外山滋比古のレビュー一覧
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ネタバレ「ユーモア」とは、当事者と傍観者の違いから生まれる笑いであり、外国語の壁を越えて伝わることは難しく、論理を超越する、ことばの教養、らしい。
46~47頁の島(英国・日本)と大陸(フランス・ドイツ等)の違いの考察は面白かった。海に隔てられている島では言葉が”成熟”して、「あいまいさ」や「ユーモア」が発達したと。それは例えば、細かい部分が崩れる・風化するという形で英語の文法にも表れているという。一方で、大陸の言葉(ドイ ツ語やフランス語)は文法の面で細かい規則が守られていて、「論理の整合性を重視」するという。
「ツーカーの仲」、果ては「以心伝心」なんていう言葉もある日本語は、フランス語や英語に比べると「あいまいさ」が目立つように思えて、少し前まで「日本語はあいまいな言語だ!論理的じゃない」などと考えていた自分にとって、この視点は新鮮だった。
以下は引用・メモ。
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「ユーモアを解するには、頭をはたらかせる必要がある。ことばの感覚が洗練されていないと、ユーモアをつくり出すのはもちろん、うけこたえもできない。笑うこともできないのである。こどもに通じないのはそのためである。笑いというものは高級なものである。」94頁
「もの真似で始まったスピーチ文化である。だいいち、三分を超えるのは異常だということすらご存知ない。すくなくとも一度はみんなの笑いをさそうような目玉がなくてはいけないことなども夢にも思わない。」スピーチとスカート 119頁
渡部陽一さんを思い出した。ことばの意味や内容ではなく「話し方」によるユーモア。「間どり」137頁 -
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分類では心理や哲学の方になるのでしょうが、内容は普通のエッセイかと。
外山先生の著作はかねてから気になっていて初めててに取ったのがこちら。だったのですが…タイトルから期待しすぎたのか「あら?」っと肩透かし感が。特に最後の章は越し方を振り返る話なのですが「ご自慢話ですか?」って。いや、そのものだと思いましたが(笑)。
何だろう、ちょっと読みにくかったですね。
文章がまとまりなく「つれづれ」といった書き方。
言ってることは正しい、かも知れませんが考え方ではなくて
認識に関してはちょっと古いというか、ずれてるんでは思われるところも多々。
他の著作も読んでみないとわかりませんが本書に関して言えば
「昔その世界ではちょっと鳴らした知識人が、お年を召してからぼやいている話」をまとめたというようなテイストと。
ちょっとがっかりしたなぁ。他の本も読んでみたほうがいいのかなぁ。 -
Posted by ブクログ
あまりユーモアの得意でない自分が、本書を読むと劇的にユーモアの達人になれるのではないかと期待して購入。ノウハウ満載、とワクワクして読み始めたものの、その期待は見事に裏切られた。
が、そいういう目的で書かれたものではない事が読み進むにつれて判明。レッスン、というよりは本書から自分で発見しろ、ということか。
なぜイギリス人がユーモアが、しもブラックジョークがうまいのかが、よくわかった。それはヨーロッパでも島国だったから。閉鎖的な環境では言葉が洗練され、暗黙知が伝わりやすい。ユーモアやジョークは共通の理解がないと伝わらない。たとえば例が出ているが、ある女性の生き方の講演会で後援者が「老婆は一日にしてならず」と言ったとたんに爆笑の渦に包まれたと。これは「ローマは一日にしてならず」という言葉を知っていないと笑えない。
島国は狭い空間で共通認識が深まるのでひねったジョークが伝わりやすい。海外に行ってディナーでみんなが笑っているのに自分が笑えない事はよくある。英語がわからないのが本当かもしれないけど、時事的な常識が共有されていないからだと思う。
