あらすじ
成功を決めるのは努力か環境か? ハーバード随一の人気教授が「能力主義」の是非を問い日本中に議論を巻き起こしたベストセラー
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Posted by ブクログ
頂点に立つ人びとは、自分は自分の手にしている境遇にふさわしい人間であり、底辺にいる人びともまたその境遇にふさわしいという独りよがりの信念を持ちやすい。
リベラル派 保守派
左派 右派
民主党 共和党
主流派 反主流派
ヒラリー トランプ
道徳的に行動する責任を負わせることと、われわれ一人ひとりが自分の運命に全責任を負っていると想定することは全く別である。
神は正義に叶う、神は全能、悪が存在 この三つの見解を同時に取ることは難しい
→人間の自由意志 悪への責任を神から人間へ移行する考え
リベラリズムの先駆者
しかし、自由意志を認めれば神の究極の贈り物である十字架にかけられたキリストという犠牲の意味を損ねる、神の恩恵を前にしての謙虚さが自らの努力に対する誇りに取って代わられてしまう
神に選ばれることは自力では決して不可能であり、そのために功績を上げてチャンスを増やそうとすることが冒涜である
→断固たる反能力主義
ただ労働的な考えだと天職について頑張ることが救済のしるしだと見なし、これが選ばれる原因だとすり替わっていく
自分たちが神に選ばれたと確信しているせいで、宗教的貴族社会は地獄に堕ちる運命にあるように見える人々を軽蔑して見下した
→能力主義的おごりの初期バージョン
選ばれたものは自力?自力でなく神の恩寵? 当時
成功は自力?幸福は制御できない要因? 現在
オバマはテクノクラート的な考えそのもの
テクノクラート的なものとしてではなく、権力、道徳権威、信頼にまつわる民主社会に生きる市民にとっての問題としなかったことが問題
このようなことが現在のポピュリストの不満の政治であり、能力主義とテクノクラシーの失敗に向き合うことが共通善に向けた一歩
人びとが能力主義に不満を訴える場合、理念についてではなく、理念が守られてきないことについての不満であるのが普通だと
能力主義はもっと根の深い問題だとしたら?実現できないのではなく、理想に欠陥があるとしたら?
能力主義完全実現は正義にかなうか、いささか疑わしい
能力主義の理想は不平等の解決ではなく、不平等の正当化
才能を自分の手柄ではないと認めれば能力主義的信念は疑問にさらされる。才能の道徳的恣意性を無視し、努力の道徳的意義を誇張してしまっている。
ハイエクの自由市場リベラリズム 才能に対する世の中の価値の尺度が違っているから受ける報酬も変わるわけでそれはただの運である
ロールズの福祉国家リベラリズム 才能のあるものが得た報酬を運に恵まれない人に分かち合う 努力の意欲さえ恵まれた家庭や社会環境によるもの
これが立証されるかはそのコミュニティから恩恵を受けて、共通善に貢献する義務があるかどうか
ハイエクの考えでも功績と価値の区別はできてるけど、お金が尺度となる市場経済の前ではほぼ能力主義と一緒
ナイトの考えだとハイエクの考え➕市場価値と社会的貢献は一致することが疑わしい
薬の売人 高額 小さな価値
教師 低額 大きな価値
平等主義リベラリズムは結局のところ、エリートの自己満足を咎めていないことを示唆しているのかもしれない
大学入試を適格者内でくじびき
能力を一基準として、最大化すべき理想としない
グローバリゼーションプロジェクトは消費者の幸福を追求し、外部委託、移民、金融化などが生産者の幸福に及ぼす影響をほとんど顧みなかった。労働の尊厳の喪失
改善に向けて
生産者として役割 貢献の真の価値は賃金ではなく、対象の道徳的、市民的重要性
低賃金労働者への賃金補助、税負担を労働から消費へ
税務政策は道徳的側面を持つ、労働よりも投資の税率が低いのはgdp増加が目的、それは道徳的前提?
