鈴木大裕のレビュー一覧
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日本の教育現場を取り巻く息苦しさの正体が何かを様々な実例をもとに突き止めるとともに、これからの展望についての「光」を指し示してくれる一冊。
この書籍では、2016年に出版された同氏の著書「崩壊するアメリカの公教育」の8年後である日本の教育現場のいまが描かれている。
各章のタイトルは「『お客様を教育しなければならない』というジレンマ」や「人が人でなくなっていく教育現場」、「新自由主義時代の『富国強兵』教育と公教育の市場化」といった、読者をドキリとさせるものが多い。しかし、感情的ではなく教育研究者としての視点から、冷静に、実例を交えながら論を展開していく。
学習指導要領の転換や全国学力テスト -
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まず著者群の面子を見て、少なくとも既知の名前において、それぞれの発信することばを追いかけている人が多いことを確認。演繹的に、その他の著者についても、かけ離れた立場にはないであろうと判断。あわよくば、今後の人生指針になり得る存在と出会えることも期待。前置き長いけど、そんな考えの下、発売前から気にかけていた本書。日本学術会議任命拒否問題についても、どこかでちゃんと読まなきゃと思っていたけど、その欲求も本書で満たされた。中曽根時代から綿々と受け継がれて今に至るってのも、何とも根深くて嫌な感じ。そのあたりまで遡って、ちゃんと勉強しなきゃ。あとは、己でさえままならない自由の取り扱いを、更に次世代に伝える
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ネタバレまだ読みかけ。
アメリカの公教育の格差が大きいのは理解できるし、マックチャーターのような教育の画一化を批判する向きもわかる。
しかし、元々の"Nation at Risk"のレポート('83)の背景にはアメリカの経済的な衰退と教育の質の低下があったのではなかろうか。日本も同じ、日教組に支配された質の低い教師へ批判がベースにあろう。
国家は公教育への投資によって何を得るか、という根源的な問いに到達することを期待する。経済活動がそのまま戦争手段となっている今日、ひと握りの経済的エリートを国に惹きつけることすら難しい。国家とは、国民とはなんだろうか。
【2章】
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日本の窮屈な教育に飽き足らずに、自分を発見するためにアメリカに留学した著者。そこで繰り広げられていた,個性を生かす教育と文字通り個性的な同級生たちの姿。著者は「これぞ,日本の教育の目指すべき道」と思っていたそうです。
が,その一方で,新自由主義のもと,公教育の場がどんどん民営化されていき,「公」というものがなくなっていくアメリカの教育界。著者には,アメリカの教育界が「格差拡大再生産の場」であることが,見えてきます。自分が体験したのは,エリートを育てる私立校だったんです。それはアメリカでも特殊な教育環境であることに気づきます。
新自由主義に犯され,何ごとも経済最優先で突き進んだ結果の社会が -
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教育がサービス化してしまっていることに警鐘を鳴らしている。現在の教育は、新自由主義、グローバル経済に対抗すべく、生徒の学力を伸ばすことを第一目標としている。そのためには成績という結果主義をすることで、教師の仕事をシンプル化、さらに警察などとの連携や外部委託化を増やすことでより教師の仕事を単純にしている。そしてこれは教師自体が部品化されていることを指している。
学校をグローバル経済の人材工場としてしまっている。そしてこれがさらに格差を生んでいる。というのも、富裕層の住む地域は学業以外が伸ばせる環境が充実してきており、学業以外を得意とするベテラン教師もここに集中するようになっている。たいして、貧 -
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はじめに
びわ湖花火大会、ファーストクラス
知ってはいたけど衝撃的な内容
第1章「お客様を教育しなければならない」というジレンマ一新自由主義と教育
「お客様」と化した生徒・保護者の要望に応えつつ、教育機関として生徒指導対応策授業や生徒指導のマニュアル化学校の「塾化」、教育の数値化・標準化・商品化 ビジネス界の侵略
第2章 人が人でなくなっていく教育現場教員の働き方改革の矛盾
旭川中2いじめ凍死事件
新自由主義政府が推進する「学校における働き方改革」の矛盾
第3章 新自由主義の「富国強兵」教育と公教育の市場化一政治による教育の「不当な支配」
教育への政治介入:大阪の現状
大阪市立木川南 -
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ネタバレ今から3年前2019年、当時の首相による日本学術会議の会員任命拒否問題は、政府による自由・学術・教育に対する介入であると大変な危機感をつのらせることになった出来事でしたが、自分の周りでこの件について同じようなことを考えていたり意見を交換したりということがあったのは、小学校教員である友人ただ一人との間でした。
そこにあるものの不穏さを感じ取った人が自分の周りにはあまりにも少なかった、と思います。
それから現在までを振り返ってみるとたった3年の間に自由というものがとても堅苦しく緊張の伴うものになってしまっており今なお進行形であると感じます。
気づいたら周りから固められてて自分は奇特な意見を述べる -
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一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対 -