高瀬隼子のレビュー一覧
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購入済み
要領良いヤツってどうよ。
凄く読みたかった芥川賞小説だ。文庫化したので、喜んで手に取った。🥘要旨は、職場で要領良く煩瑣事から逃れるどうにもイケ好かない奴とのつきあい方を考えるものだ。🥘そんなヤな奴はイジメて大人しくさせるのか。それは得策でない。要領の良い相手だから当方が悪者になる。🥘実際のところ、上司に可愛がられることも、同僚達に上手く厄介事を振ることも、なかなか難しい。要領良く立ち回るには、才能も努力も必要なのだ。職場では「誰でもみんな自分の働き方が正しいと思ってる」ことを念頭に置きつつ、世渡り上手には、その才能と努力を認めて、つきあうことが正解なのだろう。🥘
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Posted by ブクログ
芥川賞を受賞して華やかに作家デビューするはずが、自分以外の人があれよあれよと変化していき巻き込まれていく。変化があったのは自分のはずなのに、周囲が変わってしまったように感じられる。手の平を返したかのように態度を変える人もいれば勝手に期待して勝手に失望して勝手に離れていく人もいて、その渦の中で苦しい表情を見せないようにして何とか息継ぎしている感じ。頭の中の自分と作家の自分とが同時に存在して本当の自分が分からなくなる感覚の描写がリアルで、劇中劇みたいに「これも高瀬さんの体験談かも…」というメタ視点になってみたりした。
高瀬隼子さんの作品の中でも特に好きかもしれない。 -
購入済み
うわあこんな職場やりづらいな。
誰が悪いとかって言うよりはそれぞれの価値観って言うか、ちょっと立場弱かったり能力低い人を前にしたときどんな風な扱いをするのか、たしかに「嫌い」というのはなんか違う、でも苦手。できれば関わりたくない。
芦川さんはまさしくそんな感じの人。
私がもし同じ職場にいたらサッとお菓子を受け取ってそれ以上も以下もないような関係性を維持できるように努めちゃうかもしれない。
平均より少しデキが悪い人、それを理解して先回りして守ろうとする周りの空気、そのしわ寄せが他の人にいくところとか、なんて描写がリアルなんだろう。読んでてもどかしい、こんなにむず痒くなるような書き方、すごい。
あと二谷が、「生きていくための食事」にやたらと意味づけしようとしたりする世の風習に抗おうとするところも少々胸が痛かった。
可愛い表紙なのに、こんなギッスギスした内容と思わなかった。
最高に面白かったです。 -
Posted by ブクログ
「私のほしいものは、子供の形をしている。けど、子供ではない。子供じゃないのに、その子の中に全部入ってる。」
なにかの形をしているけど、それを通して欲しいのは、それを持っていると苦しくても、苦しさですら周りから正当化されて世界がやさしくなるもの
私にとってのそれは子供ではなくて、向上心とか社会的成功とか成長とかそういうものだけど。
生きやすくなるために効率的なコスパのいい悩みが欲しいという自覚と重なるものがあって、「ーのかたちをしているもの」という語彙をこの本を通して手に入れられてよかった
「当たり前のように傷ついた、ことを自覚してまた傷ついて、なに傷ついてんだわたし、とまた‥トイレの個室くらいの狭さのところで両手にナイフを持って振りまわしているみたいな傷つき方だった。」
感じたであろうものを自然発生的に受けとめるのがどこまでも苦手で、感情を自覚して、その自覚すらも怪しんで、のループから無限に抜け出せず、もういいや、と感じることを放り出してしまう。
「目の前に本物がいるのに、待ち受けまで子供にしておく意味あるのかな?そういう親っぽさって、どこまてが本気のものなんだろう。わかんないな全然。わかるわけない」
その感情や行動は純真なものなのか、という辿り着けるはずのない問いに気づかないこともできず、どうしても気になってしまう様子の描写に救われる。
みんな本当に心からの気持ちでそういう言動に至ってるのかな?そういう時にはそう感じるべきっていうヘブ則的学習に騙されてるだけなんじゃないの?本当はこうなんじゃないの?っていうのも過剰な逆張りで私の中の予測符号化にすぎないんじゃないか?っていう、疑念すらも疑念にかわる、輪郭のないものを追っている自分の輪郭のなさに絶望する、それがトイレでナイフを振り回す様子と重なる。