背景的には日本も島国でジョークが洗練されているはずだ。その最たるものが川柳だろう。
様々なユーモアやジョークが満載ではあるが、結局ユーモアのセンスは私には身に付かなかったみたい。でも考えるヒントにはなった。 -
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ネタバレ「思考の整理学」が悪くなかったので,読んでみました。(悪くなかったって,エラソー)
内容はほとんど思考の整理学と被ってました(ガクッ)。
書かれたのは,こちらのほうが古いので,こちらを読んでから思考の整理学を読んだ方がよかったかもしれません。
内容も,思考の整理学の方が,よりすっきりと纏まっていて実用的です。
こちらの方が,エッセイ色が強いですね。
究極的には,思考の~を読むなら,こちらは読まなくてもいいかもしれません。笑
私は繰り返し読むのが苦手なので(相当な理由がない限り,繰り返し読まない。),2回読んだような効果があったかもしれません。
個人的には外山さんの「積ん読法」を推したいので,「思考の整理学」と「知的創造のヒント」の2冊を読み,頭に残ったものを実践したいと思います。 -
Posted by ブクログ
生きるヒント…のようなエッセイである。本来、この手の本は読まな
いのだが、読書コミュニティ・サイトの献本で当選したので読んでみ
ました。
傷のあるリンゴは甘い。著者がどこかで聞いた言葉。それは人間にも
当てはまる。完璧な人間より、少々欠点のある人間の方が面白みが
あっていい。
時々、完璧主義者だと思われることがある。多大な誤解どころではない。
自慢にはならぬが、様々な失敗を重ね、今でも日々「あわわ」と思いな
がら生きている。
人間なんて皆そんなものなんだろうと思う。
本書はいろんな言葉を引きながら綴られたエッセイである。ある程度、
社会経験を積んだ人なら「うん、あるよね。こういうこと」と思うだろ
うし、これから社会へ出る人だったら「あぁ、そう考えればいいのか」
と感じるだろう。
心が疲れたれ時、ぱらぱらとページをめくって本書の中の1篇を拾い
読みしたら少し心が軽くなるかもしれない。
冒頭の「ヒマなほど忙しい」なんて、本当に分かるもの。
3日以上の休みがあると「よしっ、あの大作に挑戦しよう」と意気込んで
秘蔵(?)しておいた本を取り出すのだが、出勤日よりも読書時間が
明らかに少ないものなぁ。
「まだまだ時間があるからいいや」の罠にはまるのが、私の休日の過ごし
方である。うぅ…図星を突かれた。反省しよう。 -
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ネタバレう~ん、かなりビミョーかもしれない・・・・・。 恐らく KiKi がまだ高校生ぐらいの年代だったら、それなりに楽しく、ついでにちょっと驚きの目を瞠ってこのエッセイ集を読んだかもしれません。 でも、大人になって、ついでに世間の荒波にもかなり揉まれて、その中でかなり多くの経験を積んできて、ついでに人生半ばにして自分の生き方を結構ドラスティックに変えてきた人間が読むと「ふ~ん」で終わってしまう内容かなぁ・・・・・と。
一番ビミョーだと感じたのは、KiKi 自身が受験生という年代からは遥かに遠ざかり、ついでに社会人1年生という時代からもかけ離れてしまった、「隔世の感」というフィルタがかかった目を持つ世代であるということがあるせいなのかもしれないけれど、要するにその世代に特有の「勝ち・負け(≒ 受験での失敗とか、大会社への就職とか・・・・・)」が必ずしも人生の「勝ち・負け」と一緒ではないという趣旨のエッセイ(これが結構多い! 笑)で、言いたいことはわからないじゃないんだけど要するに著者は人生の「勝ち・負け」にはかなり拘っているんだなぁと感じられちゃうあたり・・・・。 しかもたちが悪いのはその人生の「勝ち・負け」とはどういうことか?という定義をちゃんとしないままにこれを語っちゃっているので、言っていることに現実味というかリアル感が乏しくて、「要するに観念論よね・・・・」と感じられちゃって何となく「ハイハイ。」で終わっちゃう・・・・・(苦笑)
