福沢諭吉のレビュー一覧
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学問のすすめというのは冒頭の文がえらく不自然に切り取られたことでだいぶ有名な本ですが、それにしても「といへり。」を削ってしまうのはずいぶんな暴挙ではないか。
高校時代に一読したきり再度読まないものだから、今になって中身を説明せよと言われてもなんだっけという情けない有様ですが、けれどもこの本が、現代にも通ずる本だというのは今でもハッキリと信じており、当時の激動の時代にこういう人がいたということをみんなもっとよく(決して紙幣を通じてだけでなく)知っておくべきだとも思うわけです。
こういった知識人をきちんと生かしておける社会というのがよい社会だと思います。
こういった人間を再生産できる社会というのがよい社会だと思います。
(加えてこうした人が民間にいるのも大きい。みんながみんな官僚になってしまうのは考え物です) -
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福沢諭吉の主著。ギゾー、バックルなどの文明史論を取り入れつつ、西洋文明と日本文明を対照させ、西洋文明に学ぶ必要を説く。明治8(1875)年刊。
本書の主張は明白である。西洋文明を目的とすべし、というのがそれだ。はたして今日の日本は、様々な点で西洋化された国となった。では、福沢の願いは叶ったといえるか。否であろう。本書刊行の70年後に日本は独立を失うことになったし、また現在の日本にしたって、福沢が指摘した問題点をどれほど克服したといえるだろうか。そもそも福沢が西洋に学ぶべしとしたその第一は精神(気風)である。が、現実の西洋化はもっぱら文物・技術・制度の面で行われてきた。今日、日本が直面している様々な問題に分け入っていくと、「結局、日本の文化が…」「日本人ってのは○○だから…」みたいな話になって終わることが多い。つまりは日本人の精神、気質や気風が問題となっているのであり、福沢が出した宿題がそのままになっているといえる。
また、本書は日本が西洋近代というものに直面して間もないころに書かれたものである。福沢は西洋と対面するその最前線にいた人物であるから、本書の記述からも福沢が抱いていた危機意識・緊張感といったものを垣間見ることができる。昨今の政治的議論の弛緩ぶりを想うとき、思考のスタイルといった点でも、本書から学べることは多そうである。
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『文明論之概略』は古い本なので、21世紀人たる私たちが読むにはいくらか障害がある(文体とか)。そこでお勧めしたいのが丸山眞男『「文明論之概略」を読む(上・中・下)』(岩波新書)との併読である。まさに「精読」といった感じの解説本であり、福沢の思想のより深い理解へと私たちを導いてくれるだろう。ただ、このプランは文庫1冊プラス新書3冊で、読み通すのが少々大変ではある。そこでより簡便なルートとして斎藤孝による現代語訳がちくま文庫から出ている。未読なので訳の出来不出来等のコメントはできないが、近代の古典の現代語訳という試みは評価したい。古典は多くの人に対して開かれてあるべきだ。 -
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小林秀雄大先生が、『学問のすすめ』などからは決してこぼれてこない福沢諭吉というひとを知るために挙げていたような気がする。
あまりに見慣れて、あまりにそのことばが使いまわされていて、正直、この福沢諭吉というひとをどこか敬遠していた。だが実際手に取り彼の淀みない流れるような口授に、改めて、このような先人のことばに触れられる喜びを感じた。自伝と銘打っているが、この作品は福沢諭吉というひとの精神が自ら自身を語ったものと言っていい。池田某のことばと同じ匂いがする。エッセーのような、物語のような。
ほんとうに福沢諭吉というひとは、正直に善く生きるということをやってのけた大人物であると思う。等身大で生き続けられたというそのことが、驚くべき事実だ。いわゆる日本という国が大きくその価値転換を示されたときに、自分のしたいことだけをして、静かに、だが確実にその種を蒔きつつも、うまくやり過ごす。小林秀雄に言わせれば、「変人」ということばが最もふさわしい。
まるでこのひと平等主義者のように扱われているが、平等主義などといえば笑って「そんな大層なものではござりません」と言っただろう。男女平等、何をそんなこと今さら。もし今に生きていたら、平等平等と法律などに躍起になるひとをけらけらと笑って酒でも飲んでたでしょう。
平等なんてものは最初からそうなっているのだ。すべてはことばだ。善いものは善いし、悪いものは悪い。ただこれだけだ。善いと悪いの区別がつくという時点で平等ではない。だが、この自分という存在からすべてが始まっている。これ以上当たり前なことはどこにもない。そして、これはすべてのひとにあてはまる。自分でなく生きているひとなどいない。これが平等だ。金のためにも国のためにも、子供のためにも、家族のためにも生きられる人間なんぞいない。だが、どういうわけか自分というものが生まれて、自分というものを生きるより他ない。これが独立だ。だから自分が嫌だと思うことはしない。なぜ自分が金をひとからくすねたりごまかしたりしてまで生きねばならないのか。そうまでして金をためる必要はない。要るときはその他で使わなければいい。