実体経済にとって無益で賭博めいた投機に悪行税を課す
能力の時代が破壊した社会の絆を修復する
完璧な平等を必要なのではなく、多様な職業や地位の市民が共通の空間で出会うことは必要
Posted by ブクログ
能力主義の世の中、能力とされている内容は、純粋な自分の能力ではなく、偶然や機会・環境によって構成されている。
では真の能力主義を実現するためにはどうするべきか?
本来の能力以外の部分を平準化する「平等」の実現が必要である。
一個前に「これからの『正義』の話をしよう」を読んでいたので、スッと入ってきた。
サンデルの他の本を読んでから読むことをおすすめ。
Posted by ブクログ
昨今の世の中の混乱を西洋におけるプロテスタント倫理の崩壊と言う意見を聞くようになりました。
本書でもそのあたりを『自らの健康とささやかな成功を神に感謝する考えから、健康で成功するためにきちんとできる人間である事は神に愛されている証と言う考えに変わり、健康で成功するために努力する事が神に愛される原因と考えるようになり、健康で成功するための努力そのものが個人の選択と能力により獲得できるものと考えるようになり、ついには自分の運命は自分が握るものと言う考えに至った』とページを割いて説明しています。
自分の運命は自分で切り拓くものと言う考えは実に人間本位の考え方だと思います。
多分ですが、今の私があるのは私一人の手柄ではなく、親や友人や先生や他の誰や神様や運命が私に与えてくれたものと考える事が第一歩なんだと思います。
一度こう言う考えに立ち返る事で、私たちの価値や能力は本来は他の誰かとの関係性の中でしか評価できないものと気付けるのかもしれません。
人間には社会生活に積極的かつ生産的に参加したいと言う要素があり、これが満たされる事、つまり他人を承認し他人から承認される事を抜きにしては、分配だろうと流動性の向上だろうと、小手先のテクニカルな政治的な対処ではもはや意味を持たない事も良く理解できました。
Posted by ブクログ
入試にくじびきを導入することを提案することが有名なサルデルのメルトクラシー Meritcracy に関する著書。本書のテーマである能力主義やアメリカンドリームといった一見もっともらしいものと、いわゆる公共善との間の矛盾を鋭く、というより丁寧に指摘している。
私は、このような観点について公平か平等か、といったよくある議論どまりの視点しかもっていなかったが、平等というもののロールズやハイエクの主張が無批判にいわば常識として自分に刷り込まれていたことに気付かされた。
Posted by ブクログ
当たり前だと思ってきた「能力主義」というものを根本から考え直させられました。
努力すれば報われる、教育機会を広げれば公平になる…リベラルな考えに比較的共感してきて、これまで善意だと思っていた考えが、実は「成功できなかった人は失敗者」という偏見を助長しているのではないか、と気づいて少し衝撃を受けました。
私たちは生まれてから受験、就活、昇進とずっと選別され続けています。何かしらの基準で「優れている」「劣っている」とラベルを貼られるのが当たり前になっていて、達成した人は驕り、達成できなかった人は自分を責めてしまう。
でも本当に大事なのは、そうした基準を超えて、どんな立場の人も尊厳をもって生きられることなのだと思います。
サンデルの提案する改善策は正直まだ現実味が薄い部分もあると思いますが、それでも「この社会の常識を一度立ち止まって疑う」きっかけを与えてくれる一冊でした。
Posted by ブクログ
行き過ぎた学歴主義・能力主義がもたらす弊害を広く概観し、能力≒報酬を受けるに値するという発想に根拠がないことを論じ尽くす。日本の社会学者立岩真也にも近いものがあるよね。
Posted by ブクログ
我々の幸福の大前提である「人間の尊厳」そして誰もが従う「正義」に照らして「能力主義」は人間の尊厳を踏み躙る平等主義の間違った理想であり、正義ではない、という話。
