國分功一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この本は対談形式なので、完成された思想を読むというより、知識人がどう考えて、どう迷って、どう言葉にしていくのか、その途中を見られるのが面白かったです。
内容自体も、いわゆる知識人同士の難しい対談というより、かなり生活に近い話が多くて、普通に生きている側から見ても共感できるところが多かったです。
ただ、読んでいて少し距離を取って考えないといけないとも感じました。
本の中でも触れられていますが、國分さんや若林さんのように、資本主義社会の中で一定の成功を収めている人が、競争や資本主義への違和感を語ることに対して、
「成功した側の人がそんなことを言っても」
という批判は当然あり得ると思います。
ただ、その批判を本人たちもある程度理解した上で話していることが、個人的には意外でした。
自分は、こういう自己認識を持ちながら語る人を、これまであまり見てこなかった気がします。
そして少し考えたのですが、もしかすると、こういう人たちが人気になる理由の一つは、
「自分だけが社会の競争に疲れているわけではない」
と思わせてくれるところにあるのかもしれません。
世の中はどこまでも競争で、もっと働け、もっと成長しろ、もっと効率化しろと言われ続ける。
そこに疲れている人にとっては、社会的に成功している人でさえも同じような違和感を持っていると知ることで、少し救われるところがある。
自分も、そこにはかなり共感しました。
ただ同時に、現実にはその競争から完全に降りることも難しい。
生きていく以上、仕事もするし、お金も必要です。
競争から距離を取りたいと思いながら、競争に参加しなければ生活できない。
その矛盾は、読んでいる間ずっと感じていました。
もう一つ印象に残ったのが、「目的」に関する話です。
最近、書店のビジネス書の棚を見ていると、
「こうしなければいけない」
「こうすれば成功する」
「最短で結果を出す」
みたいなタイトルが、以前より増えているように感じます。
もちろん自分の見方が変わった可能性もあります。
ただ、社会全体が少しずつ「目的を持て」「成果を出せ」という圧力を強めているようにも見える。
このあたりは、國分功一郎さんの『目的への抵抗』を読んで、もう少し考えてみたいと思っています。
そして、この本を読んでいて、一番自分に返ってきた問いがあります。
自分が今、哲学や思想の本を読んで、こんなことを考えていられるのも、ある程度の時間的、経済的な余裕があるからです。
つまり、資本主義や競争社会から距離を取る思想を学ぶためにも、結局は資本主義の中で得た余裕が必要になる。
これは少し皮肉な話です。
そして、その余暇を使い切った先に何があるのか。
そこで得た思想を持って、また新しい労働に戻るのか。
それとも、今までとは違う働き方や生き方を選べるようになるのか。
そこには少し不安があります。
最近、自分は「学びの毒」というものについて考えることがあります。
哲学や思想を学ぶことは、必ずしも人を楽にするわけではないと思います。
むしろ、
「なぜ働くのか」
「なぜ競争するのか」
「なぜ成功しないといけないのか」
という問いを持つようになる。
今までなら疑わずに参加できていたものを、一度立ち止まって考えてしまうようになる。
その意味では、哲学には少し毒がある。
一度疑問を持つと、以前のようには無邪気に競争できなくなる。
自分は今、その毒の部分にかなり惹かれているのだと思います。
ただ、ここにも危険があります。
資本主義を批判したり、競争社会を疑ったりすること自体が、居心地のいい場所になる可能性もあります。
思想を現実から逃げるための道具にしてしまう。
考えることばかり上手くなって、現実の中で何かを作ったり、働いたり、責任を引き受けたりすることから遠ざかってしまう。
そこは、自分でも警戒しておかないといけないと思っています。
そして最後に、一番正直なことを言えば、自分も経済的な立場を手放すのは怖いです。
実際、一度かなり手放した経験があります。
その頃と比べれば、今は以前ほどお金や立場を絶対的なものだとは思わなくなりました。
ただ、それで本当に幸福になったのかと聞かれると、正直よく分かりません。
でも、一つだけはっきり言えることがあります。
