國分功一郎のレビュー一覧
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▼元々100分de名著だったもののようです。スピノザ入門。スピノザさんは17世紀のオランダの哲学者。ユダヤ人ながらユダヤ教から破門されているそうで、それは彼の考える思想のせいだそう。「エチカ」が有名ですね。
▼正直に言うと、「神」の有無を巡る議論はよくわかりませんでした。(こちらがに関心が無いせいかもしれません)
▼おもしろかったのは、「個人の自由と幸せと社会」みたいな事柄ですね。
つまりは各位各個人の尊厳が他人様との交流の中で安全に保たれているのが、それが幸福な自由の条件だ、みたいな話。
一見、すごく、「自由」という言葉と反している気がしますが、これはこれで納得ができる。つまりぢゃあ -
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「反原発」の本でした
「反原発」について考える本でした
というわけでレビューが消えてしまいましたw
いや笑い事ちゃうわ!
思い出して書きます
大好きな國分功一郎さんです
國分功一郎さんと言えば「哲学」というなんだかちょっと遠い存在の高尚な学問というイメージのものを、わいらのレベルにまでがっつり引き下げてくれる魔法のような分かりやすさなんですが、これはちょっと難しかったです
いつものようにちゃんと考えよう!ってことなんだと思うんです
そして「反原発」についてちゃんと考えようとする時に、「原子力の平和利用」が声だかに叫ばれた原子力時代の最初期にただ一人、その危険性について言及した哲学者ハイ -
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遊びと利他を読んで、利他を、もう少し知りたくて。
後半になるにつれて、どう利他に関係するんだろうとかわかりづらくて飛ばし飛ばし読んでしまった。
数値的利他は、違和感を感じた
数値ですぐに結果がでない社会課題への支援や関心を廃れさせてしまうのかなぁと。、
利他というと何か押しつけがましく、意識高い系に思ってしまっているけど、
うつわ的利他、、、
自分のやったことをいいでしょ、ではなくて、
その結果自分に戻ってまた変化の可能性がある余白があるものとして捉えた方がよいのでは
ということかなぁと。この考えはしっくり来るし、自分のボランティアのスタンスと同じだなぁと思った。 -
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「利他」について様々な分野の方が論じた本。
ちょっと「利他」との結びつきがよく分からないとか取って付けたようとか思うところもあったが、それが利他という概念の広さや説明の難しさということか。
結論としては、利他とは「うつわ」とか「余白」であるということのようだ。
中動態についての話の中で「人間的因果性(=そ人が加害者として行う行為)」と「神的因果性(=運命の被害者としての行為)」は混じり合うが混同されない、というヴェルナンの定式が紹介されている。どういうことかというと、「人は加害者であり被害者であるという二律背反が肯定されている」ということ。被害者性をとらえることで、加害者性もとらえられるよう -
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学生時代、ソ連の威光はだいぶ落ちていたが、レーニンは毀誉相半ばしており、ロシア革命への興味から、『国家と革命』も『何をなすべきか?』も読んだのだが、今回本書を読んでみて、いかに読めていなかったのかを痛感した。
著者は、この2つの著作を精緻に読み解くことによって、レーニンの思想、国家・革命についての考え方を丁寧に辿っていく。決して読みやすくはないが、著者は一つ一つ順を追って論を進めていくので、諦めることなく読み進めていけば、これまで思いもよらない新しい地平に連れて行かれる。
ただ、第3章、第4章ではフロイト思想との関係が論じられるのだが、抑圧されたもの、<死の欲動>についての議論は、正 -
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四回の講義録+補論で構成される。
語句的にも難解なハイデガーに対するアプローチ、読み解き方を体験できたのはよかった。また第一講の1950年代における核技術に対する思想家の反応、日本の動きは知っておくと原発に対する見方が深まる内容で、第三講の最後部までは概ね星四以上に近いものだったと思う。
ただ他のレビューで言及されているように、原発推進派をナルシズムに結びつけるのはやや性急な感じが否めない。もちろん途中のアレントの指摘、つまり「人間の条件」からの脱出も相まって、原子力というものがある種の全能感を持って受け入れられたのは相応に当たっていると思う。
しかしそれは1950年代やそこらへんの原 -
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この本をすめすめてくれた方への私のメールの一部を貼り付けて感想とします
「さっそく、まずは哲学者國分功一郎さん「来たるべき民主主義」を読みましたが、とても勉強になりました。年齢の割に世間知らずということでしょうが、主権者たる国民が政治に関われるのが立法府のみでこれを民主主義というのはおかしい。生活に密着する多くの決定は行政機関でなされる事が圧倒的に多い。行政が道路を決めたら反対するすべもない。住民に説明するだけでよい、了解をとる必要がない。というのです。
署名を集めても住民投票を議会は拒否できるし、住民投票までたどりついた小平市の事例は町長が後出しで投票率が50%を超えないと開票しないとい -
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Audibleにて。
依存症について調べていくとここに行き着く。真の自由、完全に独立した意志による行動選択などないとする考え方。中動態につながるのがコナトゥスか。
「人間がやがてAIに取って代わられるのではないか?」という不安は、合理化を進めた末に動かなくなっていった精神活動に対する自信の無さから生まれたもの…というのは面白い。人間がAIに近づいていくというのもいい得て妙だ。
合理化の果てに自由な発露手段を失った精神が、それでもその円環から抜け出せず、窒息しそうになっている。
優しさと、各種自己対象を見つけづらくなった社会構造の背景には、「全てのものを神は内包する」と捉えられず、神を -
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「あなたへのおすすめ」のなかに、本書の著者である國分功一郎氏の最近の本の名前が挙がっていたので、その前に、有名と思われるこの本をまずは読んでみた。
スピノザという17世紀のオランダの哲学者のことは全く知らなかったが、著者による解説を読む限り、とても魅力的な説に聞こえる。
「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」というキャッチコピーも秀逸。
とある漫画の、炭素の代わりにケイ素が生命の主要材料として使われる、もうひとつの「ケイ素生態系」を、ふと思い出した。
P5
やや象徴的に、スピノザの哲学は「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学である、と言うことができます。 -
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道具的で記号化してきた現在の言語。
実存主義、エビデンス主義、メタファー、心の闇、アレントやスピノザ、ハイデガーなど引用しながら國分功一郎さんと千葉雅也さんの言語に対する想いも含め、近年変化していく言語をどう取り戻すのか、そもそも言語とはなんなのか、そして言語無き人間とは存在するのか。
例えば「これは違反だ」とか「違法だからダメだよ」とテレビでモザイク入れて、悪い人を煽ることが当たり前ですが、その一つ一つの問題を法外まで考えている人は叩かれてしまう。
しかもその法外までを考えていくと、自分で考えて言語化しなければならないからめんどくさい。そうなると、もう法律がそうなんだからと言って、エビデ