彼が鎖国や門閥制を毛嫌いしたのは、理にかなっていないからだ。善いということは生まれた家や将軍や天皇のことではない。そういうものとは関係なく在るものだから。そうであるなら、なぜ、善いものをひとは求めないのか。生れた家で決まるのか。これが彼にとっては我慢ならないことだったから彼は飛び出したのである。彼にとっては王政維新とかどうでもいいのである。そんなものでひとの本質の何が変わるというのだ。だから政府に関与しないのである。
国がなんだ。俺は自分ができることだけをする。俺のしたいことは誰にの邪魔にならないはずだ。俺は静かに考えるだけだから。俺から学びたいならいつだって来るがいい。俺はそんなこと惜しまない。だが、考えるのは学びに来る君だ。
彼はひとは社会の虫でその習慣の粘り強さを良く知っている。その習慣を変えるのは容易なことではないのも自身でよく体験した。その習慣を改めるには社会の大きな変化が必要だと彼は言った。独立心を説く彼が、社会というものに習慣を依存させてしまっているように思える。だが、これは違う。社会のせいなどには彼は決してしていない。彼にとっての社会とは、この自分自身という存在に他ならない。自分が習慣を改めようと思わなければまるで意味がないと彼は知っている。ではなぜ習慣を改めようと思わないか。ひとつにその習慣が善いものだと思っているから。もうひとつがそれが習慣であるということにさえ気づいていないから。そのため、彼は有形において数と理を求めたのである。そして、その数と理を学ぶためにはことばとしての英語が必須であったのだ。英語が主流であることは実際事実なので、そこで彼はしょうがなくオランダ語を捨てて英語を学んだのだ。英語が大事なのではない。英語はただの手段でしかない。日本語や中国語で同じことができれば、おそらく英語をわざわざやる必要なしと彼なら言っただろう。
彼のことを考えていると、この福沢諭吉というひととソクラテスというひとを無性に対談させてみたくなる。
ソクラテス まったく君はずいぶんうまいこと生きたもんだね。見上げたもんだよ。
福沢 それを言ったらあなたの方がよっぽど話題の尽きない人生だったでしょうに。
ソクラテス 僕の方は裁判なんて厄介な制度が習慣としてあったからね。
福沢 習慣ってのはほんと、恐ろしいものですね。
ソクラテス まったくだ。あれほど恐ろしく不思議なものはない。
福沢 僕なんてもう面倒くさくてどうにでもなれ! って投げ出しましたもん。
ソクラテス 君の自伝でもあったね。学校つくれとか、官僚になれとか、いろいろ。
福沢 あんなもので人間ころって変わったらそれこそ、あなたに申し訳ないですよ。
ソクラテス どうも人間そう変わっていないようだね。世界というのは自分のこと以外のなんだというのだ。
福沢 独立というのが何よりも必要だというのに。有形、実践、世に役立つ、なんていうものがいかに浅薄なことか。
ソクラテス あれが僕にはわからない。一体何が何に役立つことなのか。何を何に実践するのか。
福沢 そんなに知りたきゃちゃんと学問でもしてみろ!って言ってやりましたよ。
ソクラテス 君のそういうところが役得なところだねぇ
ふたりで酒を飲みながらそんなこと言っているような気がしてならない。
体調の問題か、彼が自伝で終わりの章はかなり足早に書かれている。書ききらなかった日清日露戦争、大正昭和聞いてみたかった。 -
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あまりに面白かったので2度繰り返して読んだ。どこが面白かったかと言うと、江戸時代の武士たちの生活や話し方が作者の話し言葉によって生き生きと描かれている。また彼はアメリカに2回ヨーロッパに1回行っているが、その時の驚きや刀を差した侍たちがどう感じたか面白おかしく書いてある。意外と福沢は臆病者で、辻斬りとか追いはぎとか暗殺者を非常に恐れている。明治維新の頃洋学者はいつも尊王攘夷に命を狙われていたのだ。スリルとサスペンス、昔の生活風俗よりもよくわかって面白いだけではなく、福沢諭吉の心の優しさや家族や師弟の愛に感動した。
ただ昔のこと、放送禁止用語がまだなかった時代なので、韓国人や被差別部落の方、ハワイの王室の方、身体障害者の方は読まない方がいいでしょう。 -
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これをそのまま映画化したらコメディ映画が出来上がるのではないかと思うくらいユーモラスな自伝。門閥制度が嫌い、漢学が嫌い、そして攘夷が嫌い。これらのごく個人的な嫌悪感が新しい社会を構想する原動力になったという事実は興味深い。門閥制度への嫌悪感は西洋流の平等主義を受け入れる下地を作っただろうし、科学的な根拠を持つ洋学を学んだあとは、漢学や攘夷といったものが極めて非合理的なものに見えただろうことは想像に難くない。明治新政府に仕官しなかった理由を語る終章(「老余の半生」)は福沢の精神を最もよく表していてやはり感動的。一切の迷信を排したウルトラ合理主義者である福沢が、独立心という無形の矜恃に最高の価値を置いていたことはやはり特筆すべきだろう。記憶だけが頼りの口述筆記であるため事実誤認も数多くあるのだろうが、それを差し引いても、すぐれた自伝文学であると同時に第一級の歴史資料としての価値も併せ持つ稀有な作品。
