國分功一郎のレビュー一覧

  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    相当前から、「人は、ただ生きる以外に、なぜ仕事なり人との交際なり遊びなり、何かをするのか」が疑問だった。自分なりにいろいろ考えていた。読み進めるうちに、この本がまさにその疑問に答えるものだと分かった。

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    2025年11月03日
  • 手段からの解放―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    Youtubeの企画で朝井リョウがおすすめしていたため、手に取ってみましたが、、、
    あまりにも哲学的すぎて、私にはなかなか理解が追い付かない点が多かった。

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    2025年11月03日
  • 目的への抵抗―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    面白かった暇と退屈の倫理学をより深化させた論考ということで気になって購入。
    コロナ禍の2020年と2022年にあった2本の講義を再録したもの。

    暇と退屈の倫理学については前半はちらっと言及があるくらいだったが、後半は浪費と消費の話から、目的と手段の話にまで広がって、暇と退屈の倫理学の補講のような感じで読めた。

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    2025年11月03日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    暇と退屈を気晴らししながら生きるのが人間らしいってこと?
    気晴らしのはずの催しの中で退屈を感じるのは、その気晴らしを受け取るための教養がないから…って分かるような分からんような。難解な映画見てる時の気分とか?

    トカゲはトカゲの、ミツバチはミツバチの、ダニはダニの世界を生きているってところが好きだった!

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    2025年11月02日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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     長い探究を続けた先の結論は、びっくりするくらい単純。でもその結論に至るプロセスを紐解いていくことで、自分の無意識下の行動や思考が理解できる範囲に入り込んできて、どこか安心する。
     私は未だに自分が何で満たされるかを知らないから、いつまでたっても満足できない。でも満たされないことを楽しんでいる気もする。まだ自分のこの感覚を言語化することはできないけれど、全てを言語化できるなら芸術はここまで発展していないと思うし、わからないままなのも案外楽しいかもしれない。どんなことも考え方次第だね

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    2025年10月26日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    「暇だなぁ。どうにかこの時間を有意義に使えないものか」と読み始めた一冊。中身は思ってたものとだいぶ違い、先人たちの論を学びつつ、暇と退屈に付いて理解を深め、著書と一緒に熟考していく重厚なものだった。内容はとても深く、様々な意見に自身の考えを揉まれ、非常に頭を使わされたが、とてもよく整理されており、意外にも読みやすかった。手頃な自己啓発本とは違い、暇についての解決法は何度もじっくり読み返しつつ考えなければ答えを見つけられなそうだが、とても良いものを吸収できた気がする。

    まぁ、難しかったけど倫理って首を突っ込むと簡単には抜け出せないくらい面白いものだぞってことがわかった!!

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    2025年10月24日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    過去の偉大な哲学者たちが「退屈」をどう捉えて、どう対処すべきか、難解な哲学書の概要も理解できるように記載されていた。途中、立てられた仮説が突飛に感じたり、結論の落とし所に考えさせられたが、退屈が生ずるメカニズムを自覚できた点で、読む前と後で感覚が変わった。

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    2025年10月22日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    上司に推奨されて読む。教養を付けるための入りとして読む。

    物質や時間的余裕欲しさに豊かさを目指した結果、その豊かさに喜べない。また、暇や退屈の潰し方は広告などにより教えられている始末。暇と退屈にどう向き合うのが正しいかを考えるのが主題。

    暇や退屈は定住生活により生まれ、過去脈々と苦しいものとして認識され続けているというのを過去の哲学者や経済史が示している。それらを振り返りながら、人間の世界の捉え方を認識し、暇と退屈への向き合い方を考えていく。

    結論は、色々な環世界を創造しそれらを一つ一つ楽しむという「気晴らし」を継続してすることが人間らしい、暇と退屈との向き合い方であるとのこと。教えられ

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    2025年10月18日
  • はじめてのスピノザ 自由へのエチカ

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    とても面白かった。何年も前からぼんやりと考えては、うまく考えが進まなかったことを、ずっと前の時代の哲学者がかんがえていたのだなあ、と感慨深かった。

    スピノザの本質概念の転換のところがとくに面白く、いろんな人のいろんなあり方のそのままを肯定しよう、というやっと今になって広がってきた考えをそんなに前から考えていた人がいたのかあ、とびっくりしたし、スピノザの考え、いいなあ!と思うと同時に、哲学者の考えが難しいから全部賢い人のいうことだし、わからないけどなんか正しいんやろうなあ、みたいに思っていたのが、対比する哲学者の考えを知ることで、あー、そっちの理屈は肌に合わないわあ、とか、それは偏ってるんじゃ

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    2025年10月15日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    難しかった。
    理解できるようで、理解しきれない。
    でも何か少し分かった気がする。
    でも言葉にできないからやっぱり理解できていないのだと思う。

    ただ、最後の「痛む記憶」が内側からのサリエンシーとなり、耐えざる刺激には耐えられないのに、刺激がないことにも耐えられない、に繋がっているのではという考察がなるほどと思った。
    まだ完全に腑に落ちたわけではない。

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    2025年10月12日
  • 「利他」とは何か

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    「利他」に偽善的なものを感じつつも、必要なものだよなあという気持ちもあり、興味のあるテーマなので読んでみた。
    正直3章以降は難しすぎたのだけれど、伊藤亜沙さん、中島岳志さんの文章に、何度も視野を広げてもらった。以下、特に印象的だった部分のメモ。

