國分功一郎のレビュー一覧

  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    【要約】
    豊かになり暇や退屈が生まれても、企業に押し付けられた消費に追われては満足に達しない。退屈と切り離せない人間本来の生を受け入れ、与えられた刺激を受動的に消費するのではなく、自ら楽しみを見出して能動的に思考しながら生きるべきである。

    【感想】
    以前は知的好奇心の赴くままに知識を得れば十分だと思っていたが、先人の考えを客観的に捉えつつ「要はどういうことか」を自分なりに突き詰めてこそ理解になるのだと感じた。

    【アクション】
    日々の習慣に流されて思考停止に陥るのを防ぐため、日常や仕事で疑問に思った対象を一つ絞り込み、徹底的に深掘りする習慣を身につけていきたい。

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    2026年08月23日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    退屈が自分のまわりにまとわりついて、何をしても離れず、耐えられなくなって救いを求めて本書を手に取る。

    退屈の理解と研究についてが本書の中心であり、興味深いのだけど、読み終えてもどうにも手応えがない。面白いのだけど。
    自分が求めていた「退屈に取りつかれた際の処方箋」ではないことがその要因だと思う。つまり、今苦しんでいて処方箋を求めている方には少し冗長すぎる本だと思う。そういう方は終盤の「結論」からまずは読んでみるといいのではないでしょうか。

    中でも「贅沢を取り戻すこと」は個人的に素晴らしい処方箋を受け取れたと感じた。食でも娯楽でも、ただ消費するのではなくて、受け取って楽しむ。そのためには必要を超えて浪費することが必要となるそうだ。
    さらに、贅沢をより楽しむには、そのための訓練や知識が必要となる。例えばワインを楽しむには、原材料や産地の特徴、歴史などを理解していれば何倍も楽しめる。

    退屈を感じたなら、贅沢を取り戻そう。

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    2026年08月23日
  • 目的への抵抗―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    自分は何かと天邪鬼な選択をとることが多い。

    なぜそのようなことをするのかを理解するヒントが本書にはあった。

    カントは直接的な善と間接的な善を分けて考えていて、前者を手段から解放されている高次のものとして捉えていた。他人からこれをやった方がいいよと勧められた時点で、それは他人の合目的性のもとで行われる善、つまり間接的な善へと回収されてしまう。そこに、目的に縛られる不自由さを感じ、ついつい逆張りの選択をしてしまうことが多かった。

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    2026年08月23日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    人はパンのみに生きるにあらず。
    豊かさを得るために浪費をしよう。
    ただし限界のない消費は資本主義の罠なので回避しよう。
    人は安定を好むが、同時に安定による退屈に苛まれる矛盾を抱える。
    人生で本当にやりたいことを見つければ、退屈しのぎは不要になる。
    解釈としてはこんなところだろうか。

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    2026年08月21日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    暇と退屈を分けて考える、これだけで色々なものが可視化される気がする。消費と浪費の違いなど目から鱗の目線があった。
    定年後の対応についての本はたくさんあるが、これ一択でもいい。

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    2026年08月17日
  • 中動態の世界―意志と責任の考古学―(新潮文庫)

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    普段の行動や感情を能動と受動という2つの区分を疑い、中動態という新しい(過去に存在していたが消えてしまった)概念を提案する。新しい概念を提案するのに、既存の概念で抜け漏れていることや過去の歴史、異国の文法などあらゆる角度から理論を固めて行く過程が凄まじい、、

    能動と受動という区分は行為の帰属先を当然のように求める。その手前にそれそのものを認知し、出来事を描写する中動的な思考があり、それを知ると認識によってもたらさせる「自由」を得られるらしい

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    2026年08月15日
  • 目的への抵抗―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    ●感想、印象に残った点
    「暇と退屈の倫理学」の方が読み応えがあった。こちらは講演ということで、読みやすくなっていて、質疑応答部分があり、よかった。

    ・すべてが目的や効率に回収されると、人間は自由でいられない。
    ・権利は、今ある状態だけを見ると「与えられていて当然」に見えるけれど、実際には先人が権力と衝突し、ときには命まで失いながら勝ち取ったもの。一度手放すと単にゼロへ戻るのではなく、「その権利は、なくてもよいものだった」となる可能性があることが危険
    ・死者の権利について、どこまで生者が語っていいのか
    ・目的への手段は100%正当化される、されてしまう
    ・無目的の魅力


