竹内薫のレビュー一覧
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面白かった。筆者の考えでは、自分自身のキャラは左脳的なキャラと右脳的なキャラだけでなく、左右それぞれを皮質と辺縁系のあたりを境として上下に分割することで、上下と左右の組み合わせから成る4つのキャラに分けられるのだという。これらのキャラは、解離性同一性障害のような精神疾患ではなく、誰もが実感できるものであり、状況や状態によって目まぐるしく変化していることがわかる。
『奇跡の脳』でユングに触れられていたため、本書でも序盤から期待しながら読んでいたが、やはり4つのキャラは元型(ペルソナ・シャドウ・アニマ/アニムス)および自己と対応しているとのことで、我が意を得たりという思いである。 -
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ニュートン力学から相対性理論、量子力学へ。そして、それらを統合するループ量子重力理論へ。そこには物理のことを何も知らない門外漢でも驚嘆するような世界を覗くことができる。一般相対性理論では、空間は単なる空っぽのスペースではなく実態として存在し、歪んだりよじれたりする。量子力学では、微視的な世界を説明してくれるそうだが、そこで起こっていることは確率論的かつ離散的であり、起こった結果は言わば偶然の産物に過ぎないらしい。
そして20世紀を代表するこの2つの物理学の理論の関係性について考えると、明白な矛盾が認められるそうだ。この矛盾を解決する理論の一つとして、ループ量子重力理論の紹介がなされる。
そこには、我々が日常感得している世界とは似てもにつかぬ驚異の世界がある。物理学の素養がなくても十分に楽しめる。世界の見方を変えてくれる一冊。 -
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WHOLE BRAIN. ジル テイラー NHK
脳には左脳と右脳それぞれに思考と感情を司る四つのキャラが潜み
それを読み解いた稀有な体験を持つ
ジルテイラーは実に幸運な人である
神経解剖学を通して人間の何たるかを
見つめていた彼女は
釈迦に次ぐ大冒険の快挙を
意図せずして楽しく成し遂げ
無限大のお土産を手にし九死に一生を得て
帰還することができたのである
居合わせた私たちも思わぬお土産にあずかり
同じ幸運に浴せたと言えるだろう
誰もが持つ一つの脳内に
左脳の三次元時空間に偏った
五感による部分感と
右脳の無限を視野にした唯一無二の
全体観を並列させて
そのそれぞれに思考と感情の個性を備えた
四つの分身による共同作業で
私の一瞬一瞬を描きだしていく構造に
付帯する気づきをもたらしたのである
ジルテイラーは緩やかな脳内出血によって左脳が休眠状態となり
右脳を通して無限なる集合意識に浴する
チャンスをものにしたらしい
ある種の臨死体験と言えるのかもしれない
私たちは四つに分断された体験から学び
全体観を目指す成長の過程にあり
この私の脳内にある四つの個性が
お互いの機能に気付けずにいがみ合えば
競い争う混沌状態となり
お互いが俯瞰し合うことで
相手を知り輪になれれば
切磋琢磨が起こりその相乗効果は
計り知れない幸運をもたらすだろう
惜しいかな
日本語の文脈になっていない翻訳のまずさで読みにくいのが難点だ -
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711
7個のリンゴとか7人の侍は見せること できても、そこから抽出された「7」という数字は、モノでも人でも から、7そのものを見ることなどできないのです。 だとしたら、リアルに思われる実数にしても、しょせんは、具体的なモノや人に 付随して使われる抽象概念であり、虚数だけを不審者扱いするのはかわいそうでは ありませんか。
