高野秀行のレビュー一覧
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高野さんの紀行文は、信頼できる。
現地の人たちとの交わり方が、素朴で率直で暖かいからだ。自分が実際に現地に足を運んで、その土地の人と話をしてみたい気持ちにさせられる。
今回の旅で私の印象に残ったのはゾウ・リップとエピキュリ大尉の2人。
今、ミャンマーは本当に大変な事態を迎えている。この本に書かれた旅が行われている時も十分大変だったのだが、それを上回る状況であることが日々ニュースを通して伝わってくる。
願わくば、この旅に登場した人々が幸せに暮らせる時が早く訪れますように。
と願ってはみるものの、対立するゲリラのどちらの人々も高野さんの旅の味方になってくれたわけで、非常に虫の良い浮ついた願い事にしかなりはしないのだけれど。
そういう意味では、綺麗事だけでは成り立たない、人の世の複雑な網目をも感じさせてくれる秀作だと私は思う。
あと、本書を読んだ方には、ぜひ『ミャンマーの柳生一族』もご一読いただきたい。めちゃくちゃ笑えて、勉強になる一冊。なぜスーチーさんではミャンマーが治められないのかが分かるかも。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ納豆というと、よく、「なんで豆腐が“豆が腐った”で、納豆は“納豆”なんだろう?」と言われるが。
それは、「納豆は、豆を藁苞に納めるから“納豆”」。
「豆腐は“腐”が中国で四角く固めるという意味があるから“豆腐”」って聞いて、ずっとそれを信じてたんだけど……、
そんな話、これっぽっちも出てこない。
もはや何が何やら…!?(^^;
東南アジアの山間部で、納豆やコンニャクが食べられていることは知っていた。
あ―、それって、つまり「照葉樹林文化圏」ってことだよねって、ずっと信じてきたんだけど……、
この本によれば、それはそれでまた微妙に違うらしい。
ていうか、現在、日本で食べられている納豆というのは、
ご飯に絡めて食べるというニ―ズに沿って作られた工業生産品(品質や衛生が管理されたといういい意味で)というのも目からウロコ(^^;
納豆=糸を引くだけど、本来はあんなに糸を引くものじゃないなんて!w
(そういえば、「甘納豆」は何で“納豆”っていうの?)
ていうか、読んでいて出てくる納豆料理が旨そうで旨そうで(^^)/
おかげで、つい料理に納豆を使っちゃうもんだから、最近はやたら納豆を買う(爆)
ちなみに、冷蔵庫には今現在、例の3個パックのやつが4つ入ってる。今晩は納豆回鍋肉にするつもりだw
納豆は大好きだけど、例えば納豆を食べた箸でマヨネ―ズがかかったサラダなんか食べると、マヨネ―ズが糸を引くのがイヤなんだよね。
だから、納豆を調理に使うと旨いのはわかってたけど(だって納豆スパゲティは絶品!)、イマイチ使いたくなかったのだ。
この本の終わりの方で納豆協会の人だかが「これからは糸ひきが弱い納豆など、いろんな納豆を作らなければならない」って言っていたけど、それは本当にそう思う。
著者も、ラタトゥイユに納豆を使ったら旨くなかったけど、糸引きが弱い納豆で作ったらすごく旨かったと書いている。
もはや、ご飯かけ用納豆、調理用糸引き弱納豆、旨味調味料用納豆等々、あらゆるニーズに応えた商品構成にしない納豆会社の社長は職務怠慢!と言われても仕方ない(爆)
というか、それは納豆会社よりも流通の仕事かなぁ―。
自社で工場は持たずに、様々なニ―ズに沿った納豆を他社に製造をお願いする、納豆業界のアップルはどこだ?w
(そういえば、以前ス―パ―で「テンペ」が売ってたけど、今でも売ってるんだろうか?)
そんな様々な目からウロコのこの本だけど、「醤」と「納豆」を区別したい著者のこだわりはイマイチわからないw
自分は、調理や旨味調味料として使ってるというのを読んだ時点で、ああこれはもはや「醤(味噌)」なんだな―と思ったけど。
個人的には、ご飯にかけて食べるのは、いわゆる「納豆」。調理に使ったら、それはいわゆる「納豆」ではないという風に考えちゃうけどな(^^ゞ
そういえば、今の中国人はカレ―ル―を調味料として(つまり「醤」として)使うらしいけど、それはどっちも「カレ―ル―」だと思うのだ。
確かに、カ―ル―でいわゆるカレ―を作ったら「カレ―」という料理だけど、カレ―ル―をチンジャオロ―ス―の味付けに使ったら、それはチンジャオロ―ス―だ。
でも、味付けに使ったのはどっちも「カレ―ル―」だって思うのだ。
確かに、著者が言う、漢民族に追われた人たちが住む地域(=漢民族の住む周り)では納豆が食され、漢民族の住むエリアでは醤が食されるという区分けは明確だ。
でも、一方でタイやミャンマ―の海に近い方で納豆は食されず魚醤が使われるのは、海が近いからその材料が手に入りやすいという単純な理由のわけだ。
なら、漢民族が醤や豆鼓を使うのも(or周辺部で納豆を使うのも)、海が近いから魚醤を使うみたいに単純な理由なんじゃないのかな―。
だって、毎日のメシのことでしょ?