    ●本概要

    「ただ生きている」。本当にそれだけでいいのだろうか――。
    自由は目的に抵抗する。そこにこそ人間の自由がある。にもかかわらず我々は「目的」に縛られ、大切なものを見失いつつあるのではないか――。コロナ危機以降の世界に対して覚えた違和感、その正体に哲学者が迫る。ソクラテスやアガンベン、アーレントらの議論をふまえ、消費と贅沢、自由と目的、行政権力と民主主義の相克などを考察、現代社会における哲学の役割を問う。名著『暇と退屈の倫理学』をより深化させた革新的論考。

    【目次より】

    はじめに――目的に抗する〈自由〉

    第一部 哲学の役割――コロナ危機と民主主義
    コロナ危機と大学、高校/自己紹介/近くにある日常の課題と遠くにある関心事/自分で問いを立てる/ある哲学者の警鐘/アガンベンの問題提起/「例外状態」と「伝染病の発明」/アガンベンという哲学者の保守性/第二の論考/三つの論点(1)――生存のみに価値を置く社会/三つの論点(2)――死者の権利/保守主義/考えることの危険と哲学すること/社会の虻として――哲学者の役割/三つの論点(3)――移動の自由の制限/支配の条件/ルソーの自然状態論/支配の複雑性/移動の自由と刑罰/日本国憲法における移動の自由/政治家と哲学者――メルケルとアガンベン/アンティゴネ、そして見舞うという慈悲/殉教者と教会の役割/行政権力とは何か/行政権が立法権を超える時/二〇世紀最悪の「例外状態」/ヴァイマル期/改めて三権分立について

    【質疑応答】
    移動の制限はある程度仕方がないのでは?/日本ではどのような制限を行政権に加えるべきか?/なぜ人々は自由に価値を置くことをやめたのか?/出発の自由と到着の自由があるのでは?/高校生が将来のためにやっておくべきこととは?/日本で健全な政治を行うために必要なこととは?/警告が届かないのはマスメディアのせい?/生存以外の価値を人々は求めているのか?/死者の権利とは?/テロリズムの脅威は?/マスクを着けたくない人々についてどう思いますか?/哲学者はどこまでその役割を求められるのか?/どうすれば話し相手を増やしていくことができるか?/主張を訴えたとして、社会は変わるものなのか?/「死者の権利」を生者が語るのは傲慢なことではないか?/現代は死生観が昔よりポジティヴになったのか?/今日高校生とのやり取りで感じたことは?

    第二部 不要不急と民主主義――目的、手段、遊び
    前口上/日本では炎上しなかったアガンベンの発言/「不要不急」/必要と目的/贅沢とは何か/消費と浪費/消費と資本主義/浪費家ではなくて消費者にさせられる/イギリスの食はなぜまずくなったのか?/目的からはみ出る経験/目的にすべてを還元しようとする社会/目的の概念/目的と手段/チェスのためにチェスをする/すべてが目的のための手段になる/ベンヤミンの暴力論/「目的なき手段」「純粋な手段」/カップ一揆とルール蜂起/ベンヤミンの思考のスタイル/キム少年――再びアーレントについて/無目的の魅力/官僚制と官僚支配/自由な行為とは何か/動機づけや目的を超越すること/遊びについて/パフォーマンス芸術/政治と行政管理/遊びとしての政治とプラトン/社会運動が楽しくてはダメなのか/まとめ

    【質疑応答】
    コロナ危機と自由の関係について/責任について

    おわりに

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    2026年08月08日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    ネタバレ

    『暇と退屈の倫理学』を読んで

    國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』を読んで、私は退屈というものを、単に「することがなくてつまらない状態」と考えていたことに気づいた。本書では、退屈は人間の欲望、労働、消費、幸福、さらには自由の問題と深く結びついている。とりわけ印象に残ったのは、人間は暇を得れば自然に幸福になるわけではなく、むしろ暇をどのように過ごせばよいか分からないために退屈するという指摘である。

    パスカルは、人間は静かに自分自身と向き合うことに耐えられず、退屈から逃れるために気晴らしを求めると考えた。仕事、遊び、社交、賭博などに夢中になるのは、それ自体が目的だからというより、自分の有限性や死、不安について考えずに済むからである。この考えは、現代のスマートフォンやSNSにも当てはまるように思う。私自身、少しでも時間が空くと、特に目的もなく動画やSNSを見てしまうことがある。その行動は本当に楽しみたいからではなく、何もしていない時間に耐えられないからなのかもしれない。

    これに対してラッセルは、退屈を完全に排除しようとすることが、かえって人間を幸福から遠ざけると考えた。刺激を求め続けると、同じ刺激では満足できなくなり、さらに強い刺激が必要になる。穏やかな生活や継続的な学びを楽しむためには、ある程度の退屈に耐える力が必要である。この議論から、幸福とは刺激の多さではなく、日常の中から満足を受け取る能力に関係しているのだと感じた。

