島薗進のレビュー一覧
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人はなぜ絶対的な存在に祈りを捧げ、「救い」を求めるのだろうか?
世界三大宗教とよばれる仏教・キリスト教・イスラームを救済宗教と位置づけ、その名の通り救済を求める宗教の歩んできた歴史と社会的構造との相関関係を明らかにしている
そもそも救いとはなんなのだろうか。序盤では文学や歌にみられる救いの表現を取り上げつつ、芸術によって形成されてきた救いの意識をひもといている
ウェーバーの提唱した、人の死後はすでに決まっているから現世の行いや宗教の類は全く意味がない、とした予定説が興味深い こんな反宗教的な思想が許されるのか、と思ったけどケーサカンバリンの地水火風の話(たしか唯物論的なの)と似てる気もしておもしろい
宗教の知識あったほうが読みやすいと思う -
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私も宗教2世、いや、正確には3世です。
皆さんの体験談は、自分と重なるところも多く、改めて、自分もいろんなことを我慢してきたんだろうな、本当の自分を出すことができずに大人になったんだろうなと感じました。
せっかくなので、私の記録も(長くなりますが)ここに残します。
私は、父方の祖母、母方の祖父母が創価学会に入会し、父と母は子どもの頃から学会員で、学会活動の中で出会って結婚し、私が生まれました。
父母は地元でちょっと有名な活動家だったので、その長女である私も期待されていると(勝手に)感じていました。
小学生になる頃、母から勤行唱題を教わり、土日には未来部として会合や合唱団の活動に参加しました。
かなり真面目でいい子で、勤行唱題も活動も休むことはほとんどありませんでした。
思い出もあるし、活動を率いるお姉さんたちも優しかったし、そこで教わった宗教的な考えに、今でも救われると思うこともあります。
でも、土日に予定があることが多かったこと、特に中学になると休みの日でも制服で学会活動に行くので、友だちに会うと気まずかったこと、修学旅行では他宗のお祈りはできないということで、クラスメイトが参拝中、外で待っていたことなどが、苦い思い出として残っています。
活動したいとか、したくないとかの前に、自分が本当にしたいことというのは、小さい頃からよく分からず、全ての行動はやるべきことだからやる、という感じで、学会活動以外は、勉強ばかりしていました。
なので、成績もよかったです。
学会は関係ないですが、高校の時は留学もしました。
それも、母が話を持ってきたからで、私は「ああ、留学すればいいのね」と思ったことを覚えています。
その後、地方の大学に行き、転勤のある職に就いたので、各地の学会員にお世話になりました。
知らない土地でも、学会活動を通じて仲良くなれるのはありがたいことでした。
基本的に、いい人が多いので、引っ越しても安心ではありました。
けれど、結婚し、子育てをするようになって、母に子育ての相談をしたりする中で、違和感を感じるようになっていきました。
もともと生きづらさがありましたが、自分はアダルトチルドレンなのかもと思うようになり、最近ようやく、宗教を強いられたことも原因なのかなと思うようになりました。
そうはっきり思ったから、というわけではありませんが、少しずつ活動から距離を置くようになりました。
母も母でいろいろな思いから活動から距離を置くようになったようですが、それは、私には意外で、この本の中でもどなたかの体験にあったように、母は活動から離れないでほしかった、とも思います。
だって、私が創価学会から離れようと思ったのに、だって、母が信じていた学会活動で私が傷ついたのに、、、うまく言えませんが、ずるいというか、裏切られたというか、そんな気持ちがあります。
結局、母も流されていたのかな、と思うこともあります。
一方、父は生涯を学会活動に捧げたと言ってもいいほど、熱心な活動家でした。
父の大切な居場所であり、生き甲斐だったのだと思います。
欠点もある人だったとは思いますが、私は父のことが大好きで、だから、父が亡くなって、学会活動から離れた母のことが許せないのかもしれません。
父のことは二言もなく好きだと言える一方、母には複雑な思いがあり、ただ、宗教活動という面で言えば、父が母に与える影響も大きかったと思うので、私の思いは複雑です。
まだまだ抑圧していることがたくさんあるんだろうと思います。
でも、このような本のおかげで、少しずつ、私の中に閉じ込めたものも解放されるかもしれません。
そんな影響力のある本だと思います。 -
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第1章まで呼んだ。グノーシス主義が、今まであまりよくわかってなかったが、簡単に簡潔にここで説明されていて良かった。右側に図も載っていて、楽しかった。
もっと続きを読みたかったなぁ。今度時間がある時に読みたいな。
この本の特に好きなところは、はじめににある著者の文章。
宗教学について学ぶ時、様々な生き方を具体的な人間の実相から離れることはできません。
宗教学は、人間が向き合う難しい問いを、それらの具体的な事例からつぶさに学んでいこうとするものです。
人の生きる根拠となるものがなんだったのか、何を生きがいとして人は生きてきたのか。
人類史を広く見渡せば、宗教抜きには語れないことが実に多いくあります。宗教を素材にすることで、人類の心の営みを広く捉える可能性が広がります。
宗教学は、特定の方法論にこだわることがありません。宗教学を学んでいくと、自ずと柔軟な思考身についてくるはず。そう私は感じています。 -
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1.この本を一言で表すと?
