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Posted by ブクログ
現代の世界において我々は能動態と受動態の枠組みで世界を生きている。しかし、その枠組みに収まりきらない事象が多く存在する。ここで法律を適応するにあたって重要であり、この事象を理解するのに重要だと思った能動態と受動態の定義をまとめておきたい。能動態は行動によって自分の本質を表現することで受動態は自分の本質に関わらず他者から何かをさせられている状態だと言えることができる。しかし、何かそれは法や社会、歴史かもしれないものの見えない圧力によって自分は本質を表現しているつもりなのにも関わらず、実際には冷静で合理的な判断がなされないまたは誰かにやらされていると自分で認識していても別に強制させられているわけでもないことが多々ある。このような事象は中動態と能動態の枠組みにしか収まりきらない。それを知るだけでも世界の見方は少し変わると思う。
Posted by ブクログ
暇と退屈からこっちも気になって読んだ。
正直かなり難しい。ちょっと読み飛ばした部分もある。
ただ、中動態という新しい(?)概念も知ることができた。今の言語では中動態が広まっていないのがもどかしくなる。
以下、本書と直接関係ないが感想。
小説などの物語がなくならない理由の一端に、中動態の喪失があるかもしれない。
特に悲劇のような物語では、登場人物は誰かに強制された行動もあれば、進んで自分で行ったとは言えない行動もする。大きな物語の流れの中で、彼らは思い通りに行かない行動を自らとる。こういった行為は能動態/受動態では書き表せない。
物語を読む人は、ストーリーを楽しむだけでなく、確かにあるが表現できず忘れてしまった中動態へのノスタルジーを感じているのかもしれない。
Posted by ブクログ
古代の世界で使用されていた文法「中動態」を起点に、能動・受動の捉えなおしながら、「私がなにごとかをなす」ことを分析していく哲学書。
先人たちの言語学と哲学の研究を紐解きながら、丁寧に中動態を解釈していくさまに感嘆しかない。前提となる情報で土台を作って、論理をひとつひとつ積み上げて、中動態とはいったいなんなのかを紐解いていく。その過程はまるで、強固な城を建設しているような印象だ。言葉の意味を的確に拾っていかないと、筆者の言わんとしていることについていけなくなるので、辞書をお供に読み進める。哲学は言葉のひとつひとつの意味を大切にする学問であることを実感する。
能動態と受動態の区別は、主語が動詞によって示される過程の外/内のどちらにあるかで定義され、主語の内に位置づけられるのが中動態である。ざっくり解釈すると、自分の行動の行き先の矢印が自分に向かっているのが中動態、というイメージをもった。その前提でスピノザの唱える能動・受動の概念を考えていくプロセスが、難しいけれど面白い。刺激を受けたうえで生じる行動が、自分の本質的な行為か、それとも外部からの刺激に圧倒された本質的でない行為か。行為の質の差で能動・受動であるかを考える。すると、冒頭で登場した「プロローグ――ある対話」の見え方が変わってくる。「暇と退屈の倫理学」でも思ったけれど、筆者の國分先生の本は、言葉や文章を追いかけていたら、いつの間にか見える世界が少しだけ変わっている感じがする。時間がかかったけれど読み終えることができて良かったし、読み終えた自分にすこし自信がついた気がする一冊だった。
Posted by ブクログ
「免責が引責を可能にする」
この一節に私はしびれた。
なにかミスがあると、世の中では「責任をとれ!」という話になる。言い換えれば「このミスを犯す意志を持ったものは誰か?」というお話。本書では、このような「意志によって根拠付けられる責任」を「堕落した責任」と呼ぶ。
責任とは、そういうものではない。責任とは応答することなのだ、と。そしてその応答としての責任の生成は、実は免責※によって生まれる、と本書はいう。
※ここでいう免責とは、無罪放免にする、という意味ではなく、自らの行為が、意志ではなく、無数の原因によってもたらされた結果であることを理解する手続きのことを指す
この考えに、私は驚いた。
コペルニクス的転回!
そして全く考えたこともない発想だったけれど、ものすごく腑に落ちる気がしたのだ。
國分功一郎さんの本は、確かに咀嚼するのに時間がかかる(そして私はまだ咀嚼しきれていない)のだが、そこから得るエッセンスがもたらす思考的影響が、半端ない。
Posted by ブクログ
「読んでて難しい」「難解だ」と感じる人ほど(少なくとも私はこちら側だと思う…)、「能動↔︎受動」の言語に基づく思考体系に浸かってしまっているということなのでしょう……
中動態について、言語の歴史やスピノザ哲学など、あらゆる側面から國分先生の哲学論が展開されていきます。難しくても読み終えて初めて「中動態の世界」の入り口に立てるのかもしれない。
最後に能動態↔︎中動態的思考から「責任論」に話は移行していきますが、社会の分断が進む現代社会が進むべきヒントを与えてくれるカギとなるのではないでしょうか。
「暇と退屈の倫理学」でもあった通り、本書もまた「(理解しきれない部分があったとしても)通読してはじめて意味を持つ」のだと感じました。
この感想を読んでくださった方も、なにかのご縁だと思って、たとえ本書を読み始めてから難しいと感じたとしても、最後まで読んでみてほしいです。。
Posted by ブクログ
斎藤環さんが紹介されていたので読んでみたのですが、この夏一番の読書になったように思います。
中動態の「世界」とタイトルしているように、中動態をめぐっての哲学や言語学の先人達を批評していかれているからです。大変ではあったのですが、書き手の丁寧な記述で、ポイントを繰り返し確認しながら、読み進めることができます。斎藤さんによれば、思想界にもインパクトがあったとのことでしたが、デリダやドゥルーズといった20世紀末に流行った哲学者も批評の対象になったからだろうと思いました。
中動態についていえば、これと関連して、以下の記述でポイントを押さえることができるかと思います。
「自由をスピノザは次のように定義している。すなわち、自己の本性の必然性に基づいて行為するものは自由である、と。」
「自分はどのような場合にどのように変状するのか? その認識こそ、われわれが自由に近づく第一歩に他ならない。」
スピノザのいう自由に向けての実践的な示唆なのですが、ギリシア悲劇だけでなく、自己治癒的な物語を読んでいくことも実践の一つだろうと思いました。
「責任」については、責任を負うことになる当事者が目の前にいるだけに、より課題が大きいように思います。
「たとえば当事者研究で、「家に火をつけてはいけない」という世俗的な規範をいったん脇に置いて、自分が火を付けたときのことを他人事のように下達とき、そこは一度面積される空間だと思います。でも不思議なことに、その面積の段階を経て初めて、引責が可能になる。」
免責の空間を経て引責が可能になるステップや有り様について、これを多くの人で共有できる記述が必要なように思いました。
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