國分功一郎のレビュー一覧
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スピノザを専門とする哲学者が、地域開発計画への個人的な関わりを題材にして、民主主義についての考察とその実践への手掛かりについて、新書読者層へ訴えた本。國分は、武蔵野の風情の残る雑木林が、道路新設計画で無くなろうとすることに反対し、行政との折衝を通じて、「民主主義」が人々には誤った形で認識されていると考えるに至った。間接民主主義における議会は、立法府として主権を表わす機関には違いないが、そこでは法を作るのであり、実際の行為を意思決定するのは行政である。ところが主権者である地域住民が、個別の事案で行政に対して対等に交渉できる仕組みがない。
これを解決するために、住民投票の制度の改良や、ファシリテー -
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車両通行が減りつつある中で、なぜか東京都小平市に50年前の道路建設計画が復活。住民の憩いの場をつぶして幹線道路を作るという計画に住人が反対、住民投票が行われるが…
住民の生活に直接影響を与える決定は、議会よりも行政で決定されている現実があって、従来では住民の行政への参加は首長の選挙という形が取られてきた。
しかし、ここに来て住民投票やオンブズマン制度などの行政への参加法が確立されてきたが、さらに多くの手段が必要なのではないかというのが筆者の主張。
議会制民主主義を肯定して、新たな制度を作ることを「強化パーツをつける」と表現している。革命は必要なく、変化が必要なのだというのがすごく腑に落ちた -
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ネタバレ國分功一郎と古市憲寿。この2人の論客に共通するイメージは「中性的、もしくはフェミニン」な感じじゃないだろうか?「社会の抜け道」という一見、硬そうな政策論かと思わせるタイトルなのに、いきなり「IKEA, コストコ、ショッピングモール、農場→料理」と来る。さらに、デモ、公園、遊びときて、保育園→主婦論へと進む。
徹底的に「日常生活」を出発点として話が進んでいくのですごく読みやすい。それで、随所に哲学的考察が入って来るので勉強になる。哲学が生活と切り離されていた学問として形骸化していったのに変わって台頭してきた社会学。でも、社会学書をいくら読んでも読み応えはなかなか味わえないわけだが、この本はサク -
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至る所でひずんでしまっている社会。しかし、自分だけでは、自分の周りにいる人たちだけではどうにもすぐには変わりそうもない。
けれども、人間を天蓋のように覆っている制度や構造も完璧ではない、実は色んな所で水漏れをしている。
得てして人は革命や劇的な変化を望んでしまうけれども、水漏れから覗く半径1メートルのアクチュアルな世界を、少しずつずらして変化させていくしかない。
古市さんは現状をシニカルに観て肯定しているだけの社会学者だと思われている節があるけれども、むしろ現状を深く読み込み、そして読み替えた結果として現れたそうした社会の水漏れを大切に取っておこうとしているだけなのだと思う。國分さんが、そう -
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ネタバレ今の自分にこれ以上の評価をつける哲学に対する知識を持ち合わせていない。もっと哲学に対する造詣が深くなれば、あと⭐️2つはつけれるだろう。
とはいえ、⭐️3つ分の内容を以下に記したい。
習慣化することは、ある環世界に浸ることだと考える。ただ、習慣化しただけでは退屈してしまうので、人は新しいものを取り入れる。
この流れ自体が、1つの環世界となると、常に新しい物事を取り込みながらも、退屈のしない幸せな生活が待っているんじゃないかと感じた。
特に、自分自身が「習慣化」をテーマに生活をしているので、これからもこの本に書かれたことを指針の1つにしていきたい。 -
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難しい!
この本の中では今までの常識を捨てて考えなあかんから読み進めるのに時間がかかった。
日本語を使いながら英語勉強してる時みたいな、量子力学の授業聞いてんのかなとかそんな気分。
途中で著者が分かりやすい例を持ち出してくれた時なんかはちょっと理解できた気がしたけど。
例えば「物思いに耽る」とか「人を好きになる」なんかは能動受動では表せない言葉の例として出てきた。
「責任のある世界は、人が人に応答する世界である」
「銃身からは決して生じえないもの、それは権力である」
何個か熱い文章もあった。
責任を問うときに感じる感情を無碍にしてもいけないし、無罪放免にするわけでもないけど、一旦「近代的 -
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最近YouTubeで政治系の動画にハマりまくっております
政治おもろい
という訳で、またしても國分功一郎先生に教えを乞う
政治動画を見るときの視点に深みとコクが加わるに違いない
コクってなんやねん
本書は政治哲学の基本概念をホッブズ、スピノザ、ルソー、ヒューム、カントといった先人たちの中に見出していく構成
最も印象に残ったのは國分功一郎先生がカントを評して言った「ヒューモラス」というカタカナ語だったりする
意味はユーモアであるとかってことで、英語で書くと「humorous」
発音の通りにカタカナ語になったわけだが…
「humor」はなんでユーモア?ヒューモアじゃなくて?
「humoro