虚数なんていらないと思っている方には大変申し訳ないのですが、もしも世界から虚数が消えたなら、パソコンもスマホもタブレットも、さらには、半導体を使っているエレクトロニクス製品もことごとく消えてしまいます。なぜなら、半導体(=半分導体で半分絶縁体の材料)の電子のエネルギーは、量子力学の計算で設計されてってくるものであり、量子力学の方程式には「虚数が入っている」かええと、虚数がない→量子力学がない→半導体がつくれない→パソコンもスマホ もなくなる、という流れです。さらにいうならば、量子力学がなくなると、原子のまわりの電子が軌道を保つことができなくなって、原子が潰れてしまいます。
アインシュタインさんは、このx軸にもy軸にもz軸にも直交するところに、第4の軸、すなわち、時間軸tがあることに気づきました。 人の頭では、直交する軸は3本までしかイメージできません。x軸、y軸、z軸 で終わり。しかし、イメージできないところで直交する時間軸がある。4次元目に、 時間がある。そう考えると、宇宙で起きていることがうま〜く説明できる。この主張が相対性理論と呼ばれるものです。
「虚数はある」と認めた方が気が楽ではないでしょうか。実際に、虚数があると認めると、矛盾なくいろいろなところで辻褄が合います。虚数を認めたくないがために、相対性理論、さらには数学の大系を否定するのは大変骨が折れる作業です。 ですので、数学の世界の人たちは、虚数の存在を認めています。それがないと計算できないし、あると簡単に計算できるからです。論理的に矛盾しないものは存在する。それが数学者の考え方です。 一方で、目で見えるものだけが実在すると言い張る人もいます。時間軸なんて幻想だ、なにしろ時間軸なんて見えないんだから。時計は見えるから実在するけど、 時間軸なんてあるのかどうかわからないじゃないか!と。しかし本当に、目に見えないものは信じられませんか?携帯電話で通話したりWiFiでネットを利用できたりするのは、電波があるからです。電波は目に見えませんが、その存在を否定する人はいないはずです。X線も目に見えませんが、それで撮影した画像のことは頼りにするでしょう。
実在論派の人たちは、見えると安心します。数学的存在を紙の上に描かないと安 心できないのです。ですから、ペンローズさんの書いた本は図版だらけ。数式をと にかく図やイラストにしたがります。 しかし実証論派の人たちは、図式化にあまり関心がない人が多いようです。計算結果が実験結果と合致すればそれで0K。見えるかどうか、頭の中でイメージできるかなんてどうでもいい。実在しなくても、証明さえできればいいと考える人が多いのです。
なぜこんな話をしたのかというと、「日常感覚」もしくは「直感」を数学や物理の世界に持ち込むと、間違ってしまう可能性が高いと言いたかったからです。日常の常識で言えば、一つの経路があり、きちんと特定できるはず。でも、電子が移動するような場合はそうではないのです。直感的には正しいことが間違っていて、 直感的には間違っていることが正しいことは、数学や物理の世界では珍しくない。 実証論の立場で考えると、存在しないような気がする虚数を使いこなすことも、 不思議ではなくなるのではないでしょうか。
それが0についても起こりました。この0とは何なのか、どうやって受け止めたらいいのかはさておき、あると便利、使うとうまくいくのだから、もう「使っちゃえ」となりました。 さて、この0、何かに似ていませんか? そうです。虚数です。実在すると認めるには高い心理的な壁がある。でも、あると認めるといろいろなことが楽〜になる。 数学の発展の歴史は、このようなことのくりかえしです。ピタゴラスに端を発した数学者たちでさえ、最初は認めたくなかった自然数ではない数字を最終的には認めました。
自然数から始めて、四則演算をやっていたら、数の世界が広がって実数となり、 その実数の世界で2次方程式を解き始めたとき、さらに数の世界が広がって虚数が出てきた。せっかく2つの世界が生まれたので、両方の世界をつないで、実数+虚数という複合的な世界、すなわち複素数(complexnumber)を考える⋯ 数の世界は、こうやって増築に増築を重ねつつも、 発展してきました。今も発展中です。私はこのような数の世界がガウディのサグラ 全体として矛盾しないように サクラダファミリアみたいだなぁと感じることがあります。読者のみなさんは、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
