(奴隷モード)
「電車まだ?早く来い」ってイライラしてる時。これは時間や外部の状況に支配されてる「仕事の奴隷」と同じ状態らしい
② パーティの退屈(気晴らしモード)
楽しいはずのパーティや飲み会なのに、ふと虚しさがよぎる、、
③ なんとなくの退屈(究極モード)
理由は特にないけど、深い虚無感が襲ってくる
これが一番深くて怖い「究極の退屈」
➡︎③から逃げるために社畜になったり、スマホを見続けたりして、「①奴隷モード」へ自ら逃げ込んでしまう。

◆退屈を回避するには
そもそも人はエネルギー節約のため「考えない仕組み=習慣=環世界」を作る。けど、この習慣が惰性や他者依存だと、「環世界」が狭いままになり、すぐに飽きて①の奴隷的な退屈に陥る。
そこで、「自分で考えるエネルギーを使い」、「自分で選んだ習慣(環世界)」を能動的に作る。
料理でも、音楽でも、アートでも、知識がないと「つまんない」で終わるけど、自分で学び、向き合うことで「面白い!」に変わる感じ。
それによって自分で作った環世界は深く、広いため、退屈と能動的に向き合って「楽しむ訓練」が可能になり、「暇だけど退屈ではない」状態が生まれる。

頑張るじゃなく楽しめですね(・_・;

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2025年12月13日

Posted by ブクログ

再読してまた考えてみたいと思わせてくれる本

難しそうな本だけど序章で引き込まれた。「好きなこと」とは何か?私が好きなものは暇を紛らわすためのお気に入りの気晴らしではないか?
選んできた学問も、選ぼうとしている職業も、人生の気晴らしのために選んでいるのか?それはそれでいい気もしてる。

コスメやアニメグッズ、ファッションの情報を得にSNSを見てしまうが、あれは「欲しいものがあるから探してる」のではなく、「欲しいものを探してる」行為だなと思った。実際、SNSを見て購入に至ったケースが山ほどある。
あの購買ケースは私の欲望を満たしてはくれないことが多い。それはあの購買が「浪費」ではなく「消費」だからなのかと腑に落ちた。

退屈の第一形式、第二形式、第三形式については理解しきれていない気がする。第一形式(=第三形式)への逃げ込みは私自身よくやっている(例:意味のない資格取得など)。第二形式もよくある(行きたかったはずの旅行先で退屈してしまっている)。でもなんとなくの実体験があるだけで國分さんの言っていることが私の中に上手く落とし込めなかった。
そういう個所は多々あるので、時間をおいて再読し、新たな発見とともに「暇と退屈」について私も解き明かしたいなと思った。

楽しむための訓練しよ!

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2025年11月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

退屈から逃れるためには、「人間であること」を楽しむことで「動物になること」を待ち構える。いろんな物事に対して、疑問を持ったり、どうすればより良い物を作れるかなど、思考をできるのは人間だけ。その思考によってある種フロー状態になり動物のように物事に入り込んで楽しめる。仕事で重要な姿勢のようにも感じた。
本書の内容は普通に面白かったがそれ以外に、著者は高校生の頃から自分の哲学を意識しており、それを実際に本書で実現させたという部分のストーリーが興味深かった。

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2025年11月09日

Posted by ブクログ

読む前には難しそうな話だと思っていたけど分かりやすく書かれており自分事として考えながら読み進めることが出来ました。
ワクワクする人生を送れるよう沢山勉強したいと思いました。

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2025年11月05日

Posted by ブクログ

相当前から、「人は、ただ生きる以外に、なぜ仕事なり人との交際なり遊びなり、何かをするのか」が疑問だった。自分なりにいろいろ考えていた。読み進めるうちに、この本がまさにその疑問に答えるものだと分かった。

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2025年11月03日

Posted by ブクログ

暇と退屈を気晴らししながら生きるのが人間らしいってこと?
気晴らしのはずの催しの中で退屈を感じるのは、その気晴らしを受け取るための教養がないから…って分かるような分からんような。難解な映画見てる時の気分とか?

トカゲはトカゲの、ミツバチはミツバチの、ダニはダニの世界を生きているってところが好きだった!

