鬼澤忍のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
アメリカのジャーナリスト「アラン・ワイズマン」のノンフィクション作品『人類が消えた世界(原題:The World without Us)』を読みました。
「人類消滅後―私たちの家や町は、地球はどうなるのか?」というキャッチコピーに惹きつけられ、壮大な未来予測を知りたくなって買っちゃいました。
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『TIME誌』が選ぶ2007年ベストノンフィクション第1位!
もしある日人類が忽然と消えたら、その後の地球には一体何が起きるのだろう。
地上を覆う人工物、自然、生命がたどる運命は?
私たちが環境に与えてきたダメージはどう癒えるのか?
そしてこの星が消滅した後も宇宙を漂い続ける、人類最後の痕跡とは……?
世界をまたにかけた実地調査と科学資料を駆使して放つ、類まれなる未来予測の書にして究極の環境本。
あなたの世界を見る目を変えるベストセラー・ノンフィクション、待望の文庫化。
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忽然と人類が消え去ったら、地球はどうなるのか?というテーマに、最新の科学的知見等から挑戦したSFっぽさを感じさせる作品… 人による環境破壊について課題提起されていて、考えさせられる部分が多かったですね。
■はじめに サルの公案
■第1部
1.エデンの園の残り香
2.自然に侵略される家
3.人類が消えた街
4.人類誕生直前の世界
5.消えた珍獣たち
6.アフリカのパラドクス
■第2部
7.崩れゆくもの
8.持ちこたえるもの
9.プラスチックは永遠なり
10.世界最大級の石油化学工業地帯
11.二つのイングランドに見る農地
■第3部
12.古代と現代の世界七不思議がたどる運命
13.戦争のない世界
14.摩天楼が消えた空を渡る鳥
15.放射能を帯びた遺産
16.大地に刻まれた歴史
■第4部
17.ホモ・サピエンスは絶滅するのか?
18.時を超える芸術
19.海のゆりかご
■おわりに 私たちの地球、私たちの魂
■訳者あとがき
もし、人類が忽然と姿を消したら、世界各地ではいったい何が起こるのか… 住人を失った家は、その時点から腐りはじめ、100年後には煙突のレンガなどを除く屋根や壁のほとんどは崩れ落ち、高層ビルを擁する大都市もまた、地下への浸水から崩壊、、、
そして、人類なきあとにはどんな動物たちが地上を闊歩するのか… イヌはもはや人間なくしては生きられないが、ネコは小動物を狩りながら自由を満喫し、アフリカで人間の後釜に座るのはヒヒかもしれない。
人間が残したいと思う文化的生産物は、銅像などを除けば、ほとんどが数万年のうちに跡形もなく消え去るが、プラスティック粒子、放射性物質などはその後も地球の環境に大きな影響を及ぼし続けるだろう… また、テレビ番組の電波は宇宙空間を永遠にさまよい続け、どこかの生命体の退屈を紛らせるかもしれない、、、
ニューヨークからパナマ運河、朝鮮半島まで世界中をフィールドに、最新の科学的知見にもとづき、人間の営みを多角的に見つめなおして描き上げる驚愕の未来予測でしたね。
そんな、数々のエピソードの中で印象に残ったのは、海中に漂い、海洋生物の体内に摂取されつつある大量のプラスティック粒子をテーマにした『9.プラスチックは永遠なり』と、永年に亘って影響を及ぼし続ける放射性物質をテーマにした『15.放射能を帯びた遺産』、、、
海洋生物に摂取されたプラスティック粒子は、食物連鎖で、その濃度はどんどん濃くなり、食物連鎖の頂点にたつ人間の食卓に並んでいるんですよね、きっと… そして、放射能は目に見えないまま、影響を与え続けているんですよね、未来というよりも、現代社会に警笛を鳴らす作品でしたね。
微力ながら、何かできることはないのか… と、考えるきっかけになりました。 -
Posted by ブクログ
けっこう前に出た本だが、普遍的なテーマを扱っているので、今読んでもいろいろと考えさせられる。
これまで価値のなかったものに値段がつけられ、需要と供給が生まれたケースは、今も増え続けていると思う。
