吉村昭のレビュー一覧
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読むのを止められなくなって、一気に読んでしまいました。最後にこれが、作者の体験した実話だと知りました。
弟の凄絶な癌との闘いの様子に、正直ほぼ恐ろしさだけを感じて読み終わったくらいです。
たくさん兄弟がいる中の、末の2人である作者と弟。上の兄弟とは歳が離れていることもあり、2人の結び付きは幼い頃から強く、作者は弟のためにずっと傍に寄り添います。弟に「癌」という病名を隠して…。
癌であることを本人に知らせないこと、モルヒネの取り扱い方など、医療に関してど素人の私でも、
かなり違和感を感じたのですが、1980年代前半の話であったことに深く納得しました。
そして、この40年間でものすごく進 -
Posted by ブクログ
日露戦争後、ロシアとの講和条約交渉に臨んだ外相・小村寿太郎の物語。旅順を攻略し、日本海海戦に勝ったとはいえ、既に日本は兵も物資も底をついており、戦争継続が不可能な状態で交渉に臨む。しかし、実態は国民には知らされず、我慢を強いられた人々は賠償金などの獲得を当然のものとして期待している。一方のロシアはまだ余力があり、極めて強気な姿勢で交渉に臨んでくる。
この困難な状況での緊迫した交渉の場面がスゴイ。冷静に強く交渉し、ポーツマス条約の締結を実現する。しかし、賠償金は取れない。小村が出国時に考えていたように、日本では条約に反対する人々の暴動が発生する。
小村寿太郎という人の強さと弱さを見事に描きつつ、 -
Posted by ブクログ
黒部峡谷に発電所を作るためにトンネルを掘り続けた技師と人夫の文学。雪崩が起きるような場所なのに、100度越えのトンネル内で作業をしなければならないという、人がいられる環境ではない工事の極限さが書かれています。
この本はあくまでも小説なので、本当の話ではないですが、作中に出る工事や事件は文献を調査し表現されているため、現実にこういうやり取りがあったかのように錯覚させられます。
全般的に表現されているマッチョイズムは現在でもある意味受け継がれており、会社における上司と部下の関係に垣間見えますね。
いやはや、恐ろしいものを読ませていただきました・・・。 -
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面白かったー。読後、まずはどれだけが事実かが非常に気にになったが、どうもかなりが史実に基づいていると知り尚更に読んで良かったと思った。
あの時代に、言葉が一言も通じない外国に流れ着き、長い年月を過ごさなくてはいけないというのはどれだけの事だったか想像を絶する。仲間が一人ずつ亡くなっていったり、絶望していったりするのも胸が締め付けられた。
そして、過酷な状況においては賢くないと生き残れない、という事も改めて気づく。
光太夫に諦めてほしくない、と強く思いながら読み進め、一緒に悲しみ、苦しみ、焦れて、歓喜する。とても良い読書ができた。いつの時代も、異国の人であっても心を通じ合える人はいる、とい -
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吉村昭『花火 吉村昭後期短篇集』中公文庫。
吉村昭が昭和後期から平成18年に没するまでの後期に発表した作品群より遺作『死顔』を含む16篇を収録した短編集。いずれも身近にある『死』を感じさせる短編ばかり。自らの死期を悟り、描いたのだろうか。
『船長泣く』。三崎から出港した太平洋を漂流するマグロ漁船の中で、飢餓と渇きの狭間に繰り広げられる船長と船員の葛藤を描いた秀作。史実に基づいた記録文学なのだろう。
『雲母の柵』。監察医務院に勤める新米検査員を主人公にしたサスペンスフルな香りのする短編。日々変死体と向き合う中、同期の3人の中の女性検査員が突如辞職する。彼女に僅かばかりの好意を抱いていた主人 -
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著者初の随筆集『二つの精神的季節』を改題したもの。日清日露戦争を経験した人々にとって、戦争の終りとは勝利を意味していた。
だから先の大戦時、銃後の国内は連日長く続くお祭りのような日々だったという。
それが敗戦によって転換する。
何より変わったのは、人の意識だった。それまで戦争をきらびやかな光として考えられていたのが、敗戦の日から罪悪となった。
終戦の日を境にしてまったく異なった二つの精神的季節を生きた著者は、その隔絶感を二十年の長きに渡り保持し、やがて鬱屈した気分を感じ続けることを堪えがたいとして、自身が見たことを正直に述べようとする。
著者が何を背負って戦争を題材とした小説を書いたのかが見え -
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閉じた世界の恐ろしさ
狭い世界に閉ざされた人々にとって、長年培われた常識は絶対のもの。とはいえ、外の常識とここまでかけ離れてしまうものか。それでいて、外との繋がりは捨てきれない、人の性が恐ろしく、そして悲しい。
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ネタバレ「日本史上最後の仇討はいつだったと思いますか?」と訊かれたら、歴史好きならわくわくするだろう。明治13年12月17日、臼井六郎という青年が幕末に秋月藩の内部抗争で殺された両親の仇を討ち果たしたのが最後だといわれている。
六郎の父・臼井亘理は佐幕派であったが、国内の情勢を鑑みて勤皇派に転じて藩士たちの怒りを買い、干城隊という一派に寝込みを襲われて妻ともども惨殺された。当時六郎は11歳。成人するまで仇討への思いを胸に秘め、やがて上京して幕末の剣豪・山岡鉄舟に師事しながら両親殺害の実行犯である一瀬直久と萩谷伝之進の行方を捜し求め、ついに一瀬が東京で裁判所判事になっていることを突き止める。同郷の人