あらすじ
「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。
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Posted by ブクログ
実際に何かを理解するといった経験を繰り返すことで、人は次第に自分の知性の性質や本性を発見していく。この理解する過程を無視してしまうと、与えられた情報の奴隷になってしまう。芸術などを楽しむためには知識や教養が必要である、ということはよく知られているが、もっと日常的な楽しみに関しても同じことが言えると思う。一般的につまらないとか退屈だといわれる公園での待ち時間や移動時間を心の底から幸福だと思えるのは、風や光や匂いといった感覚で楽しんでいる部分もあるだろうし、これまで見た小説や映画が自分の感性の一部となっている部分が大きい気がする。ただ、これが「今これがエモい」的な流行の言葉だけを見て、体験しているのであれば、それこそ情報の奴隷でしかない。そう考えると、私が流行り物に苦手意識を持っていたのも、本書でいう「消費」への抵抗感だったのだろうか。
より多くの人に読んでほしい。
2024年12月読了。
ず〜っと気にして買っていたのに、中々手が伸ばせずに積ん読状態だったのだが、数年前にTVでオードリーの若林さんが称賛していたのを見て興味が湧き、読み始めたのだが、自分はうつ病を患っており、その時は具合が悪く途中で手を止めてしまった。
その後(つい最近だが)思うところがあり、改めて初めから読み返したところ、夢中に成る面白さで、半日弱で読み終えてしまった。
哲学書でこんなに読み易い本は、早々お目に掛かれない良書だと思った。そして若い読者にも理解しやすい書き方で、現国のテキストに使われたのも頷ける内容だった。
中身を多くは語るまい。読み終えた人だけが、感想をスタート地としてそれぞれに思考を進めていければ良いのだ。
恐ろしく単純に云うとしたら、凸凹の「凹」の真ん中(低い所)に居ると思っている人達に、「そうじゃないんだよ、貴方の居る(べき)場所は、実は凸(の高い所)なんだよ。だから右往左往しないで世の不条理に惑わされず、絶えず《学ぶ》ことが一番大事なんだよ!」という、素晴らしく明快な答えを教えてくれる良書だと云う事だ。
と言っても、コレは読んだ人なら分かる、読んだ人にしか意味が分からない感想かもしれないけどw、補編の《痛みについての考察》は、心の痛み(うつ病)を抱える身の自分にもヒットする部分を感じて、とても嬉しかった。再読して、この病と闘っていこうとも強く思った。
國分先生、病と立ち向かう勇気を貰えました。ありがとうございました。
Posted by ブクログ
『暇と退屈の倫理学』を読んで
國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』を読んで、私は退屈というものを、単に「することがなくてつまらない状態」と考えていたことに気づいた。本書では、退屈は人間の欲望、労働、消費、幸福、さらには自由の問題と深く結びついている。とりわけ印象に残ったのは、人間は暇を得れば自然に幸福になるわけではなく、むしろ暇をどのように過ごせばよいか分からないために退屈するという指摘である。
パスカルは、人間は静かに自分自身と向き合うことに耐えられず、退屈から逃れるために気晴らしを求めると考えた。仕事、遊び、社交、賭博などに夢中になるのは、それ自体が目的だからというより、自分の有限性や死、不安について考えずに済むからである。この考えは、現代のスマートフォンやSNSにも当てはまるように思う。私自身、少しでも時間が空くと、特に目的もなく動画やSNSを見てしまうことがある。その行動は本当に楽しみたいからではなく、何もしていない時間に耐えられないからなのかもしれない。
これに対してラッセルは、退屈を完全に排除しようとすることが、かえって人間を幸福から遠ざけると考えた。刺激を求め続けると、同じ刺激では満足できなくなり、さらに強い刺激が必要になる。穏やかな生活や継続的な学びを楽しむためには、ある程度の退屈に耐える力が必要である。この議論から、幸福とは刺激の多さではなく、日常の中から満足を受け取る能力に関係しているのだと感じた。
本書における「浪費」と「消費」の区別も興味深かった。浪費とは、必要以上のものを受け取り、それを十分に味わうことである。一方、消費とは、物そのものではなく、それに付けられた流行や地位、個性といった意味や記号を求める行為である。食事や音楽を心ゆくまで楽しむ浪費には、満足による終わりがある。しかし、記号を追い続ける消費には明確な終わりがない。そのため、現代人は多くの物を持っていても満足できず、次の商品や情報を求め続ける。
有閑階級と労働者階級の議論からは、暇そのものが必ずしも自由を意味しないことが分かった。有閑階級は、働かないことや浪費できることを社会的地位の象徴として示した。一方、労働者階級は長時間の労働から解放されても、疲労や習慣によって自由時間を主体的に使えず、用意された娯楽を消費して暇を埋めることがある。人々は自由時間を得るために働いているはずなのに、得られた時間を楽しむ方法が分からない。この矛盾は、現在の私たちの生活にも残っていると思う。
また、ユクスキュルの「環世界」という考え方は、退屈を別の角度から理解する手がかりになった。それぞれの生物は、同じ物理的空間に存在していても、自分にとって意味のある刺激によって構成された異なる世界を生きている。人間も、知識、経験、関心、職業などによって異なる環世界を生きている。同じ森を見ても、植物学者と写真家では見えているものが異なる。つまり世界が退屈なのではなく、自分が世界から意味を受け取れなくなっている場合があるのである。
