ヤマシタトモコのレビュー一覧
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ヤマシタトモコさん、異国日記で知りましたが、あのもどかしいような思春期の女の子の心理描写が素晴らしいと思っていたら、この作品みたいに大人の女性のくすぶりや、思春期の男の子のもやもやといったいろんな年代、性別の心理描写がすごいんだと知ってますます好きになりました。短編集のようですが、ゆるく全部繋がってるのも、また読んでいて面白いです。
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Posted by ブクログ
『作品によっては私自身にとって特別な意味をちょっと持っていたりするものもありますが、そのことは作品そのものには意味をもたらさないですし長編だろうと短い読切だろうと、自分が描きたいことはだいたい描けたから全部受け取ってくれくらいの気持ちで世に送り出しています』―『プロローグ 岸に残る者と夜明けに向かう人』
ヤマシタトモコが語る本をもう一冊。こちらは「違国日記」後に語ったロングインタビューをまとめたもの。やっぱりこの人の価値観のようなものが気に入っていると再確認。人は判り合えると簡単に総括しない、とは言え諦めている訳ではない。しかしそれを語る時には肯定と否定が逆になり、人とは解り合えるかも知れない、けれどやっぱりそれは幻想に過ぎない、となる。完全な諦観ではないものの、其処は彼となく冷めた気持ちがどこかにある。けれど分かってもらえないことに対する沸々とした怒りの感情がその諦めの底には存在する。それは次の引用の中の言葉使いにも表れる(などと解ったようなことを言うとこの作家に怒られそうではあるけれど)。
『槙生の詩が登場する最終回でさえ、私は世の中の在り様を怒りながら描いていたんですね。もちろん、その怒りをそのまま出しはしませんので、私が感じている怒りが伝わらない読者の方もいます。あるいは、私の怒りを感じとったうえで腫れ物に触るような扱いをする方も。ただ、それはそれで捉え方ですから』―『プロローグ 岸に残る者と夜明けに向かう人』
長い長いインタビューの中で、しばしば家族という言葉の周りで思考が踊っている。インタビューの中で繰り返し言及され、次の引用の中でも語られているように、家族というまとまりを無条件に武装解除の前提としたくない気持ちがどうやらこの作家にはあるらしい。そんなことを考えたりすると、直ぐに「違国日記」の中の父親像と作家の父親に対する思いを重ねて見たくなったり、作家自身の母親との関係性を作品の中の母娘の関係性を通して見てみようとしてしまうが、そうではない、と作家は言下に否定する。もちろん、作家自身の体験や価値観やトラウマのようなものが作品の底辺にあったとしても、と断った上で。それはそうだろうと思いつつ、幾つかの作品に共通する家族観のようなものがあるとも思うし、それが作品を生み出す原動力の一つにはなっているのではないかとも思ったり。
『家族だからという言葉と、そのあとに続く言葉を何も知らず直結はできない。そんなことをしたら、家族という繋がりの中でひどい目に遭っている人のことを無視することになってしまう。その怒りはずっとあったけれど、この話を描いて余計に気持ちが強くなった気がします。鈍くならないよう自戒を込めて描いたのかもしれないです』―『第4章 転んでも立ち上がる少女たち』
だからと言って作家が家族に対して否定的な感情を持っているという訳ではもちろんないだろうけれど。
『それと、インタビューをしてくださる媒体や相手によっては、聞きたいことが明確にありすぎるときがあって、私に聞きたいというより言わせたい内容がすでにあるような気配がすると、それをどうにか避けようとして不毛な攻防が始まるので(笑)。そうすることで、自分がそのときに考えていたことが強化されてしまうのが嫌なんですよね』―『エピローグ 変わらないテーマとぼーっとする才能』
自身の思考に対する未確定な感覚を大事にする、というところが、恐らく自分がこの作家に惹かれる最大の要因なのかと思う。自分の考えを過信しない、ということ。それは考えている内容の精度の問題ではなくて、どうやってその考えを抱くに至ったかをきちんと見極めたいとの思いにも繋がる志向。もちろん、全てが自意識の下で決定されている訳ではないし、一々前提条件を吟味しながら決定している訳でもないと理解した上で、それでもどうしてそんなことを自分が無意識の内に考えたのか、思ったのか。ある価値観を未確定のままにしておいて考えることはできない、というようなことを自問自答する。そしてその思考の先にあるであろう本のタイトル「ほんとうのことは誰にも言いたくない」。そんな作家の態度に魅せられる。 -
Posted by ブクログ
『これ、あまり賛同が得られないんですが、誰にも見せるつもりがなく書いた誰かの日記や手帳を盗み見たい欲求があるんですよ(笑)。本当にはやりませんよ? やらないけど、誰か使い終わった手帳や日記をくれないかな・・・と思うくらい、他人の生活を見たいんです。ブログみたいに他人に読まれることが前提のものだとちょっと違って、それよりも、もっと何気ないものがいいんですよね。ただ予定が列記された手帳で十分で、「なるほど、こいつは20日に会食したのか」とわかるだけで、きっとうわーってテンションが上がります(笑)。
- 他人の生活、ドラマを垣間見る感覚で、作品を描いているところがあったりします?