    本書における「浪費」と「消費」の区別も興味深かった。浪費とは、必要以上のものを受け取り、それを十分に味わうことである。一方、消費とは、物そのものではなく、それに付けられた流行や地位、個性といった意味や記号を求める行為である。食事や音楽を心ゆくまで楽しむ浪費には、満足による終わりがある。しかし、記号を追い続ける消費には明確な終わりがない。そのため、現代人は多くの物を持っていても満足できず、次の商品や情報を求め続ける。

    有閑階級と労働者階級の議論からは、暇そのものが必ずしも自由を意味しないことが分かった。有閑階級は、働かないことや浪費できることを社会的地位の象徴として示した。一方、労働者階級は長時間の労働から解放されても、疲労や習慣によって自由時間を主体的に使えず、用意された娯楽を消費して暇を埋めることがある。人々は自由時間を得るために働いているはずなのに、得られた時間を楽しむ方法が分からない。この矛盾は、現在の私たちの生活にも残っていると思う。

    また、ユクスキュルの「環世界」という考え方は、退屈を別の角度から理解する手がかりになった。それぞれの生物は、同じ物理的空間に存在していても、自分にとって意味のある刺激によって構成された異なる世界を生きている。人間も、知識、経験、関心、職業などによって異なる環世界を生きている。同じ森を見ても、植物学者と写真家では見えているものが異なる。つまり世界が退屈なのではなく、自分が世界から意味を受け取れなくなっている場合があるのである。

    人間は学習や経験によって環世界を広げることができる。音楽を学べば、それまで聞き分けられなかった音の違いが分かるようになり、植物を学べば、単なる草むらが多様な生命の集まりに見えてくる。退屈を乗り越えるために必要なのは、刺激を増やすことではなく、同じ世界からより多くのものを受け取れるようになることなのだと思った。

    ハイデッガーは退屈を三つの段階に分け、特に「深い退屈」を重視した。深い退屈では、特定の対象ではなく、世界全体が意味を失ったように感じられる。しかし彼は、この状態を単なる苦痛とは考えず、人間が日常の役割や目的から離れ、存在そのものに向き合う契機と捉えた。この考えから、退屈は避けるべき失敗ではなく、自分が何を望み、どのように生きたいのかを問い直す時間にもなり得ると分かった。

    ただし著者は、退屈から逃れるために、強い使命や大きな決断へ向かうことには慎重である。人は自分を強く刺激し、方向づけてくれる思想や集団に引き寄せられる危険があるからである。本書が提案するのは、退屈を劇的に克服することではなく、物や文化を十分に楽しむ力を身につけることである。

    私は本書を通して、自由とは何にも縛られないことではなく、何かに夢中になりながら、必要なときにはそこから離れ、別の世界へ移ることのできる状態なのだと考えるようになった。退屈を消費によって埋め続けるのではなく、本を読むこと、音楽を聴くこと、学ぶこと、人と話すことを丁寧に味わう。そのための知識や経験を積み重ねることが、暇を本当の意味で享受することにつながるのだと思う。

    『暇と退屈の倫理学』は、退屈をなくす方法を教える本ではない。むしろ、なぜ自分は退屈するのか、何を本当に望んでいるのか、与えられた時間をどのように生きるのかを問いかける本である。これからは退屈をすぐにスマートフォンや娯楽で埋めるのではなく、一度立ち止まり、自分がどのような世界を生き、そこから何を受け取っているのかを考えてみたい。

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    2026年08月03日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    参考文献の膨大さと難解な引用文に怯みそうになったが、著者と一緒に暇と退屈にまつわる思考を辿っていくと、だんだんと社会と人間がみえてくる様が面白かった。増補版にあてて追加された章もとても興味深かった。

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    2026年07月30日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    料理が好きだ。得意ではないが。特に家で一人で晩酌をするとき。食べることだけが目的ではなく、話し相手もいない単独飲酒時の手慰みとしてちょうどいいのだ(無駄を結構愛するので、こういった類のことを自分では積極的手段の目的化と呼んでいる)。とか思ってたけど、これ、退屈の第二形式の中にあって、気晴らしを享受している・浪費して贅沢ができているんだね~。料理という行為そのものの楽しさ、忙しい日常の中の必須行為ではなく、余暇での料理。