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2025年11月02日

Posted by ブクログ

 長い探究を続けた先の結論は、びっくりするくらい単純。でもその結論に至るプロセスを紐解いていくことで、自分の無意識下の行動や思考が理解できる範囲に入り込んできて、どこか安心する。
 私は未だに自分が何で満たされるかを知らないから、いつまでたっても満足できない。でも満たされないことを楽しんでいる気もする。まだ自分のこの感覚を言語化することはできないけれど、全てを言語化できるなら芸術はここまで発展していないと思うし、わからないままなのも案外楽しいかもしれない。どんなことも考え方次第だね

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2025年10月26日

Posted by ブクログ

観念の消費ではなくモノの浪費
モノを楽しむための教養と知性

元々暇も退屈もあまりしない人間だからか?読む時期が悪かったか?ガツンと響くことはなかった。

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2026年01月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人間であることを楽しむことで、動物になることを待ち構えることができるようになる

ハイデッガーの退屈
退屈の第一形式
何かによって退屈させられること
仕事の奴隷になることで第三形式の退屈から逃げ去ろうとする、自己喪失が大きい

退屈の第二形式
退屈と気晴らしとが独特の仕方で絡み合っている
自分に時間を与えることで奴隷にはならず、自分自身に向き合う姿勢がある

退屈の第三形式
なんとなく退屈だ
自由があるのだから、決断によってその自由を発揮せよ

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2026年01月06日

Posted by ブクログ

自分にとって難解だったが、暇ではいが退屈になりそうなときこそ、気晴らしという楽しみを創造する知恵を働かせることの必要性を訴えていることがわかった。

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2026年01月03日

Posted by ブクログ

暇と退屈を歴史、哲学などの視点から考察した本。恐らく、本書は暇と退屈を以下のように定義している。

•暇: 義務に時間を拘束されていない状態
•退屈: 刺激がなく不快な状態

本書の興味深かったところは、(1)暇で退屈、(2)退屈と気晴らしの混合(気晴らしにも退屈を含む)、(3)何か退屈、という3つの状態が円環をなすという点だった。確かにこれは多くの人に当てはまる気がする。また、暇や退屈をネガティヴに捉えすぎないことと、暇=退屈だと誤認しないことが大切だと感じた。

単純に今の気分と合っていなかったせいであるが、正直なところ、タイトルから想像したほど面白い本ではなかった。「面白いかも」と思い次の頁をめくると、「どうでもええこと考えてるな」という気持ちになる、刺激と退屈が交互にくる読み物だった。

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2025年12月28日

Posted by ブクログ

兎狩りは獲物が欲しいのではなく、退屈を逃れたいから気晴らしをしたいから狩りに行く
定住者がいつもみる変わらぬ風景は感覚を刺激する力を失っていく
退屈とは人間の可能性の表れ
決断の奴隷になる
楽しむ能力を身につける
物を楽しむことができないと退屈になってしまう
退屈することは自由であることで、そこから決断によって退屈を人間的自由へと反転させる
楽しむことは思考することにつながる
贅沢とは受け取った物を楽しむこと

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2025年12月13日

Posted by ブクログ

暇で退屈な時に読むべき本。退屈でもないのに「売れてる本だから読んでみよ〜♪」などというミーハーな気持ちで読んではいけない。「退屈」はそれ自体が恵まれたことであり「自由」であることなのだから。

とはいえ著者の主張は納得感もあり面白かったです。退屈は人類が定住生活を始めたためにエネルギーが余っているから感じる避けがたい感情であること。ハイデッガーは「退屈」は「自由」であることの査証であり、その時には「決断」するべきであるという(…なにを「決断」するんだろうね)。それに対し著者は、それでは何かの奴隷になる事に等しく、人間は「パーティーのような気晴らしを(時に退屈さを感じながら)楽しんでいく方が良いのでは?」と問う。ざっくり言うと、たぶんこんな感じ。(ちなみに私は今、不自由な仕事・家事育児・読書の奴隷です(笑))

私も「熱中するものがあるべき」というイデオロギーに若干辟易することがあったので著者の主張には大いに賛成…

…なのだけど、既存の思想への反論が心許ない…気がする。「ぼくはそうは思わない」「言ってることがコロコロ変わるので信頼できない」「日本に旅行したくらいで日本人のなにがわかる」(日本人は人間として「本来的」であると主張したコジェーブへの批判)と、まぁ、日常生活なら違和感ないけど、「学問としてその反論はアリなのか?」という疑問が…。

…もしかして哲学ってそういうものなの!?

というなんだか、モヤモヤした読後感の本でした(^_^;)。

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2025年11月30日

Posted by ブクログ

20251102052

暇と退屈との狭間のなかでより良く生きるためのストレッチをしている自分に気づいた。

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2025年11月02日

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