武田徹のレビュー一覧
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近代史が始まる少し前の1907年、法律第11号「らい予防法」が制定され、1931年モダニズムの風が吹き荒れるなか国立ハンセン病療養所「長島愛生園」が竣工した。
この本はハンセン病(旧らい病)について書かれたレポートだ。そしてハンセン病という「病気」を通して僕らが暮らしの中にある「病い」を捕らえ、それを導き出す論理的証明だ。全体を貫く大きな論考を補うかのように多様な史実や考察が引用される。間延びしそうな感じだが、ポイントごとに全体へ引き戻してくれて思考が途切れることはない。隔離と差別の話では終わらない豊かさがこの本にはある。
前に永江郎が隔離施設をユートピアとして捕らえる考え方に危機感を -
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本書は著者がまえがきでジャーナリズムの模範のように事実にこだわる平易で明晰な文章の単調さに辟易として同種のライターでありながら敬遠していたと告白する。
ただアカデミズムとジャーナリズムの懸け橋としての存在としての立花の存在を無視しえず、彼の自伝的作品を読む過程で自分と共通する多くの点を見出し、なぜ自らの言葉に対する考えと異なるような文章を書くようななってのか探っていく。
第1章~第2章生まれ育ちについて両親のキリスト教入信(父親の世俗的動機と母親の熱心な信仰)。読書の虫となり、科学的な興味と文学指向。
第3~4章反核運動と世界への視野の広がりと挫折。詩作と内向化。キリスト教とドストエフスキー、 -
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武田徹(1958年~)氏は、国際基督教大学人文科学科卒の、評論家、ジャーナリスト、専修大学文学部教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。『流行人間クロニクル』でサントリー学芸賞受賞(2000年)。
本書は、著者の『日本ノンフィクション史』(2017年/中公新書)の続篇として、「web中公新書」に2018年9月~2020年7月に30回に亘り連載された「日本ノンフィクション史 作品篇」を、加筆・修正のうえ再構成したものである。
私は、もともとノンフィクションというジャンルの本が大変好きで、『日本ノンフィクション史』も読んでおり、「ノンフィクションの名作・問題作」を取り上げているという本書 -
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ノンフィクションという概念を自明のものとせず、それが固まる過程を追うことで、事実を描く方法論、倫理に迫ろうとする意欲作。
大宅壮一が確立(?)し、沢木耕太郎でピークを迎えた後に停滞期に入ったという見立てっぽい。
だからその後に語られるのは田中康夫、ケータイ小説、アカデミックジャーナリズム(宮台、古市といった面々)になる。商業ジャーナリズムが明らかにできていない社会のリアルに迫っているのは彼らだ、という。
面白い論考ですが、それは著者の問題意識に基づく光の当て方だとも思う。参与観察的な手法を王道的に取り扱っているので、ミクロ的な潜入レポ的な題材に偏っている印象を受ける。例えば立花隆は、大宅文庫を -
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本といえば小説が中心ですが、ノンフィクションも大好物。
一時期、沢木耕太郎にハマって「深夜特急」は全作持っていますし、「テロルの決算」は今でもたまに読み返すくらい好き。
鎌田慧の「自動車絶望工場 ある季節工の日記」、海外物ではカポーティの「冷血」、伝説のルポライター児玉隆也の評伝「無念は力」(坂上遼著)なんてのまで読みました。
あと、近年ですと、何と言っても増田俊也の「木村雅彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」でしょう。
これには腰を抜かしました。
ただ、じゃあ、そもそもノンフィクションって何? どうやって発展してきたの?
と訊かれると、答えられる方は少ないのではないでしょうか?
それもそのはず -
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著者の武田徹は、『流行人間クロニクル』(2000年サントリー学芸賞)などの著書のある評論家、ジャーナリスト。
私は、“ノン・フィクション”(=フィクションではないもの)を好んで読むが、正直なところ、ノンフィクション、ルポルタージュ、ドキュメンタリーといった言葉、ジャンルに何らかの明示的な違いがあるのか、長く疑問に思ってきた。
著者は、「ノンフィクションの成立」とは、「ジャーナリズムが単独で成立するひとつの作品としての骨格を備えたこと」、「出来事の発生から帰結までを示す物語の文体を持ったこと」といい、その経緯を“ノンフィクション”という言葉が今のように使われるようになった1970年代以前に遡り、