外山滋比古のレビュー一覧
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乱読とは、1つのジャンルに固執するのではなく、様々なジャンルの本を「風のごとく」読むとこと。
精読や速読とは違う、別の本との向き合い方を教えてくれた。
どんどん乱読せよ。ゆっくり舐めるような、辞書を引いたりノートにとったりするような丁寧な読書をせず、風のごとく読んでいけ。忘れたなら忘れるに任せろ。心に刻まれないことをいくら記録しておいても何の足しにもならない。
頭に知識を詰め込んでも思考力は上がらない。頭に知識が詰め込まれただけのメタボリックの状態になってしまい、かえって不健康になる。体のメタボリックは散歩で解消できるが、知識のメタボリックは忘却によって解消できる。
忘れることによって -
Posted by ブクログ
外山滋比古先生の「考え方」についての抜粋集。考え方というより「とらえ方」かな、と私は思う。
「本は読むだけじゃダメ」「関心のあることだけに頭を使ってはダメ」「かといって常に考えてばかりでもダメ」「雑談を無駄だと思ってはダメ」
外山先生は「ダメ」という言葉を使うことなく指摘、ああそうかと思わせてくれるので読んでいて心地いい。
大人世代は「もう既にやったことがある」行動が多いはず。結局それは間違ってなんかなくてむしろ正解で「あともう少しだけ」視点をずらせば、時間をおけば、思いを変えれば、これまでの人生は大正解になっただろうなと思える内容。抜粋集として目を通すとあらためて「そうだよね」と身につ -
Posted by ブクログ
1. 「精読」の呪縛からの解放
・現代の教育は「精読(一字一句を正確に読み解くこと)」を重視しすぎている。しかし、教科書的な精読は、他人の思考をなぞるだけの受動的な作業になりがちである。
・著者は、精読を「ラインの読書」と呼び、それに対して未知の領域へ飛び込む読書を推奨する。
・内容をすべて理解しようとせず、あえて「わからない」部分を残しておくことが、のちの知的発見の種となる。
2. 「乱読」がもたらすセレンディピティ
・「乱読」とは、専門分野に固執せず、脈絡のないジャンルの本を次々と読み漁ることである。
・一見無関係に見える知識同士が、頭の中で予期せぬ形で衝突・結合したとき、新しいアイデア -
Posted by ブクログ
読書、大いに結構だが、生きる力に結びつかなくてはいけない。新しい文化を創り出す志を失った教養は、不毛である。
本当にそうかなと考えてみました。
例えば、無礼な人が企業にとってマイナスになるという知識があったとして、それはそうだろうと思いはするが、そこで終わってしまう。それではあまり意味がない(不毛な)ように思います。
しかし、無礼な人が企業にとって1万2000ドルの損失になるというデータ(知識)があると、それはいけない!となりそうな気がする。それで行動を起こす、新しい文化を作り出すことになれば、意味があるということなのかなという結論になりました。
同じ知識でも使い方次第ということなので