世界の宗教の概要を網羅的に纏めた本。
2.よかった点を3~5つ
・ユダヤ教とキリスト教(p36-55)
→歴史と違いが簡潔に纏められていてわかりやすい。
・初期新宗教(p166)
→天理教、金光教、黒住教は神道系とは知らなかった。
・イスラーム(p76-85)
→知っているひ人にとっては内容は薄いかも知れないが、知らない者にとってはよくまとまっていてわかりやすい。
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・著者自身も認めているが、日本の宗教の割合が多い。世界の他の宗教も載せてほしかった。
・1990年以降の日本のカルトについてもう少し記述があっても良かったのでは?
・宗教とスピリチュアルの繋がりがよくわからない。
・儒教は宗教と言っていいのか?個人的には違う気がする。
・アフリカの宗教はどうなっているのか?
3.議論したいこと
・日本人に宗教があまり馴染みが無いのは何故か?
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5.全体の感想・その他
・世界の宗教の概要を知るにはよくまとまった本だと思う。
・個人的には知らないことが多かったので読んで良かった。 -
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近代日本社会の精神文化形成に「神道」がいかに関わったか、現代に連なるテーマをその源流から仔細に論じられている。
神道は、古くから存在する日本固有の宗教。
一般的な宗教には教祖や経典が存在するが、神道は教祖や経典が存在しないことも大きな特徴。
「古事記」や「日本書紀」にも神道という言葉は出現するが、現在のような体系的な宗教としての神道のかたちができていたわけではない。
原始的な神話信仰や、山や岩などの自然を神聖なものとする精霊信仰が徐々に融合し、外来文化、先祖崇拝なども取り入れながら、日本人に親しみやすいように変容してきた宗教が神道。
◯天皇と神道
「祖先崇拝」や「自然崇拝」が基本で、「八百万(やおよろず)の神」と呼ばれる多数の神を崇拝する。
仏教やキリスト教など、世界宗教の多くが「一神教」であるのに対し、神道は「多神教」の考えを基としている。
神道を語る上で欠かせないのが天皇の存在。
天皇は、八百万の神の中でも最高の神格を有する「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の末裔と考えられている。
皇室の儀式が、神式(しんしき)でおこなわれているのはこのため。
◯神道の種類
神道も時代や政治利用等によって少しずつ意味や内容が異なるものを分類できる。
・神社神道
現在も神社を中心に信仰されている、一般的にイメージされる神道のこと。
・皇室神道
皇室による大嘗祭や新嘗祭を始めとした祭祀をおこなう神道。
・教派神道
伊勢神宮や出雲大社など古くから続く神社から生まれた神道や、金光教など教祖の神秘的体験から生まれた神道のこと。
・復古神道(江戸時代中期から明治時代まで)
外来宗教の影響を排除し、日本固有の信仰の在り方を復活させようとした神道のこと。
・国家神道(明治から第二次世界大戦終戦まで)
天皇統治体制強化のために、国家が国民に信仰するよう働きかけた神道のこと。
◯その他
神社ふつうにいってるけど、あれは神道の拠点。神社の原形は、神様が降臨すると考えられた木や岩の所に仮設された建築物
◯神道の歴史
仏教が日本にやってきたのは6世紀半ば。
それ以降、神道と仏教は、どちらかがとちらかに取り込まれてしまうというようなことはなく、江戸時代に至るまで延々とバランスよく融合・共存して日本人の宗教性を支えてきた。
これを「神仏習合」と呼ぶ。
しかし、明治に入ると天皇を頂点とした神道を基盤にする近代国家が目指された。国家神道を目指すということ。
神仏習合は明治新政府によって無理矢理に分離されられる(神仏分離)。
寺や仏像、経典を破壊する「廃仏毀釈」という黒い歴史が日本史に刻まれたのもこの時。るろうに剣心ででてきたやつですね。二重の極み。
国家神道は第二次世界大戦の終焉とともに廃止に。その後、神社や寺院はそれぞれに宗教法人となり今日に至る。