能力ですべてを決める。能力はその人の努力の賜物である。そうすると、努力しても社会が認める能力を持てない人には自信の喪失、屈辱と敗北感、そして貧困が待っている。すべての子供に教育の機会を与えるというACジャパンのCMや、高校の授業料無料といった施策が善とされる。しかし、お金や機会の問題ではなく勉強ができない人は逃げ場がなくなる。成功した者は「機会の平等」を与えれば解決すると思い込んでるが、それは平等ではなく能力を基準とした不平等の再配分でしかないということです。
サンデル教授は、アメリカで民主党が貧しい人や有色人種たちにリベラルな立場として「機会の平等」ばかり与えてきたが、成功できなかった人たちを蔑ろにして不評を買った。本来白人や既得権益を守る共和党だがトランプは逆にアメリカを再び偉大にすると呼びかけ、成功できなかった人にも夢を与えた。そしてインテリたちは有色人種やLGBTの人権は声高に叫ぶが、成功できなかった人たちは怠け者の落伍者として無視する。この恐ろしさ。
子供の頃は「職業に貴賎はない」と親からも学校でも習ったけれど、進学や就職が近づくにつれて、子供の夢や志望を全否定することを散々言われたことを思い出す。当時は大人は汚いと思ったけれど、世界中が能力主義に向かう過渡期だったのですね。究極の幸福は金持ちになることという考え方が全人類を不幸にしてるのです。そして「やればできる」とか「あなたには無限の可能性がある」とかいう言葉も同様に間違ってるのです。
こういう話は社会の常識を打ち破る話なので簡単なことではない。サンデル教授は一人ひとりが神か偶然か運命がなかったら自分もああなっていた、と考える謙虚さが社会の絆を生み、怨みや憎しみのない社会をつくる、と締めくくります。映画「知らないカノジョ」で中島健人が思い知らされるのと似たような謙虚さですね。あれを2人の間だけでなく全人類に対して抱く必要があるんですね。
とはいえ、どういう仕組みを作っても平等にはならないでしょう。平等かどうかではなく、一人でも多くの人が総じて言えば幸せと感じる社会になってほしいものです。
Posted by ブクログ
能力は、神の恩寵でなく努力の賜物である。だから能力が重視されるのである。そのためには能力を評価するための平等な仕組みは必要であり、社会は (学歴や労働の面で) 平等と思われる仕組み作りに奔走してきた。能力があるものが社会やコミュニティへの貢献度が高い。だから富や権力を得るのは当然であり、それが社会を発展に導く。
と、皆思っている (思わされている) がそうではない、が著者の主張。
能力 (とりわけ知的な) は努力だけでは測れない要因 (広く言えば諸々の環境) が多々ある上、厳密に平等を実現するのは困難である。平等を突き詰めれば、より明確な勝者と (言い訳のできない) 敗者が生まれ、敗者はその烙印に耐えられず社会は疲弊していく。大事なのは (一生の間だけでなく世代間含めた) 流動性であり、適度なランダム性や1次元の評価軸でない多様な価値観 (共通善への貢献尺度) が必要 (具体は6章、7章) 。強者は自身の能力に奢らず (もちろんサーカスばりの努力もある) 、自信の立場があるのはコミュニティからの恩恵/他者からの貢献を授かった上で成り立っていることを謙虚に受け止め恩返し、熟議すべしと。
哲学者らしい道徳的な視点から歴史的な経緯、昨今の事情 (特にアメリカの) を交えて滾々と訴えている。アメリカンドリームを標榜する米が実際には先進他国と比べても流動性が低いのは意外であり象徴的。現在の暴力的な格差を是正するのは並大抵ではないが、土台が揺らげば社会が傾き何かしらフィードバックは掛かるのかな。
「これから「正義」の話をしよう」含め、著者の本は考えさせられることが多く楽しい。ただ、この本はちょっと冗長な感じでくどい感じはする。
Posted by ブクログ