「彼らの期待値とわたしの理想値はいつだって似通っている。そうありたいと、やはり思う。愛され承認され、ぐるぐる巻かれてあったかくなるために。」
世界の感触がやさしくなりますように。
欲しいのは子どもの形をしているものと犬そのものでは?とは思った -
購入済み
おもしろい
話題になっていたから気になって手に取ってみた。始まり方といい、途中の描写もすごく引き込まれたけどラストはちょっとよくわからなかった。急に風呂に入らなくなった夫を目の前にして、入ってほしい気持ちと、もうそれでもいいじゃない、と奥さんもどうしたらいいか途方に暮れたに違いない。心の葛藤がよく分かる内容だった。
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Posted by ブクログ
兼業作家としてひっそりと働いていたのに文学賞受賞をきっかけに職場にバレ、スタッフとして扱われつつも作家さんとして周りからも扱われていく。
本人は仕事をする自分と作家の自分は切り分けたいのに周りはそんな気持ちに気づかず踏み込んでくる。
芥川賞受賞をきっかけにその境界はどんどん加速度的にずれていき、ただの朝陽としてなのか作家の夕日としてなのかが揺らいで行く。
そんな物語を芥川賞作家の高瀬さんが描くということがそもそも面白い。
人と過ごす時多少でも自分を取り繕う経験がある人に刺さる物語だと思う。
高瀬さんの本は2作目だけれど、相変わらず言語化が心地いい。よくこれを言ってくれたと読みながら思う。私も推しがいない推し活にピンとこないタイプなのでそうそう、ととても共感できた。
作中作の「幽霊が遊ぶ箱」も面白そうなのでどこかで読めたらいいのに、と思う
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Posted by ブクログ
嘘はついてもいいけど、ほんとうのことも結構おもしろいから大丈夫。
もういなくなりたいって何度も思いながら読んだけど、もっと傷付けてほしいとも思ってしまった。誰かを傷つけていることを自覚していれば、他人を傷つける他人の痛みに愚鈍な自分と、それを自覚しているもう1人の自分が出てくる。そのもう1人の方が本来の自分であると思っていれば、なんか大丈夫だと思えてしまう。物語にできるとおもってしまうから。小説を書いていなくても私は私の中にたくさん私がいる物語があって、そのうちのひとつになるだけだから。だから自分の感情には敏感で他人の感情には見てるふりをして目を背けてしまうんだ。そう自覚させられた一冊でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ美味しいご飯は食べたい。食べるのも好き。
ただ私も結構二谷と似たような食への考え方がある気がする。
そういう意味で私にとってこの本は自分の価値観を再考するきっかけとなり面白かった。
どちらかといえば「ごはんがおいしく食べられますように」というような考え方だが、そもそもおいしいとはなんだろうとか考え直すのが楽しかった
自分の趣味嗜好や思考に改めて触れられるような一冊として良かった。
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社会人3年目にして大した理由はなけれど悶々とした不満を抱えてはじめての会社を退職した。
本は久しぶりに読んだが、私にとってすごく共感もできる本だったと思った。
この日本のどこかの世界線にきっとこんな会社がリアルにあると私は思うほどに身近に感じるものだった。
真面目でそこそこ器用で頑張る押尾と、そつなくこなせて表面上はなんでも上手く取り繕っている二谷、z世代と呼ばれるような権利主張をしできないと早々に決めてしまえば他人にお願いをする芦川。
私は押尾に最も共感を覚えつつも芦川の立場もよくわかる気がした。
私的にはこの物語の中で1番タチが悪いのは二谷だった。
業務の中で、できないことをできないと早めに判断することもときに大事だと私は考える。だからといえ他人に皺寄せがいくのはおかしいと思うし、その償いを業務ではないところで善意という方法で補完しようとしていることに対していけ好かない気持ちを覚えた。
押尾に対しても、おかしい不平等だという声が届かなくて腹立たしい気持ちは共感できるがそれで意地悪をしてしまうというのはいかがなものだろうか?でもただひたすらに耐えていくといのも中々に厳しいのはとても分かる。