本の中で扱われた列への割り込み、命名権などは、今日本でもそれほどの忌避感もなく受け入れられているような気がするし、自分自身、ユニバーサルスタジオでファストパスを買うことや、映画館で少し高い値段を払って周りの人が気にならないボックス席をとることを、それほど疑問には思わずに過ごしている。けれど、それがもともと無料の、慈善事業コンサートなら同じことは思わない。似た事柄でありながら、その溝は以外に深い。裏を返せば精神的な違和感ほどにその事柄は相違がないのだ。そのことにはっとした自分がいた。
経済は大事だし、経済が上手くいっていればたいていのことは解決するものだと、私は思っている。しかし、鈍感になってはならない。自分を戒めた一冊だった? -
Posted by ブクログ
・世界の不平等の歴史を探究する難題
・世界で最も裕福な1%の世帯が、世界の個人純資産の半分あまりを保有している
・「平等化の四騎士」=戦争、革命、国家破綻、伝染病が不平等を是正する
・本書の目的は、不平等が減少するのはなぜかという疑問に答え、平等化のメカニズムを突き止める。
・古代の遺跡や埋葬からも、ヒエラルキーや階層社会のような不平等社会はみられている。
・経済的な余剰の多寡が政治的不平等を発展させていることがわかる。たいした余剰生産のない集団は86%が政治的不平等の形跡がない。
・最初の「1%」ー少数のエリートを生み出す構造 →国家構造がうまく維持されている限り、エリート支配は安定していた。
・世界のリーダーとは、地位の低い農業生産者の搾取者にほかならなく、派手な消費をすることは、力関係を明らかにして強化する重要な手段であった。
・富の獲得方法は、歴史上2つしかない。作るか、奪うか。
・資源をおのずと権力者に集中させることが近代国家の特徴
・大きな暴力的破壊がないことこそが「不平等」の決定的な必要条件
・何百年と続いたエリートへの富の集中による不平等が、ヨーロッパと中東でおきた疫病によって一変する。人口が減ることで労働賃金は上がり、地代は減るのでエリート層の資産は下がる。
・日本は鎖国まではあまり不平等が進んでいなかったが、世界経済に向けて国を開いてから不平等化が進んだ。
・日本はかつては地球上で最も不平等な国の一つだったが、第二次世界大戦による劇的な展開で、類をみないレベルの平等化が起きた。日本は戦争由来の平等化の教科書的な事例。
・日本は開国してから不平等化が進み、地主、株主、企業幹部は莫大な利益を得ていた。
・ところが1938年の春に「国家総動員法」が制定されて、政府は日本の経済を戦争遂行のために自由に使うことができることになった。
・戦争は勝者は不平等が拡大し、敗者は平等化になる。勝者側の指導者層は利益を期待できるのに対し、破壊された側は不平等が縮小された。
・伝染病で土地の地価が下がり、労働賃金が上がるため、地主や雇用主が貧しく、労働者が裕福になり不平等が抑制された。
・「誰もが世界の終わりと思った」中世後期の伝染病の流行。ペストに感染すると細胞壊死と神経系の中毒症状がでて50〜60%は数日で死亡。肺ペストに感染すると肺から放出される飛沫で人間同士で直接感染する。こちらは死亡率ほぼ100%。
・ペストは一世代に2、3度発生して人口を抑制し、その結果1430年代のヨーロッパの人口は13世紀末と比べて半分以下になった。
・平和的な平等化に関しては確実な証拠は得られていない。土地改革、不況、民主化は功を奏する時があるものの、不平等を体系的に軽減する効果はない。
・未来はどうなるか。人体の改造も不平等の進展になる。富裕層だけがバイオテクノロジーや遺伝子改良を特権的に享受できるようになるかもしれない。
デザイナーズベイビーを創り出すことで、遺伝子操作やサイボーグ化による「持てるもの」と「持たざるもの」とにわかれ、最終的には2つの種に分岐することになる。それが遺伝子エリートとその他多勢=天然人
・こんにちの世界では平等化の最も有効なメカニズム=4騎士はどれも作用していない。
・時とともに人類は平和になってきている。
人類の平和化を強めている具体的な要因のひとつは人口の高齢化である。人口の高齢化が暴力的紛争の可能性を全体として減らすとみられている。