そもそも、虚数というネーミングがまちがっていたのではないかにゃ。だって、 もし本当に虚数が「ウソの数」だったら、それがなくなることで、量子力学の方程式がなくなって、つまりは素粒子が動かなくなって、宇宙が存在できなくなるわけで、おいらだけでなく、地球も、著者のカオにゃん先生も、読者のみなさんもいなくなっちゃう。 だから、虚数はどう考えてもリアルな数にゃ。 -
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ネタバレ古来の東洋思想と量子力学など最新科学が交わるところが、「この世界が仮想現実である」ということが疑いの余地がないと思わせる興味深い一冊。
・著者はビデオゲームデザイナー
・シュミレーシュン仮説は、この世界をビデオゲームだと考える。
・相対性理論は光や高速移動から同時性ははいと証明。私たちは絶対的な共通の世界ではなく、個々のデバイスによって違う世界をみているのではないか
・ミクロな量子力学でも観測によって結果が変わる、確率の世界になっている。ゲームと同じ。
・瞑想、ヨガ、仏教思想をはじめとする古代東洋伝統を調べていくと、科学で認められているよりも多くの現象が私たちの物理的世界で起こっていると確信。
・東洋の伝統は、私たちを取り巻く世界が「本物の世界ではない 」という発想の上に構築されている。人間が選択を積み重ねながら、意識の中で作り上げているものだと信じている。
・シンギュラリティを通過したあとは、人間と機械、現実世界と仮想現実の区別はなくなる
・伝統仏教や宗教も現実は幻であると説いている
・起きているあいだの現実が幻覚であるという本質
・夢にいる限りは現実のように思えるが、夢と同様に現実は脳による作り物であり、共有された作り物かもしれないが、幻であることに変わりはない。
・カルマを達成するために現実が生成されるという東洋の伝統思想と、現在実現されているビデオゲームの仕組みが同じ
・量子もつれ、量子不確実性は、この宇宙が自己最適化機能を備えたコンピューターであることのエビデンスとなる
・自然な形状を得るための唯一の道が「計算」である事実。フラクタル図形が葉や貝など自然界に存在する事実は、自然界に計算的要素が存在するというエビデンス。
・物理的世界は一連のコンピューターアルゴリズムであること。自然界で何らかの計算が進行しているのであれば、人類は全世界用コンピュータープログラムにいるかもしれない。
・宗教や神秘思想が行う現実の本質の説明によれば、この物理的世界は、私たちが「ダウンロード」され、行動が記録される場所だということになる。そして私たちは、物理的世界の外にあるどこかに帰るのである。
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知人に勧められて読みましたがとても面白いと思いました。本書はもしかすると賛否がかなり分かれる本かもしれませんが、それは著者の主張の真偽にどこまでこだわるのかによるのかもしれません。逆に言うと私は、著者の主張であるシミュレーション仮説自体の真偽はどちらでもよく、この仮説自体が純粋に面白いので、自身の想像力をかきたててくれるという意味で本書を高く評価したいです。
自分の備忘のため、著者の提示するステージ論を以下に書きます。2022年時点で考えると、ステージ5、6がだいぶ現実味を帯びてきているというところでしょう。
ステージ0:テキストアドベンチャーと<ゲームの世界>
ステージ1:初期のアーケードおよび家庭用グラフィックゲーム
ステージ2:グラフィックアドベンチャーゲームとRPG
ステージ3:3DレンダリングされたMMORPGと仮想世界
ステージ4:仮想現実を用いた没入
ステージ5:フォトリアルな拡張現実(AR)と複合現実(MR)
ステージ6:現実世界におけるレンダリング-ライトフィールドディスプレイと3Dプリンティング
ステージ7:マインドインターフェイス
ステージ8:記憶の植え付け
ステージ9:人工知能とNPC
ステージ10:ダウンロード可能な意識とデジタル不死