そこが上面なコミニケーションで上手く綱渡りをしないというか押尾らしいところでもあるのかもしれない。
二谷に関しては、人が作ったものに対して上面を繕い顔を作りありがとう!すごい!と言いながらもよく思わず裏で捨てたりする癖に芦川を可愛いと感じ付き合っていくというのは甚だ気持ち悪いと感じた。
人から善意を受け取ることに段々鬱々とする気持ちは分かるが、人の気持ちに対して向き合っていないところが私には癪にさわるなと思いながら読んだ。
おいしいと思う人は、おいしいと思えばいい。
私はおいしいだけでは無く、可愛いとかかっこいいとかそう言うものにも当てはまるなぁと思いながら読んだ。
現代はSNSの発展からか、世の中で評価されているものを、自分がどう感じるか確かめる前に、自分の感性として錯覚してしまっている人が多いのではないかと感じる。
そこに自分の感性からの感動は本当にあったのだろうかと疑問に思う。
そんなふうにこの作品を読みながら考えていた。
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Posted by ブクログ
「水たまりで息をする」「おいしいごはんが食べられますように」「新しい恋愛」に続いて読んだ。やっぱり高瀬さんの小説は圧倒的に面白いし、読んでいて、どうしてかはわからないけど癒されるところがある。これは不思議なことだと思う。この作品の筋書きそのものには、癒されるような要素はまったくないからだ。にもかかわらず癒される気がするのは、やはり共感があるからなのだと思う。
といっても、主人公と僕はまったく違う属性・境遇の人間だ。そしてふつうの意味での共感を生むような、心理的に納得できるハッキリとしたドラマが本作のなかにあるわけではない。だとしたら、おそらくその共感は文体や感性のレベルで存在している気がする。つまりこのはっきりしない悩み方というか、あまり物事をうまく白黒に分けられない感じというか、つらつらとしていてまとまらない思考というか、強固な論理性があんまりないところというか、そういう思うがまま素直に書き連ねられている(ように見える)思考や感覚の過程に、深く響き合う感じがあるのかもしれない。
その意味では、奥泉さんの巻末解説に対しては個人的に強い違和感を覚えた。とくに気になったのは、奥泉さんが「この小説の筋立てには相当に無理がある」という主張をしているくだりだ。奥泉さんによれば、主人公が決して偏奇な人物として造形されているわけではないのに、ミナシロさんの非常識な提案をふつうなら一蹴してしかるべきところを、いったんは吟味し、提案を受け入れる方向へ向かっていくのがおかしいのだという。
だが僕はこの筋立てをまったく無理のあるものだと思わない。仮に僕が同じような提案をされたとしても、十中八九すぐに一蹴できずに迷う。そしてたぶん、恋人と話したり、ミナシロさんの立場にある人とも話したりしながら、じっくり考えるだろう。たしかに、ふつうに考えて非常識な提案だ。でも一考の余地なく退けられるような提案ではない。判断に時間がかかることだと思う。そのことのどこに無理があるのかが、僕にはよくわからない。
したがって、奥泉さんは「常識」や「偏奇」といった表現にもちろん括弧をつけて書いてはいるけれど、そもそもそういう「常識的な」価値基準を梃子として、そこからの相対的な隔たりないし近さによってこの作品を読むという読み方自体が(そしてそこからこの作品の筋に無理があると考えること自体が)、僕にとっては逆に奇妙に思える。
それはもしかしたら僕が非常識でおかしい人間だからなのかもしれない。というかおそらくそうなのだろう。でもこの作品で書かれている迷いや、悩みや、決断の根拠の曖昧さや、突発的な感覚や感情の爆発といった諸々は、最初のミナシロさんの提案への屈託だけでなく、子供をこの世に産み落とすことについての屈託、セックスを受け容れられないことへの屈託、郁也との接し方への屈託にも通底しているわけで、それをそんなに珍奇なものだとは、僕にはどうしても思えない。そしてそれは、決して珍奇ではないはずだが社会的になかなか共有され得ない経験だからこそ、こういう小説によって書かれる意味があるのだと思う。まあそれについては奥泉さんもそう書いている気がするが、やっぱり同じ結論を真逆のところから見ている気がした。