沢木耕太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
沢木耕太郎氏による、日本国内の旅エッセイ第2弾。
JR東日本の新幹線の座席ポケットに入っている「トランヴェール」というフリーペーパーの連載をまとめたもので、引き続き旅情を感じる1冊です。
ちょうどクアラルンプール着発の飛行機内で読んだので、文庫版あとがきを読んだら偶然にびっくり。Grabが「どこでもドア」で便利ではあるが偶然の機会を奪うものだというのはその通りで、目的だけをこなす旅というのは贅肉とも言える余白はないのですが、出会いもない旅になるな…とも思いました。
1. 様々な旅のきっかけ
2. 「連れていかれている」感じ?
1. 様々な旅のきっかけ
フリーペーパーの目的としては、「出張で新幹線に乗った人が読んで、そこから少し足を延ばしてもらったり、プライベートの旅行を計画したりしてもらう」かなと思うのですが、本著のようなエッセイは十二分にその役割を果たしているなと思いました。
旅のきっかけとして、
・いつか行ってみようと思っていた場所に行く
・いつかの心残りを回収する
・過去訪れた場所を再訪する
といったものが挙げられており、誰でもどれかは引っかかるのでは…という感覚。ただふらっと感覚に身を任せて出かけるのも素敵ですが、理由があった方が動きやすい場合もあるのだろうし、本著が背中を押す1つになるのかな…と思いました。
2. 「連れていかれている」感じ?
上記のようなきっかけをもって旅をするのはありつつ、本著内のいくつかの行き先には何となくJR東日本さんの影がチラつかなくもない感じがして、我ながら邪推だなぁと思いつつ気になってしまいました(笑
特に青森・秋田や伊豆・日光というのは個人的にJR東日本的印象が強いエリアなので、旅のきっかけのひとつに本連載があったりしたら、知っておければよりスッキリしたな…とも思った次第です。
本著内で、著者が作家の山口瞳さんから聞いたという紀行文を書くための要諦の1つ、旅先で「ひとつの店に何回も行く」というのは腑に落ちる感覚がありました。
ただ、同時に1泊の出張なんかだと難しいので、その点でも余白がないといけないんだろうなと。。 -
Posted by ブクログ
サッカーのワールドカップもそうだが、オリンピックも、どんどん商業主義が蔓延して、空虚なショービジネス化、そして高額な放映権、観戦フィーになっていく。競技者やサポーターは置き去りにされ、目が$になった奴らに牛耳られた。(サマランチ、インファンティーノ、トランプ…)
それを沢木氏は憂いていて、この本全体にそんな思いが影を落としている。彼がいうように、いずれオリンピックもワールドカップも崩壊するような気がする。
この本はアトランタ五輪のルポ。
それにしてもアトランタ五輪は、こんなにも日本はダメだったのかと感じたが、それにしても、沢木さん、あまりに辛辣で厳しいなと。もう少し、良いところも拾い上げてあげても良いんじゃない。 -
Posted by ブクログ
私は沢木さんのノンフィクションが大好きで、『凍』の感想にも「通勤電車が主な読書時間なのですが、この人の本を読み始めると、自分の位置がわからなくなり、乗り過ごしそうになるのです。少し沈鬱な感じのする文体なのですが、妙に私を引き込んでいきます」と書いています。
しかし、やはり沢木さんの小説は私には合いません。世評は非常に高いのですが、どうも私の期待とはずれています。
出版社の謳い文句には「沢木耕太郎、初にして堂々たる時代小説!」とあります。資料が少ないながらも、主人公の馬場文耕は実在の人物ですし、後半の舞台である郡上一揆(宝暦騒動)も有名な事件です。そう考えると、時代小説というより歴史小説の色合いが濃く、もともと取材や調査に基づいて作品を描いてきたノンフィクション作家の沢木さんには合っているはずだと思って読み始めました。
550ページの大作ですが、一言で言えば冗長です。「こういうものを書けば読者は喜ぶだろう」という要素が多すぎます。
