【感想・ネタバレ】来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題のレビュー

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来るべき民主主義
国民主権は主権者である国民が立法権を持つことだと定義されている。近代国家は統治の規範を公開性の高い法に求めてきたためである。しかし、行政府が立法府の定めた法の執行機関に過ぎないという前提が崩れ、行政府が立法府を超えた権力を持つ現在において、現状の国民の政治参加の方法は十分に民主的であるとは言えなくなってきている。さらに、民主主義国家では国民がいかにして立法に関与できるかのみが議論されてきたため、行政への国民の関与は制度的にほとんど認められていない。本書では、このような民主主義の欠陥に関して、小平市都道328号線建設反対の住民投票が無効化されたという著者自身の経験から論じられている。

カール・シュミットの「敵/友」の区別とアレントの多数性を踏まえた、政治とは多と一を結びつける原理的に不可能な営みであり政治の最大の危機は「敵」がまるでいないかのように振舞う時にこそ現れる、という主張が面白かった。「真に人民を代表するのは我々だけだ。」というポピュリストのレトリックは正にこの危機を表していると思った。

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2021年02月06日

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本来国民の声を幅広く聞いて実行するはずの政治が機能していない。
特に身近に溢れているインフラ整備の問題などこれまでは自民党の主導で行われてきたが、ここにきてそれも限界を迎えそうな感じがする。
本書はそうした社会構造の矛盾を市民の側から変えていく自らが引き受ける民主主義を体現しようとした若き哲学者の声である。この本に書かれているとおりにもっと市民の参加しやすい行政の構造改革が行われれば、今の任せて文句を言う体制から社会は少し脱却できるかもしれない

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2015年08月12日

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民主主義の欠陥に迫った一冊。何度も頷かされました。ぜひ誰しもに一度読んでみて貰いたいです。
「哲学に携わる者の責任とは、配達されるべき言葉を配達することだ。」と筆者も言っているように、実にこの問題をデリダなどの思想と繋ぎながらわかりやすく伝えてくれています。
優しく、熱い一冊。必読です。

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2015年06月17日

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こども・若者の社会参画について考えていて、間接民主主義やら投票率向上キャンペーンに限界があるんじゃないかでもどうしたらいいんやーみたいなことを考えていた時に先輩から勧められて読んだ。
まだ「はじめに」しか読んでないけど...
主権=立法権を前提にしている近代の政治思想や行政が決定している実態への指摘がまさしくその通り!と思うもの。政治思想を平易な言葉で解説しつつ、現実的なアプローチを提案している。さらに読み進めたい。

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2015年01月04日

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 小平市都道328号線問題のような住民問題は、マンションや道路、ダム、ゴミ処理工場、最終処分場など、問題の構図として必ずと言っていいほど、《住民対自治体(行政)》の構図が浮かび上がってきた。そして、行政をチェックする機能としての議会も、行政の取り組みを認可するだけの役割に成り下がるだけの役割しか見えてこなくなっている…。
 上記のような構図が毎回、テレビなどのマスコミで報道される。すると住民や世論は、そんな体たらくな行政を議会が正すべきだと、選挙の重要性をクローズアップする。要は「議会が機能すれば、行政が正常化する」と…。
 本書をただ、小平市都道328号線問題がいかに行政がおかしいかを指摘した本だと思っていた。だが、読んでいくと、それ以上に、問題の構図が、上記のように挙げた、「民主主義についての意識自体が間違っているのではないか」ということを抉り出す。
 近代政治哲学は、三権分立に代表されるように、「主権者が主体となって、議会、行政、裁判などに参画すれば、不備があっても少しずつ政治決定が行われて機能する」という大前提があった。だが、本書での指摘のように、議会で定められた制度や規則も、それを現実の個々の場面で判断・運用するのは行政官である。つまり、「政策決定・政治判断は、言わば、行政官の匙加減によって決められており、ここに主権者が参画することができない」ことが意識されていない。この問題がずっと置き去りにされてきたことを指摘する。それが如実に表れてしまうのが、小平市都道328号線問題のようなものと言うわけだ。
 すると社会契約説などの近代・現代政治哲学は恐るべき欠陥を放置してきたことになる。そのようなスリリングさを著者の体験と専門分野の解説を織り交ぜながら、分かりやすく伝えてくれるのが本書である。