「ヒマなほど忙しい」と題されたエッセイなんかは、「仰っていることはごもっとも」と思わないわけじゃないんだけど、KiKi のように半端じゃないほど忙しい体験を20年近く実際にしてきた人間からすると、本当に忙しい生活を送っている人間っていうのはその真っ只中にいる最中には「忙しい」とか「暇があったら」な~んていうことを考えている時間さえなくて(≒ そんなことを考えている暇があったらこれをしなくちゃ とか あれをやっておかずにはいられない!とさえ思って動いている)、とにかく頭の中に溢れ出てくる To Do List をひたすらこなしていく(機械的にという意味ではありません)だけで、その To Do の中には当然のことながらサラリーマン生活において「仕事」と呼ばれるものとは別種の「仕事(≒ すべきこと、した方がいいと自分が認識していること)」も含まれているモンだと思うんですよ。 で、結果的に時間がたっぷりあるように思われる「休みの日」は読んで字の如く、「休養に専念する日」になっちゃうものだったと後になって振り返って思う・・・・・そういう類のことだと思うんですよね。
そして本当に忙しくしている人は多くの場合、それを「義務感にかられてやっている」わけではなく、「楽しんでやっている」ものだと思うんです。 義務感にかられてやっているケースではどうしても「やらされている感」があり、邪念も入るし(つまり「やりたくないことに時間を使っている → この時間があれば自分の好きなことができるのにと感じずにはいられない → そのやっていることの効率が必然的に落ちる → 結果的にやらされていることに思っている以上に時間をとられる → 自分の好きなことをする時間がなくなってしまう)、結果「忙しい」なんぞという言い訳を言い始める・・・・・ そういうモンなんじゃないでしょうか??
そんな中、1つだけ KiKi の心に深く残った一節がありました。 それは「多忙の効用」という題のエッセイの中の一節なんだけど、以下のような言葉があるんです。
超多忙なとき、忘却はフル回転して、ゴミのような情報、問題を片っ端から忘れていた。 それで本人たちは元気で健康でいられたのである。 それが引退すると、新しい情報はなにも入ってこないにもかかわらず、忘却力は同じようにせっせとゴミを出そうとする。 そのゴミがないから忘却は、空振りをくりかえすようになり、これではならじと、大事な記憶を切り捨てるようになってしまう。 それが続けば、認知症になり、アルツハイマーにもなるだろう。
これが医学的に正しいかどうかはさておき、KiKi の母親を見ているとこれは真実かもしれないと感じられるんですよね~。 KiKi の母親は元気だったころは好奇心が強くてあれもこれもと多くのことに手を出していたんだけど、ある時期から「そんなことをしても何の役にも立たない」な~んていうことを口走るようになり、元気だったころにはやっていたことを悉くやらないようになってしまったんですよ。 そしてそれから暫くして認知症を発症しました。
今にして思えば、それまでは「何の役にも立たないこと」に手を出し続けることによってインプットされていたそれこそ「何の役にも立たない情報」を忘却力とやらがせっせとかき出してくれていたものを「何の役にも立たない」とやめてしまったことにより、インプットされるものが全くなくなってしまった結果として別の記憶を掃き出しはじめちゃったということなのかもしれないなぁ・・・・・と。
アルツハイマーというやつは遺伝的な要因もかなり大きいみたいで、KiKi は祖母も母もこれに罹患したので恐らく自分もそうなるに違いないという確信みたいなものがあったりもするんだけど、それを自衛する1つの手段として仮に体力的にきついなぁと感じられるような年代に入ったとしても「何の役にも立たない」ことに変わらず手を出し続ける・・・・・ということを肝に銘じておきたいなぁと感じました。 もっとも、そう考えたことさえ忘れちゃうのがアルツハイマーのアルツハイマーたる所以なのかもしれないのですが・・・・・・ ^^; -
Posted by ブクログ