最後に描かれる、権力に立ち向かい、弱きを助ける反骨の講釈師・馬場文耕に焦点を当てるなら、不要な要素があまりにも多く描かれています。若き主人公を、誰からも信頼される人格者で剣の求道者として描くこと。剣を捨てた後の、「売れればいい」というユーチューバーのような講釈師としての姿。何度も出てくる剣劇シーンや、妙に女性にモテる主人公像。さらに、やけに善人として描かれる田沼意次や、結局何者なのか決着のつかなかった里見樹一郎。すべてを削れとは言いませんが、これらをそぎ落としていけば、もっとすっきりした物語になったはずです。最後のどんでん返しは全く不要ですし。
まあ、期待が大きすぎたのかもしれません。単純にエンタメとして読めば、それなりに楽しめたのかもしれません。 -
Posted by ブクログ
評判の高い作品ですが、わたしには苦行でした。
一瞬の夏に辿り着くまでが長い長い。
永遠に終わらないかとまで思いました。
才能がありつつも若くしてリングを降りたカシアス内藤が、4年間のブランクのあと、再びボクシングに戻ってきた。
才能がありながら、いや、才能があったからこそ、練習嫌いで、なかなか結果を出せないままボクシングをやめてしまった彼を、再び栄光の座に送り出そうと思った著者の気持ちがどうにも解せない。
だって一度も自分とボクシングについて、きちんと対峙したことがない男が、まじめにやっていてもピークを越えたくらいの年齢で4年ぶりに戻ってきて、だからどうなの?
確かに所属ジムも内藤に親身ではなかったし、ボクサーである前にまず生活を考えなければならないし、自分の都合だけでボクシングの試合などできるわけがないけれど。
でも、私が読んでいるだけでも、彼には覚悟が全く足りないような気がした。
全力を出し切る前に、不満を言って言い訳をして、逃げ道を作っているように見えた。
そんな男に肩入れして、私費と時間を投入して、素人のくせに試合をマッチメイクさせようなんて、著者もどうかしていると思った。
帝拳ジムのマネージャー、長野ハルの言ったことが、一番親身でいちばん的を射ていたのではないか。
「あるボクサーがいて、とても素質があり、才能があるとするわね。そうしたら、ジムでほっとくはずがないのよ。きっとまわりが何とかすると思うわ。それがうまくいかないのは、まわりのせいじゃなくて、やはり本人のせいだと思うの」
「あなたは一年もトレーニングをしたといって感動しているけれど、四年もブランクがあって、一年くらいで元に戻ると思うのはボクシングを甘く見ている証拠よ」
「あなたは、たぶん、人間を買おうとしているんじゃなくて、夢を買おうとしているんだろうな。(中略)でもね、同じ夢を買うなら、もっと別のボクサーが……。あなたの夢に、内藤君はふさわしくないと思うの」
上下巻通して、引用したいと思うのが長野ハルのセリフだけ。
最後の試合の最後の最後に、カシアス内藤はやっぱり才能あるボクサーだったんだなあと思わせたけど、本気でボクサーとしてやっていこうと思うなら、なぜ生活のためとはいえ水商売を選んだの?
なぜ子どもを作ったの?
結局、覚悟の足りない男に全部つぎ込んだ著者の見識をも疑ってしまうよ。 -
Posted by ブクログ
沢木さんが16歳の時に初めて一人旅をした男鹿半島。実は私にとっても、就職後に初めて一人で降り立った思い出の地だ。
入職後に苦悩した空気、車窓から見た日本海の荒々しさ。本書を読み進めるうちに、あの日自分が何を感じていたのか、当時の記憶が鮮やかに呼び起こされた。
若い頃は「まだ見ぬ新しい世界」を求めて、挑戦するように旅をしていた気がする。
けれど、沢木さんが描く「かつての自分と再会するための旅」を知り、ハッとした。
もし今、もう一度男鹿半島を訪ねたら、私はどう感じるだろう。
今の自分なら、あの時見過ごしていた道端の石や、夕暮れの色に気づけるかもしれない。
あるいは、がむしゃらだった当時の自分を「よく頑張っていたな」と、少しだけ誇らしく思えるかもしれない。
「旅とは新しい場所に行くだけではない」という教え。
不自由な時代を経て、ふたたび自由に飛び立つツバメのように、私もまた、自分の原点を確認しに、ふらりと出かけたくなった。
まさに、静かに心に染み入る「大人の旅のエッセイ」だった。