國分功一郎のレビュー一覧
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ネタバレ初めての哲学書。
読みやすかった。
暇も退屈も感じるのは、人間の定め。それでいいんだ。
その上で、私たちは日常を楽しまなければならない。
どんなことにもそこにはどんなワクワクがあるか、探し続けたい。
ただ、習慣化されたり慣れたりするとまた退屈は始まるよね。
その時その時で退屈がやってきたって気づくことが大切かな。
そして、気づいたらその退屈が消え去る何かを待つ。
そのために、本を読んだり人に会ったり、映画を見たり美術館に行ったり、自分の好きなことをする。
それを忘れちゃいけないんだ。
第二形式の暇と退屈を感じる時、私はものすごく虚しくなる。
同じ熱量で楽しめていない時、私は強く虚しさを感じる -
Posted by ブクログ
ネタバレいろいろと忙しくて本が読めないことは、人生的に暇で退屈することと矛盾することではないんだということをいろいろとちょっと複雑に書かれていた。
個人的には飽きるという言葉をよく使うけれど、
つまりもっと今とは違う生き方とかしたい、という欲でもあり、
でもそうやって今を否定してばっかではいられないので、
いろんな可能性にあふれている世の中でも、
今ここで自分が実現できる気晴らしを実践してそれを実感して毎日を送っていくことはまあまあ大事だなーと思った。
あとは、現実逃避に対しては否定的なイメージがあるけれど、
日常という現実ばかりが大事な現実ではないのかもしれないなーとあらためて思った。 -
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注の部分を抜いても400ページ超ある文庫で、断続的に読んでいたこともあり、読み終わるまでに一カ月ほど時間がかかった。このままでは読み終えることができないと思い、GW中に一気に読むことにした。
読み応えのある本だったが、哲学的な内容であるため、自分の中で消化できていない、理解できていないモヤモヤした読後感が残るのは悲しいところ。
ただ、暇と退屈についての考察は自分の経験上から、なるほどと思うところもあり、読み物としてはこの手の本としては面白いところもあった。
この本、売れているので、本当によい本なのだろうし、読んでいてもなんとなくいい本なのだろうなという気がする(そこまで自分が評価できるレベルに -
Posted by ブクログ
ネタバレただ漠然と暇と退屈の抽象的な議論がされているのかと思いながら読み始めたが、全くそんなことはなかった。これは人間の生き様を抽象的かつ具体的に議論できる根幹となる倫理学だ。であるからこそ、自分にも容易に投影できた。
時間を忘れて夢中になれることが自分には無いことをコンプレックスのように捉えてきた人生だった。「自分には何か没頭できるものがあるはずだ」「自分には天職があるはずだ」と。その退屈さに対して無理矢理に自分の進むべき方向を「決断」してきた。その決断が大きかったうえに、あまり幸福とは言えない経験を辿った過去がある故に、とても響く内容だった。
退屈さを受け入れ、思考する。そんな簡素な結論は自分には -
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安保法制や憲法改正を掲げ日本中に大きな議論を巻き起こした第二次安倍政権。そんな政権から日本国憲法を守るためには、結局天皇の一言に頼るしかなかった。保守は憲法改正を断念せざるを得ず、当初は反天皇制であったはずのリベラルもそんな天皇を利用するしかなかった。立憲民主国家において日本国民の力で守るべき憲法も天皇の力を使うことでしか守ることができなかったことは、いわば日本国民の「天皇への敗北」である。
戦後の日本人の多くは、旧帝国の第二次世界大戦時の戦争責任は否定しないものの、大日本帝国の国民ではなく戦後生まれ変わった日本国の国民として、どこか「被害者意識」を持ってしまうのはなぜか?
では日本人が本 -
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自分だったらここまでバッサリ言われると心が折れるかもしれませんが、第三者視点から見るととても面白かったです笑
國分先生が変に寄り添わず、情報不足があれば容赦なく詰めたり、独りよがりな相談であれば指摘するのは読んでいるこちらも背筋が伸びました。ただ、こういう風に言ってくれる人や機会はかなり貴重だとも思いました。
特に印象に残ったのはプラス思考のお話です。プラス思考とは考えることを放棄すること。物事のネガティブなところから目を背けることと言われ、確かにと思いました。
世間ではプラス思考=いいことだと言われがちですが、そうやって考えることを放棄するのは違う気がします。
関連しているかはわかり -
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スピノザの主著『エチカ(倫理学)』。その難解な迷宮に足を踏み入れるための地図として本書を手に取った。そこで示されていたのは、「どのように生きるか」という問いに対する、現代的で力強い視点であった。
1. 世界の捉え方:神の「副詞」としての人間
スピノザが説く神とは、外部をもたない自然そのものである。私たちは自立した個別の「名詞」ではなく、神(自然)という唯一の実体が特定の現れ方をした「様態」に過ぎない。
本書で著者が用いた「私たちは副詞のような存在だ」という比喩は、非常に腑に落ちるものだった。私たちは独立して存在するのではなく、神という存在の「あり方」を表現している一つの現れなのだ。この世界