普通に考えれば、旨いからとか手に入りやすいみたいな単純な理由のはずだよね。
なんらかの単純な理由で、一方では納豆、一方では醤や豆鼓を使うようになった。
それらをまとめて「納豆文化(or醤文化)」とするでいいような気がするんだけどな―(^^ゞ。
ただ、ま―、それは、“納豆=ご飯にかけて食べるもの”という意識が強い自分と、“納豆=旨味調味料”の現場を沢山見てしまった著者の納豆に対する認識の差なのかなもしれないw
ていうか、納豆を料理に使っていて思ったんだけど、納豆って他の食材に隠れちゃうんだよね。
あんなにクセがあるのに、料理に使うとそのクセが消えちゃって。そのクセが料理の味に生かされない。
でも、「醤(味噌)」は違う。使えば、料理の味が決まっちゃう。
つまり、平地や沿岸部は塩が手に入りやすいので、塩を加える「醤」の方が味が決まって便利ということで広まったけど。
山間部は塩が手に入りにくいので、塩を加えない「納豆」を旨味調味料として使った。
個人的には、そういうことなんじゃない?なんて思った。
この本には、アジア納豆のことと日本の納豆のル―ツをさぐる話が書かれている。
どっちも面白いのだが、日本の納豆について書かれている章の方がちょっとだけ面白い。
それは、たぶんアジア納豆については見たことを淡々と書いているのに対して、日本の方はそのルーツについて謎っぽく描かれているからだろう。
本を読む上で、謎で読者の興味を引くは読むエンジンとしてやっぱり大事だと思うのだ。
最後の章で、照葉樹林文化と東亜半月弧なんて出てくるが、むしろそれは最初に出した方がよかったんじゃないのかなぁーw
とはいえ、すごく興味深い話で面白かったのは確かだ。
サピエンス納豆の方もぜひ読んでみたい(ただし文庫になったらw)。
ていうか―、ぜひレシピ本も出して欲しいぞ(^^)/ -
Posted by ブクログ
辺境作家の高野さんと中世史家の清水さんの対談。最初は、本書の表題のように、それぞれが専門とする室町とソマリランドの生き方が似ているというところから話が始まるが、後半はそこから離れて人生論、作家論、文化比較論、日本人論・・と様々な話題に及んで飽きさせない。お二人の教養の深さも物凄い。
一つ言えるのは、価値観はもとより多様だが、それは辺境にも転がっているし、過去にも転がっていて同様に面白いし、やはり今の価値観が絶対ではないことを常に相対視できるようにすべきということなんだろうと。
30年前と今と、かなり価値観は変わってきているが、それもそれ、古代から中世、織田信長を経て江戸、そこから明治、戦前から戦後と結構ドラスティックに変わっている。変わるもんだと思って順応していくということなんだろうと思う。 -
謎の独立国家ソマリランド
- カート
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試し読み
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寒々としたお話をしばらく読んでいたから、そろそろどこかであったまりたいと思っていたところ。
普段海外のお料理に対してあまり免疫がなく、おまけに当たり外れも激しそうだからって知っていたり味の想像がつきやすいものにしか手を出さずにいたけど本書に出てくるお料理は冗談抜きにどれも美味しそうで、第一章のタイから垂涎のまなざしだった。
筆者と並んでテーブルを覗いていると、どの人も笑いかけてくれる。つられて何度も笑みがこぼれた。
初版は’12年で東日本大震災下の移民についても触れられている。混乱の中で彼らを訪ねて調査を続けようとするのは少し強引にも思たけど、こうして勇気を出してくれる人がいるおかげで普通なら知り得ないことを知れることは、やっぱり大きい。
各国のデータに在日人口が男女比で記載されているのがまた興味深い!(比率の理由を自分なりに考えてみたり…)
人によるけど、ほとんどが「ー系日本人」に見えてくるくらい皆さん日本に溶け込まれていた。彼らに共通にしているのは今住んでいる場所に一番愛着を感じているところだと思う。
ごはんに加えて筆者の笑いを誘う語り口調と登場した皆さんの屈託のない笑顔に包まれて、今はもう幸福感でお腹いっぱい。気づけばすっかり体温も上がっていた。 -
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早大探検部出身、あの「謎の独立国家ソマリランド」を著した高野秀行氏による同著の続編とも言える1冊。
アフリカ東部に角のように突き出たかつてのソマリア。ソマリア国は1991年に崩壊し、20年以上無政府状態だったその地域に入っていったのが著者の前著だったのですが、本著は更にソマリ世界の深くに入り込んで、どっぷりと浸かっていく印象。
こうして本として読むとまぁとにかく滅法面白くて、しかもこれはフィクションではなく、著者自身が最前線に立っているノンフィクションなのです。もし自分が著者と同じ状況に置かれたとして、同じ行動が取れるだろうか・・・無理です!