以前より、不快感は減りました。
嫌なことを我慢する時間は減った。
自分の時間を自分で決められる感覚は増えた。
もしかすると、幸福を考える時に、
「幸福になったか」
という大きな問いだけではなく、
「不快な時間が減ったか」
「自分で選べる時間が増えたか」
という見方も必要なのかもしれません。
『帳の向こう』を読んで感じたのは、競争から完全に降りることでも、資本主義を否定することでもありませんでした。
むしろ、
その中で生きながら、どこまで競争や目的に自分自身を明け渡さずにいられるのか。
その距離感を考える本だったように思います。
自分自身もまだ答えはありません。
ただ、こういう問いを持ってしまった以上、以前と同じようには生きられない。
その少し不安定な感覚も含めて、今回この本を読んでよかったと思っています。 -
Posted by ブクログ
立憲主義が安倍内閣の時に破壊された時に、主権者である国民によって抵抗できなかった。その抵抗を天皇に頼るしかなかったということを敗北と表現していた。
では、なぜ国民による抵抗をできないような状態になってしまったのか、戦後の憲法学の失敗はなんだったのかという話は複雑で半分くらいしか理解できず。9条をアメリカが作っていながら、それを自分らが作ったものとして自分自身を騙している、納得させているという「ねじれ」がその原因ということらしいが、ニュアンスのみ分かったような気がする。美濃部達吉が憲法草案時に反対して、GHQの支配下の中で戦力不保持を記載するという実態にあった文言にするのが良いという意見はねじれがないというイメージとして理解した。しかし、ねじれがある状態は完璧には分からず
そもそも、安倍政権時代を立憲主義から見るとこのような見方になるということを全く知らず。アベノミクスのイメージばかりであった -
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戦後の平和教育は戦前の天皇制を否定し、戦争を放棄し、国民主権を謳った日本国憲法を基盤に、戦前とは180度異なることを日本人に教えてきた筈だった。
昨今、その憲法を変えようとする一部の政治家が力を持った。それは衆参両院の3分の2以上の賛成という改憲の条件の一つを変えようとすらした。
憲法という国家の基盤をもっと容易く変えられるようにしようというのは、改憲論議である以前に憲法を軽く考える、不遜なものだった。
しかし、その行動にブレーキをかけたのは、平和教育を受けて育った国民ではなく、憲法によって戦前の立場を否定された天皇自身だった。天皇自身が憲法を尊重する意思を見せたことで、護憲の世論が息を吹き返した。
我々が続けてきた平和教育とはなんだったのか、それを受けて育ってきた日本人とはなんだったのか。 -
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本書で書かれている「天皇への敗北」とは、政治で憲法問題が問われる時(本書では具体的に第二次安倍政権の政策を指している)天皇の「お言葉」や態度により、護憲が示された。このことにより左派・護憲派までもが「天皇の素晴らしさ」を語った事実を言っている。つまり言論と自由を信として闘うはずの日本のリベラルが悲しいことに「天皇は危機の時に現れて社会を救う」という理論を立ててしまう「日本言論の敗北」のこと。
中盤ではこの「天皇への敗北」から、日本国民の倫理、対東アジア軋轢の原因を追究している。
後半ではさらに昭和天皇の戦争責任や、現在も続く憲法第一条の問題も言及している。
日本国憲法で天皇に基本的人権が及ばない問題を「憲法の飛び地(問題)という」196 -
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國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』及び『中動態の世界』を読んだ印象から、読者と一歩一歩並走して論理を積み上げる平易な文章を想像していたが、本作は著者のギアが一段上がる。スピノザ哲学を主な著作から読み解こうという試みである。つまりは、難易度が高い。