大日本帝国憲法が制定され、信教の自由も認められていた。
神道が他の宗教と区別されたのは、宗教の枠から外すことで、国民道徳として国民全体に神道の儀礼への参加を強制するためだった。
天皇は宮中三殿において皇祖神や皇霊、そして天神地祇(てんじんちぎ、全ての神々)を祀る神主の役割を果たす。
国民は、神々を祀るとともに、その祀り手である天皇をも崇拝する。そうした体制が明治時代に確立されたのである。
◯象徴としての行為を支える信仰
現在の天皇は宮中祭祀に熱心であると言われる。これは、天皇の生前退位をめぐる議論のなかで浮上したことだが、有識者のなかには、天皇はこうした祭祀さえ行っていればよいのであって、それ以外の行為は不要であると主張する人もいる。
だが、近代の社会において、代々の天皇は宮中祭祀だけを行ってきたわけではない。大正天皇は病のため十分な活動はできなかったものの、他の天皇は行幸を重ね、戦後の昭和天皇ともなれば、一般の国民とも積極的に関わってきた。現在の天皇は、被災者の見舞いや、かつての戦地を訪れる慰霊の旅を繰り返している。
そして、大日本帝国憲法下では、「天皇大権」と呼ばれる権能を果たし、日本国憲法下では、多様な国事行為を果たしてきた。天皇が果たすべき責務は重い。
日本国憲法においては、天皇は国の象徴、ないしは国民統合の象徴と位置づけられている。た
だ、象徴とは何かということについて、憲法には格別の規定が存在しない。
現在の天皇は、退位をめぐる国民に対するメッセージの中で、「象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を日々模索」してきたと述べていた。
憲法が象徴とは何かを具体的に規定していない以上、天皇自身がそれを自ら考え続けなければならなかったというわけである。メッセージの中で、天皇は、その具体例として「日本の各地とりわけ遠隔の地や島々への旅」を挙げていた。
つまり、天皇が模索してきた象徴としての行為は、仏教の「菩薩(ぼさつ)行」、あるいは「利他行」に当たるのではないかと考えた。それは、自己を犠牲にしてでも他者を救うために行動することである。
現在の天皇は国政に対する権能を持たない。だが、国家を象徴する存在である以上、自らの行動の支えになるものを必要とする。そこに信仰の役割がある。
神道を通すことで、自然的に天皇は信仰の象徴となり、その頂上として君臨できる構造となっている。 -
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オムニバス形式。
大切な人を亡くして悲しいときに、自分自身と死者にどう向き合うかという視点と、
悲しみの真っ只中にいる他人とどう関わるのかという視点があると感じた。
宇多田ヒカルの「夕凪」という曲の原題は「Ghost」なのだが、あの曲の理解が少し深まった気がする。私は悲しいことがあったとき、「夕凪」を聴けなくなったため、本を読めなくなったエピソードに共感を覚えた。今まさに自分で物語を書いているから本が読めないのなら、あの曲が聴けなくなったのはその時まさに自分で言葉を書き連ねていたか、詠っていたからなんだと思った。
もっと深く話を聞き進めたいところで章が終わる。共著者の本を読みたくなった。 -
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死生観を知りたくて選んだ本の中の一つ。
あと、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」が取り上げられていたので読んでみた。
前半はいまの再生医療の技術について、科学を通して知る。ES細胞とかiPS細胞とか、ニュースで聞くくらいしかなかったけど、なるほどそういう仕組みだったのか、だからノーベル賞なのかと知った。
それが今後、生きている人間に対してどんな影響を与えるんだろうかということも書かれている。エンハンスメントの話。
もともと治療をするための医療が、より多幸になるためとして発達しているんじゃないか、と。
身体能力だけでなく、心も変えることができる…。いわれてみれば、ということが何か所かあった。