例えば、戦闘が続くモガディショの滞在には、護衛の兵士や車代で、1日あたり$500超を払う必要があるのですが、その街を複数回訪れた上で、モガディショ市内を出たい(当然、市外の方がずっと危ない)と思ってそれを実現してしまう…。
著者がそう思った理由などは本著で良く説明されていて、それぞれの個別の理由は実によく筋が通っているのですが、一見道理が通っているミクロの理由を積み重ねていった結果、マクロ的にどう見てもおかしい/危ない事態に陥っている不思議。
外務省の人からしたらマジギレ案件なのかもしれませんが、ソマリアにはもう大使館無いしなぁ…(ケニア大使館が管轄しているようで)。
著者が無政府状態のモガディショを指して表現した言葉は「(電気・水道やネット、交通までが民営で)本当に何でもあり、ないのは政府くらいだったので、私はここを『完全民営化社会』と名付けた。軍も民営化されていると考えれば辻褄が合う。」という表現。
すっごい的確だと思うんですが、自らが危険に晒されている状況下でこういう謎のユーモア表現が出てくるって、凄い。凄いし、笑えるんですが、どこか間違ってるような感も…。
ただ、著者の表現の的確さは他のところでも存分に発揮されていて、例えば「人間関係を形作る内面的な三大要素は『言語』『料理』『音楽(躍りを含む)』」というのは全くその通りだと思うのです。
こういった洞察と、稀有な行動力が生み出す展開、それを的確に伝える表現力、本著ではこれらが三位一体となって、読みだしたら止まらないくらいの疾走感を生み出しています。
著者に関しては、テーマのある研究よりも、好きなものを、著者が旅する中で自由に見て考察してもらう本の方が、面白いように感じました。
完全な非日常を旅した気分になれる1冊。ただ、かと言って「ソマリア行きたい!」とはなかなかならないですが(笑 -
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本書には、日本の学生、コンゴ人の学者、役人、現地住民が登場し、ジャングル奥の湖への行き来と滞在の様子が描かれる。
体力、時間、お金、思考力、仲間、これら全てを兼ね備える大学生の極みのような体験記と思った。
描かれる人たちは皆それぞれに才気に溢れ、行動力もある優秀な方々なのだが、その時々の目の前の出来事に右往左往しながら反応し、対処していく様子が面白かった。
日本では、将来に悩み、思い詰めることも数多くある思うが、本書中の登場人物にはそれらが見られず、ある意味で場当たり的に過ごしているようにも見える。しかし、後書きにあるように各位は今も元気に幸せに暮らし、立派な仕事をされている方もいる。
日々を生きるのに思い悩む必要はなく、目の前のことに集中して楽しく生きていても良いのかもしれない、という気持ちになった。 -
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中国の成都から、ビルマのカチン州とナガ州を通過し、インドのカルカッタまで、約2ヶ月間の旅の記録書。
中国とインドは車や列車で移動するが、ビルマでは密林を徒歩で移動する。密林なので、山道で、スコールも降り、ヒルも出て、電気や水道はない。過酷の一言と思うが、そこを日常とし普通に暮らす人々がいる。意外にも環境自体を苦にはしていない。
大きな問題は周辺国との対立で、特にビルマの2州は人口が少ないので、人口が多く、資金と武器がある周辺国の兵士を日々警戒して暮らしていた。
自然環境は受け入れることができるが、対人関係は悩み深い。悩みの規模や深刻度は全く違うが、悩みのジャンル自体は日本にも通じるものであり、場所や環境に依らないなと思った。
日本を出て、知らない場所を旅したい、そんな憧れを抱く一方で度量や活力もなく、加えて仕事や家族を考えると益々そんな旅はできない。こんな自分にとって、本書は現代の冒険譚であり非常にワクワクする本であり、すっかり著者の高野さんのファンになってしまった。
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麻薬アヘンを生産する地域、そこに悪人はおらず、控えめで純朴な方々が暮らしていたそう。
物事の理解には、教書による体系的・理論的な知識に加え、現場の肌感覚が必要と思うが、本書では、立ち入りが極めて困難な地域の現場感を立体的に伝えてくれる類稀な力作と感じました。
ミャンマーは山岳地域が多い。往来が困難なので、各地域ごとに孤立し独立しやすい。ミャンマーでは自治州民が人口の1/3ほどを占める。多数はビルマ民。
筆者が滞在した村は30人ほど。準共産制で村民は協力して暮らす。仕事をノルマ的でなく、個人の良心や村内の空気に従い、毎日仕事をしている。小学校のクラス掃除に近いと感じた。近代前の日本もこんな風だったのだろうか。
国や場所が変わっても、人の暮らしに大差はない。冗談で笑い、怠惰や怒りは敬遠され、お酒が好き。筆者は現地の言葉や食事を拒絶せず、進んで溶け込みに行っている。本当にすごい。