「中動態の世界」で、言語に残る先人達の思考の痕跡を考古学よろしく探ってみせた著者の思考はとても数学的だ。数学的という言葉で自分が意味したいのは、ユークリッドの示した思考方法に倣ったものということで、「点」や「線」などの「定義」を示した後、誰もが真理と考えることのできる「公理」を構築し、そこから「定理」を導き出し「証明」する、というもの。哲学といえば「デカルト」な訳だけれど、デカルトもまたそのような「公理系」に則した思考をした偉人だし、いわゆるXY座標系(Cartesian座標系などとも言われるが、DesCartes[ラテン語名Cartesius]が提唱したことに因んでの名称)で知られるように数学にも足跡を残している。哲学的な考察を重ねることとはすなわち普遍的な真理を求めることであり、その為には不動の一点(デカルトにとっての「Cogito ergo sum」のようなもの。実際にはフランス語で記した「方法序説」の中の「Je pense, donc je suis」らしいが、どうしても「コギト」と参照されるよね)から命題を証明していくという道筋は数学的になる訳だ。その國分が「読む人」と称するスピノザもまたデカルト的な(すなわち数学的な)思考を積み重ねた人であったことが本書からこれでもかと伝わってくる。