傷のあるリンゴとはなんだろうな。まずは、そういう洞察を持ってから望むことになる。
忙しいほど暇があり、暇な人ほど忙しい。サラリーマンの多くは多忙だが、仕事ができるからではなく、仕事がノロいから多忙になっていると説く。忙しくて元気なサラリーマンは幸せだ。暇になれば、仕事もノロノロ、結果、仕事はできない。よって仕事がなくなり、一気に老いる。ある意味で、忙しいというのは、ありがたいことでもある。それを、ものすごいスピードでこなすことで、暇に見えるくらいがちょうどいいと。確かに、ニューヨークは、それくらい仕事の量を一気にこなし、木曜日の夜から、週末モード。金曜日は午前中くらいまである種適当にこなして、週末に向けて飲みにくくらいのイメージだ。そう出ないと、持たないくらい厳しい環境だった。過労はいけないが、多忙は元気の源である。
傷のあるリンゴは美味しい、完璧に見えるよりも、やっぱりどこかで傷がある方が愛着が湧いたりする。完璧でない部分が良いということ、人間はそういう風にできている。
赤信号みんなで渡れば怖くない。この名言は、転籍苔を生ぜず、a rolling stone gehrters no moss
の二つの意味は、英国流のコロコロ場所を変えてはお金はたまらないということと、活動的であれば余計なものはつかないという米国流。つまり、考え方は、マジョリティによって変えられてしまう。力とはマジョリティにあるが、マイノリティはどうすればいいか問題提起している。この本からもはや何十年もたって、いまマイノリティを保護する時代になった。大事に大事にすることがマジョリティの大事な仕事になった。素晴らしい人間とはこういう像だというのはまさに指摘されていた通りの状態になってきていて、さらにそれを助長する形で日本メーカーの訴訟になったんだろう。女性の会を開催したら、男性社員が差別で訴えたという話だ。男性が働いている間に、お菓子を食べながらだべっているのは不公平という理屈なんだろうけれど、もはやマイノリティとは何かという点が男女ではないことは明らかだ。
小学校受験に受かって浮かれている親に、そういう子は手を抜き結果的に成績が落ちていく。それはそれで厳しい現実だが、勝ったものの喜びに冷水を投げかける園長先生もどうか、という話。自分自身がストリートスマート系で育ったから、つまり受験を小さいときにしていないから、かもしれないが、おそらくそういうお受験してあと気を抜いた人たち、選別に晒されていない人たちに負ける可能性はほとんどない。一部、お金持ちであるという背後の理由から、パフォーマンスをあげる人間もいるしそのパフォーマンスは、一般的な努力では勝てないことが多いのも事実。このバランスこそが人生だろう。
含蓄のある昭和の知の巨人は、このAIの世の中を見据えていただろうか。勝っても、弱者のことを思え。よく学び、よく遊べ。仕事ばっかりの人は、がっくりきて体調を崩すとも記されているが、いまのタイミングでみると、確かに遊びがない、というよりも第二、第三の自分の居場所がないといけないということなんだろうと思う。