物語的なドラマチックな出来事を考えるのが苦手なこともあって、その人たちの人生の、とある部分だけを切り取ったような話にしたいとは思っています。そこで描かれた前後にも、その人たちの生活がちゃんとあるんだということが感じられるようなものがいいですね』―『第一部 ヤマシタトモコ 2005年―2010年』
「違国日記」を読んでしまってその魅力に魅せられている作家ヤマシタトモコ。これは良くない性分なのだけれど、作品だけでは満足できず作家本人の言葉を求めて買い求めた一冊。まだ「違国日記」を書く(描くではなく「書く」と敢えて言いたい)前のヤマシタトモコの語りを聞く。インタビューに答えている言葉に、ふっと、吸い寄せられる。ああ、こういう感覚の作家だから惹かれてしまうのか、と。柴崎友香との親和性を勝手に見つけ出す。
「違国日記」を読むきっかけとなったのは、ウェブで少しだけ漫画が読めるサイトでお薦めされたからだが、それは多分ガッキー主演(果たして高代槙生が原作の主人公であるか、という問題は置くとして)の映画のプロモーションであったのだと思うのだが、この妙に理屈っぽい小説家の言葉に惹きつけられた。きっと作家も頭の中が始終うるさい人なんだろうと思ったが、その印象はやんわりと肯定される。とは言え、事あるごとにヤマシタトモコは「何も考えていない」「どうでもいいんです」という表明をしているのではあるけれど。
「何も考えていない」というのは、将来像を算段で考えてはいない、という意味なのだろうと理解するのだけれど、制作過程を語る言葉を聞く限り常に頭の中には「妄想」が蠢いていてそれを一気に吐き出すように描いている様子が伺える。何かをやりたい、こういうものが描きたいという強い意志はない、と何度も答えてはいるけれど、その妄想は間違いなく作品の種子であり、意識的ではなくとも無意識の内に方向性を定めているには違いない。「違国日記」の中の小説家と同じように頭の中で常に誰かが何かを話している感じなのだろう。
「どうでもいいんです」という言葉も字義通り受け取るべきものでないことは明か。恐らくそれは「何かに執着した価値観で表現したくない」という位の意味であって、表現されたものがどう受け止められるかには「責任は持ち切きれない」ということを別の表現で言っているだけのこと。作家の社会的電網媒体への投稿を見ていれば明らかではあるけれど、ヤマシタトモコにはヤマシタトモコの主義主張がきちんとある。だからといってそれを押し付けるような表現をしないだけのこと。
目下のところ「違国日記」が最も印象に残っている作品ではあるけれど、その他の作品のどれを読んでも、この作家が自分を取り巻く環境に対して強烈な違和感を抱いていて、それが作品を描く原動力になっているのかなと思わせるところがある。もっとも作家が漫画家として走りだす原点になったボーイズラブを読むのは、やっぱり少し腰が引けてしまうのだけれど。とは言え案外はまった「さんかく窓の外側は夜」は、BLと認識され難いとインタビューに答えて作家は言っているけれど、あれは明らかにBLでしょうと思ったけれどもね。 -
購入済み
『異国日記』で知った作者さん、こんな作品も書いてたの!とびっくりです。すごく怖くはないけど、人の想いの重たさ、切実さを痛感する物語で、人間というものをしっかり観察しているヤマシタトモコさんならではの作品だと感じました。