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2014年05月11日

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ネタバレ

小平市の都道建設計画を見直す住民投票運動に参加した社会哲学者が、自分の専門である政治哲学と実践とを見事に結びつけた良書。日本の政治や行政に関する「理解不能」な部分をなるほどと解き明かしてくれました。行政権が大きな比重を占める日本では、主権=立法権という政治哲学の前提が間違っているので、住民投票やパブコメをちゃんとやりましょう、という話は目から鱗でした。お薦め。

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2014年05月03日

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ドゥルーズやデリダなどの研究を専門にする哲学者が、自らが住む小平市の道路建設に反対する運動に関わる過程で得た現在の民主主義への違和感と課題についてまとめられた本。タイトルにもなっている「来るべき民主主義」は著者が専門とする哲学者ジャック・デリダの言葉だ。「現在の民主主義を見直し、これからの新しい民主主義について考えることが本書の目的である」とのこと。

その内容を端的に言うと、実際の決定は行政機関によってなされるのに、立法権に間接的に選挙で関わることが担保されているが、行政権には公式にアクセスする手段がないということが問題だということになる。立法権の優越は、近代民主主義における欠陥だというのが著者の見解だ。そこには「多」と「一」を結びつけるというそもそも原理的に無理なことをやっているとの主張だ。

本書は小平市都道328号線施工反対を巡る市民活動がきっかけになっているが、いわゆる「市民活動」にまつわる'うさんくささ'にも触れられている。この問題は微妙な問題だ。小平市都道328号線の活動では、その微妙さに抗するために、「反対」と言う代わりに「議論への参加」を条件として住民投票を行っている。肯定的なビジョンこそが、市民運動を違うものにするための要件であるというのが、いわゆる「市民活動」を取り戻すための処方箋になるということだろう。

活動における行政とのやりとりの中では、住民投票の結果を50%の投票率がないと無効であるとの条例を住民投票の開催が決まった後に出してきたり、道路の必要性を示すためのグラフがあきらかに意図的にねじまげられた表現になっていたり、といったことが発生している。この行政機関の対応に関しては、この人たちの「動機」はどこにあるのか考えざるをえない。著者は、「住民と行政がうまく手を取り合える仕組みさえ作ってしまえば」と言う。行政も人なのであるから、その動機を知るべきだろう。組織における「体面」と「忖度」の問題がここでも発生しているのであれば、そこに対して対策を講じることが必要になる。

民主主義は、常に「来るべき」ものに留まるという。つまり、民主主義は常に改善されていく必要がある。今の制度が正であることは決してないということである。タイトルから、著者が「民主主義」のあり方を変えていく意志を見ることができるだろう。少なくとも今は「民主主義の名に値する民主主義は存在していない」のだ。完全なる民主主義はありえない。不断の改善のみが民主主義の名に値すると、そう主張しているように思える。それは行政機関にとって、困難であり、強い意志とときに組織外からの圧を必要とするものであるだろう。

具体的には審議会などの諮問機関を設けていくことを提案しているが、そこでは情報通信技術の向上の浸透による影響を考慮するべきであろう。今の間接民主主義の手法もきっと過去の技術的制約から来ている部分もあるはずである。その上で、「ツールとしての政治家」という考え方も有効である。そして同じく「ツールとしてのマスコミ」も。

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文中に「人の気持ちというのは何を言っているかというよりも、何を言っていないかを通じて見えてくるものだ。」とある。何を言っていないかは、長い時間を通してその人のことを初めて理解できるものだ。人と人とのつながりが前提になる。まさにその通りであり、また深い言葉だと思う。

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2014年03月31日

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「平易な文章で、よくもここまで上手に説明するものだ」と驚かされた良書。実に面白い!
小平市の道路開発問題という超ローカルなネタを素材にしているが、議会制民主制に対する幻想・勘違いと限界、そして議会制民主制を補完する方策のアイデア、まで幅広く論じている。自分自身の「政治」に対する向き合い方が変えられるかも。

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2014年03月19日

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豊かな社会の道しるべ : 「小さな参加の革命」(3/3) 山崎亮×國分功一郎

