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Posted by ブクログ
『思考の整理学』を読んで、どうしても読みたくなった一冊である。
本を「読む」とはどういうことか、考える。
作者の意図を探り、本文に忠実に「読む」ことだけが正しい読みであるように思う時がある。
そこで、私のした解釈は、恐らく作者の意図ではないだろう。それは、空想であり、ただの嘘ではないかと感じていた。
しかし、筆者は読者によってもたらされる異本こそ、作品の価値を高め、普遍化させる仕組みなのだと述べている。
作品は、作者の手を離れた時点で、社会のものとなる。
古典と呼ばれる作品たちは、そうした社会的変化、価値観の摩擦の中で、魅力を失わなかった……いや、新たな魅力を見出されてきたものである。
その魅力を見出したのは、その時々の読者の手であり、それは作者自身も知らない後の時代のことなのである。
「作品の意味も読者は作者とは多少ともかならず違ったものとして読みとっているであろう。「正しい」意味は読者には伝わらない。とすれば、「正しい」意味とは作者の意図にとどまるものであって、いわば主観的存在である。ひとりの主観にとどまるものを正しいと判断することは、だれにもできない。もしできるとすれば、それは宗教である。」
解釈をすることに、必要以上の畏れを抱かなくても良いという安心と、それでも誤読の範囲を脱する整合性のある「読み」を心がけようという怖さがある。
古典だけでなく、海外文学、コピー、文学史などについても触れられている。
Posted by ブクログ
原典主義や作者至上主義といったものがある。あるテクストの解釈は「著者の意図」という神聖にして唯一のものしか有されないといった主義のことだ。そしてこれらの主義において「異本」――読者が理解することで生じる表現の変化――は忌み嫌われる立場にある。「あるがまま」に作品を読むのが理想であり、それに反駁する「異本」は作品の価値を汚し、貶めるものである、と。
こうした考えを筆者は批判する。何故なら「異本」は一卵性双生児であろうとも指紋が違うように完全に同一のものであることはあり得ない。また優れたものであるとされる古典は、それが多様な「異本」によって時間的空間的に一種のふるいにかけられてきた。時に「異本」が原典の価値を超え、原型から典型へと生まれ変わる。このように洗練されてきた結果、古典が古典たり得ているのではないかと言うのだ。
考えてみれば当たり前のことだ。友人と一冊の書について語り合う時、意見が食い違い熱い議論を交わすことのできるものはおしなべて良書である。一回目より二回目、二回目より三回目と読めば読むほど理解の深まる本もまた、紛れもなく良書である。優れた書からは多くの「異本」が生まれる。あくまでそれが収束した結果が普遍的な一つの解釈であり、唯一の解釈しか求められないような本に価値はない。
この本が刊行されたのは1978年。現代において原典主義・作者至上主義を持つ人は少ないだろうし、著者の意見が新鮮味に欠けるきらいはあるが、それでも十分に読むに値する示唆に富んだ書である。興味がある方には是非読んで欲しい。
Posted by ブクログ
・情報を整理して過去を知るだけでなく、伝えられていることに疑問を持ち、 その問いを突き詰めていく姿勢は、まさに、思考の整理学
東大・京大で2年連続売上1位!になった「思考の整理学」の著者、外山 滋比古 先生の著書。
読者に媚びることなく、ご自身の思考を整理する。だからと言って、読者を意識していないわけではなく、ご自身と異なる背景を持ち、知識も語彙も不足しているはずの読者に優しく歩み寄り、難しいことを分かりやすく解説してくれています。その文章を構築する過程は、まるで、先ず基本となる骨格を組み上げ、筋肉に見立てた粘土を付けていくことによって、肉体を表現するようで、絶品です。
仮説をたて、膨大な知識と思考力で既存の概念を崩し、新しい概念を構築していきます。情報を整理して過去を知るだけでなく、真実は見えてきません。情報は、作った人、伝えた人の意識が反映されているモノに過ぎないからです。伝えられていることに疑問を持ち、情報を紡ぎ直し、その問いを突き詰めていく姿勢は、まさに、思考の整理学、これが学者の姿勢なのでしょう。とても勉強になる良書です。
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