あらすじ
「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。
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Posted by ブクログ
めちゃくちゃ簡潔に言うと、
「退屈を恐れすぎず、気晴らしに身を任せ、楽しみ方を訓練して心得よ。」
というふうに解釈したが、それに至る過程を理解していなければ、真に実行出来ない、という意味で、読んで非常に良かったと感じる。
人間は1万年ほど前から、気候変動による植生の変化により、定住を余儀なくされた。それ以前、遊動生活をしていた際に、遺憾なく発揮された洞察力や探索する力は、定住と農業によって必要性を失った。そして発揮する場所を失った人間の能力は、文明や文化の発展へと向かうことになる。
暇を得た人間は気晴らしをせざるを得ない。現代社会、消費社会では産業からあらゆる形の気晴らしが供給される。そこでは、産業が消費者に訴えかけて消費者の内に欲を生み出している。この構造により、産業は消費者に、物でなく観念を、消費させ続けることになった。観念の消費は、物の浪費に対して、満足しない。すると、消費によって我々は、「したかったこと」のはずのものに、「これじゃない感」を感じてしまうのである。
豊かな社会、人々が総じて暇を得る前、有閑階級は暇を飾る方法を知っていた。ありふれた生活を如何に楽しむことが出来るかを知っていた。楽しみ方は訓練によって獲得することが出来た。
ところで、ハイデッガーによると、人間の体験する退屈には、①時間がぐずつき、周りが言うことを聞いてくれない退屈、②退屈と気晴らしが絡み合ったもの、③なんとなく退屈、の3つの段階があった。ハイデッガーは、いずれも③を根底に持つと考え、人間は③の状態にあるとき、あらゆる可能性の先端に位置しており、決断によって可能性を発揮するべきであると主張した。
ハイデッガーは、環世界を人間以外の動物が持ち、人間は環世界を持たないからこそ、「とりさわれる」ことがなく、自由であり、自由故に退屈すると考えた。しかし、人間もそれぞれ環世界は持っている。人間とそれ以外を区別するのは、環世界間を移動する能力が相対的に、しかし非常に、高いことだ。つまり、人間は一定の環世界に留まっていられない。それ故に「とりさらわれ」続けることが出来ず、故に退屈する。
すると、様々な環世界を行き来し、気晴らしをしながら生きている人間の姿は、退屈の②の段階にあてはまる。多くの人間の多くの過ごし方は②に当てはまっていると考えることが出来る。②には、①と③には無い、余裕と安定と均整が存在する。そこでは、楽しみ方を訓練することによって、退屈を飾ることが出来る。
人間の生は、主に②であり、ときどき「何となく退屈だ」という感覚が大きくなると①=③に逃げ込みたくなる。その後②に戻るのだが、①③にい続けては仕事の奴隷になってしまう。
②を過ごすうち、楽しみ方を心得たり、環世界を獲得するうちに、どういった状況が自分に「とりさらわれ」を引き起こすのか理解できるようになる。すると、意図したような「とりさらわれ」も不可能では無い。このようにすると、人間が何かに没頭する、つまり退屈から解放される方法を獲得することも可能なのかもしれない。
より多くの人に読んでほしい。
2024年12月読了。
ず〜っと気にして買っていたのに、中々手が伸ばせずに積ん読状態だったのだが、数年前にTVでオードリーの若林さんが称賛していたのを見て興味が湧き、読み始めたのだが、自分はうつ病を患っており、その時は具合が悪く途中で手を止めてしまった。
その後(つい最近だが)思うところがあり、改めて初めから読み返したところ、夢中に成る面白さで、半日弱で読み終えてしまった。
哲学書でこんなに読み易い本は、早々お目に掛かれない良書だと思った。そして若い読者にも理解しやすい書き方で、現国のテキストに使われたのも頷ける内容だった。
中身を多くは語るまい。読み終えた人だけが、感想をスタート地としてそれぞれに思考を進めていければ良いのだ。
恐ろしく単純に云うとしたら、凸凹の「凹」の真ん中(低い所)に居ると思っている人達に、「そうじゃないんだよ、貴方の居る(べき)場所は、実は凸(の高い所)なんだよ。だから右往左往しないで世の不条理に惑わされず、絶えず《学ぶ》ことが一番大事なんだよ!」という、素晴らしく明快な答えを教えてくれる良書だと云う事だ。
と言っても、コレは読んだ人なら分かる、読んだ人にしか意味が分からない感想かもしれないけどw、補編の《痛みについての考察》は、心の痛み(うつ病)を抱える身の自分にもヒットする部分を感じて、とても嬉しかった。再読して、この病と闘っていこうとも強く思った。
國分先生、病と立ち向かう勇気を貰えました。ありがとうございました。
Posted by ブクログ
退屈から逃れるためには、「人間であること」を楽しむことで「動物になること」を待ち構える。いろんな物事に対して、疑問を持ったり、どうすればより良い物を作れるかなど、思考をできるのは人間だけ。その思考によってある種フロー状態になり動物のように物事に入り込んで楽しめる。仕事で重要な姿勢のようにも感じた。
本書の内容は普通に面白かったがそれ以外に、著者は高校生の頃から自分の哲学を意識しており、それを実際に本書で実現させたという部分のストーリーが興味深かった。