この対談記事を読んで、読んでみたくなりました。

民主主義の胡散臭さに自然と距離をおきたくなる自分と、民主主義国家と言われる国に住む自分にとって何らかのカタチで上手いこと理解し、自分のスタンスを固めたいと思う自分が交差する中で、この本と出逢いました。

公務員であり、また市民活動を行政職員、市民団体、有志ボランティアと協働で行っている私にとって、この本の提案は、私が可能性を見出し、実践していることと、とても重なり合う部分が多かったです。

議会の変革のみならず、住民が自ら『自分ごと』を起点として、仲間と共に政策を考え、提案し、強い力を持つ行政と意見を交わしながら政策を練り上げていく仕組み…制度…が創れたらいい。

著者は、行政権に民衆がオフィシャルに関われる制度として、住民投票、審議会などの諮問機関の改革、パブリック・コメントを挙げている。

私は、それらの充実に加え、行政側に自治体内シンクタンクの立ち上げ、プロジェクトチームによる課題解決制度の創設、市民側に政策研究会の設立と政策提案制度の制定を挙げたい。

住民、市民と行政が互いに問題解決のために共に話し合い、議論し、政策を練り上げていく仕組み…制度をカタチ創って行きたいと改めて思った。

そのためには、行政の言葉と市民、住民の言葉を翻訳し、上手いこと絡め合いながら物事をじわりじわりと推し進めていけるファシリテーターが必要になる。

著書の中で、そのことについては、後半の住民参加ワークショップにおけるファシリテーターの役割以降で、述べられています。

この内容については、山崎さんの『コミュニティデザイン』、『コミュニティデザインの時代』を参考に‼

その他、政治を突き詰めれば、敵か友か…多と一を結びつける困難な営み…制度が多いほど、人は自由になれる…など、読み応えある部分がたくさんありました。

きっけとなった対談はコチラ

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2013年11月27日

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立法と行政の観点から、民主主義について改めて考えさせられた。実質行政権が決定権あるのではと言う点について、感覚としてはわかっていたが、明確に言語化して整理ができたと思う。
民主的と民主主義の違いについて、感覚的、概念的と言った視点違いでの説明など、スッと腑に落ちる理解ができた。

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2022年11月09日

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そうだよね、めざすものなんだよね。
何にでも当てはまる話。

思想というのは、それほど普遍的なのだと教えてくれた。

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2022年06月29日

Bec

購入済み

住民参加制度を取り入れるには

政治への無関心が広がっていると言われて久しいが、行政がすべてを決めて我々市民は一つ一つの政策に関与できない体制になっていること、そして、いくら選挙で議員を選んだところで何も反映されないどころか、偉そうにふんぞり返っている議員ばかりで誰が信用できるのかなんて分からない、そんな状況じゃあ無関心になるのも当然だなと感じた。

行政からしたら、住民の意見を反映すると言ったって、誰に何人の人にどうやって意見を交わしたらいいのか難しいだろう。
ましてや怒鳴り散らす住民が一人でもいたら、会合したところでその人をなだめることだけに時間も手間も費やされるし、行政マンも人間であるから不愉快な気持ちで心を閉ざしたくもなる。そういう住民参加の会合も経験してきた。

本書に書いていた、住民の意見を反映させることのできるたくさんの制度を作ること。目からウロコの考え方だった。
だが、それを実現するためには子供の頃から学校などでそのような自分たちの意見を反映させるための話し合いや意見のまとめ方などを訓練しておかなければならないのではないか。
髪の毛の長さを決めた校則をどうするか、制服を廃止するかどうか、そんな一つのことでもいいから子供たちが意見を出し合い学校生活に反映できるような制度を取り入れたらいいと思う。
詰め込み式の勉強ばかりで、議論することを訓練してこなかったために行政側も住民側も対立する形になってしまうのじゃないだろうか。