後半は宗教観、欧米と日本との違い、日本の中でも価値観の違いなどにも触れる。
特に「これから人になりうる命」についてはすごく丁寧に取り扱っていた。
ES細胞になる余剰胚も、授かりものの命も、すでに社会の中に取り込まれているのだなと感じた。
自分の意識が生まれる前から、自分を取り巻く社会ができているのだと。
生まれる前だけじゃなくて、死んでからもそうだと。脳死のトピックでそう感じた。
「個人が個人として存在するためには、他者や集団、自然や環境との関係が、そして世代を超えた過去や未来とのつながりが必要です」224p -
Posted by ブクログ
参照作品…佐野洋子『100万回生きたねこ』/アンデルセン「人魚姫」/マクドナルド『軽いお姫さま』/宮沢賢治『なめとこ山の熊』/『新約聖書』「放蕩息子の帰還」と『法華経』「長者窮子のたとえ」/キングスレイ『水の子 陸の子のためのおとぎばなし』/トルストイ『イワン・イリッチの死』/西加奈子『きりこについて』/『観無量寿経』『大般涅槃経』、阿闍世王の物語/倉田百三『出家とその弟子』/武田泰淳『ひかりごけ』/星野智幸『呪文』/深沢七郎『楢山節考』/石牟礼道子『苦海浄土-わが水俣病』/遠藤周作『深い河』/カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』/いとうせいこう『想像ラジオ』 他
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Posted by ブクログ
無神論者が「先進諸国」を支配したかのような情勢だが、それは仮の姿である。幕をあげれば、神仏精霊が語られない日は1日として存在しない。イスラム国しかり、年中行事しかり、冠婚葬祭しかり、映画や文学作品しかり、漫画やアニメしかり。ありとあらゆる場に宗教は躍動する。それを否定しようとしまいと、人は真に宗教を無に帰すことはできない。なぜなら、デュルケムに言わせれば、神は社会それ自体であるからである(ということになるようだ)。(はてこの解釈でよいものだろうか、原著にあたる必要はある。)
宗教、ないし信仰とはなにか。これは人間の持つ根源的な問いのひとつなのか。それは人間とはなにかと問うことに近い。宗教学とはすなわち、人間学であると言えるかもしれない。実際、本書に選出された30の著作の多くは、社会学・心理学・歴史学・民俗学・文化人類学・哲学等々の名著にも数えられる。これはすなわち、知性がいかに宗教と闘ってきたのかを示す。解きえぬ謎なのであり、そうであればこそ、新たな理論を育む肥沃な土壌でもあるのだろう。
さて本書を読んでの感想だが、豊作を期待できる未開の地に読者を誘う試みに感謝すると同時に、全体としてとりとめのない感を覚えずにはいられなかった。自分で学べよ横着するなとは思うが、30ではなく10くらいでとどめてもと思わずにはいられない。解説をいただいておいてなんとも申しあげづらいが、素直な意見としては以上だ。
諸著を比較して読んでいたわけではないし、原著を読まずして比較すべきではないが、やはりウェーバーの理論には抗いがたい魅力を感じた。人類の歴史は、超越者やその世界を想うこととともにある。絶対的な他者とひとつになることへの不可能な願い。しかし、近代はその願いを自ら消滅させることに目覚める。醒めた近代人は、しかし残念なことに、醒めれば醒めるほどに、宗教や信仰と人の分かちがたい緒を露呈させる。わたしたちは宗教を否定して、それでどんな未来を描こうというのか。近代の偉大なる虚無を、ウェーバーはいち早く指摘する。
・・・文化発展の最後に現われる「未人たち」》letzte Menschen《にとっては、次の言葉が真理となるのではないか。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無いもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。
また、彼の提唱したありえるはずのない世界像ー「プロテスタンティズム」が「資本主義」を生むーは、今なお鮮明な色彩を失っていない。批判はいくらでも可能だが、彼の織りなす理論は傑出して独創的である。原著に一度挫折しているため、今一度挑戦したい。