能力主義とは、一般に、家柄などのような本人の意思では変えることのできない属性により生涯が決まってしまう貴族制よりも、公正な制度だと一般に考えられている。 しかし現実には、高額な教育費を支払える富裕層の子は名門私立大学に進学するうえで明らかに有利になっている。現代社会で能力を推し量る最大の目安となる学歴が、親の資産である程度決まってしまうのである。
そのような現実にも関わらず、高学歴のエリートたちは、努力さえすれば誰でも能力の許す限り高い地位を得ることができるという建前を主張する。能力主義を主張することは、エリートたちにとっては自らの現在の地位が己の努力によってのみ獲得したものとみなせる反面、非エリートたちにとっては現在の恵まれない現状は己の努力不足、自己責任である、とみなされてしまう。能力主義社会の敗者たちに救いはない。やりようのない怒りが、学歴エリートへの反発を産み、トランプを大統領へと押し上げたと言える。
Posted by ブクログ
ハーバード白熱教室で有名なサンデル教授の本。彼自身はハーバードの政治哲学者であり、コミュニタリアニズムの代表者でもある。得てして我々は、努力をしたものが報われるのは当然である、能力がある人が高い収入を得るべきだというメリトクラシー(能力主義)的な考え方を当然だと思っている。しかし、それは本当なのか、能力に応じた機会の平等を訴えていたリベラル政党が弱まりポピュリズム政党が力を増しているのはなぜなのか。考え直すべき時期かもしれない。米国の能力主義が宗教的価値観が源泉だったというのも非常に興味深かった。
Posted by ブクログ
やはりサンデルは良い。たとえ全編そうでなくとも、自分では辿り着けないいくつもの見解に出会うことができる。
例えば、第2章の「能力の道徳の歴史」は、Dトランプ的自力志向や、日本の無宗教性ゆえの自己救済などに思いを寄せることができる「宗教的教養」を提示している。
Posted by ブクログ
気づきを与えてくれる1冊。才能を伸ばす、努力する、成果を上げる、報酬を貰う、他人から讃えられる。現代の能力主義の日本で生きていたら当たり前ことを根本から考え直せます。個人的にはトップの成功者ほど、「実力も運のうち」な事に自然と気づけている気がします。その証拠に超富裕層はフィランソロピー(社会貢献活動)に関心が強い人が多い(お金を使い切れないというのもあるが)。SNS等で成功者ぶった人を見ても、この本を読んだ後だと幼稚に見えて、精神が乱されず、本質を見抜くことに繋がります。
Posted by ブクログ
実力も運のうち。
運が良い過程の育ったなら、実力も高くなる。
特に学歴は家庭の所得と大きく関係している。
機会は均等に与えられているとされているが、実際なスタート地点が違うのだから同じではない。
高学歴者と低学歴労働者との間の格差が広がり、それがアメリカではトランプの当選につながったと説明されている。
アメリカの現状がとてもよく分かった。
Posted by ブクログ
真の平等とは何か?を考えさせられる本だった。オバマ元大統領等、過去の大統領らの発言・境遇を例とした論拠は理解しやすく、能力主義を市場原理と道徳性の観点から分けて説明している点も分かりやすい。
社会への目の向け方に気づきを与えてくれる一冊。おすすめです。
Posted by ブクログ
共和主義の伝統的な生産者の倫理の喪失
能力主義による蔑視、驕りの蔓延=個人主義(≠共同体主義)の蔓延
アリストテレスの生産を通じた美徳
教育への選別機能の付加
競争優位を失いたくないがための完璧主義
Posted by ブクログ
米国に蔓延する「能力主義」に対する批判。
第一次トランプ政権の誕生のきっかけになった「分断」の原因が「能力主義」にあるとしている。そして、その「能力主義」を蔓延させるきっかけとなった、グローバルな自由市場を受け入れ続けてきた今迄の政権にあると批判している。