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2020年06月04日

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ネタバレ

議会制民主主義においては、民衆の代わりとなる代議士が政治を行いますが、実際に政策などを実現するのは行政であり、その行政には独断的な強い決定権がある。つまり、この国を動かしているのは民衆が選んだ政治家ではなくて、公務員たち行政の側だというところに、日本の民主主義の欠陥があることを解説しています。そこをどうしていけば民意が反映されるのかを考えたところが、本書の一番の読みどころだと僕は思いました。法という否定的・消極的なもの、制度という肯定的・積極的なもの、という分析にはうなりましたね。だから「制度が多いほど、人は自由になる」と。ドゥルーズの制度論に依るかたちで述べられているこの部分は特にエキサイティングでした。そういった制度を増やす方向で、たとえば住民投票制度をつくり、おこなうことで、行政も民主的な方へもっていくことができる。また、最後のほうで、「民主的であるかどうか」と「民主主義であるかどうか」とを考えることの違いについて、前者が実感であり感覚的判断あるのに対して、後者が概念的判断であることの説き明かしにも膝を打ちました。そして、感覚的な「民主的であるかどうか」を考えるほうがよいのだ、とする姿勢にも教えられるものがあり、共感を持ちました。中盤などでは、なんてことないように書かれている考えが、非常にするどく人間心理をとらえていたのもおもしろかったですよ。それは、我慢をしすぎて生きていると我慢を他人にも強いるようになり、せっかく「我慢しないように社会を変えよう」と声をあげる人がいるのに、「我慢しなさい」とその人を引きずり降ろそうとするものだ、というところなどです。著者はむずかしい概念を扱う学者なのでしょうが、それを人間の実感を大事にしたかたちで語るところに、読者を惹きつけるものがあるのかなあと思いました。

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2018年05月08日

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大変重要な示唆が盛り込まれた書。かなり短期間に書き上げたらしく、それだけに「これは言いたい」という思いが強く伝わってくる。

主権者である国民が、現実的にも「主権者」であるために、何が障壁でどう乗り越えるのか、実体験に根差したその意見は実に説得力がある。
「市民運動」に対する僕の偏見が一新された一冊

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2015年05月30日

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はじめに書かれている事がこの本のすべて。

民主主義においては立法に関与する権利を国民は有している。立法をもって世の中を変えていける、そのつもりのはず。

しかし実生活では行政が物事をきめているケースが非常に多い。だから、実は政治参加しているという感覚に乏しいんじゃないかと。

この本では道路建設のケースが挙げられていたが、道路は行政の権限で建設が決まっていき、そこに住民の意見を取り入れるプロセスに欠けている。そこに不可思議さを感じるだろう。なぜ直接関係者の住民は口を挟めないのか、と。

確かに、と思わせる内容だった。

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2014年10月16日

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前半は非常に興味深く読むことができました。

昔、小平に住んでいたこと、話題になっている都市計画道路についての本だったので、手にとってみたのですが、読んで良かったと思っています。

立法と司法の関係や、住民投票の投票率をもって開票をしないという行為について考えさせられました。
改めて再読してみたい本です。

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2014年05月06日

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小平市における都道建設に伴う住民投票を中心に、参加型民主主義の在り方について論じた本。

たとえば道路を建設する際には、東京都などの自治体が計画を策定し、小平市などの基礎自治体に照会した上で建設が決定され、住民向けの説明会が実施される。

このプロセスについて、おかしいと感じるかどうか。つまり、決定されるまでのプロセスには住民の意思が介在する余地はなく、説明会は建設が決定事項として一方的に通達されるだけである。

小平市においては、この都道建設計画に反対するというよりも、プロセスに主権者たる住民の意思が反映されない民主主義の在り方に疑問を持ち、住民投票が行なわれるまでの流れが描かれている。

住民投票は行なわれたものの、この住民投票条例が可決された直後に市長によって修正法案が出され、投票率50%以下ならば開票すらせずに却下される後付けルールが作られる。この市長が当選した際の投票率は37.5%だったにもかかわらず。

結果として都道建設計画は進められ、地域の憩いの場となっていた雑木林は潰され、200億円もの予算をかけて府中街道と100mも離れない隣接した新道路が建設されることになる。200世帯以上が立ち退きを余儀なくされる。

果たしてこのプロセスは民主主義と呼べるのか。参加型民主主義とはどのようなものなのか、議論の呼び水として読んでおきたい。

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2014年04月03日

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民主主義とは、民衆・大衆・市民が政治参加すること、政治決定に参画することなのだと、改めて気付かされます。
お任せでブー垂れてるだけじゃ、ダメなのよ。文句言うだけの居酒屋民主主義は、本来の民主主義ではないのですわ。

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2014年03月06日

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なぜ主権者が立法権にしか関われない政治制度―しかもその関わりすら数年に一度の部分的なものにすぎない―が、「民主主義」と言われうるのだろうか?