・次に疫病の可能性について。近代以前の感染爆発の規模に匹敵する厄災が発生すれば世界で何億人もの死者が見込まれる。おおむね発展途上国に限られるかもしれない。
また兵器製造技術でスーパー細菌がつくられるかもしれないが、そのような物資をばらまこうとする発想を国家の首脳が抱くことはまずありえないという。
・また、現代では疫病による経済的影響で所得と富の不平等が平準化するまでになるかはわからない。インフルエンザは貧しい人に影響はあるものの、経済全般にはほとんど害がない。
現代において真に破壊的な疫病が世界中で何億もの人命を奪うとすれば、少なくとも短期的には抑えられない。伝染病で疲弊した経済においては、やがてロボットが失われた労働者にとって変わるかもしれない。
・四騎士が消えつつあることで、将来の平等化の見込みは薄い。
・経済的平等性を称える者すべてが肝に銘じるべきなのは、ごく稀な例を除いて、それが悲嘆のなかでしか実現してこなかったこと。 -
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「実力も運のうち」が面白かったので、サンデル教授の過去本を読んでいます。
お金と道徳という問題。お金で買う・売るという行為が入ってくることで、道徳的な「善」が失われてしまう。
腎臓、幼児、入学試験、爵位、スポーツ選手のサインなどなど。名誉とされるものも売買対象になると。。。
チケットを転売する。腎臓を売る。物事の解決策として「市場」を用いる経済学者。経済学的には全員がハッピーだが、人間の道徳・心では引っかかる。。
その引っかかる部分を主張すると古いと言われてきたのが、この30年、市場万能の新自由主義時代だったのかと思いました。この市場万能主義に翳りが見え、最後の学歴万能への警鐘が、新刊「実力も運のうち」だったのかなと思いました。 -
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「ハーバード白熱教室」「これからの『正義』の話をしよう」のマイケル・サランデルの経済と市場と倫理の話
何度も読み返したり、読み直したり、考えたりしすぎてなかなか読み終わらなかったけどやっと読み終えた~というか読んだだけなのかもしれん。
私たちの生活に密着した「市場主義」
世の中にお金で買えないものはない?ある?
買えるもの
・刑務所の独房 1晩82ドル
・インドの代理母による妊娠代行サービス6250ドル
・絶滅の危機にあるクロサイを射撃する権利15万ドル
・主治医の携帯電話の番号 年に1500ドル~
あとは、逆にもらえる方法
・ダラスの学校で1冊本を読むと2ドルもらえる
・体のどこかに広告を出す777ドルもらえる
などなど…
世の中に値段のついていないものはない…
「需要と供給」「ギブアンドテイク」で成り立ってるならいいじゃん~
これが市場自由主義の世界だ~
という声が世の中にある
いやいや…果たしてそうなんだろうか?
マイケル・サランデルはこの本の中でこういう例を出している
「国立自然公園にゴミを捨てる人に罰金を科す。じゃあ金持ちはお金を払うから国立自然公園にゴミを捨て放題でもいいのか?」
これってすごくわかりやすい
お金払ってるから何してもいいだろ的なことを主張する人はたいがいこんな感じの俺なりの理屈を通す。
「道徳の売買」の恐ろしさ
後半は生命保険の話をしてるんだけど
これもまた考えさせられる
知らないうちに人は「お金」と「市場」に踊らされていて
「道徳」「倫理」を売り買いしているのかも
いや、結局「正義」の話なのか…
いや~この本あと100回ぐらい読まないと
ちょっと私では浅すぎてちゃんと理解できてないかもしれん…
うむむ…また読もう。 -
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暴力と不平等の歴史。一億総中流と言われた社会がかくも格差が広がった理由を知りたくて読んだ。結構難しく、読書カロリーは高め。ガチで論文のデータを載せているためである。
人類と不平等は農業畜産以前からの長い付き合いだが、時には不平等が是正されることもあった。その平等化のメカニズムは「戦争」「革命」「崩壊」「疫病」であるという。
