外山滋比古のレビュー一覧
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乱読とは、1つのジャンルに固執するのではなく、様々なジャンルの本を「風のごとく」読むとこと。
精読や速読とは違う、別の本との向き合い方を教えてくれた。
どんどん乱読せよ。ゆっくり舐めるような、辞書を引いたりノートにとったりするような丁寧な読書をせず、風のごとく読んでいけ。忘れたなら忘れるに任せろ。心に刻まれないことをいくら記録しておいても何の足しにもならない。
頭に知識を詰め込んでも思考力は上がらない。頭に知識が詰め込まれただけのメタボリックの状態になってしまい、かえって不健康になる。体のメタボリックは散歩で解消できるが、知識のメタボリックは忘却によって解消できる。
忘れることによって、知識のできない思考を活発にするこれまできらわれてきた忘却に対して、こういう創造的忘却は新忘却と呼ぶことができる。
…そんな本。
忘却を悪とせず、「忘れたらその程度の内容だった」と割り切って、気にせず本を読んでいこうと思った。 -
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外山滋比古先生の「考え方」についての抜粋集。考え方というより「とらえ方」かな、と私は思う。
「本は読むだけじゃダメ」「関心のあることだけに頭を使ってはダメ」「かといって常に考えてばかりでもダメ」「雑談を無駄だと思ってはダメ」
外山先生は「ダメ」という言葉を使うことなく指摘、ああそうかと思わせてくれるので読んでいて心地いい。
大人世代は「もう既にやったことがある」行動が多いはず。結局それは間違ってなんかなくてむしろ正解で「あともう少しだけ」視点をずらせば、時間をおけば、思いを変えれば、これまでの人生は大正解になっただろうなと思える内容。抜粋集として目を通すとあらためて「そうだよね」と身につまされる。
そういう意味では、この本は若い世代向けかもしれない。上を目指すならなおさら、そうでなくても、「ちょっと考えてみる」だけで、これからの長い人生の心持ちはきっと豊かになると思う
外山先生の本はやっぱり抜粋で読むよりがっつりその文章に浸ったほうが満足できるなと思ったので、⭐︎3つ。 -
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1. 「精読」の呪縛からの解放
・現代の教育は「精読(一字一句を正確に読み解くこと)」を重視しすぎている。しかし、教科書的な精読は、他人の思考をなぞるだけの受動的な作業になりがちである。
・著者は、精読を「ラインの読書」と呼び、それに対して未知の領域へ飛び込む読書を推奨する。
・内容をすべて理解しようとせず、あえて「わからない」部分を残しておくことが、のちの知的発見の種となる。
2. 「乱読」がもたらすセレンディピティ
・「乱読」とは、専門分野に固執せず、脈絡のないジャンルの本を次々と読み漁ることである。
・一見無関係に見える知識同士が、頭の中で予期せぬ形で衝突・結合したとき、新しいアイデアや発見(セレンディピティ)が生まれる。
・目的意識を強く持ちすぎると、その枠内の情報しか目に入らなくなる。無目的、あるいは多角的な読書こそが、知の創造性を高める。
3. 「忘却」のポジティブな意義
・読んだ内容をすべて覚えようとするのは、頭を「倉庫」にする行為であり、思考の鮮度を奪う。
・重要なのは、読み飛ばし、忘れることである。本当に価値のある情報や、自分の関心に深く刺さったものだけが、忘却のフィルターを抜けて潜在意識に残る。
・頭の中に「余白」を作ることで、初めて新しい思考が入り込むスペースが生まれる。
4. 知的創造のための「発酵」
・得た知識は、すぐにアウトプットするのではなく、寝かせて「発酵」させるプロセスが必要である。
・乱読によって放り込まれた異質な情報が、時間の経過とともに自分自身の血肉となり、独創的な見識へと変貌する。
・セレンディピティは、準備された心(乱読によって耕された土壌)にのみ訪れる。
5. 現代社会における読み方の姿勢
・情報の消費スピードが速い現代こそ、効率を求めない「乱読」のゆとりが重要である。
・既存の正解を探す読書ではなく、自分だけの新しい問いを見つけるための読書へとシフトすることを説いている。 -
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本著は目に見えない「空気」という感覚での教育の重要性を説く良書である。空気を読む、空気の流れを読む等、私たちは多くの空気という目に見えない概念と存在を交差して見て感じ行動している。本著の言うとこの空気とは、品位や文化と説く。一見、同調圧力を含む内容かと思うが、読み深めてみるとその実は、集団の意思ではなく、個の意思や人間性を丁寧に育てて一人前の人間に育て上げるという答えに至る。
さて、本著の指す「空気の教育」とは誰がするものなのか。それは、親であり、育ての親であり、教育者であり、環境や風土、その地域に根付く文化が大きく影響すると説く。その通りである。日本内でも世界でも地理的な影響を受けることは証明されている。
学校任せでは限界がある。一番長くいる家族の姿や言動、行動こそが子に与える核心であり、模範でなければならない。他者から見た完璧さはいらない。子どもから見た安心でき尊敬される親であればいいのだ。
欲望のままに物を与えても意味がない。それは大人も同じだ。子どもに必要なのは体験であり、経験なのだ。勉学の楽しさ、運動の楽しさ、文化の奥ゆかしさ、多くの教養を吸収させ、子どもの選択しと経験値があれば、将来、幾度もの壁の立ち向かう時に、その親から与えられた体験や経験は活かされるだろう。
学校はどんな学校でも平均しか教えられない。その平均から飛び立つには、個の努力や前向きな姿勢、その時の質の良い友人や恩師、大人を通して視野を広くさせ、子どもという大人で世界の解像度を高く躍動感を持って全力で打ち込めれば、きっとどんな結果であれ、その子は成りたい自分へ見つけたどり着けるだろう。私もあなたもそうであったように。