そもそもなぜ能力主義は分断を生み出すのか?結論を言えば、格差が固定化されてしまっているから。
アメリカでは、機会の均等があれば、誰でもアメリカンドリームを手にできる。その地位は、自らの能力に起因するものである。これが能力主義の社会である。しかし、現実には、格差は固定化されている。成功者は自らの地位を確固たるものとするし、貧困なものは貧困から上がれない。人々は能力主義の社会を信頼しているからこそ、そこから上がれないことによる不満で分断が生み出されている。さらには、差別が禁止される中で、能力主義を前提とした見下しは、唯一許されている差別ともいえる。その代表が、学歴による差別。
結果として能力主義は勝者におごりをもたらすし、敗者には屈辱と怒りをもたらす。さらに、エリートたちには能力主義がもたらすおごりを理解することは難しい。エリートたちにとっては、今の自分の地位は「自分」の力で得たものだから。
さらに分断を加速化させたのが、政府を運営するエリートたちの政策。機会の平等を説き、それにより国民を鼓舞すると同時に、大きな政府を目指し、貧困層を補助しようとしている。しかしそれは根本的な解決にはならない。
具体的には以下のとおりである。
機会の平等による完全な平等は実現し得ないし、そもそも機会の平等な社会は本当に善い社会とは限らない。政府を運営するエリートたちは、機会の平等を説くことで国民を鼓舞していた。不平等への回答として、グローバル経済に立ち向かうために、労働者が高度な教育を受け、それに適応することを提唱した。しかしそもそも、機会の平等、能力主義は不平等の正当化である。だからこそ、努力をすればいいだろう、と反論するものもいるかもしれないが。しかし、成功は努力と才能の合成物であり、その絡まりを解くのは容易いことではない。
また、大きな政府による貧困層の補助も、能力主義を確固たるものにしてしまう。貧困に陥った人を救う場合、無責任というレッテルを貼った人々は一切援助せず、生まれつき劣っているというレッテルを貼った人々のみ助けることになる。したがって、政府による援助は、「生まれつき劣っている」という証明をさせ屈辱的な援助を与えてしまい、結果として能力主義を補完する方向に動いてしまうからである。
経済が成長していれば道徳的に賛否両論ある問題について議論を戦わせる必要がないというのも理由の一つかもしれない。だからこそ、エリート層は無批判にグローバル市場を受け入れることを前提にしているのである。それが分断を生み出す現実から目をそらしながら。逆にトランプは能力主義について一切触れない。支持層に対しては、国家の主権、アイデンティティ、威信の再主張を説いている。
こうした社会でこそ、筆者が注目するのが、「労働の尊厳」の回復である。
グローバリズムでGDPを最大化し、それを分配しても前述のとおり、労働者の怒りは回復しないのは自明。そもそも、経済的報酬を賞賛、功績、手柄と結び付けてしまうような社会自体が善ではないのである。麻薬の密売人と教師、儲けているのは前者だが、善なのは後者なのは明らか。だからこそ、賞賛、功績、手柄、「労働の尊厳」を人々が得られる社会を作るべきである。
そして、その解決策として挙げられるのが、低賃金労働者への賃金補助。
経済において我々が演じる最も重要な役割は、消費者ではなく生産者としての役割である。生産者として必要な財とサービスを供給する能力を発揮して社会的評価を得ることで、人々に「労働の尊厳を与える」。低所得労働者が十分な市場賃金を支払われる技能を欠いていてもまともな暮らしができるようにするのである。
また、複雑な金融システムを抑えることも提唱している。具体的には、給与税を下げ、消費や投機に対して税をかける。金融そのものは生産的ではない、確かに経済の潤滑油たり得るが、過度に複雑化しすぎて、関係者にしか利益をもたらさない。もはやギャンブル化している。
以下、思うこと。
① 生産者と消費者について