面白かった。

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2014年02月12日

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当たり前のことを当たり前に言ってそれが実現されない奇妙な民主主義。小平市の道路建設反対運動を例に、住民投票などもふまえて、とても具体的にあるべき民主主義を示してくれた。最後にデリダの『来るべき民主主義」に着地するところがさすがの哲学者!それにしてもつくづく腹の立つ行政だ。猪瀬知事に物申していたけど、彼ももういないし、、

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2014年01月23日

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政治とは、複数の人間(多)と単数の決定(一)を結びつける営みであり、多と一を結びつけるためには、何らかの権威が必要。かつては宗教的権威や伝統的権威がそれを担ったが、近代の政治体制では、国家という権威に民衆を従わせなければならず、編み出されたのが「主権」という概念だった、つまり、主権に基づいて定められた法律が統治者を拘束するということで、主権とは立法権に他ならないと考えられていた。
しかし、現代の国家は極めて複雑で、立法権によって社会を統治するということは困難になっている。にもかかわらず、民主主義は立法権をコントロールすることで社会を統治しようしていて、行政権をコントロールする仕組みがない。(パブコメとかはあるけど役に立たない)
こうした分析は鋭いと思うし、勉強になる。

タイトルにもなっている「来るべき民主主義」というのは、ジャック・デリダの言葉なのだそうだ。つまり、民主主義とは常に不十分なもの未完成のものであり続ける。しかし、どうせ無理だからと諦めるのではなく、より完全な民主主義を目指して取り組んでいかなければならない、そういう意味なのだそうだ。
末端とはいえ、一応行政権に身を置く立場としては、肝に銘じておかねばならないと思う。

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2014年01月17日

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スピノザを専門とする哲学者が、地域開発計画への個人的な関わりを題材にして、民主主義についての考察とその実践への手掛かりについて、新書読者層へ訴えた本。國分は、武蔵野の風情の残る雑木林が、道路新設計画で無くなろうとすることに反対し、行政との折衝を通じて、「民主主義」が人々には誤った形で認識されていると考えるに至った。間接民主主義における議会は、立法府として主権を表わす機関には違いないが、そこでは法を作るのであり、実際の行為を意思決定するのは行政である。ところが主権者である地域住民が、個別の事案で行政に対して対等に交渉できる仕組みがない。
これを解決するために、住民投票の制度の改良や、ファシリテータの役割の重要性などを説いていく。
具体的で面白い政治学入門という感じの内容だ。東京近郊の知識人的な個人の尊厳に重きを置きすぎて実際のどろっとした社会に適用可能なプランなのかどうかは疑問だが。

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2018年10月14日

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車両通行が減りつつある中で、なぜか東京都小平市に50年前の道路建設計画が復活。住民の憩いの場をつぶして幹線道路を作るという計画に住人が反対、住民投票が行われるが…

住民の生活に直接影響を与える決定は、議会よりも行政で決定されている現実があって、従来では住民の行政への参加は首長の選挙という形が取られてきた。
しかし、ここに来て住民投票やオンブズマン制度などの行政への参加法が確立されてきたが、さらに多くの手段が必要なのではないかというのが筆者の主張。

議会制民主主義を肯定して、新たな制度を作ることを「強化パーツをつける」と表現している。革命は必要なく、変化が必要なのだというのがすごく腑に落ちた。

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2013年12月23日

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現代の民主主義では、主権者が関わっているのは立法権だけ。立法府が全権を持つというのは建前であり、現実には行政府が大半の決定を下している。行政府に民衆がオフィシャルに関われるしくみをプラスすべきである。

哲学者の学者力、さすがです。民主主義そのものを問い直すなんて。

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2014年02月01日

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ネタバレ

民主主義とは何か、民主的とはどういうことか。
本書では、小平市都道328号線をめぐる行政との経緯を追いながら、民主主義、特に議会制民主主義の構造と欠陥を紐解いている。
著者の「制度を増やすことで人はより自由になる」という指摘が目から鱗だった。決定方法を増やすことで、民主主義を補完していく方法だ。
イトルにも使われたデリダの「民主主義は来るべきもの」という考えは、確かに現代にしっくり来るものだと感じた。

