國分功一郎のレビュー一覧
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「民主主義とは、民衆が権力を作る政治体制のこと。立憲主義とは、いかなる権力も制限される原理のこと」であり、立憲主義が危機に瀕すると、天皇がグッと前にせり出してきてこれを守ろうとする構造が日本国憲法には内蔵されているという指摘に、今日の日本の状況を鑑み深く納得。日本国民が憲法秩序を守るために成熟した態度をとることが出来ず天皇に頼ってしまったことを、天皇への敗北と評し、戦後、成熟出来ずにいる我々日本国民は、人権が認められず、その身分に即した義務と特権のみがあるという身分制を残した「飛び地」である天皇制の問題を曖昧にせず、潜在的な被害者意識を乗り越え戦争責任を主体的に引き受けられるようになることの必
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ソ連がウクライナに進行した時に直感的に、これはプーチンがコロナ禍を過ごしたからに違いない、と確信した。何年も経って本書に触れてあながち独断的な勘違いであったのではないと思えた。
村上龍が人生の目的を楽しむこと、世界を知ること、生き延びること、としていて一部では納得しつつもどことなくスノッブな感じが嫌だった。しかし本書を読むとなるほど楽しむこと、つまり真摯な訓練と知識に裏打ちされた楽しみは豊かな人生そのものだろう。
消費と浪費については國分功一郎先生お得意の概念だが、若干資本主義否定に偏っている。要は斎藤幸平先生の部類に足を突っ込んでしまっている危うさは感じるが、それ以上に共感の度合いの方が -
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まーじでいま読まれるべき本。
憲法一条で規定された天皇は、憲法の存在が脅かされるときに護憲的な役割を果たすという機能が内在されていた。天皇制はもちろん令和のいまリベラルな価値観では到底許容してはならない「飛び地」である…にもかかわらず第二次安倍政権での安保法案改正・あるいはそもそも超民主主義的なふるまいをする安倍政権に対して「民主主義」としてNOを突き付けることができず、天皇の言葉に頼る形になってしまった。これが「天皇"への"敗北」として本書で書かれていることだ。全くもって非常にその通りで、現状の高市政権にていま議論されている皇族数の確保問題も超重要な国民的マターとして進 -
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(1) 第4章のルソー&マルクス論を引く人々の手つきにみられる「本来性」措定への批判と、(2) 第5章のハイデガー退屈論検討時の「退屈の第三形式(決断主義)は第一形式と同型でありどちらも退屈の奴隷、退屈の奴隷でないのは第二形式だけ……という話、(3) それから補論にある痛みの記憶とセリエンシーの話は初期仏教思想における煩悩(無明)の話のようでもあった。
(特に(1)については、アレントのマルクス読解は「労働」の否定範囲の点で間違っており、マルクスは「必要な労働」は拒否していない、資本主義によって増やされる不当な労働を短縮していく方向と読み直せる……と読めたし、直近の日本共産党の政策論 -
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ネタバレ非常に面白い論考やった。こんな公演、講和を聞いてみたい。
暇倫の國分先生の本はこれで3冊目になるが、読みやすくて面白い。いや、めっちゃ読みにくい時もあるしわかりやすい説明もあれば、説明不足やなあというところもある。普通の哲学書をあんまり読んだ経験は少ないけど、論拠も用意してるし、國分先生の思考の道を、たどるような書き方をしてくれてるのがいいと思う。
これも再読したい本。わかりきってないと思うから。
以下は頭の整理?
不要不急の外出制限が受け入れられたのは、浪費を否定する消費社会、「目的」を至高とする目的社会が土壌にあったのでは?