    「こだわりとは、自分の好きなことを知っているだけ」(シトロエン)って言葉が好きなんだけど、自分にとって何が楽しいかを知るというのは通ずるところがある。教養がないと楽しめない事柄だけではなく、何がおいしく感じるか等の身体的なものにも訓練が必要、と本書。そんで歳食っていく分、経験してこなれていくんだろうな。大AI時代、自分のアイデンティティのためにも、この哲学を大事にしていきたい。
    人間が悩まずにいられないのは、退屈を退屈のまま享受できないからなんだな。
    ぼーっと生きていたくないけど、ぼーっと生きていきたいぜ。

    ---
    以下メモ
    ・遊動生活から定住生活になったことで退屈が課題になった(人間の持つ「優れた探索能力」を持てあます/遊動生活はちょうどいい負荷)=退屈という悩みは人類の生活様式の大きな変化とかかわっている
    ・「暇」=客観的な条件 「退屈」=主観的な条件 四象限的に表すことができる(有閑階級の品位あふれる閑暇)
    ・暇なき退屈とは?消費社会と退屈の結びつきで説明される(消費は退屈を紛らわすために行われるが、同時に退屈を作り出してしまう)
    ・「本来性なき疎外」がベースの枠組みとして考えられるべきだが、ありもしない本来性を追い求めることで、消費社会と退屈が助長される?
    ・ハイデッガーの三つの退屈の形式(第一形式=何かによって退屈させられること 第二形式=何かに際して退屈すること 第三形式=なんとなく退屈…このループ)
    ・人間は動物と違い、高い「環世界移動能力」を持つ

    ★贅沢を取り戻す=贅沢とは浪費すること=浪費することとは必要の限界を超えてものを受けとること(現代社会では浪費家ではなく消費家にしかなれない/消費の対象はものではなく観念(それも資本社会・消費社会によって作られる)なので、満足できないので消費を繰り返す/浪費はものを受け取り、満足ができる)
    ★贅沢の中で、「動物になること」=自分がなににとらわれるのかを知る営み(人間と動物の違いは、環世界の移動能力。どの世界で動物のように一つの世界にひたって、退屈しないでいられるのかを知る)
    ★暇と退屈の中で、どう生きるのか

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    2026年07月31日
  • 天皇への敗北―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    民主主義なき立憲主義は空虚であり、立憲主義なき民主主義は盲目である、この意味合いを理解する機会となった。また、憲法学における飛び地問題についても、昨今の議論を俯瞰する上で、とても参考になった。

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    2026年07月27日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    自分の読書履歴をChatGPTに入力して勧められたのがこの本。
    読んでると思ったけど読書履歴になかったたので…。と言われちゃうと読むしかないなとw。
    東大京大生に一番読まれた本、と言えば自分の記憶では外山滋比古さんの「思考の整理学」だったけど、今は「暇と退屈の倫理学」なのかぁ。時代は変わる。
    久々のガチンコ哲学の本。
    暇な時、退屈な時に感じる理解しにくい不快な感覚、自分の感覚を言語化してくれるのかな?と期待して読んだが、なんかしっくり来ず。
    後書きには少し納得。

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    2026年07月12日
  • 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

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    自己の環の中の出来事しか認識できない。自分が認識できていないだけで、この世界は想像もできない形をしているのかも。実は真っ暗な世界かもしれない。なんだかワクワクする。

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    2026年07月11日
  • 天皇への敗北―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    ネタバレ

    難しかったです。
    気付きとしては、私なりに言語化する。
    誤読してたらすいません。
    憲法では、立憲主義と民主主義のバランスを取れることが、日本国民に求められている。民主主義に偏り過ぎ、戦争への兆しが見えた時、立憲主義へ大きく寄せたのが天皇だと見た。結果的には、天皇に頼ってしまって、日本国民は成熟できてはいないことが分かった。
    この日本国民の未成熟について深掘りすると、日本国憲法の制定に主体性が持てていない、ねじれが存在する。
    主体性が持てないことは、当時の天皇をはじめとした日本国の正式な加害性の謝罪が明瞭化されなかった。ねじれは基本的人権を天皇が持てない憲法条文になっている飛び地状態であることに国民は認識していないでいること。
    気になるのは責任無能力者とは何だろうか?
    印象に残ってるのは、加害者は被害者意識があり、加害性の認識ができていないことです。確かに先の大戦の日本政府の意見の雰囲気も被害者っぽい印象を受けますし、教育も自国の被害について誇張して伝えていたかなと思い返す。
    そう思うとみっともないな、恥ずかしいと思う。日本国民のマインドにこの被害者意識がデフォルトになっているのは、なんとなくわかる気がする。靖国参拝時に報道される中国の発言もわかる気がしてきた。
    戦争が続くのはこのような加害者の被害者意識というのも大きく関係しているのかもしれない。
    今の世代も関係ないとは言えないと感じた。