能動的・受動的という観点からスピノザの「自殺」に対する思考を解説する箇所が鋭い。自殺に至る経緯は抗えない外部の原因に征服されてしまっているという主張である。ともすれば自殺は自己責任に収束されてしまう価値観があるが、自殺を選択せざるを得ない状況に追い込まれた外部要因に眼差しを向けるスピノザの考えは、人間への信頼を表明しているように感じる。
主に『エチカ』を章に沿って著者独自の解釈も交え読み解く作業を、読者は追随する。冒頭にも書いたが、他の著作に比べて読み進めるのに苦労した。すらすら読める本ではない。それでも、入門書では得難い深みの一端に触れ、スピノザに一歩近づいたような手応えが残る一冊だった。ぜひ、挑戦してみてほしい。 -
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日本人のほとんどの人は心のどこかで、「退屈だなあ」とかこの本には書いてないけれど「生きるって何?」とか考えたことがあると思います。それについて専門家が庶民の人でもわかるように書いてくれた哲学書でした。結果、今後の人生に活きる種が点在として充実感があり面白く、「生きること」の見方が少し変わりました。
自分は今、なぜ退屈しているのか。というのを仕組みが理解できることで、自分の現状を認めることができるようになりました。わりきって、より楽しい方向へ行くにはどうしたらいいのか、選択肢がいくつもあることに安心しました。私は1つのことに熱中することができません。年をとるたびにそれがどんどん難しくなってきました。信念や大きな自分の武器を持つ人(1つの環世界に満足できる人)がとても羨ましく思います。しかし、人間として環世界間移動能力があることは当然だと分かり、納得と安堵し、それを操れるようになれば、最高に楽しいを更新し続けることができると思いました。
内容が難しく、読むのに時間がかかりましたが、得られたものは大きいと感じました。ありがとうございます。 -
Posted by ブクログ
銃を突きつけられてお金を差し出す時、その行為は能動か受動か?
私たちは能動態と受動態の二項対立を当たり前の概念だと考えているけれど、する・されるで簡単に分けられない行為は身の回りにたくさんある。
実はそのまた昔、今は無き“中動態”というもう一つの態が存在していた…!
中動態を使って私たちの行為を説明する時、意志とは、責任とは、自由とは一体何か。私たちはそれらを持っているのだろうか。
…とまあそんな話。
3章まではノリノリで読めたけど、その先から難しくて度々置いていかれた。哲学の知識と根気が必要。
なんとなく意味を辿って最後まで読むことはできた。文庫版補遺があって助かった。
テーマは非常に興味深いし重要だと感じる。
また知識をつけて読み返したい。 -
Posted by ブクログ
【要約】
豊かになり暇や退屈が生まれても、企業に押し付けられた消費に追われては満足に達しない。退屈と切り離せない人間本来の生を受け入れ、与えられた刺激を受動的に消費するのではなく、自ら楽しみを見出して能動的に思考しながら生きるべきである。
【感想】
以前は知的好奇心の赴くままに知識を得れば十分だと思っていたが、先人の考えを客観的に捉えつつ「要はどういうことか」を自分なりに突き詰めてこそ理解になるのだと感じた。
【アクション】
日々の習慣に流されて思考停止に陥るのを防ぐため、日常や仕事で疑問に思った対象を一つ絞り込み、徹底的に深掘りする習慣を身につけていきたい。 -
Posted by ブクログ
退屈が自分のまわりにまとわりついて、何をしても離れず、耐えられなくなって救いを求めて本書を手に取る。
退屈の理解と研究についてが本書の中心であり、興味深いのだけど、読み終えてもどうにも手応えがない。面白いのだけど。
自分が求めていた「退屈に取りつかれた際の処方箋」ではないことがその要因だと思う。つまり、今苦しんでいて処方箋を求めている方には少し冗長すぎる本だと思う。そういう方は終盤の「結論」からまずは読んでみるといいのではないでしょうか。
中でも「贅沢を取り戻すこと」は個人的に素晴らしい処方箋を受け取れたと感じた。食でも娯楽でも、ただ消費するのではなくて、受け取って楽しむ。そのためには必要を超えて浪費することが必要となるそうだ。
さらに、贅沢をより楽しむには、そのための訓練や知識が必要となる。例えばワインを楽しむには、原材料や産地の特徴、歴史などを理解していれば何倍も楽しめる。
退屈を感じたなら、贅沢を取り戻そう。