島薗進のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1.この本を一言で表すと?
世界の宗教の概要を網羅的に纏めた本。
2.よかった点を3~5つ
・ユダヤ教とキリスト教(p36-55)
→歴史と違いが簡潔に纏められていてわかりやすい。
・初期新宗教(p166)
→天理教、金光教、黒住教は神道系とは知らなかった。
・イスラーム(p76-85)
→知っているひ人にとっては内容は薄いかも知れないが、知らない者にとってはよくまとまっていてわかりやすい。
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・著者自身も認めているが、日本の宗教の割合が多い。世界の他の宗教も載せてほしかった。
・1990年以降の日本のカルトについてもう少し記述があっても良かったの -
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近代日本社会の精神文化形成に「神道」がいかに関わったか、現代に連なるテーマをその源流から仔細に論じられている。
神道は、古くから存在する日本固有の宗教。
一般的な宗教には教祖や経典が存在するが、神道は教祖や経典が存在しないことも大きな特徴。
「古事記」や「日本書紀」にも神道という言葉は出現するが、現在のような体系的な宗教としての神道のかたちができていたわけではない。
原始的な神話信仰や、山や岩などの自然を神聖なものとする精霊信仰が徐々に融合し、外来文化、先祖崇拝なども取り入れながら、日本人に親しみやすいように変容してきた宗教が神道。
◯天皇と神道
「祖先崇拝」や「自然崇拝」が基本で、「八百 -
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オムニバス形式。
大切な人を亡くして悲しいときに、自分自身と死者にどう向き合うかという視点と、
悲しみの真っ只中にいる他人とどう関わるのかという視点があると感じた。
宇多田ヒカルの「夕凪」という曲の原題は「Ghost」なのだが、あの曲の理解が少し深まった気がする。私は悲しいことがあったとき、「夕凪」を聴けなくなったため、本を読めなくなったエピソードに共感を覚えた。今まさに自分で物語を書いているから本が読めないのなら、あの曲が聴けなくなったのはその時まさに自分で言葉を書き連ねていたか、詠っていたからなんだと思った。
もっと深く話を聞き進めたいところで章が終わる。共著者の本を読みたくなった。 -
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死生観を知りたくて選んだ本の中の一つ。
あと、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」が取り上げられていたので読んでみた。
前半はいまの再生医療の技術について、科学を通して知る。ES細胞とかiPS細胞とか、ニュースで聞くくらいしかなかったけど、なるほどそういう仕組みだったのか、だからノーベル賞なのかと知った。
それが今後、生きている人間に対してどんな影響を与えるんだろうかということも書かれている。エンハンスメントの話。
もともと治療をするための医療が、より多幸になるためとして発達しているんじゃないか、と。
身体能力だけでなく、心も変えることができる…。いわれてみれば、ということが何か所かあ -
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参照作品…佐野洋子『100万回生きたねこ』/アンデルセン「人魚姫」/マクドナルド『軽いお姫さま』/宮沢賢治『なめとこ山の熊』/『新約聖書』「放蕩息子の帰還」と『法華経』「長者窮子のたとえ」/キングスレイ『水の子 陸の子のためのおとぎばなし』/トルストイ『イワン・イリッチの死』/西加奈子『きりこについて』/『観無量寿経』『大般涅槃経』、阿闍世王の物語/倉田百三『出家とその弟子』/武田泰淳『ひかりごけ』/星野智幸『呪文』/深沢七郎『楢山節考』/石牟礼道子『苦海浄土-わが水俣病』/遠藤周作『深い河』/カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』/いとうせいこう『想像ラジオ』 他
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無神論者が「先進諸国」を支配したかのような情勢だが、それは仮の姿である。幕をあげれば、神仏精霊が語られない日は1日として存在しない。イスラム国しかり、年中行事しかり、冠婚葬祭しかり、映画や文学作品しかり、漫画やアニメしかり。ありとあらゆる場に宗教は躍動する。それを否定しようとしまいと、人は真に宗教を無に帰すことはできない。なぜなら、デュルケムに言わせれば、神は社会それ自体であるからである(ということになるようだ)。(はてこの解釈でよいものだろうか、原著にあたる必要はある。)
宗教、ないし信仰とはなにか。これは人間の持つ根源的な問いのひとつなのか。それは人間とはなにかと問うことに近い。宗教学とは -
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ちくま新書の『〜の名著30』シリーズは前作の社会学がなかなかの面白さだったが、本屋で今回の『宗教学』というタイトルを見た時、門外漢の自分としては「一体どんな著作が取り上げられてるんだろう、まさか無味乾燥な専門的研究書だらけじゃなかろうな…」などという思いが一瞬よぎった。だがその不安は杞憂だった。
著者の「来るべき宗教学を展望する」という目標のもとに選ばれたラインナップは、ウェーバーやデュルケムのような定番のみならず、フロイト、ホイジンガ、エリクソン、井筒俊彦、ヤスパース、バタイユ、さらには一見宗教論と関係なさそうなバフチンのドストエフスキー論(!)まで取り上げられる幅広さ。著者の懐の深さが感じ