人間は学習や経験によって環世界を広げることができる。音楽を学べば、それまで聞き分けられなかった音の違いが分かるようになり、植物を学べば、単なる草むらが多様な生命の集まりに見えてくる。退屈を乗り越えるために必要なのは、刺激を増やすことではなく、同じ世界からより多くのものを受け取れるようになることなのだと思った。
ハイデッガーは退屈を三つの段階に分け、特に「深い退屈」を重視した。深い退屈では、特定の対象ではなく、世界全体が意味を失ったように感じられる。しかし彼は、この状態を単なる苦痛とは考えず、人間が日常の役割や目的から離れ、存在そのものに向き合う契機と捉えた。この考えから、退屈は避けるべき失敗ではなく、自分が何を望み、どのように生きたいのかを問い直す時間にもなり得ると分かった。
ただし著者は、退屈から逃れるために、強い使命や大きな決断へ向かうことには慎重である。人は自分を強く刺激し、方向づけてくれる思想や集団に引き寄せられる危険があるからである。本書が提案するのは、退屈を劇的に克服することではなく、物や文化を十分に楽しむ力を身につけることである。
私は本書を通して、自由とは何にも縛られないことではなく、何かに夢中になりながら、必要なときにはそこから離れ、別の世界へ移ることのできる状態なのだと考えるようになった。退屈を消費によって埋め続けるのではなく、本を読むこと、音楽を聴くこと、学ぶこと、人と話すことを丁寧に味わう。そのための知識や経験を積み重ねることが、暇を本当の意味で享受することにつながるのだと思う。
『暇と退屈の倫理学』は、退屈をなくす方法を教える本ではない。むしろ、なぜ自分は退屈するのか、何を本当に望んでいるのか、与えられた時間をどのように生きるのかを問いかける本である。これからは退屈をすぐにスマートフォンや娯楽で埋めるのではなく、一度立ち止まり、自分がどのような世界を生き、そこから何を受け取っているのかを考えてみたい。
Posted by ブクログ
鼻につくところも納得がいかないところもちらほらあったが、新しい視点が入って面白かった
環境に慣れて快くなろうとするが、慣れると退屈という不快が現れる、というのは納得感がある。「使命がある」とか、「夢中」って幸せだよなぁと思う。退屈が怖くて嫌だから日常の仕事の奴隷になったり、多少の危険やリスクがあっても気晴らしを望むのは、まぁそういう生き物なんだろうなと思う。そういうことをする個体のほうが、生存確率が高かったのかもしれない。
暇を搾取する消費社会になっている、というのはあまりピンとこない。観念を受け取るにも時間とリソースが必要で、消費にも上限はあると思う。企業は売れるものを作っているだけだし、個人は欲しい体験を買っているだけだし、そこに搾取も何もないように思う。
退屈の形式と環世界の話は面白かった。「環世界の違いの大きさ」という概念は面白い。人間は一つの環世界に浸っていられないから退屈する、というのもわかる気がする。「決断」は第三形式から第一形式への逃げ込み、というのもなんとなくわかる。「自分なりの安定した環世界を想像していく過程」という捉え方はすごくいいように思う。退屈と変化を繰り返しながら、想像していく生き物なのかも。
色んなことを楽しめるようになろう、時々刺激を受け取って環世界を破壊して考えて再構築しよう、という結論は、無難な気もするが、実際それぐらいしかないよな、とも思う。
色んな本を読んだり体験をしたりして、同じことを見聞きしたときに感じたり考えたりできることを増やしたい、とここしばらく感じていたが、それはこの本で言うところの「訓練」と一致するように思う。この本自体が良い「不法侵入」だった。
「他への慣れが行われる過程において自が出来上がる」「記憶は経験の傷跡」「サリエンシーになれる過程の蓄積こそが個人の性格を作り出す」良いなぁ。素敵な考え方だと思う。個人的には、刺激を避ける性質と求める性質の両方を持っていることにはそんなに矛盾を感じない。そういう生き物なんだろう。他者を経由した慣れの獲得は、まさしくカウンセリングでやってることだなぁ。記憶の消化をお手伝いしている。
「暇と退屈にどう向き合うか」、だが、「気晴らし」が無力である、という主張に納得感があったから、その時のリソースと相談しつつ、環世界の破壊を試みていこうかなぁと思う。楽しいし。
「私はこれでいい」っていう、日々の労働の奴隷になっている状態や、狂信者になっている状態は避けたいかなぁ。変わり続けたい。
Posted by ブクログ
面白かったけど、途中からついていけへんかった。また読み返す。暇してる時にうっすら感じてた感情を言語化してくれて助かった。
めちゃくちゃ決断する事を増やして、めちゃくちゃ贅沢してみよう。
Posted by ブクログ
新書とはまた違うのかな、丁寧に説明してくれているおかげか割と読みやすかった。
哲学の入門書として優しく手を引いてくれている感じもしながら、これは実用書とも言えるんじゃないかと思った。
人間である限り退屈してしまうのは仕方ないから、「消費」しないように気をつけて「とりさらわれ」の状態を求め、できるだけそれを長く持たせようと思った。
あと色んな哲学書を覗くことができてオトク感があった。
あとは、定住にまつわる人類学的な話であったり、現代の資本主義経済の仕組みであったり、虫から環世界について考えてみたり、様々な分野を経由して、身近にあるものを出発点として考えてるので読んでいて楽しかった。
これから退屈を感じるたびに本書の内容を思い出すだろうなと思った。