國分功一郎のレビュー一覧
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ネタバレ國分功一郎と古市憲寿。この2人の論客に共通するイメージは「中性的、もしくはフェミニン」な感じじゃないだろうか?「社会の抜け道」という一見、硬そうな政策論かと思わせるタイトルなのに、いきなり「IKEA, コストコ、ショッピングモール、農場→料理」と来る。さらに、デモ、公園、遊びときて、保育園→主婦論へと進む。
徹底的に「日常生活」を出発点として話が進んでいくのですごく読みやすい。それで、随所に哲学的考察が入って来るので勉強になる。哲学が生活と切り離されていた学問として形骸化していったのに変わって台頭してきた社会学。でも、社会学書をいくら読んでも読み応えはなかなか味わえないわけだが、この本はサク -
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至る所でひずんでしまっている社会。しかし、自分だけでは、自分の周りにいる人たちだけではどうにもすぐには変わりそうもない。
けれども、人間を天蓋のように覆っている制度や構造も完璧ではない、実は色んな所で水漏れをしている。
得てして人は革命や劇的な変化を望んでしまうけれども、水漏れから覗く半径1メートルのアクチュアルな世界を、少しずつずらして変化させていくしかない。
古市さんは現状をシニカルに観て肯定しているだけの社会学者だと思われている節があるけれども、むしろ現状を深く読み込み、そして読み替えた結果として現れたそうした社会の水漏れを大切に取っておこうとしているだけなのだと思う。國分さんが、そう -
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暇で退屈な時に読むべき本。退屈でもないのに「売れてる本だから読んでみよ〜♪」などというミーハーな気持ちで読んではいけない。「退屈」はそれ自体が恵まれたことであり「自由」であることなのだから。
とはいえ著者の主張は納得感もあり面白かったです。退屈は人類が定住生活を始めたためにエネルギーが余っているから感じる避けがたい感情であること。ハイデッガーは「退屈」は「自由」であることの査証であり、その時には「決断」するべきであるという(…なにを「決断」するんだろうね)。それに対し著者は、それでは何かの奴隷になる事に等しく、人間は「パーティーのような気晴らしを(時に退屈さを感じながら)楽しんでいく方が良い -
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●意志と責任について、思考の拠り所となる言葉の側面から考え、能動態と受動態の対立からなる思考ではなく、どちらにも属さない中動態から意志と責任をめぐる諸問題を分析した本。
●非常に読み応えのある本だった。本書のキーワードは、「中動態」と呼ばれる聞きなれない言葉だ。現在の文法には、能動態と受動態があるが、かつては受動態ではなく中動態が機能しており、のちに中動態から派生して受動態や自動詞が生まれたと本書では解説している。本書では、意志という概念を否定して、中動態の世界における責任のあり方を提示した。意志とは、何某かの加害行為について帰責性を問うために、突如出現する無根拠な概念であると説明する。このよ -
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スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど歴代の哲学者や思想家の意見を山ほど引用し、現代消費社会における退屈の問題を考える。
消費社会では人は市場にある物やサービスの中から選ぶことに慣れてしまい、本当に欲しいものを自ら欲することができなくなってしまった。つまり資本主義社会が作ったものをひたすら消費するだけの社会になってしまった。労働者は時間を束縛され業務と休暇を与えられる。休暇と言いながら強迫観念で旅行やイベントの予定を押し込む。どうも我々は制約のある社会の中で、当たり前のように縛られて生きていることを自覚しないといけないようだ。
人間は太古の昔に定住化するようになるとともに様々なル -
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『目的への抵抗』の続編。哲学講和シリーズ。本著ではカントに焦点を当てつつ、享楽や嗜好について哲学的に深堀りしていく。資本主義により飽くなき欲望が喚起されるーーそんなフェーズすらもZ世代以降は飽きて、悟りつつある。では人間生活の根幹となる仕事はどうなるのかといえば、生成AIの台頭で、ホワイトカラーを中心に人間の仕事の本義が問われている。一面的にみれば、エッセンシャルワークをはじめとして、ブルーカラー領域での仕事が需要面だけをみれば重要性を相対的に相対的に増しているように見えるが、話はそう単純でもないのだろう。そうした経済合理性から距離を置いた上で、もう少し違った位相から人間の本源的な欲求や感覚の