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ネタバレ福沢は一生を通じて一つのことしか考えなかった。日本の独立!彼は、そのために西洋崇拝者のそしりを受けて身辺に危険をもっていた。それでも彼はそういう危険を冒して西洋の文明を吸収することにつとめた。これをもって彼は愛国の方法としたのである。
何か議論を始めて、ひどく相手の者が躍起となってくれば、こちらはスラリと流してしまう。「あのばかは何をいっているのだ」とこう思って、とんと深く立入るということはけっしてやらなかった。ソレでモウ自分の一身はどこに行ってもどんな辛苦もいとわぬ、ただこの中津にいないでどうかして出て行きたいものだと、ひとりそればかり祈っていたところが、とうとう長崎に行くことができました。
その時には昼は写本を休み、夜になればそっと写し物を持ち出して、朝、城門のあくまで写して、一目も眠らないのは毎度のことだが、またこのとおり勉強しても、人間世界は壁に耳あり目もあり、すでに人に悟られて今に原書を返せとかなんとかいって来はしないだろうか、いよいよ露顕すればただ原書を返したばかりではすまぬ、御家老様のけんまくでなかなかむずかしくなるだろうと思えば、その心配はたまらない。
これまで倉屋敷に一年ばかりいたがついぞ枕をしたことがない、というのは時は何時でもかまわぬ、ほとんど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わずしきりに書を読んでいる。読書にくたびれ眠くなってくれば、机の上に突っ伏して眠るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るか、ついぞほんとうに蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということはただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気がついて「なるほど枕はないはずだ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気がつきました。これでもたいてい趣がわかりましょう。これは私ひとりがべつだんに勉強生でもなんでもない。同窓生はたいていみなそんなもので、およそ勉強ということについてはじつにこの上はしようはないというほどに勉強していました。
けれども緒方の書生は原書の写本に慣れて妙を得ているから、ひとりが原書を読むとひとりはこれを耳に聞いて写すことができる。そこでひとりは読む、ひとりは写すとして、写す者が少し疲れて筆が鈍ってくるとただちにほかの者が交代して、その疲れたものは朝でも昼でもじきに寝るとこういうしくみにして、昼夜の別なく、飯を食う間も煙草をのむ間も休まず、ちょっとのひまなしに、およそ二夜三日の間に、エレキトルのところは申すにおよばず、図も写して読み合せまでできてしまって、紙数はおよそ百五、六十枚もあったと思う。
今まで数年の間死にもの狂いになってオランダの書を読むことを勉強した、その勉強したものが、今はなんにもならない、商売人の看板を見ても読むことができない、さりとはまことにつまらぬことをしたわいと、じつに落胆してしまった。けれどもけっして落胆しておられる場合でない。あすこに行われている言葉、書いてある文字は、英語か仏語に相違ない。
すでに心に決定しておれば、藩にいて功名心というものはさらにない、立身出世して高い身分になって錦を故郷に着て人を驚かすというような野心は少しもないのみか、私にはその錦がかえって恥ずかしくて着ることができない。グズグズいえばただこの藩から出てしまうだけのことだというのが若い時からの考えで、人のこそいわぬ、私の心では眼中藩なしとこう安心をきめていましたので、それから長崎に行き大坂に出て修行しているそのうちに、藩の御用で江戸に呼ばれて藩中の子弟を教うるということをしていながらも、藩の政庁に対してはまことに淡泊で、長い歳月の間ただの一度も建白なんということをしたことはない。
厚かましく深切を尽くして、厚かましく泣きつくということは、自分の性質においてできない。これで悪いというならば追い出すよりほかにしかたはあるまい。追い出せば謹んで命を奉じて出て行くだけの話だ。
これを要するにどうしても青雲の雲の上には向きの悪い男であるから、維新前後にもひとり別物になっていたことと、自分で自分のことを推察します。ソレはソレとして、