    伊藤亜沙さんの文章では、効果的利他主義という考え方を知った。徹底的な「評価と比較」をして行う利他だ。
    例えば、他者のために働きたいと考える若者が、限られた給料のNPOに就職したりせずに、ウォール街でお金を稼いで寄付する方を選ぶというような考え方となる。
    利他の原理を「共感」にしないのが目的らしい。共感によって行う利他では、ふだん出会うことのない遠い国

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    2025年10月10日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    いやー、最高ですね。
    星4.5以上ですよ。もう5でもいいです。
    こんなに綺麗に文章かけるのがすごい。
    読んでて「?」が出てくる度に、次の一文で解明されていく。
    天才。日本語の本を全部この人に書いて欲しい。
    なんとなく退屈だ ここの書き方ヤバいよ。

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    2025年10月09日
  • 手段からの解放―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    掲載された元の論文も読んでいたが、改めて面白かった。どうしてかはわからないけど善いとか心地よいとか美しいと感じる感性を呼び覚ましたい。
    あと、あとがきにあった目的に縛られた主体は経験を失う、という視点がすごい。窮屈さや寂しさを感じるのは経験によって何も蓄積されないからかもしれない。目的と手段に多様性は求められない。

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    2025年10月07日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    難しいことを平易に書いてあるが、やはりそれでも理解をするのが難しいところもチラホラ。それでも、頑張って読んで考えていったらある瞬間にストンと腹に落ちた気がした。読んで良かったです。

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    2025年10月07日
  • 目的への抵抗―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    「暇と退屈の倫理学」の國分先生の著書。
    実際に開催した二つの講義を下地として、書籍化。

    第一部は哲学の役割と題して、コロナ危機における権利の問題を、倫理と政治の観点で警鐘を鳴らしている。ジョルジョ・アガンベンの主張をベースに論を展開。
    生存だけが価値として認められることの問題、死者への敬意の喪失からつながる政治の不成立、移動の自由の制限がもたらす支配の問題について、どれも興味深い論考だった。

    第二部は不要不急と題して、目的による手段の正当化への警鐘を、ハンナ・アレントの主張をベースに論を展開。
    浪費と消費の対比や、動機づけや目的の超越など、普段では考えないことを、じっくり考える機会になった

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    2025年10月01日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    ネタバレ

    現代社会において、生きることは習慣化されて漠然とした退屈に覆われている。

    生物によって環世界が違うため、退屈の感じ方が違う。(蝸牛4分の1、人間18分の1、ベタ30分の1秒が最小)

    退屈から逃げるためには決断の奴隷になり、人間であること(退屈とその気晴らし)を楽しむ。

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    2025年09月30日
  • 中動態の世界―意志と責任の考古学―(新潮文庫)

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    行為する、されるといる能動と受動の対比には人の「意思」が中心にそえられる。「意思」それは、過去を担う「記憶」との対比として未来を担う器官とする考えであり
    過去からの断絶を前提とする。行為の責任の帰属先を明確にするためにもその考えが必要な社会が現代である。しかし過去からの断絶とは本来的にありえない概念であり、何にも影響されない事象、行動はありえない。そうした意味でも現代の意思の定義はずれているかもしれない。

    中動態とは能動でも受動でもない第三の態ではない。受動、再帰、自動詞の意味を含む根源的な人と世界の関わりのあり様をしめした態である。
    言語の歴史的にも能動と受動の対立をベースとするパースペス

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    2025年09月21日
  • 手段からの解放―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    「日常生活が目的の為の手段と化した皆に告ぐ。救いはあまりないが、ヒントはある。」

    拒食症はご存知だろうか。
    端的に言えば「食べたくても食べられない」病であり、現在私が罹患している病でもある。正確にはトレーニングを積んで飲み食いをゆっくりなら出来るが嚥下が苦手である。だがそこには「食事の楽しみを剥奪された人間」が確かに居る。

    本書はカントの快の分類を援用しつつ、「目的や手段を持たない、純粋に快適を享受する」ことが「目的達成の為の手段としての‘‘病的‘’行為」に貶されないように、「目的ー手段」に人生を従属させないことを説いている。本書の例をアレンジするならばこう言えるだろう。「喫煙は快適を享受

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    2025年09月21日
  • 手段からの解放―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    現代社会では、あらゆる行動が何らかの目的に向かうことが当然視されている。
    その結果、「第四象限の純粋な享受を守る」ことは、ほとんど不可能に思える。
    目的を伴わない行動は奇異と受け取られやすく、自分自身もつい「何のためにやるのか?」と目的を探してしまうからだ。

    そんな社会で、私ができるささやかな抵抗は、第三象限と第四象限のはざまを意識的に往復することだと考えている。
    具体的には、
    • 何かを成し遂げるための手段として行動しながらも
    • その手段自体にも純粋な快を見いだし続ける
    つまり「目的に向かいつつも目的に縛られない」問いかけを日常に散りばめる。
    この生き方こそが、手段化された快の連鎖から自

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    2025年09月18日
  • 手段からの解放―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    記号化されたもの。
    その最も象徴的な概念は「数字」だが、それを存分に纏った存在が「お金」や「偏差値(学歴ステイタス)」、「年収(これもお金だが、それに繋がる就職先や社会的ステイタス)」だ。本著の指摘で重要なポイントは〝記号は際限なく消費される“というもの。

    大学に入るのがゴールではない、部長になるのがゴールではない、お金自体は目的ではないはず。しかし、記号化された、その二次的な価値自体を追い求めてしまう。著者はこれを「本来は手段であるはずのもの」と捉え、それに縛られて生きる社会に警鐘を鳴らしている。

    本質を見失った人たち。

    お金が欲しい。良い大学。出世がしたい。
    それで、何がしたいの。た

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    2025年09月14日