筆者は、過度な消費社会に警鐘を鳴らし、重要なのは「生産者」として尊厳を得られることと提唱している。我々は、消費者であると同時に、生産者であることに気づかなければならないのである。この概念は、過去に読んだ「柔らかい個人主義の誕生」でもあったな、と思い返した。
単なる消費者ではなく、消費することを楽しむ消費。それによりアイデンティティを保つ。
モノを消費する主体であるだけでは、精神が擦り減ってしまうのだろうと思う。
② 資本主義社会の絶望について
⇒「経済的報酬を賞賛、功績、手柄と結び付けてしまうような社会自体が善ではない。」と筆者は主張しているが、そもそも賞賛、功績、手柄では食っていけない。資本主義社会であるからこそ、資本の多寡は生き死にに直結する。だからこそ、人々は経済的報酬を欲するし、それが地位に直結してしまう。いくら経済的報酬の代わりに賞賛を得られたとしても、それはキレイごとに過ぎないのではないかと思う。
③ 自国第一主義との紙一重
⇒筆者は、政府を運営するエリートたちを批判している。そして、「労働の尊厳」を回復させることを提唱しているが、やはり、分かりにくい概念。グローバル経済によって生み出される格差を批判し、生産者である人々を尊重するのであれば、グローバル経済に対抗し関税をかけて生産者を保護することが一番分かりやすい論理。そうなってしまっているのが現状だと思われる。
Posted by ブクログ
とても興味深い考え方と感じる。
確かに我々が選んでいると信じている人生についても、結局は運によるものなのかもしれないし、結局は親の裕福さに左右されているのかもしれない。
ただ、一つ言えることは昔よりも可能性は拡がっていること。
それが結果的に良い方向に向いているのかはわからず、貴族制度の時代の方が精神的尊重という点では優れており、人間にはそちらの方が良かったのかもしれない。
しかし、その制度に疑問を抱き、より良くしよう、したいと思う活動が今を作り、貴族制度を過去に変えたのなら、その過程や、そこから今抱える課題にで会えていることとして、人類は良い方向に進んでいるのかもしれない。
また数年後に読み返して、新たな視点で読みたい作品である。
Posted by ブクログ
如何に自分がtechnocrat的な,meritocracy的な思考の上に「平等」を思考していたのかを思い知らされる事になった.読み始めた当初,オバマやヒラリークリントンに対する批判の一部が分かったようで分からなかった.トランプを支持する人々が奪われてきたモノに対する理解も,言葉の上では理解していたけど,「消費する側の倫理」「生産する側の倫理」という言い回しに,ハッとさせられた.そういうことか,実体経済を回している人々が蔑ろにされ,金勘定で漂ってる奴らが富を掠め取っていく…この違和感や怒りは,この「裏表」にあったのか,と.
筆者は高学歴エリートの「価値」のあり方を批判こそすれ,能力そのものを批判するでもなく,出る杭を打つことを目標としているのでもない.ただ能力も「運」なのだという,至極当たり前で,ある意味で厳しくも残酷な事実に光を当てているに過ぎない.これはエリートの思い上がりを斬り,返す刀で「能力に恵まれない人たち」も斬ってしまいかねない現実なんだけど,そこに「労働=貢献」に価値を置くことで見事に昇華している.価値ある一冊にたどり着けたのもまた「運」ではあるのだけど,手に取った自分を褒めてあげたい笑
それにしても,かつてちょっとだけ関わってしまった啓発系セミナーの教えは「貢献」を価値にしつつ,その貢献は「消費する側の倫理」であったのだな,と今納得.あの違和感は,労働…を通しての人間そのものに対する敬意のなさに起因していたのだと今改めて.
あんなmeritocracyの権化から距離を置いて,本当に良かった,と心から.
どうしてもどうしても頭の中でつながらなかった「社会貢献と富」「労働の本質と価値」といったものがようやく整理され始めた.
もう少し,他の本も読んでみたい.