果たして我々は、壮大なゲームの中でゲームをプレイしている存在に過ぎないのでしょうか。宗教家の悟りが、自身を超える存在に気づくことだとしたら、それを本書流に言い換えれば、我々が現実だと思っているゲームを組み立てている「超存在」に気づいたということなのでしょうか。いずれにしても、本書を読んで確信したのは、技術が進歩するにつれて、我々人類はますます現実と仮想世界の区別がつかなくなっていくだろう、ということです。映画「インセプション」では、主人公役のディカプリオが、現実世界と夢の世界を識別するためのアイテムを準備していました(机の上で金属製のコマを回して、ずっと回り続けているのなら夢の世界にいることになる)。もしかするとARやVR技術が進歩するにつれて、各人がまさにそのようなアイテムを必要とするのかもしれません。想像力が大いに掻き立てられる本でした。 -
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相対性理論や量子力学などが描く世界は、私達が日常ありありと感じている世界とは途方もなくかけ離れている!それが高校時代に理科・数学に挫折した文系人間の私が得た本書の感想。
一般相対性理論の視点では、空間は不動の入れ物ではなく、動いている巨大な軟体動物の中に私たちは蹲っているようなもので、それが縮んだり曲がったりしているそうである。一方、量子力学的な視点では、あらゆる場は、細かな粒子状の構造になっており、物理的空間も量子でできているという。そして近年ではこの一般相対性理論と量子力学を統合しようとする試みとしてループ量子重力理論が提唱されているという。この理論によると、もはや空間の量子というものは存在せず、「時間」という概念まで消えてしまうと考えられるという。
そのような奇妙な世界に生きている我々も、この物理的世界の構成物であるという。物理の世界は敷居が高いと感じる人にも、その世界へやさしく誘ってくれる素晴らしい本と感じる。 -
Posted by ブクログ
物理学を題材にしながら文学的な風情も十分に堪能できる、かつウィットにとんだ筆致で内容は力不足で理解ができなくても読ませる。特に著者の専門分野であるループ量子重力理論を後半は解説しており、深遠なる科学の世界に引き込まれていく。
空間も時間も存在せず、量子のループによる相関的なものにでしかない。プランク長という最小の単位が存在しており、空間や時間は離散的なものである。こう書いていても、何だか雲をつかむような内容で現実の感覚からはかけ離れておりどうもしっくりこない。それだけ難解で未だ発展途上の学問であるのでしょう、文系の私はエッセンスのみ感じることができて現状満足気味です。
科学とは真理を明らかにしているものではなく、常に不確定で巨人の肩に乗りながら真理を追い求める、自分たちの無知を徹底的に突きつけられながらも諦めきれない人類の性を表している、といったこと。ロマンを感じずにはいられないです。
ここで、学問の険しさとそれでも学ぶ意義を音楽に関連ずけた名文をリマインド。
リーマンの数学を理解し、アインシュタインの方程式を完璧に読み解く技術を会得するには、長く険しい道のりをのり越えていかなければならない。それは、熱意と努力を要する旅路である。とはいえ、ベートーヴェンの後期四重奏からどれが好きな曲を選び出し、そのたぐいまれな美しさを十全に把握しようと願うなら、それ以上の労苦を覚悟する必要があるだろう。いずれの場合も、一旦努力をなされたあとは、十分な見返りが待っている。科学と芸術はわたしたちに、世界にまつわるなにか新しいことを教え、世界を見るための新しい目を与えてくれる。わたしたちはそうやって、世界の厚みを、深さを、美しさを理解する。偉大な物理とは、偉大な音楽のようなものである。それは心に直接に語りかけ、事物の本質に備わる美しさや、深さや、単純さに目を向けるよう、わたしたちを誘ってくる。(P140)
訳者あとがきにもあるが、日本では超ひも理論が「量子重力理論」として頻繁に取り上げられており、ちょくちょく目にする。しかし、内容ちんぷんかんぷんなのでどこか一般書で概要掴んどきたいな、そしてまた、カルロ・ロヴェリの書籍に戻ってこよう、この人の文章は胸を高鳴らせる、好きだ。