武田徹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
(2012/7/10)
神保 哲生, 宮台 真司, 神野 直彦, 高橋 洋一, 野口 悠紀雄, 波頭 亮, 大野 更紗, 武田 徹
「日本の財政再建のためには消費税増税はやむを得ない」という輩が増えている。
お叱りを受けるかもしれないが、私はこれは官報複合体のなせる業だと思っている。
記者クラブメディアはいつの間にか増税やむなしを連発しており、
その記事の、放送時間の量に従って、増税やむなしが増えている。
物わかりがいいというかなんというか。
本当に国を憂いているのか、生活にゆとりがあるのか、増税デメリットがある立場にいるのか、、、
その真意はわからないが、そういう方々にはまずこの本を読んで -
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ノンフィクションって、何か?ということは、興味のあるテーマだった。この本はノンフィクションを社会的に評価した大宅賞をとった作品に焦点を当てて、ノンフィクションを語る。
事実を報じるジャーナリズムは、新聞という媒体によって成り立っている。「事実的な文章」と「文学的な文章」の間に全ての文章表現は収まる。
ノンフィクションでは、著者が「語り手」となって、ひとつの出来事、事件として始まり終わる。
その物語の中に、事実を配置する。
つまり、「事実」があり、「語られた事実」もあり、「事実から推定・推測」できるものがある。
事実に基づいて、事実のように創作する、つまり著者の都合の良いように作る。
ここでは、 -
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ノンフィクションはフィクションの否定、フィクションはフェイクとほぼ同義、フェイクの反対語はトゥルースだから、ノンフィクション=真実、っていうような簡単な話にならないのがノンフィクションというジャンルです。だって本書でも取り上げられる「日本人とユダヤ人」の作者イザヤ・ベンダサンだって虚構なのだから。そいうえば、本書においてノンフィクションというジャンルを日本に定着させたとされている大宅壮一ノンフィクション賞の大宅壮一でさえ、岡本喜八の映画「日本の一番長い日」の原作者とされていたけど、最近の文庫では実質の原作者、半藤一利にクレジットが変えられているという話を聞いたばかりです。まえがきで引用される本
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Posted by ブクログ
「小説中心の文学史はあっても、ノンフィクション史の本はない」その言葉から始まった、多分日本初の貴重な記録。大宅壮一の存在の大きさを強く感じる。
小説よりノンフィクション。創作より事実の持つ大きさが昔から好きだった。でも簡単にノンフィクションといっても、体験する過程から筆者の恣意的な視点が入るという大きな矛盾。どこまで事実でどこからが筆者の選択か、これは「歴史」と同様に永遠の課題のように思う。
ノンフィクション、ルポルタージュ、リテラりー・ジャーナリズム、アカデミック・ジャーナリズムこらケータイ小説まで。広く網羅しているかと。
本書では実に多くのノンフィクション作品を引用、これだけでもファ -
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大宅壮一の偉大さを思った。
皇太子妃報道のスクープ合戦で、週刊誌記者「トップ屋」の梶山季之の活躍なども読ませる。藤島泰輔の「孤独の人」を読みたくなった。
次の警句が印象的だった。
素晴らしい世界旅行などを手がけた日テレ牛山純一「私は報道とはきわめて主観的なものであり、新聞記事もドキュメンタリーも極端に言えば「記者の創作」だと思っている。事実は単に「観察者の事実」であり、報道は客観的な事実を伝えるのではなく、事実を客観化するものであると思う。
本全体で言うと、かなり偏った内容。第6、7章のニュージャーナリズムと、田中康夫、ケータイ小説、社会学者のあたりは退屈だった。本多勝一なり本田靖春とか -
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ネタバレこの『暴力的風景論』は「風景的暴力」もしくは「暴力としての風景」とパーツを組み替えて読むことも可能な(?)タイトルの本書であるが、この「風景」とはなんぞや?の回答は、序章でジンメルを介して定義された、目の前に繰り広げられる事象を上位レイヤーで総合する「気分」であり「内面」てあり「世界観」であり「物語」である。
これら「気分・内面・世界観・物語」がいかに「権力」=「暴力」であるかを説く所謂「物語批判」の体裁を持ちながら、逆にこの「風景」という枠組を最後まで手放さなかったことで、「気分・内面・世界観・物語」というターム(手垢まみれの)だけでは語り切れない別種の即物的な「事実」を語りえているように -
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日本のハンセン病政策を振り返る一冊。大した根拠もなく、その時代で声の大きかった人に流されるかのようにして、恐ろしく、また恥ずべき政策が長年にわたり幅を利かせた裏側を検証している。ここで糾弾されるべきは、隔離医療を主張した光田健輔だけではない。それに便乗したり妄信したり、何も言わずにするがままにさせておいた誰もが背負うべきものだろう。読めば、光田健輔だって隔離を主張した裏側には、ユートピア的世界で患者たちが気兼ねなく暮らせるようにしたいという思いがあったようにも思えるし、事実、光田は並みの人ではできないくらい献身的にハンセン病患者と向き合いもした人なのだから。
そして、善意がまた、こういう悪しき -
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ルポから思想まで豪華布陣だが、宮台さんの激憤しながらの筆致が鮮やか。『「ファストフードからスローフードへ」と同じく「原子力から自然エネルギーへ」も日本的に勘違いされるでしょう。〈食の共同体自治〉の問題が、食材選択の問題に短絡したように、〈エネルギーの共同体自治〉の問題が、電源選択の問題に短絡するでしょう。(略)原発災害からの学びがその程度で終わってしまうのですか。』pp.384-385. まさにそこなのだ。設計の悪い世論調査と内閣支持率に翻弄されて愚昧な二択に落とし込んではいけない。そこで一般意志2.0の登場なんだろうな。東さんと宮台さんと津田さんは全く方法論が違うけど、震災をきっかけに議論が
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3.11以降のフリーのジャーナリストのマスメディア批判や原発報道、震災報道で過熱するマスコミ批判には正直辟易していた。
皆、ドングリの背比べで、憶測の域を出ない報道やセンセーショナルに不安を煽る様な報道ばかりであり。
自分が正しい、大手マスコミは嘘をついている。
テレビに出ている学者は皆御用学者。
的な子供の喧嘩かと思うようなネット報道などを見て。
信じるにたる報道は、日本には存在しないのでは無いだろうかと思い始めていた。
そんな中、この本を読んで、今後のあるべきジャーナリズム、ジャーナリストの答えの一つとして納得のいく内容だった。
世の中のジャーナリスト、特に旧マスコミ批判をしている人にはこ -
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3・11以前のジャーナリズム論と、その後の報道体制について論じた本。原子力の情報を得るには適しておりませんのでご注意を。
筆者は一貫して「基本財としての安全・安心」を誰に対しても公平に実現することを主張している。
基本財としての安全・安心とは、自分たちだけが安全であるということを求めるのではなく、生活をする上で手放すことのできない最低限の安全や存在を許される安心さのことを言うようだ。
筆者は原発問題について調べる前はハンセン病に関するジャーナリストだった。伝染力の低いハンセン病が流行ったとき、病人は隔離され、他者からはアンタッチャブルとして人間扱いされてこなかったという日本でのハンセン病問題