Posted by ブクログ
近代に入るまでは身分制度があったので、人間は良い意味で不自由であった。身分が違うので農民が貴族に憧れるということはなかった。しかし、人間が自由を持ったことで、人に対する羨望やそれに対する絶望が蔓延するようになった。能力主義を絶対的な正義とする今日の世の中で、成功すれば自分の努力の賜物、失敗も自分のせいという風潮になり、ますます格差が生まれる世の中になった。能力はそれを必要とされる世の中に生まれてこそ発揮されるものであって、それは単に運に過ぎない。例えば、大谷選手が中世のヨーロッパに生まれていたらあんな活躍は恐らくなかったであろう。成功はあくまで運であり、謙虚になることが求められる。
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著者曰く、昨今米国内で起きてる分断の要因は、メリトクラシーからなる学歴格差であると説く。
クリントン元民主党代表がトランプに大統領選で負けた要因を米国内におけるメリトクラシーによる分断と米国がどのようにしてメリトクラシーによる価値観が強固となった歴史を紐解きながら哲学している。
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誰にでも平等に機会が与えられているが故に
学歴が高い人は努力した人
学歴の低い人はチャンスがあったのに掴まなかった人
といった評価がなされる。
身分制度があった頃は、自分の不遇な境遇を制度のせいにできたが、能力主義の現代では、自分の不遇を自分のせいにできてしまう。
それが昨今のエリートとブルカラーの軋轢を生むというのは納得である。
とはいえ、学歴の高い人は経済的に恵まれた家庭である傾向が高く、そもそも努力できる力というのも先天的なものである可能性も高い。
それなのに、学歴の高い人はあたかもその個人の努力だけで勝ち取ったと評価し、恵まれた職業につけるようなシステムは、それこそ差別的と感じる。
必要なのは、低賃金への人への金銭的サポートではなく、敬意である。
清掃員だってスーパーの店員だって、大工だって、どんな職業も必要で尊敬に値することがわかっているのであれば、給料をもっと均等にしたら良いのではないか。
一方、資本主義社会ではそれも難しいことは承知である。なかなか難しい問題であり、引き続き考えていきたい。
Posted by ブクログ
正直なところ読むのに苦労した。理解しきれていない部分もあるので何回か読み返して理解を深めたいと思う。
アメリカンドリームに代表される能力主義は本当に称賛されるべきことなのか、という問いに対してアメリカの政治家、経済学者の発言や、過去の事例を参照しながら考えを述べていく内容。
個人的に興味深いと感じたのは、学歴偏重主義の話。国を統治する上で必要なのは名門大学の学位を有していることではなく、「実践知と市民的美徳」であるという主張には説得力があると感じた。(事実ワシントン・リンカーン・トルーマンは大学の学位を持っていない。)
アメリカの話がメインではあるが、日本に置き換えられることも多いので、読んでみると新たな気付きや視点を得ることが出来ると思う。
Posted by ブクログ
大卒者とそれ以外の学歴者の差異が、社会階層の分断線となっていて、その分断線が、世代を超えて固定化している。さらに、大卒者の中でも、トップ校と、それ以外の差が大きくなり、その分断も、世代を超えて固定化している(トップ大卒の子どもはトップ大に入り高給取りの「勝ち組」となり、大学に進まなかった親の子どもは大学に進まずに「負け組」となる)。
この構図については『学歴分断社会』(吉川徹)等でも取り上げられていて、アメリカでも日本でも同じだと認識したが、この本では、その動きを支える「メリトクラシー」の負の側面に踏み込んでいる。
優秀な人を責任あるポジションにつけるという「メリトクラシー」の理念そのものに対しては、誰も異論を挟まないだろうが、能力によってポジションを分ける社会で「負け組」となったら、他人に対しても、そして、自分自身に対しても言い訳の出来ない「挫折」になる。
更に、高学歴の「勝ち組」は、「学べ!学べ!」とだけ言って、それが出来ないで負けるのは、自己責任だと追い詰める。
この蟻地獄のような構造から出てくる「負け組」の怒りが、トランプ現象を生んだのではないかとのこと。確かに、そういう面はありそうです。
なかなか難しい問題ですが、解決の糸口として、次の2つがあげられていた。
1つは、大学の選別装置としたの役割を和らげること。くじ引きの導入など。