この本では、なんとジニ係数を農業畜産以前まで持ち込むのがポイントだ。中世フランスイタリアの富裕税、オランダの家賃税、古代アステカの家屋サイズ、バビロニアの持参金の分配などを使うという。
前近代の文明については、漢、ローマ、スペインなどが挙げられる。これらは、経済的な影響ではなく政治的に下層民を搾取することで凄まじい上層部の富を生み出し、不平等を拡大させた。統治者が強権を持てばその財産が没収されることもあるが、そうでなければ不平等は広がるばかりであった。
そして、戦争。太平洋戦争では日本全体がボコボコになったのは周知だが、日本の富裕層でも例外ではなかった。株式といった収入が消え果て、所得税は年々上がり、戦争後半は戦略爆撃で苦しみ、不労所得者や企業幹部といった身分は消滅した。戦後もハイパーインフレ(日中戦争と比して消費者物価は18000%増加したとの推定すらある)で金の価値が減った。富裕層は財閥解体の対象にもなりますます富が下層に流出。これで海外進出して貧困日本人を救うという大義名分を破壊したのである。
第一次二次大戦の平等化は、富裕層でも、超富裕層に強くのしかかったらしい。フランスでは一次大戦で上位0.01%の富が3/4に、二次大戦で2/3に。一方で上位1%では半分弱しか減ってないらしい。エリートの富は戦争用に再分配、あるいは徴収された。『軍事大量動員と、累進税率と、所得上位のエリートの資産の狙い撃ちが、財政的な平等化作用の三本柱をなしていた』とのこと。 -
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【感想】
われわれはなぜ転売ヤーを疎ましく思うのだろうか?
転売ヤーへの批判は、主に次の2通りに分けられる。
1つ目は、転売を挟むことで価格がつり上がり、供給者から転売ヤーに利潤が吸い上げられているという批判。2つ目は、転売によって本当に欲しい人に品物が届かなくなるという批判だ。
しかし、この2つとも有効な批判とは言えないだろう。
1つ目の批判に対しては「自由主義的」な観点から擁護できる。モノを売る会社の一方的な値付け価格では、市場価値が正確に反映されていない。買い手の需要と売り手の供給とが合致した結果としての「転売価格」が、むしろ正統な値段であるという擁護だ。
2つ目の批判に対しては、「本当に欲しい人とはいったいだれを指すのか?」という観点から擁護ができる。本当に欲しい人とは、市場の性質を考えれば、他者よりも多くお金を払う人だ。転売ヤーから言わせれば、安すぎる商品に人が殺到することこそ「欲しい人の気持ちを考えていない」行いになる。そこで転売ヤーが適切に高い価格で再販することで、どうしても欲しい人と商品の橋渡しをするのだ。
結局のところ、どちらの言い分も一長一短である。
本書では、この2つの観点から市場主義を問うのは効果的ではないと述べている。
では、サンデル氏はいったい何に着目したのか?どうやってこの禅問答のような議論を崩しにかかったのか?
それは、「善き行いか?」という観点からの批判であった。
ライブチケットを転売する人は、チケットを買うことが目的であり、ライブ自体を楽しみだとは思っていない。言い換えれば、歌手への尊敬に欠けている。
これは日用品でも同じだ。例えばマスクの転売である。マスクの転売が批判されるのは、転売ヤー本人が「マスクを自分で使おうとは思っていないこと」つまり、「マスクを買うための目的が倒錯している」ことにある。
これらはどちらも「善」に関する議論だ。買う人間に対して、「それを買うのにふさわしい態度を身につけるべき」という批判をする。この批判をもとに、あらゆることを市場化することへの警鐘を鳴らす。
当然ながら、これは経済学の領域では論じきれない。経済学では、ものを買う目的を俎上に載せることはない。また、この批判は「では、善とされるものの定義はなにか?」という道徳的な議論を行う必要がある。その難しさから、「あまりに理想主義すぎる」という反論も起こりうるだろう。
しかし、経済学に倫理を持ち込むことは、確実に必要である。
何故か。
それは、あらゆるものに価格をつけるという行為が、「下から上への再分配」を生み出し、格差を拡大するからだ。
累進課税に代表されるように、社会には多くを持つ者からあまり持たない者へと資源を再分配するシステムが取り入れられている。それは格差の是正と、資本主義を過熱しすぎないようブレーキをする役割を持っている。
