遠藤周作のレビュー一覧
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テーマは日本と海外におけるキリスト教の違い。キリストの存否である。\n鎖国、切支丹弾圧下にある日本での布教を行う司祭を描いている。\n描写が繊細で情景が目前に現れるようだった。\nまた、弾圧におけるエグさをただただ血生臭い描写で感じさせるのではなく、拷問される切支丹の切迫とそれを行う奉行所の人間の平穏とで対比することにより、相対的にエグさを描写していた。\nこの小説の中ではキリストの存否を取り扱っていた。島原の乱以降、切支丹に対して非道な弾圧を行う幕府がある中で、それでも神は沈黙を守るということに対する絶望があった。\n現代でも同じ神を崇める同じ信徒が殺しあっている。イスラム教徒のテロがそうである。無宗教が根底にある日本人の感覚では神のために死ぬことや神のために殺すことは到底理解出来ない。しかし、現実世界はそれらが数多ある。この小説はその理解の手がかりになると考える。この中の登場人物はまさにそれらを実行しているのだから。
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ネタバレ今度、東南アジアのタイへ行くのでタイを舞台にした本ということで読んだ。
主人公は山田長政という実在の人物。
江戸時代初期に日本からタイ(当時はアユタヤ朝)へ渡り、日本人傭兵として王室に仕え、権謀術数渦巻く中、将軍まで登りつめた男の出世物語。
と同時に、ヨーロッパへ渡りキリスト教神父になったペドロ岐部(実在)という無私無欲の人物の目を通して、山田長政やタイ王室の権力争いを見ることで、「山田長政の成り上がりストーリー」というよりも、「権力を求めることの虚しさ」の方が、読者には強く伝わってくる。
小説自体はそんなに面白いとは思わなかったけど、タイへ行った時、400年前にタイで活躍した日本人がいたんだ、と思い感慨にふけることができると思うので、読んでおいて良かった。 -
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故遠藤周作さんの遺稿。
今読んで、人の20年というものは大きいものだと思った。90代まで元気に人生を楽しんでいる人もいれば、遠藤さんのように70代で帰天される方もいる。もう70になったら、それほど楽しいこともないんではなかろうかとうっすら思っていた私だが、もし遠藤さんが90代までご存命であったら、もういくつの作品が世の中に残ったのだろうと考えると、そう思った。
本文は、手紙の書き方を通して、遠藤さんの文学に向かう姿勢が伺える。後書きにある様に、妻とまだ独り立ちしていない息子を残して入院中の作品であるという前提を踏まえて、入院する人への手紙などを綴る心境を書いてあると思うと、作家とはなんて大変な職業だろうと思う。結局回復をなされたのだけれど、遺されるかもしれない家族のため、少しでも残せるものを多くと病床で向かい合った作品と知ると、確かに胸に迫るものがある。
人の心理をなぜここまで理解できるのだろうかと、鈍感な私は思う。でも、それにしても、なぜ男性からの手紙はお誘いで、女性のための指南は断り指南なんだろう(笑)
「ようなゲーム」は参考になった。日常の光景を、①使い尽くされていない②ぴたりとくる形容詞を使って表現する練習をすること。
相手の気持ちをキャッチするために、
①抑制法
文章の第一原則。
自分の感情や気持ちを文章の始めから終わりまで訴えない。涙より、はんかちを握り締める手の方が印象的など。
「夏のまぶしさや暑さを描くなら光の方から書くな。影の方から書け」
夏の暑さを描写するのに、「太陽がぎらぎら」という表現は使い古されて、読む人は食傷気味。むしと、そういう場合には太陽の光には触れず、白い路に鮮やかにおちた影、などを書いた方が効果的。
②転移法
ある感情や観念を説明するのにそれをそのまま現す言葉を使わずに、別の言葉で表現する方法。
興味のない相手の心をキャッチするために、
①自分に興味をもたせる
②相手の美点をうまく褒める
・抽象的に褒めない
・相手だけが気付いて、あまり他人が気付かないところをほめる
③むだな不安や警戒を与えない
④ネチネチした物の言い方を避けよ -
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『イエスの誕生』の続編です。イエスの死後のキリスト教団を率いたペテロやパウロたちの姿を描きます。
著者がとくにこだわっているのは、イエスが十字架にかけられて死んだ後も、ふたたび人間的な弱さに躓くことになる弟子たちの姿です。ステファノのラディカルな主張についていくことができず保身に走ったペテロが、やがてユダヤ人以外に信者を求めるパウロに対して、またしても同じ弱さを露呈することになる姿を描きます。
そのパウロについては、キリスト教がユダヤ民族の枠を超え出ていくきっかけを作った人物として評価されながらも、彼の説く復活信仰の普遍性が、その後ギリシアや日本のような汎神論的な信仰の根づいている地域において引き起こす問題が示唆されています。
もう一つ、著者が熱心に解き明かそうとしているのは、「沈黙の神」と呼ばれている問題です。パウロが悲惨な死を遂げることになり、イェルサレムがローマ人たちの侵攻になすすべなく敗退していったとき、キリスト教徒は「なぜ神は沈黙したままなのか」という問いに直面することになったといいます。そしてこの問題に向きあうことが、キリスト教の信仰にとって課せられた大きな問題だと、著者は述べています。
使徒たちの人間的なの弱さに迫っていく著者のまなざしに感銘を受けました。