遠藤周作のレビュー一覧
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背が低くて愚鈍な野呂。野呂が愛情を持っていた京子は親友の戸田が奪っていった。しかし戸田は妊娠中の婚約者京子を置いて事故死してしまう。京子の「杖」になりたい、時がいつかは解決してくれるのではないかと野呂は京子と結婚する。しかし、結婚生活でも野呂に対して愛情を抱けず、彼の不器用な優しさに苦痛だけを感じる京子は、戸田と死産だった子供の後を追う。
なんとも重い話。お互いが「いつかは・・」と思い続けても、結局どうにもならなかった運命。運命って言うのかな、その言葉だと重過ぎるかな、どうしようもないことってある。生理的嫌悪を感じながらも「便利」だから野呂を使う。理解できるだけに、哀しい女性の残酷さ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレキリスト教徒である筆者が、”死”について思うところを述べている。だからといって一つの宗教にとらわれるのではなく、語っている。その語り口は圧倒的にやさしい。
2022年8月再読。
ホスピスや延命治療等の内容を聞いていると少し時代を感じる。著者本人も最後に言っているようキリスト教談義となってしまわないようにしたとのことで、別の宗教の観点等も所々でてくる。
P.33
私小説家たちは一種の自己鍛錬というか、自己修行というか、そういうものを無意識に積んでいったんでしょうね。そういうものを一つ一つ積んでいって、円熟というところへ到達したんでしょうね。そうでないほうの、うまく年をとれない作家たちは、老いるにつれて心のみにくさが出て来る人もあるでしょう。そういう日おてゃ、あいつはいやな奴だなあと言われるでしょうか、それは死ぬ前に胃に溜まったものを吐いて死ぬ人生と、ちゃんと消化して死ぬ人の違いで、大きな神の眼から見たらそう大差はないということではないでしょうか。
P.142
「信仰というものは、九十九パーセントの疑いと、一パーセントの希望だ」と言ったのはフランスの有名なキリスト教作家ペルナノスですが、私は本当にそうだと思うんです。 -
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カトリック作家の遠藤は、『死』をテーマにした本を書いてくれ、という出版社の以来を再三断っていたと言う。その理由として、キリスト教談義になるのを恐れたから、とあとがきで述べているのを読んで、なるほどと思ったのは、自分がこれを読みながら持った思いが、「何でわざわざこんな宗教くさいもんをいまさら書くのか」というものだったからだ。誰もが迎える『死』というものを、誰もが理解できる平準化した視点でその「心づもり」することの大切さを、語っている。
死についてなぞ、わざわざあつらえて述べなくても時が来れば理解する、というのが私の宗教家としての立場だが、実に表面的に捉えれば、そこいらの人とも変わんない持論だということが、なるほどわかった気がする。死を迎えるのは人には変わってもらえない、自分の人生の一大イベントなのだから真剣に向き合う必要はありますね。
09/4/3