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    2026年06月21日
  • 天皇への敗北―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    ・民主主義と立憲主義の緊張関係
    ・民主主義のみではだめp56
    ・P68 天皇への敗北
     天皇による護憲的立場に頼ってしまっている
     (天皇はそもそも憲法に内蔵されている仕組み)
     安倍政権時 憲法秩序が危機を迎えた際、
     民主主義的な手段での対抗はほとんど力を持たなかった

    →メモ:天皇は家父長制の頂点にある存在であり、その意味で象徴天皇制の廃止を求める意見もある。が、憲法秩序の維持において天皇が果たしている役割を知り、天皇制廃止する・しない と短絡的に考えることはできないなと思った

    ・P123 戦後 という観点で考えないこと
     それはゼロの出発を想定することになり、主体として戦争責任を引き受けることはできない
     加藤の指摘:現代と戦前の日本との連続性の欠如 
     連続性をどうつくるか(自己欺瞞をどうなくすか)
    ・P135 アクチュアルな問題に取り組むことによって、連続性を作る

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    2026年06月20日
  • 天皇への敗北―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    タイトルこそ天皇だけど、語られる大半は憲法と文学。作者自身は哲学者なので自説を滔々と語るのではなく、感じたことを発言していくスタイルが信頼できるとともに読みやすい。読み終えて日本人はそろそろ天皇から卒業・自立しないといけないのではと改めて思いました。

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    2026年06月15日
  • 天皇への敗北―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    大好きな國分功一郎さんの新刊
    もちろん読ーーーむ!

    しかし最近わいは保守派への転向を明言してるのだが、よく考えたら國分功一郎さんもゴリゴリのリベラルなんよな
    ゴリゴリのリベラルの人を大好きと言ってしまう保守派ってなんやねん!っていうね

    まぁ、いいじゃないか
    あっちにふらふらこっちにふらふらでもいいじゃないか
    それがわい

    今回の國分功一郎さんは憲法について考察する
    そこから戦後の責任論や天皇制についても言及している

    あ!本作でも加藤典洋さんの『敗戦後論』を取り上げてたな
    どっかで読まねばなるまいね

    そして天皇制な
    天皇に基本的人権ないやないか!というのが論点のひとつになっていて、もちろん「天皇は例外」って位置付けなんだけど、そこはもっと明確にして国民の中でそれで良いのか悪いのか考えるべきだ!と仰っている

    あれ?明確になってない?なってないかな〜

    いずれにせよ左派はすぐ「天皇かわいそうじゃね?」に持っていって「こんなどいひーな天皇制やめようぜ!」に繋げようとするんよ

    で、わいはと言うと、天皇陛下たいへんだな〜と思うけどやっぱ天皇制は続けたい
    だってそれが(理屈抜きで)日本だと思うから
    勝手なこと言ってるとは思うので、せめて感謝の気持ちは忘れないようにしたいな

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    2026年06月14日
  • 目的への抵抗―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    元々が講和なので、オーディブルの視聴に向いていた。
    手段というものが目的のために 絶対化されることは自由を損なうことなのだという らしい観念。あらゆる意味での遊びが人生を豊かにするという新しい観念。物事のためだけの物事こそが贅沢というこれはなんとなくわかっていたのだが 明文化された。消費をすることが生存のみを目的とした生き方。浪費をすることが リバティとしての生き方。全体的にロックンロールを感じる。

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    2026年06月13日
  • 天皇への敗北―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    途中で読んでる本がなくなるってのはあるんだけどこの本なくなった。暇と退屈のから入った私というか、みんなだいたいそうだと思うけど、からするとまあ軽くはない話題だよね。まあテキストに対する考察と言えるかもしれん。途中でなくなったのでまあ読まれなかった手紙的なことなのか?違
    僕のキリスト教に対しての興味は、バイブルスタディというようなサークル活動!が成り立つのかという引っかかり、正しくなくても勝てばいいというディベートの文化、聖書に書かれてるわけじゃねえから変えていいんだって言い回し、it doesn’t make senseという言い回しとかをひっくるめた英語と日本語の違いのもとなんだろう。みたいなことなんだけど。憲法の正当性とは何か?って考えるとこれは日本のバイブルスタディにはなるわなって感じなわけ。そして、ジャンプとかで論理鍛えられている日本のマーケットであれば憲法漫画とかワンチャンいけんじゃね?つて思った。面白いよ。まあ新書っていいよねって感じ!

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    2026年06月07日
  • 目的への抵抗―シリーズ哲学講話―(新潮新書)

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    目的と手段から脱する。遊びのように行える。それこそが人間を作る。目的に追われない。それで体を硬くしない。しなやかに

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    2026年05月31日