八十八ヶ所のお遍路を考えた人たちの知恵をおもったら、いまだったら観光地づくりのようなものだが、信仰と健康、足袋をうまくミックスしたセンスは天才的である。
ヨーロッパの巡礼などよりずっと庶民的であたたかみがある。
自分の人生は自分だけで蹴りをつける。よきにつけあしきにつけ、相続させるものはない。つくろうとしない
そういう決心をすれば人生どんなに清々しく、美しくなるかわからない。そう思えば美田の買えないことはむしろ幸いである。
なけなしの収入を、使うのをがまんして貯蓄をする
老後のためと若い時は考えるが、年をとると子へ譲るものが少しでも多いことをねがうようになる。そうなると明るい空が暗くなる。
若いうちは節約が美徳であるが、年をとったら消費が美徳である。ほしいものがあり、買うカネがあったらどんどん買うのだ。貯めこんでも地獄へもっといけるわけでもないし、こどもにやっても別に喜ばれもしない。
不老長寿にとって、ぜいたくは妙薬のひとつであるように思われる。元気が出る。いくらかでも世のためになっていると思えば、ぜいたくをしているという後ろめたさも消えるのである。
そうは言っても、ぜいたくは節約より難しいようである。
仲間はだれだったいい。ただし条件が3つだけある、仕事が全く違っていること。あまり能力が高過ぎないこと。ケチを付けるのをえらいことと勘違いしていないこと。
これだけの条件に叶えば、誰でもと心にきめたら仲間が出来た。
毎日曜日、NHKテレビに年来の人気番組「小さな旅」がある。
自分では心の旅だと思っている。カネも時間もかからぬのは本物のりょこうよりすぐれているとひそかに自惚れている。
25分が夢のようである。終わってわれにかえると、はっきり元気になっていることがおおい。心の旅は、心の洗濯で、命をのばしてくれる。本気にそんなことをかんがえる。こんな手軽な頭と心の健康法は、すくなくとも、私には他にない。
若者の生活を中心にして考えるからそんなことになる。年をとったらとったらしく、自己の生活のリズムというものをこしらえるのである。だいたい自信がなさすぎる。プライドがあれば、いくら夜中に目が覚めても、あわてることはない。
菊池寛「生活第一、芸術第二」
かねてから菊池寛がすきだったから生活派宣言を喜んだ。「学問的背景のあるバカほど始末の悪いものはない」といった意味の言葉を残しているが、やはり生活の達人でなくては思いも及ばない。生活を文学にした内田百閒が「なんでも知っているバカが居る」といったのもおもしろい。
一生の間で、一番頭のよいのは、生まれて数年であろう。その間のえいようじは言うに言われぬ苦しみ、痛み、不安を体験するが、片っ端からわすれてしまって後に残らない。3サイぐらいまでのことを正確に記憶している人がいないのは、すべての幼児がどんどん忘れどんどん覚えていたからである。それで頭脳がよく働いた。すべての子はこの記憶していない初期においては素晴らしい能力を持っていたと思われる、この時期の赤ちゃん、幼児はくよくよすることを知らないから健康である。そればかりか、頭も冴えていた。その時期の忘却力には及ぶべくもないが、わすれる力の強いのは人生の勝者である。
忘れるが勝ち。
喜びの日はごちそうを食べたりするだけでなく、褒めてくれる人がほしい。これはそんなに周期的にというわけにはいかないが、しかるべき人にホメられると、たいへんな活力、元気が出る。
長い間その高価は持続する。
そいうわけで、年をとったら、まわりに褒めてくれる人が欲しい。おべっかなどではありがたくない。信頼でき尊敬しているひとから ホメられると、先に勲章に劣らぬ延命効果を持つだろう。友を選ぶのに、佐々琢磨の相手を求めるのはごく若いうちのこと。
一人前の人間になったらケチをつけるような人間は一人でも少なくないほうがいい。そして少なくとも、一人、できでば二人、褒めてくれる人がほしい。
なかなか得られないが、もしみつかったら人生の幸運と思って良い。自分のことを言うのはなんだが、年をとってから、そういうあたらしい友にめぐまれた。それで、老いの細道がいかに明るくたのしくなったかしれない。