しかし、今まで価値のつけられなかった(無料であった)ものに値段をつけるという行為は、持たざる者が手にしていた「機会」を、金に換えてそっくりそのまま売り渡すことになる。持たざる者の「機会」を買う値段は、持つ者にとっては微々たる金額だ。そこで起きるのは平等な「等価交換」ではなく一方的な「分配」であることは言うまでもない。
そうしてなにより、機会の値付けの際に「選択肢」を持っているのは、裕福層側であるのだ。
金による解決は、社会にとって決してよい結末を産まない。
であるならば、――日常領域に市場が侵食してきたように――善という「非市場的な概念」を市場に持ち込むことこそ、過熱した資本至上主義を止めるのに必要なものなのだ。
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【本書の概要】
市場や商業は触れた善の性質を変えてしまう。われわれは、市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所はどこかを問わざるを得ない。そして、その問いに答えるためには、善の意味と目的について、それらを支配すべき価値観についての熟議がかかせない。
格差が広がる時代に、あらゆるものを市場化するということは、格差がますます広がることを意味する。市場をその持ち場にとどめておくための唯一の頼みの綱は、われわれが尊重する善と社会的慣行の意味について、公の場で率直に議論することだ。
【本書のまとめ】
1 市場が日常に侵食してきている
代理母、デザイナー卵子、環境汚染権の売買、大学への入学権など、かつては値段をつけられなかった物すべてが売り物となる社会が来ている。
お金で買うことが許されるものと許されないものを決めるには、社会・市民生活のさまざまな領域を律すべき価値は何かを決めなければならない。日常生活における市場の役割と範囲を考え直さねばならない。
最初に、この本の結論を述べる。
それは、生きていくうえで大切なものの中には、商品になると腐敗したり堕落したりするものがあるということ。したがって、市場がふさわしい場所はどこで、一定の距離を保つべき場所はどこかを決めるには、問題となる「善」――健康、教育、家庭生活、自然、市民の義務など――の価値をどう図るべきかを、問題ごとに議論する必要がある。
2 行列に割り込む
遊園地のファストパス、行列に並ぶ「並び屋」、診察券のダフ屋、コンシェルジュドクター。「先着順」という行列の倫理は、「安かろう悪かろう」という市場の倫理に取って代わられつつある。
「金で順番を買う」ことへの擁護は、主に次の2パターンが挙げられる。「市場は買いたい人と並びたい人の効用を最大化させる」という擁護と、「買い手と売り手の自由意志を妨げてはいけない」という擁護だ。
しかし、ここで財の配分方法に関して議論するのは、適切ではない。問題は「善」に関することがらなのだ。
無料で行うコンサートに「並び屋」が並べば、我々は快く思わない。これは価値無きモラルに「市場価値」をつけることで、ある財における「善」を腐敗させるからだ。無料コンサートはまったくの商品でも、市場財でもない。にもかかわらず、そうであるかのように扱えば、コンサートを貶めることになる。
だからこそ、われわれはダフ屋や行列屋を疎ましく思う。それは、かつては「良識」の範囲内で楽しんでいたものごとが、金銭によってその倫理的価値を歪められたからなのだ。
3 インセンティブ
お金を払って避妊手術を受けさせる。いい成績を取った子に賞金を与える。タバコをやめた人にお金をあげる。
健康的な行動と引き換えに賄賂を渡すことは、一見winwinに見えるのに、贈収賄であるという非難が当てはまるように思えるのはなぜだろうか。
それは、金銭的動機によって、ほかのよりよい動機――学ぶことへの悦び、肉体の健康への正しい姿勢――を排除するからである。
言葉を変えれば、市場のせいで、出産や勉強や禁煙が「どう扱われるべきか」という見方が変わってしまうのだ。
●罰金と料金の違い
