外山滋比古のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
外山氏の本は二冊目。思考の整理術を読んで以来。
この本は、タイトルと若干のズレがあるように思うのと、構成がイマイチわかりづらいのが難点ではあるものの、平易な言葉で深い深い考察が書かれているので、戦前生まれの知性に触れるにはとてもよい本だと思います。外山氏が一貫して主張することがこの本にも書かれている。
あと、同じ島国の大国であるイギリスについての考察が、突如として現れるのも面白い。
東浩紀さんが動物化するポストモダンで書いてた、大きな物語から、データベースの切り売りへ、という考え方のベースがこの本にも意外にも語られているので、触れてみてもよいかも。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ言わずと知れた、思考の巨匠ともいえる、外山滋比古。
本書は、著者のライフワークともいえる思考力への思索を、
著者の人生と経験にもとづいて、述べられている。
この本で重要としているのは、経験にもとづいた思考力だと思う。
聞いただけの情報や、活字で見知った知識などの、
間接的に得た情報で物事を思考するのは難しい。
知識と経験と思考の再定義から、この本の内容は展開していく。
自分で直接経験していない、間接的な情報を
知識として得続けても、ただの知的メタボになるだけだという。
いわゆる「知識バカ」になってはいけない。
机にかじりつくことだけが勉強ではない。
外へ出て、自らの生活体験を重ねることで、
自らの経験と知識を培っていける、という。
思考するために、思考するのを止める、というのは
逆説的に見えるが、決して間違ってはいないと思う。
知識や情報を、より価値ある知恵や英知にしたいなら、
いわゆる戦略や戦術として煮詰めていきたいなら、
自分の目で観て、耳で聞いて、肌で感じた、感覚と経験が
必要になるはずだと思った。
思考のために、思考を止めたり捨てたりして、
外を散歩したり運動したりするのを勧める内容もある。
さらには、頭でっかちな人にはならないべく、
子供の頃からの育児法にまで話が及んでいる。
タイトルが思考力というわりに、生活様式や子育てにまで
話が及んでいる。話が脱線しているようにも感じる。
これこそまさに、思考のための思考を止めていると思う。
新しい思考や別の次元からの思考を試みるには、この脱線が重要に感じる。
外山滋比古の本に親しんでいる人なら、この脱線をも
楽しめると思う。脱線の話も、純粋に楽しめるような内容だと思う。
さらに、最終章は著者のエッセイで構成されている。
思考力からの脱線ここに極まれり、と感じたが、最後まで読み進めると、
外山滋比古の思考力や、それを求める軌跡が分かる。
そして、その思考力や軌跡とは、人生経験を通じて培い、
生きるとともに得たものだということが分かった。
人生にて、あらゆるものに反骨精神を見せた著者は、
ただの反骨や反抗に終わったとは思えない。
そこに自分なりの、思考や工夫を加えたのではないだろうか。
反骨精神は、価値や成果を生み出す原動力であり、
そこに思考と工夫に満ちた行動があったはずだ。
そして、思考と工夫に満ちた行動というのは
本や誰かに教わったことだけではなく、
自身の人生経験にもとづくものなのだろう。
考えるということの幅を広げてくれた本でした。 -
Posted by ブクログ
読んだのは2回目?奥付を見ると2008年とあるので、26歳くらいの時に読んだらしい。思考の整理学を読んで、「すごい!」と思って、買ったと思う。
今年で90歳。でも、言っていることはとても新しい。
今、ビジネス書で盛んにテーマになっている、ライフハックとか、思考術とか、生活・仕事の中でクリエイティブを生み出す環境、生き方をデザインするという考え方を1970年代に書いていたところがすごいなーと思う。
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▼いいね!
本を〝中絶〟癖。
〝面白すぎそうな予感があって怖くなるのである〟
面白すぎて、胸が高鳴るような本に出会うと読むのをやめるらしい。
良くわかるー!
パンドラの箱を開けるような恐ろしさを感じて、読み進めるのが惜しい!と
思うことがある。
あと、時間に制限があったり、眠いとかいいコンディションでないときに、
あとで読むために読むのをやめるとか。
▼論文を書くのは酒づくりと同じ。
自分が思ったこと、感じたこと×着想、視点
そこに時間の経過が加わって、学びは深化される。
寝かせて時間を置くのが大事。
▼いいね!と思ったところを抜き書き
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「月光会」
場所を自宅で持ち回りにして、集まって話す場。
1770年代のイギリスで開かれていた。
畑違いの学術研究者の集まりで、各自の関心事を話して
学び合う場。
‘相手が畑違いのシロウトで、こちらの言っていることを批判する知識もなく、感心する側に回る方が好都合’
異なる分野の人同士であるからこそ、各自が異なる領域から自分の関心事とつながることを見出して、各自学びを深める。
寺子屋塾での対話、先日のサスプログラムでの対話を思い出す。
〝近代文化は物事を細分化させた。専門に区切ってその中で深化を図る。異質なものとの触れ合いに欠けて、一般への展望を失いがちである〟
○○カフェなどのフラットな場で、異質なものが出会う学びの場が盛んに展開されているけど、それを求める人々のニーズは200年以上前と今とで全く変わらないのだなー。