國分功一郎のレビュー一覧
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四回の講義録+補論で構成される。
語句的にも難解なハイデガーに対するアプローチ、読み解き方を体験できたのはよかった。また第一講の1950年代における核技術に対する思想家の反応、日本の動きは知っておくと原発に対する見方が深まる内容で、第三講の最後部までは概ね星四以上に近いものだったと思う。
ただ他のレビューで言及されているように、原発推進派をナルシズムに結びつけるのはやや性急な感じが否めない。もちろん途中のアレントの指摘、つまり「人間の条件」からの脱出も相まって、原子力というものがある種の全能感を持って受け入れられたのは相応に当たっていると思う。
しかしそれは1950年代やそこらへんの原 -
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この本をすめすめてくれた方への私のメールの一部を貼り付けて感想とします
「さっそく、まずは哲学者國分功一郎さん「来たるべき民主主義」を読みましたが、とても勉強になりました。年齢の割に世間知らずということでしょうが、主権者たる国民が政治に関われるのが立法府のみでこれを民主主義というのはおかしい。生活に密着する多くの決定は行政機関でなされる事が圧倒的に多い。行政が道路を決めたら反対するすべもない。住民に説明するだけでよい、了解をとる必要がない。というのです。
署名を集めても住民投票を議会は拒否できるし、住民投票までたどりついた小平市の事例は町長が後出しで投票率が50%を超えないと開票しないとい -
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Audibleにて。
依存症について調べていくとここに行き着く。真の自由、完全に独立した意志による行動選択などないとする考え方。中動態につながるのがコナトゥスか。
「人間がやがてAIに取って代わられるのではないか?」という不安は、合理化を進めた末に動かなくなっていった精神活動に対する自信の無さから生まれたもの…というのは面白い。人間がAIに近づいていくというのもいい得て妙だ。
合理化の果てに自由な発露手段を失った精神が、それでもその円環から抜け出せず、窒息しそうになっている。
優しさと、各種自己対象を見つけづらくなった社会構造の背景には、「全てのものを神は内包する」と捉えられず、神を -
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「あなたへのおすすめ」のなかに、本書の著者である國分功一郎氏の最近の本の名前が挙がっていたので、その前に、有名と思われるこの本をまずは読んでみた。
スピノザという17世紀のオランダの哲学者のことは全く知らなかったが、著者による解説を読む限り、とても魅力的な説に聞こえる。
「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」というキャッチコピーも秀逸。
とある漫画の、炭素の代わりにケイ素が生命の主要材料として使われる、もうひとつの「ケイ素生態系」を、ふと思い出した。
P5
やや象徴的に、スピノザの哲学は「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学である、と言うことができます。 -
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道具的で記号化してきた現在の言語。
実存主義、エビデンス主義、メタファー、心の闇、アレントやスピノザ、ハイデガーなど引用しながら國分功一郎さんと千葉雅也さんの言語に対する想いも含め、近年変化していく言語をどう取り戻すのか、そもそも言語とはなんなのか、そして言語無き人間とは存在するのか。
例えば「これは違反だ」とか「違法だからダメだよ」とテレビでモザイク入れて、悪い人を煽ることが当たり前ですが、その一つ一つの問題を法外まで考えている人は叩かれてしまう。
しかもその法外までを考えていくと、自分で考えて言語化しなければならないからめんどくさい。そうなると、もう法律がそうなんだからと言って、エビデ -
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利他という言葉を最近になってラジオで耳にし興味を持つようになりました。なんとなく自分よりも相手や周りのために尽くす意味合いかと思っていましたが、利他にも色々あるらしいです。
本の内容は全体的に難しく感じましたが、利他について考える行為自体がとても大切な事なのだと感じた。何のための利他なのか、誰のための利他なのか。
一章 伊藤亜紗さんの
・利他は自分のためになる?
・数値化によって消える利他の感情
・他者のコントロール
・信頼と安心
が良かったです。
利他的な行為を行う上で自身が気をつけること、利他的な行為を相手から押し付けられた時の考え方等自分と相手の関わりの中で客観視するヒントを貰えたように -
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伊藤亜紗の「利他」についての概論が一番よかった。
なぜ今、「利他」なのか、ということが、まず知りたかったので、ジャック・アタリの合理的利他主義や効果的利他主義についての説明がありがたかった。
中島岳志のいう「利他」は合理的利他主義とは違い、湧き起こるものであること、親鸞のいう若松英輔の「利他」は民藝の文脈からの「ウツワ」にその本質を見出すものであった。特に中島岳志に関しては、意外。ここだけではわかりにくいので、中島岳志の「思いがけず利他」もこの後読んでみようと思う。
國分功一郎の言う中動態がなぜ「利他」と繋がるのか興味があったが、なるほど「義」がそうであったか。つまりはやむに止まれぬ、湧き -
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対談をまとめたもののため、二人の中で共通の知識、言葉選びがあるため理解できていない部分がある。
ところどころ日本語ではなく英語の横文字を調べなくてはならず、少しずつ読むもののやはり何度か読まないとつらい。
(言語を扱え人たちが選んだ言葉だと思うので、選び方にも意味があるということなのか)
これまで読んできたお二人の書かれた著書は、まだ読む対象が一般の人に向けたものだったことがよくわかった。
それでも面白く読めた。
能動的の対義語として存在し、消滅した「中動態」についての話、
個人的に体感のあった、LINEスタンプによる言語の変化。
エビデンス主義、責任回避の話などがあった。
勉強が足り