イスラエルのとある保育園が、迎えに来る親に罰金を科すことに決めた途端、遅刻が倍増した。今までは、遅れてきたときに「良心の呵責」を感じたが、今では「お金を払えば預かり保育を延長してくれる」という心理に変わってしまったのだ。
これと同じことが、より広範で国際的な取り組みである「排出量取引」でも起こっている。
善への罰である「罰金」が、しかじかをする権利である「料金」に変わってしまい、よりモラルから逸脱することがありうる。市場の範囲が、非市場的規範の律する生活領域に広がると、標準的な価格効果は失われてしまうことがある。
端的に言えば、規範が重要なのだ。市場に任せることで効率化が進んだとしても、ときにそれは責任ある倫理に求められる「自制」や「自己犠牲」、「良識的マナー」の意識を傷つけ、行動を悪化させる危険があるのだ。
したがって、ある善を商品化するかどうかを決める際には、効率性や分配的正義の先にあるものを考えなければならない。また、市場的規範が非市場的規範を締めだすかどうか、締め出すとすれば、それが配慮に値する損失かどうかを問わなければならない。
われわれは、金銭的インセンティブの効果を予測するだけではなく、道徳的な評価――そのインセンティブが、守るに値する姿勢や規範を蝕むか否か――を下す必要があるのだ。
4 市場が道徳を締め出す
お金で買えるが、そうすべきではないものがある。友人やノーベル賞の売り買いは、お金で買えるが善が台無しになるものであり、臓器や子供の売り買いは、善はなくならない(お互いが納得した上で取引するため)がほぼ確実に腐敗するものである。
市場での評価と取引によって堕落してしまうという善がある。市場が非市場的規範を締め出し、より低俗な規範に取って代わってしまうのだ。
5 生と死を扱う市場
バイアティカル投資、用務員保険、生保賭博など、「ある人が死ぬかどうか」に賭ける金融商品がある。
たいていの人間は、死ぬ確率に賭けるギャンブルを道徳的に不快なものとみなす。しかし、ギャンブラーが当事者を苦境に陥れず、ただ遠くから賭けを楽しんでいるだけならば、なぜ非難されるいわれがあるのだろうか。
死の賭けがあるまじきものだと仮定すれば、その理由は市場の論理を超えた、そうした賭けに現れている「非人間的な態度」にある。
ときとして、われわらは道徳的に腐敗している市場慣行と共存する道を選ぶ。それがもたらす社会的善のためだ。生命保険はこの類の妥協の産物として始まった。しかし、生と死を扱う現代の巨大市場が証明しているように、保険はギャンブルとの境界線があいまいなものになろうとしている。市場の範囲が非市場的範囲を飲み込もうとしているのだ。
あらゆる「低俗」とみなされる市場還元には、2つのパターンがある、一つ目は「強制と不公正にかかわるもの」もう一つは「腐敗と堕落にかかわるもの」だ。そして、前者だけ議論しても決着はつかない。大切なのは、後者について論じる場を設け、どこまでに値をつけてよいか社会の中で決定していくことだ。
なぜそうした議論が必要なのか?それは、自由主義や功利主義といった従来の経済学のパラダイムでは、市場的思考や市場関係が人間のあらゆる活動に侵入してくる世界の何が問題なのかを説明してくれないからだ。こうした状況の何が不安をかき立てるのかを説明するには、腐敗や堕落といった道徳的な語彙を使う必要がある。そして、腐敗や堕落について語るには、「善き生」という概念を避けては通れないのだ。 -
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一言でいうなら、大著である。それだけに読む者にもそれなりの労力が求められる。
本書は、古代からの人類の悠久の歴史が、持てる者と持たざる者の不平等の歴史であること、両者の格差は拡大と縮小を繰り返してきたことを実証していく。そして、格差が是正され、平等化に近づくのは、常に暴力的事象の後であることを指摘する。すなわち、戦争、革命、国家の崩壊、疫病であり、著者のシャイデルはこれをもって「平等化の四騎士」と命名した。ただし、小規模な破壊やどちらかの一方的な勝利などは、平等化にほとんど影響しないか、限定的な効果しかない。四騎士の剣が振るわれるのは、壊滅的なまでの暴力のみである。