本著は空気の教育という日本人ならではの感性に訴える良書であるといえよう。 -
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日本語という言語には創造性を刺激する役割があると教えてくれる良書である。本著は日本語の書き方を指南する本ではなく、日本語本来の想像力と感性と冗語性(細かく言わなくても通じる)の本質を教えてくれる本である。
住む場所による影響も大きいだろう。方言、風土、環境、コミュニティ、季節による影響、天候環境など、様々な要素が今日に至るまで日本語を豊かにしているだろう。合わせて、本著で述べている通りに「以心伝心」など言葉の力だけじゃない、仕草や所作、行動から得られる言語表現もあるということを知ることができる。
どうしたら、日本語を上手く表現できるのか。本著では文学的感性だけの学習ではなく、論理的思考を日本語でどう養うかが重要だと主張している。
さて、論理的思考を日本語でどう養い学習するかは自分次第だ。本屋に行けば、論理的思考の本は善し悪し問わず多くあり自分で調べて読みノートに手書きで要点を記録すること。学校では先生におすすめの本を教えてもらい読み先生へ共有し教えをこうこと。大にもし行くのであれば、卒論がある科目を選ぶこと、学科問わず、教授陣のドアを叩き、本や視点を教えてもらうこと。大学にいかないのであれば、隙間時間を見つけて多様な良書を読み記録し学習すること。
完璧に論理的な思考している人なんて存在しない。完璧になろうと思わなくていい。そういう、日本語の理解を深める思慮に富んだ良書である。 -
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本の感想を言うのは勇気がいる。見当違いな感想になっていないか? そもそも私はちゃんと読めているのだろうか?
正解さがし。
著者は、「正解」がわかる読みは、知っていることを再確認するだけのアルファー読みだという。 ”未知”を読むベーター読みを勧めている。わからない本は、読むのに時間がかかる。しかし、”未知”を含む本には、読み手の数だけ解釈がうまれる。必然、読者は創造的になる。
感想に正解なんてない、人と違うからいいんだ。頭ではわかっていたこと、本書を読んでストンと落ちた。
そういえば、、、尊敬する編集者さんが、あるトークイベントで言っていたことを思い出す。
ある本が「読みやすかった」ということは、すでに分かっていることをなぞっただけ。わからない本をわかろうとしながら読むのが好き、と。
>>p.243
いかに細かく書いた文章でも、第三者からすれば不明なところ、不可解なところが随所にひそんでいる。そのわからないところがすなわち読者の未知である。これは読者自らによって解明するほかはない。解明はしばしば発見になる。これが筆者、作者とかかわりが薄いのはいうまでもない。創造的であり創造的な読みは、その不明部分を補充してその読者に固有の意味をつくり上げる。
これがしばしば、作者をおどろかし、作者を喜ばせる創出であることが可能であって、ベーター読みの醍醐味もまさにここに極まると言うことができる。(「エピローグ」より) -
Posted by ブクログ
本著では、多くの知識を溜めて満足するよりも、多様な経験を重ね、頭の中に余裕を持たせて想像と創造性を発揮することが望ましいと示唆されている。
思考の指南書として良書である。
現代において、誰もがAIで知りたい情報を手軽に得られる時代に突入し、その成長は驚異的な速度で加速している。個人が膨大な知識や情報を得る環境でいられることは一つの恵まれた状態であるが、同時に不幸だとも言える。
知識はあくまで限定的な情報の塊に過ぎず、必ずしも正しいとも正解とも言えない。ならば、どうすか、人類史という歴史から現代と同様な悩みや困難から古典という情報(書籍が望ましい)から得て、自分の頭で考え、行動して体験という形で私やあなたという心身で返って新たな創造(ひらめき等)が生まれるのだ。
頭でっかちになってはいけない。柔軟な思考と、多角的な視点、物事を全体を見ることができる広い視野を常に意識して日常に取り入れながら活動すると、その経験値は莫大なものとなり、あなたに返ってくることであろう。 -
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本が手に入らなかった昔と違い、今は本が溢れている
→良い本ばかりであるわけがないから、悪書が増えているはず
→それを舐めるように読むのはリスク大。風のように読んでも、大事なことは自然と頭に残り、断片と断片がセレンディピティを起こす
→そうしてたくさん読んで得た知識は、溜め込みすぎると病む
→睡眠による忘却能力で朝は頭が整理されるから朝は良いアイデアが生まれる
→朝に散歩しながら考えると、さらに効果大
まあ雑にあらすじを書くと、こんな内容。
でもこの本は、内容よりも、文体を楽しむ本だと思う。
というのも、この人の文体そのものが、乱読に最適なのだ。
短く整理された文章が、テンポよく並ぶ。複文が少なく、短文を畳み掛けて論理を構築していて小気味良い。
新書=論説の体裁ではあるが、エッセイのような感覚。
散歩しながらアイデアを思いつくのは僕も経験があるな。ある程度まとまった時間歩いていると、余計な思考が消えて、ふと「あ、今なんかよぎった、なに考えたっけ今?」となる瞬間がある。
精神科医の名越康文先生が、お寺に回廊があるのは庭を眺めるためじゃなくて、歩きながら考え、歩きながら出会った先達と話し教えを乞うためだと、昔「辺境ラジオ」で言っていたことを思い出した。
と、こんなふうに、風のように読んだ本の断片と、忘却の試練を乗り越えた過去の記憶とが、セレンディピティによって混ざり合い、自分にしかできない、しかも自分でも制御できない新たな思考を生み出す。ひとつの書を細かく読むより、たくさんの書を斜め読みする方が、人間の脳の機能に合ってるよ、ってことかな。