もう1つは、労働の尊厳を取り戻すこと。極端に金融化が進んだ経済の中での税金のあり方の変更など。
労働の尊厳を取り戻すということに関連して、今週日曜日に聞いた、マタイの福音書のぶどう園の労働者のたとえを思い出した(マタイ20章1-16)。
ぶどう園の主人は、朝早くから働いていた労働者にも、夕方1時間だけ働いた労働者にも、1日分の賃金を支払うという不思議なたとえ話。なかなか腹に落ちる解釈を聞いたことがない(唯一、井上神父の解釈だけが腹に落ちた感じ)。
でも、労働の尊厳を取り戻すということで、労働の多寡ではなく、働いてくれたことに対して、「友よ、ありがとう」と声をかける神さまの姿には、何かがあるような気がした。1日中、仕事にありつけなくて、悶々としていた労働者が最後の1時間働いたことに対して報いる紙さまの姿に。
Posted by ブクログ
言葉が難解で時間をかけて読みました。努力したから結果が出たんだと言われたこと、思ったことがあるはず。でも、そんな実力主義だと、努力できる環境ではなかった人にとって平等ではないのでは?という感じの内容だったと捉えています。だから、頑張れる環境であったことに感謝できる謙虚さをもちなさいということだった気がしますが、、、言葉が難解できちんと読めているか怪しいです。
Posted by ブクログ
成功や失敗が単に個人の努力や能力だけでなく、運や環境の影響を大きく受けていることに気づかされた。私たちはしばしば、「努力すれば報われる」という信念に基づいて、成功者を称賛し、失敗者に自己責任を負わせる傾向があるが、この考え方には盲点があるというサンデルの指摘は、価値観を見直すきっかけとなった。
特に印象に残ったのは、教育や経済システムが不平等を助長し、一部の人々に有利な立場を与えているという点。社会において成功を手にするための機会が平等でないことは、実力主義の名のもとに隠されている不公平さを浮き彫りにしている。これに対して、どのように公正な社会を構築していくべきか、考えるべき課題は多いと感じた。
また、自身の生活においても、「成功は自分の努力の結果だ」という自己満足に陥っていないか、あるいは「失敗はその人自身の責任だ」と他者を過度に厳しく評価していないかを省みる機会となった。
Posted by ブクログ
著者が哲学者だけあって正直言い回しが難解でわかりにくかった。
ただ伝わってきたのは、人間はそれが身体的なものであれ経済的なものであれ持って生まれて得たものにかなり左右される事。
著者もいろいろ提案してるけどそのうちの何割かでも世に(主に大学に)適用されれば良いな。
Posted by ブクログ
能力主義は差別を解決しない
"努力して得た能力によって差別を乗り越えた"
は美談ではない。美談にすると差別が温存され
る。
努力は素晴らしいが、そもそも差別がない社会を
目指すべき。
能力社会
能力/学力社会は最後の偏見であり差別。
他の差別は糾弾されるが、能力勝者は見下し、
差別を認識もしておらず、むしろ正当化されてい
る。これが見えない差別を生む。
特に高学歴が差別に敏感かつ無意識差別をする。
労働者、不細工、太ってる、低学歴なんて
努力できるはずなのに!
教育の限界
チャンスを平等にしても結果は平等でない。
欧州
努力を過小評価
欧米
努力至上主義
黙々と努力できる才能は遺伝で決まっている。
Posted by ブクログ
ハーバード白熱教室のマイケル・サンデルによる能力主義社会に対する警鐘。
2016年の大統領選でトランプがヒラリー・クリントンを破って当選した。そこで明らかになったのは、富める者と貧しい者の間の断絶だった。そしてそれはアメリカが80年代から目指してきた能力主義の行き過ぎにより招かれた事態であると、かつては人種の違いや出自によって生まれた差別を解消する者として、その人の能力で人を評価しようとする能力主義は素晴らしいものに思えた。
しかし、それは能力を安易に測る手段として学歴偏重を生み、結局、社会の流動性を高めるのではなく、裕福な家庭に生まれた者が、様々な手段で高学歴を得て、そのような手段を得られない者は相変わらず社会の底辺にあり、高学歴者が、そうではない人を蔑み、学歴がない人たちが高学歴者との不当な格差に怒りを覚えるという社会を生んでしまった。
この現状を打開する方法はないのか?
アメリカン・ドリームとして語られることの多い、人がその能力によって評価される世界が、能力に恵まれなかった人、それを育む運や機会に恵まれなかった人に対しては厳しいものになるという、今考えると自明とも思えた事に目を向けてこなかったこの40年の世界を批判的に捉え直している。