人はモノは体験の浪費により贅沢を楽しむことができる。対 -
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ネタバレ
個人的に、ものすごく面白かった。
個人的にと書いたのは、ずっと自分の中で暇や退屈と上手く向き合えていない自覚があった中、その課題感にドンピシャにはまる内容だったから。若いヨーロッパ人は何としてでも何かに苦しみたい欲望がある、と指摘したニーチェ。没頭したい、狂信できる何かが欲しいと苦しんで、確かな没頭できる自分や、信仰がないことで苦しんでいた頃の自身と少なからず重なった。
本書では退屈を3形式に分けている。
1つは時間の引き止めに合う、時限的な退屈。列車が来るまでに4時間あるときのような。
2つめは、気晴らしと結びついた、安定と均衡を持った退屈。自分で自由時間にパーティに行く、と選択し、楽し -
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レンズの研磨職人をして、哲学者もしてたスピノザという人がいた。自分もレンズ研磨の仕事をしているので気になって調べた。有名なエチカという哲学書があり、難しいとあったので、どうにか入りやすい本はないか探し、本書を見つけた。現代の生活や他の有名な哲学者との比較をしながら、自由とは何か、組み合わせによる善と悪、エチカを読むなら上巻からじゃなく下巻から読むと入りやすいなど、わかりやすく丁寧に書いてあって、自分のなかのスピノザに対するハードルが下がった。植物と物質の組み合わせは守る善になるけど人間とその物質は合わなくて毒となり悪になる。善と悪は組み合わせだって言うのは面白い。自由に対する考え方も自由は縛り
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これはおもしろかった。論理は明確で非常にわかりやすい。世界がつながり、名前がついていく感覚。あれこれと発想が繋がって、自分の脳みそがてつがくのうみそにグニグニと変化していくような感覚。ほんとうはもう少し注や原典にあたったり批判的に読まないといけないんだろうけど。
人間は本来的に遊動する生き物だから片付けとトイレが苦手だ、とか面白いよね。ハイデガーの環世界批判を痛烈に批判してるけど、著者もちょっと都合よく使ってない?とは思った。環世界はソフトウェアの話でなくて、ハードウェアの話なんじゃないかな。ノミのハードは単純だから3つくらいしかアプリが入らないけど、人間のハードはもう少し上等だからいろんなア -
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自分が今なぜこういう生き方にたどり着いたのかを解説してくれるような本だった。
本書は、「暇と退屈」とはなんなのか、「暇と退屈」とどのように付き合えばよいのか、つまり人間はどのように生きていけばよいのかについて考えるものである。
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結論として、著者は2つの論を提示している。
一つは、人間らしい生き方とは、ハイデガーが定義した「退屈の第二形式」のように退屈から逃れようとするのではなく、退屈の中にいながらも多少の楽しさを味わい生きることであって、
それを洗練させていくためには「消費」ではなく「浪費・贅沢」がヒントになるということ。
消費とは物ではなく物を通して観念を味わうということ -
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・暇と退屈は違う。2軸4象限でまとめると分かりやすい。目指すは「暇があって退屈していない状態」。暇を作ろう
・退屈を恐れて人は気晴らし・決断の奴隷になる。奴隷になって視野狭窄になった状態を、他の人とは違う崇高で優れた状態と誤認する。資格勉強に逃げるのはやめよう
・と言いつつ、人間は退屈から逃れることはできない。気晴らしも決断も行う。完全に退屈から決別する人生は無い。やるべきは「動物的になること」を意図的にコントロールすること。
→ジャーナリングで自分の退屈を分析して【自己分析】、そこから解決の糸口を見出して実行してみて【読書】、さらに半年くらい夢中に楽しめそうな新しい気晴らしを実行する【体験・ -
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私も目的に縛られているなと思った。特に社会生活を送るうえではすべて目的がないと行動ができなくなっている。仕事をするのもお金のため。勉強するのも仕事で評価されたいため。運動するのも美しくいため、健康でいたいため。社会で良いとされているものにめちゃくちゃ引っ張られ、それが目的になってしまっている。どうやったら目的を超えた何かを感じられるようになるのだろうか。なかなか目的もなく勉強をするのは難しい。
子供の頃は、目的もなく純粋に好きなことを目的もなく楽しんでいたと思う。
自分の好きなことであれば、今も目的もなく行動することができるだろうか。食事のための食事、バレーのためのバレー。一つでも目的のない何 -
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「はじめての経済思想史」の著者がお勧めしてたので。政治の成り立ちから近代 (18世紀位) までの流れが、教科書にも載っている偉人達が何を主張していたのかを通じて論理的に哲学的に書かれている。ただ、教科書的な話というより、筆者の解釈/言葉で語られているので政治/哲学の初学者でも興味深く読める。著者はロックが嫌いなのか「根拠のない主張は哲学では無い」とぶった切る感も面白い。全体の流れは最終章の結論でおさらいできるのも有り難い。
聞き慣れない「自然状態」「自然権」「社会契約」「一般意思」等の前提条件や成り立ちの話から、普段何気なく使っている「封建制」「国家」「主権」「共和制」「民主主義」の言葉の意