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2021年12月31日

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ニュースで話題になっていた、小平市の道路新設工事に対して住民投票をやった話。投票率が50%に届かなかったら投票は成立せず、開票もされないという。問題を投げかけるという意味では有意義かもしれないが、著者への感情移入はできなかった。肯定派の意見も全く紹介されず、一方的なものの見方に終始しているように思えた。

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2019年08月12日

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ネタバレ

デリダの来るべき民主主義の結論は陳腐な気がしたけれども、哲学者である著者が住民運動に携わる中で、民主主義への疑問点を実感的につかんでゆく過程はとてもつたわってくる。確かに、行政は実際ほとんど決めていて立法府はあまり役に立たないように感じる。まああくまで、一つの見解である。

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2019年01月23日

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ネタバレ

 著者がニュース番組に出演したとき紹介のテロップで紹介されていた本。内容はまったく調べないまま買った。
 小平市都道328号線の建設問題から民主主義を考える。328号線は住民側からすると建設に合理性がない。また住民の憩いの場である雑木林が切り倒されてしまう。住民投票を実施して建設を中止させようとしたが行政側に阻止されてしまう。
 この国は民主主義の国のはずなのに、なぜ住民の意思が反映されないのか。著者はそれは議会制民主主義の限界にあるのだと考える。ルソーが提唱した民主主義は主権を立法権に規定している、現代の日本にもそれが受け継がれている。国民は立法権に関与出来る。
 しかし立法が決めたことを実行するのは行政である。現代の民主主義は国民が行政に関与できる仕組みが弱い。小平の問題もここに原因がある。国民、市民が行政に関われる仕組みを現行の制度に付加していく必要がある。
 議会が民意を反映していないという意見はよく聞くがたとえ議会が民意を反映できても行政という壁があることはなかなか指摘されていなかった。小平市の問題を見ると現行の制度がどれがけ民意を無視するものなのか分かる。住民投票にだけ有効投票数を設けるなどおかしいことばかり。有効投票数を設定した市長の選挙投票率が50%以下とかもう怒りを通り越して呆れる。
 ただ行政を悪者にしているだけでは現状は変わらない。本書は行政が意見を柔軟に変えられるような制度を提案している。
 

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2014年03月25日

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小平市の住民投票の新聞記事は興味を持って読んでいましたが、投票率50%に達しないため開票を行わない結果を残念に思いました。この前提があると、投票しない行い自体にも賛成反対以外の第三の意味合い、成立させない、住民投票の結果を共有しないという選択肢が出来てしまい、投票そのものが無駄になってしまって良くないと思いました。

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2014年02月13日

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退屈の倫理学を読んで、この著者に興味を持ち、また面白そうなタイトルだったから手に取った。著書は、民主主義の欠陥について、著者の体験を通じ、その改善案を提示しており、非常に分かりやすい。小平市の都道新設を巡る論争。分かりやすいが故に、二点。民主主義そのものを良しとするバイアスでの理論の起点には掘り下げが必要。また、新設反対派の立場から、推進派の可能性を閉ざした狭隘な視野には注意が必要。住民投票は、利益を享受する側の一点突破な要求にしかならぬ危険性がある。国の軍事上の道路敷設などの可能性を考慮すれば、秘匿事項にしつつ、より高次で国益をコーディネートする必要もあるということ。要求への対価、責務を明確にするシステムが必要。また、国籍の異なる外国人には、そのような請求権自体不要。

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2014年01月29日

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民主主義について哲学者が書いた本。東京都小平市に住んでいる著者が、偶然に参加した道路計画見直しの住民運動を通して、理解したことや感じたことを説明している。ニュースでも話題になったが、50年以上に前に作られた道路計画を見直してほしいという住民の声が届かず、署名活動の結果、住民投票が実施されたが、投票率が50%以下だったために開票されなかった後味の悪い一件である。問題の根幹は、主権者である市民は、選挙によって代表を議会に送り出しているが、実際には行政が様々な物事を決定しており、主権者はそこに全く関われないことにあるとしている。その問題を解決するための提言もある。また、最近の住民運動の進め方にも感心した。

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2013年10月29日

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