ここ数十年、世界のグローバル化に伴い、所得と富の不平等が広範囲に拡大している(それでも大戦前の不平等よりはマシだという)。それらを抑制する暴力的衝撃である四騎士が力を失ったからだとシャイデルは指摘する。壊滅的な戦争も、大規模な国家の崩壊も現在ではほとんどない。
ちなみに本書の原著は2016年にまとめられ、2017年に刊行された。このため、疫病の観点から、昨今のコロナ禍に関する考察はない。コロナ禍の一年、株や債券を持つエリート層はさらに富を拡大させた。本書の論理は間違いではないかという声が聞こえてきそうだ。
しかし、コロナはかつてのペストのように人口の何割もが命を落とす性質の暴力ではない。人口が減少し、労働力が不足して、賃金が上昇するということもない。コロナ禍で失われたのは労働力ではなく、仕事そのものである。コロナはむしろ貧しい人々に深刻な影響をもたらした。ただ、コロナが収束し、経済活動が再開されれば、労働賃金が増し、平等化が推し進められる可能性はあるだろう。
歴史家であるシャイデルが積み上げたデータは膨大である。特にジニ係数と所得シェア率に注目して論を組み立てていくのは非常に興味深い。また、戦前戦後の日本にかなりのページを割いているのも、我々日本人の好奇心をかき立てる。
高齢化や移民問題を重要な課題としつつ、シャイデルは不平等是正の処方箋をいくつか検討してみせる。しかし、歴史を省みて、暴力的な破壊なしにそれが達成されることに悲観的である。
シャイデルから渡されたバトンをどう未来につなぐか、まずは目の前のコロナ禍への各国の対応に注目していきたい。 -
Posted by ブクログ
2012年の作品。「これからの正義の話をしよう」が大ベストセラーになった、サンデル教授の1冊。こちらも面白いですね。
行きすぎた市場主義。本来は道徳的に、社会規範的に取引の対象になってはいけないはずの物事にまで、市場主義の影響が及ぶ。取引可能な汚染許可証、貴重な野生動物の狩猟権、血液や臓器の売買、公共財の命名権、生命保険の売買によって人の死までもが取引の対象に。。
リーマンショックで、行き過ぎた市場主義に警鐘が鳴らされたはずなのに、トランプ政権的な流れの中でまた、社会正義は軽視されるようになり、そしてまたバイデン政権で揺り戻しが起きようとしている。サンデル教授は、どこまでが市場主義が入っていい分野なのか、社会的な議論をしっかりと進めなければならないと主張されていますが、この大きな流れをみると、揺れ動きながらもアメリカ社会は、ちゃんと悩んでいる印象もあります。
一方で、日本はどうなんだろう。ゼロリスクを好む国民性もあって、行き過ぎた市場主義にはなっていないとは思うのだけど、正面からの議論が苦手な国民性もあるので、社会的なコンセンサスは構築されていない。だから何か起きると扇動的なマスコミの報道にも影響されて、極端な方向へ全体が流されがちということも言えるかもしれません。 -
Posted by ブクログ
1.最近になってますますお金の重要性が増してきた現代ですが、豊かな人ほど「お金は必要ない」と言っています。なぜここまで貧富の差が激しくなったのか、なぜお金が人の心を惑わせてしまうのかが気になったからです。
2.市場主義が浸透し、すべてが市場原理に委ねられ始めた昨今ですが、それに伴って大きな問題が2つあります。まず、公平性の問題です。本書では行列に並ばなくてもプレミアムを払うことで先に行けるシステムが導入されています。それによって、金銭に余裕がある人は進んでそれを支払うことで、生活に余裕を持たせていきます。一方、貧しい人は永遠に待つことになります。これにより、本来は業道で会ったシステムが崩れていくことを指摘しています。次に、腐敗の問題です。昔から裏口入学が問いただされていますが、まさに腐敗の証拠と言えます。金さえ払えばどうにでもなるという考えが蔓延し、施行することや競争させることを避けてきてしまったがゆえに、生じる問題があります。
このように、お金が全てになりつつある社会に対して、改めて問いかけるのが本書の役割だと思っています。
3.貧富の差が拡大してきた大きな理由は、中流階級が貧しくなっていくことだと考えました。今まで出費をしなくてもよかった部分に出費せざるを得ない状況になりました。すると、必然的に支出が上がり、貯蓄率は低下してきます。これにより、生活費の負担が上昇し、貧しくなってしまう構図だと思いました。