國分功一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
1. 「暇」と「退屈」は別物である
暇:客観的な条件
(=やることがない時間、自由な時間)。
退屈:主観的な感情(=何かしたいのに、したいことがなくて苦しい状態)。
2. ハイデッガーの「退屈の3つの形式」
第1形式:何かに「よって」退屈させられる
駅で電車を待っている時の退屈。時間が経つのが遅く感じられ、早く過ぎ去ってほしい状態。
第2形式:何かの「際に」退屈する(←現代人はこれ!)
楽しいはずのパーティーに参加しているのに、ふと心に押し寄せてくる虚しさ。満たされているはずなのに、何かが足りないと感じる現代人特有の退屈。
第3形式:なんとなく退屈だ
特定の原因があるわけで -
Posted by ブクログ
ネタバレ難しかったです。
気付きとしては、私なりに言語化する。
誤読してたらすいません。
憲法では、立憲主義と民主主義のバランスを取れることが、日本国民に求められている。民主主義に偏り過ぎ、戦争への兆しが見えた時、立憲主義へ大きく寄せたのが天皇だと見た。結果的には、天皇に頼ってしまって、日本国民は成熟できてはいないことが分かった。
この日本国民の未成熟について深掘りすると、日本国憲法の制定に主体性が持てていない、ねじれが存在する。
主体性が持てないことは、当時の天皇をはじめとした日本国の正式な加害性の謝罪が明瞭化されなかった。ねじれは基本的人権を天皇が持てない憲法条文になっている飛び地状態であることに -
Posted by ブクログ
・民主主義と立憲主義の緊張関係
・民主主義のみではだめp56
・P68 天皇への敗北
天皇による護憲的立場に頼ってしまっている
(天皇はそもそも憲法に内蔵されている仕組み)
安倍政権時 憲法秩序が危機を迎えた際、
民主主義的な手段での対抗はほとんど力を持たなかった
→メモ:天皇は家父長制の頂点にある存在であり、その意味で象徴天皇制の廃止を求める意見もある。が、憲法秩序の維持において天皇が果たしている役割を知り、天皇制廃止する・しない と短絡的に考えることはできないなと思った
・P123 戦後 という観点で考えないこと
それはゼロの出発を想定することになり、主体として戦争責任を引き -
Posted by ブクログ
大好きな國分功一郎さんの新刊
もちろん読ーーーむ!
しかし最近わいは保守派への転向を明言してるのだが、よく考えたら國分功一郎さんもゴリゴリのリベラルなんよな
ゴリゴリのリベラルの人を大好きと言ってしまう保守派ってなんやねん!っていうね
まぁ、いいじゃないか
あっちにふらふらこっちにふらふらでもいいじゃないか
それがわい
今回の國分功一郎さんは憲法について考察する
そこから戦後の責任論や天皇制についても言及している
あ!本作でも加藤典洋さんの『敗戦後論』を取り上げてたな
どっかで読まねばなるまいね
そして天皇制な
天皇に基本的人権ないやないか!というのが論点のひとつになっていて、もちろ -
Posted by ブクログ
2025/11/27 暇と退屈の倫理学
環世界と習慣。考える。
マダニは、動物を動物と見ていない。
1.枝に登る。
2.酪酸の匂いを待つ。
3.ジャンプする。
4.血が吸える場所を探す。
この4ステップを機械的に生きる。2が15年もある時がある。これがマダニの世界。アルゴリズムで記載できる世界を環世界と言う。
人間は多くの環世界を行き来する。
習慣というのは、考えることなく処理できるショートカットである。環世界をうまく生き抜くための、いらないものを省くことである。人間は考えたく無い。だから、イレギュラーが発生して、環世界を変形させる必要がある場合、初めて人間は考える。考える対象は、環世界のカ -
Posted by ブクログ
本書は、暇と退屈の関係を哲学的に考察し、現代人が消費によって退屈を埋めようとするあり方を問い直したものである。
現代社会では、人はかつてないほどの暇を手に入れたが、その使い方が分からず退屈に苦しんでいる。著者は、私たちが娯楽を消費することでしか退屈を埋められなくなっている状況を「暇の搾取」と捉える。消費は一時的な満足を与えるが、人間を根本的に満たすことはできず、さらなる消費へと向かわせる。
こうした分析の中で対比的に示されるのが「浪費」という考え方である。これは規範というよりも、消費とは異なる生き方の一つとして示されている。目の前のものを消費するだけでなく、その豊かさを味わうことを意味して -
Posted by ブクログ
途中で読んでる本がなくなるってのはあるんだけどこの本なくなった。暇と退屈のから入った私というか、みんなだいたいそうだと思うけど、からするとまあ軽くはない話題だよね。まあテキストに対する考察と言えるかもしれん。途中でなくなったのでまあ読まれなかった手紙的なことなのか?違
僕のキリスト教に対しての興味は、バイブルスタディというようなサークル活動!が成り立つのかという引っかかり、正しくなくても勝てばいいというディベートの文化、聖書に書かれてるわけじゃねえから変えていいんだって言い回し、it doesn’t make senseという言い回しとかをひっくるめた英語と日本語の違いのもとなんだろう。みたい -
Posted by ブクログ
ネタバレ哲学というのは、ここまで日常的な概念(意志/責任)を深く掘り下げられるのかと感じさせられる。確かに自分たちは「意志」という概念を能動的なものとして捉えているし、これを責任をもたらす重要な概念として捉えている。しかし、あくまでも意志は無数のファクターにより導かれた結果であり、完全に能動とも受動とも言えず、故に中動態という忘れ去られた態を参照し直す必要がある。これに取り組んだ一冊。
「意志」を純粋な能動と捉えることは、即ち過去との断絶(影響したファクターの無効化)を意味し、これはある種の全能感をもたらす。しかし神ではない人間はあくまで中動態の世界に生きており、様々なファクターの影響を受けつつ、自由