すべてこういう塩梅式で、私の流儀は仕事をするにも、朋友に交わるにも最初から捨身になってとりかかり、たとい失敗しても苦しからずと、浮世のことを軽く見ると同時に一身の独立を重んじ、人間万事、停滞せぬようにと心の養生をして参れば、世を渡るにさまでの困難もなく、安危に今日まで消光してきました。 -
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ネタバレ僕の人生の羅針盤の一つです。
特に、教育や経営における思想あyスタンスや取り組みは
この著に書かれているエッセンスが欠かせません。
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本塾の旧生徒が、社会の実他に乗り出して、
その身分職業の如何にかかわらず、物の数理に
迂闊ならず、気品高尚にてよく独立の趣意を全うする者ありと
聞けば、これが老余の一大楽事です。
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実学に重きを置いた教育主義と同時に
、独立(独立自尊、独立した視点など)論をちょいと
した話の端にする。時には、それだけに時間を割き(演説)
あるいは、筆記にしるし、その方針を導いたことは、
今でも僕のモチベト-クの礎です。
主義を唱えて -
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なぜ学問をするのか。そして、学問を修めた者の責務とは何なのか。福沢諭吉はその答えを、「文明の進歩のため」そして、「国家の独立を得るため」としている。
学んだものは、活かさなければならない。少し学んだだけで、それをただのステップにして職に就き、日々の暮らしを保つのに腐心するだけでは、個人はそれでいいだろうが、文明が進歩するのに寄与するには至らない。福沢は例として、世の中のすべての人が、自分の家計をやりくりすることのみを考えていたとしたら、新しいものは生まれることなく、ずっと同じ文明水準のまま時代が過ぎて行くだろうとしている。
原書は明治初期に著されたものである。元々、小冊子のような形で短い論評を断続的に発行した、「シリーズ本」であったようだ。発行当初のコンセプトは初学者に向けたメッセージであり、子どもに向けて話すような非常にわかりやすい内容であったが、次第に近代社会のあり方について、日本の当時置かれていた状況に強い危機感を持って読者に訴える内容となっている。
そして、福沢が原書中で日本の将来について心配した内容は、後年になっておよそその通りの形で日本を狂わせ、現代に至っている。当時の学者とは、ここまで国の行く末を見ることができるほど学問を究めていたのかと唸らされたほど、福沢の指摘は的を射たものである。
現在の日本はどうだろうか。福沢が主張した「国家の独立」は少なくとも保たれているとは言い難い。学問は文明を拓くためにではなく、大学の名前を得るために行われている。それをどこにも活かさずに仕事をし、まさに家計のやりくりに腐心するのみの人間が大多数である。
全体が豊かになったことで、日本人は後ろ向きになったのではないだろうか。まさに今、文明を拓いた人々の論考に触れ、行動を起こすことが我々に、特に若い世代に求められているのではないかと考える。
なお、本書の現代語訳は非常にこなれていて、やさしい言葉遣いになっているので大変読みやすい。これなら、中高生が読むのにも入りやすいと思われる。 -
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福沢さん、サイコーです。100年以上も前に書かれたはずの内容が新鮮に感じます。
当時、諭吉さんが国民に訴えていたことが、現代の国民に対してもまだ通じると思ってしまったのがちょっと残念です。
日本は経済大国と言われるまでに成長してきたが、それはごく一部の賢者たちのおかげにすぎない。
当時も今も大半の国民は、受け身でなんらかわっていないのですね。。。
自分もまだまだだけど、家族や友達、職場の人も自分のまわりみな独立精神が強くないようです。
この国の国民性と言ってしまえばそれきりですが、自分は少しずつ自分の道を歩いていけたらと改めておもえてうれしいです。
良書です。 -
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私は、慶應出でも大分出でもないが、
以前から、福沢諭吉という人に興味を持っており、いつか読んでみようと思いつつも、私が果たして明治時代の書物を読んで理解できるかどうか…というところに疑問をいだいていたのだが、そんな私に、ぴったりの本。
福沢と勝とどちらが、どうというのは、その時代に実際に生きていなかったので良くわからないのだが。
過去の偉人たちや出来事を一見批判していると思われる文章でも、福沢の真意というのを、わかりやすく解説してくれているこの岬さんも素晴らしいと思う。
そして、この岬さんと言う方も、またお国は知らないが、諭吉と違う、慶應ではなく、早稲田出身というところが、またとても信頼できると思うのだ。
とにかく、現代の時代に通じるところが多いにあるので、初心者向けだとか古いとかそういうことは考えずに、ぜひお勧めした一冊。