國分功一郎のレビュー一覧
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タイトルの通り、哲学者の國分功一郎氏が、とあるメルマガにて連載していた人生相談を本にまとめたもの。
寄せられた相談に著者が、主に哲学の視点と著者独自の考えから答えを出している。
中でも私が一番面白かったのは、「モテない」という相談に対し、そもそも「モテる」とは何なのか、という著者の結論。
「『モテる』とは『敷居が低い』ことを意味しているーこれが私の結論です。何らかの理由で或る人物の中に他人が入りやすくなっているとき、その人物は『モテる』のです。」(p.38)
誰もが抱える「心の穴」を埋めるため、多くの人が「心の敷居が低い」人に集まった状態。
それが「モテる」であると。
真理を得た気が -
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豊かな社会の道しるべ : 「小さな参加の革命」(3/3) 山崎亮×國分功一郎
この対談記事を読んで、読んでみたくなりました。
民主主義の胡散臭さに自然と距離をおきたくなる自分と、民主主義国家と言われる国に住む自分にとって何らかのカタチで上手いこと理解し、自分のスタンスを固めたいと思う自分が交差する中で、この本と出逢いました。
公務員であり、また市民活動を行政職員、市民団体、有志ボランティアと協働で行っている私にとって、この本の提案は、私が可能性を見出し、実践していることと、とても重なり合う部分が多かったです。
議会の変革のみならず、住民が自ら『自分ごと』を起点として、仲間と共に政策を考 -
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退屈は人間にとって必要なものだった。
なぜなら移動→定住→文明の発展のように人間に退屈という感情、思考かな?が湧いたからこそ人間はその才をさまざまに生かしながら発達してきたから。他にも退屈を感じられるからこそ人間はより良く生きようと試みたり、新しいものを常に生み出そうとするから。
私自身は退屈がとても怖いと感じる。何もしていないと自分だけが置いていかれているような気持ちになる。これは一種の「とらわれ」?笑かもしれないけど。本書を読んで退屈は不快なものかもしれないけれど、悪いものではない気がする。退屈があれば、反対に自分が感じたいと思ったものに触れられるし、自分が吸収することができる。だから退屈 -
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暇とは何か。退屈とは何か。それは本当に主観的な感情なのか。それとも、近代社会が構造的に生み出した状態なのか。
著者である國分功一郎は、古代から近代に至る思想史を横断しながら、退屈を倫理の問題として再定義する。
刺激過多の社会において、私たちは退屈を回避することに最適化されている。しかしその回避行動そのものが、実は退屈の深化である。この逆説が中々目から鱗。
退屈とは、世界との関係が断絶した状態であると同時に、新しい関係を開きうる契機でもある。刺激を消費し続けるのではなく、世界を再び見るための余白。それが退屈。
正直に言えば、私はこれまで「暇」や「退屈」について真剣に考えたことがほとんどなかった -
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前半は歴史的・政治的な話が多くてスっと入ってこないところがあったけど、後半は日常生活に当てはまって面白くて一気に読んじゃいました⚑⚐゛︎︎︎
特にハイデッガーの退屈の形式→環世界の話がすごく刺さった!
【 個人的なまとめ 】
~ 退屈の種類 ~
①第一形式…何かによって退屈させられること
⇒ 自分の今の生活にはほとんどない。例えば電車の時間(約15分)は仕事のお客様とのやりとりLINEと1日の振り返りを書くのに使うけどそれは自分にとって大事な時間で、そうじゃない時は本を読むようにしている。昔は退屈の気晴らしに携帯でSNSを見る毎日だったけどそれを辞めてからすごく有意義。大好きな仕事なので研修 -
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・とても読みやすい。一文の区切りが短いのと、情報の出る順番が丁寧だからだと思う。Aという主張をするために、前提となる情報を出す。この基本に忠実な文体。新しい情報を出す前に入念に復習や補足まで行なってくれる。優しい塾の先生みたいなやり方だと思った。
・消費と浪費は違う。モノそのものの価値ではなく、それが新しいだとか、みんなが使っているだとか、そこに付与した記号を買わされることを消費と定義されていた。三宅香帆さんの著書「考察する若者たち」で言及されていた、「報われ消費」と近い考え方だなと思った。
・消費というと、現代ならスマホが一番近いような気がする。スマホには天井がない。延々と続く情報の海に -
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人はなぜ暇の中で退屈するのか、そもそも退屈とは何か、退屈とどうむきあうべきか、を命題とした哲学書。暇を客観的条件、退屈を主観的状態と定義したうえで、過去の哲学者たちの主張を丁寧に追って展開されていく営みは、哲学という学問の面白さを感じさせる一方で、全てを理解しきれないもどかしさも感じる一冊だった。漠然と身近にあった暇という現象に対してこうした解釈がなされるのは非常に面白かった。
人間は環世界を相当な自由度をもって移動できるから退屈するのであり、定住革命と同時に暇と向き合うようになり、供給側が需要を操作しているといる現代の高度消費社会においては、終わることのない観念消費のゲームとして資本主義が暇 -
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スピノザの主著『エチカ(倫理学)』。その難解な迷宮に足を踏み入れるための地図として本書を手に取った。そこで示されていたのは、「どのように生きるか」という問いに対する、現代的で力強い視点であった。
1. 世界の捉え方:神の「副詞」としての人間
スピノザが説く神とは、外部をもたない自然そのものである。私たちは自立した個別の「名詞」ではなく、神(自然)という唯一の実体が特定の現れ方をした「様態」に過ぎない。
本書で著者が用いた「私たちは副詞のような存在だ」という比喩は、非常に腑に落ちるものだった。私たちは独立して存在するのではなく、神という存在の「あり方」を表現している一つの現れなのだ。この世界 -
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ネタバレいわゆる哲学書で気にはなっていた(積読状態)→「スマホ時代の哲学」から続けて読んでみた。
関連する話題でもあり、相関もあって興味深い。(記憶が混同するデメリットもあるけど)
分かりやすく面白いが、簡単ではないし読むのに時間はかかる。
整然と論理構成をまとめて教えてくれる形式ではなく、ひとつずつ問いかけ、考察を加えるという形で物語的、あるいはドキュメンタリー的に進めていき、長旅に付き合う感覚。咀嚼して頭にすっとはいってくる訳ではなく、自分で頭を整理する必要がある。
スマホ時代の哲学同様、ことばの定義に注意が必要。
スマホに比べればトリッキーな語用は少ないのでまだ理解しやすいが。
結論では、要は目 -
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本格的にドゥルーズの解説を試みた本で、
非常に難しい。
どの程度理解できたかは不明。
気になった点は2点。
ドゥルーズの単著では唯一、提唱されているものと言っていいと思われる“無人島”という概念について。
“他者こそが対象の対象性を保証しているとするならば、他者を欠くと自我を想定できない”。
そもそも主観と客観というものが一般のレベルで意識されるようになったのは近代以降になる。
その後、欧州から個人主義が広まって今日に至る。
他者と他者のニッチにしか自我が存在しないなら、
例えば、『自分探しにインドに行った人』は『インドに行ったことがある人』というニッチが得られるのかな、とか。
自分を探すに