大木毅のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
赤坂憲雄『ナウシカ考』を読んだのが2019年。
まさかの、宮崎駿と鈴木敏夫がこの本を読んでいて、「こんなこと考えて描いていない」「けれども、この本はおもしろい」と感想を述べている。
漫画版ナウシカが取り上げられるのは、扱っているテーマと今の状況に重なりがあるから。
でもって、ナウシカが行った最後の選択が、サラッと読むだけでは「よく分からない」からかもしれない。
「人類全体にとって重要な決断を、ナウシカ一人の直感で決めてしまってよいのか。」と長沼毅は語っている。
「シュワの墓所の科学力をうまく活用して、人間にとって劣悪な環境を改善し、人間性を向上させていくという物語の展開だったらよかったのに」と。
でも、私は、ナウシカは「直観」的に、それを選択してはいけないと分かったのではないかと、思っている。
川上弘美の「『人類が人類として精いっぱい生きる』ということと、『人類がいつかは滅びる』ということ」の両立を述べているように。
カタストロフィ後の世界を扱った物語として、パッと頭に浮かんだのは、ニアサー後のエヴァの世界、つまり第三村だった。
文明が後退し、限られた資源を共有しながら、脆弱な人間たちは生きている。
第三村が「シュワの墓所の超科学力」によって救われる結末は、やっぱり相応しくないと思う。
インタビュアーは敢えて、現実世界には「生命を操る技術」(たとえばワクチン)が必要とされていることを、何度も問いかける。
今の我々にはまだナウシカ的解答が出来なくとも、逆説的に?ナウシカが出した答えは、一つの古典に昇華したのだと思う。 -
Posted by ブクログ
●=引用
●そのなかでも特に重要なのは、おそらく、戦闘や戦役ではなく、戦争に勝つ策を定める戦略の次元において卓越していることであろう。事実、第二次世界大戦中、さらに戦後にあっても、切実に必要とされてきたのは、この戦略次元の人材なのである。外交、同盟政策、国家資源(人的・物的資源)の戦力化、戦争目的・軍事目的の設定、戦域(たとえば「太平洋戦域」など、「戦線」や「正面」といったエリアを超える戦争範囲)レベルでの戦争計画といった、きわめて高度の判断と戦略策定の可能な軍人こそ、求められるべき「名将」なのであった。
●このような戦略的劣位に置かれた枢軸国、とくに日独の指揮官たちは、戦争目的を達成するために、「戦役」、すなわち一定の時間的・空間的凌域で行われる軍事行動を計画立案し、実施する「作戦」の次元でのアクロバットに頼るしかなかった。それは、下位階層である作戦次元の勝利を積み重ねることによって、戦略次元の窮境を打開するという、九割九分は失敗を運命付けられた試みだったのだ。
●すでに述べたごとく、戦争目的を定め、国家のリソースを戦力化するのが戦略である。その目的を達成するために、戦線各方面に作戦、あるいは「戦役」を、相互に連関するように配していく。それが作戦術なのだ。作戦術は、独ソ戦後半に大きな威力を発揮した。個別の作戦こそ実行したものの、それらを意識的に協調させることのなかったドイツ軍に対し、ソ連軍は多数の戦役を連動・協同させて、圧倒的な成功を収めたのである。
●ドイツは総力戦を貫徹することが困難な、「持たざる国」でしかなかった。さような国家は、リソースをフル動員し、国民に犠牲を強いながらも、相対的な戦略的優位を獲得するという正道によることができない。だとすれば、ドイツ軍の指揮官は、作戦次元で連勝を続け、戦略次元の劣勢を挽回する以外になすすべがなかったのである。当然のことながら、かかるアクロバットは、何度となく美技を示したとしても、いつかは失敗し、床に叩きつけられる運命にある。(中略)アメリカ軍は、リスクを冒して戦果を上げることよりも、リソースのマネージメントによって勝利を得ることを、作戦次元での指揮官要件としていたのである。
●最後に、作戦実施に際して生起する先頭に勝つための術策、先述の次元について述べる。もっとも、この次元で第二次世界大戦の指揮官に要求されたことは、近代以前とそう変わってはいない。(中略)文字通り、いくさのわざに秀でていることが求められたのである。 -
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山本五十六は指導者として反対派を味方に引き込む力があったものの無口という欠点があった。
太平洋戦争の敗因の一つは軍令部と総司令部の2つの頭の元、二兎を追う、あるいはコミュニケーションミスにより現場まで意図が伝わらない、現場の考えも上層部に伝わらない体制、組織の問題であった。
作戦開始後、環境の変化により戦法を変えることは重要だが、戦略を変更する際は(第二次大戦では物資調達の不利から短期決戦で講和に持ち込むことを日本側は目的としていたが、真珠湾攻撃からの日本軍の善戦により政府が中々講和に向けた交渉を開始せず、ミッドウェー、ソロモン沖の海戦、ガダルカナル島の陥落により避けるべき総力的消耗戦に陥ってしまった)注意が必要である。 -
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以下、引用
●ここまでみてきたように、長岡に生まれ育ち、青年期にさしかからんとしていた五十六がすでに、その生涯の特性となった「沈黙」を身にまとっていたことは間違いない。彼が、言葉をつくすのを億劫がる人物だったことは、後年、連合艦隊司令長官として戦争を遂行する際に、指揮上の問題を来すことになる。その無口は、話が通じぬと思った相手には、言わねばならないことまでも言わぬと評されるほどになっていたのだ。
●十月十九日、軍令部第一課を訪れた黒島は、再び真珠湾攻撃の実行と空母六隻の使用を訴えたうえで、それが認められない場合、山本は連合艦隊司令長官の職を辞すると宣言した。
●つまり、徹底的な撃滅を狙う山本と、南方作戦中の米艦隊の行動を封じられればよいとする軍令部の食いちがいがあったというのである。ところが、永野の指示を受けた山本司令部が下達した「機密連合艦隊命令第一号」には、「開戦劈頭、ハワイに米艦隊を紀州撃破し、その積極作戦を封止す」と、軍令部の意向同様の方針が示されている。いったい、山本は「撃滅」と「封止」といずれに重点を置いていたのだろう。筆者は、やはり山本の真意は「撃滅」にあったと考える。それが、軍令部に充分伝わらず、また連合艦隊への命令が「封止」に傾いていることは、本書でもたびたび述べてきた、わからぬと思った相手には、言葉を尽くして説明することをしない山本の「無口」が反映されていたのではなかったか。
●続いて、本書の主題である、戦術、作戦、戦略の各次元における山本の評価に移る。(中略)戦術次元に関しては、実のところ、判断を下すだけの材料がない。(中略)しかし、自ら航空機に搭乗しての指揮(霞ケ浦航空隊時代)、中攻の開発に示された戦術的センスからすると、かかる次元での山本の能力をことさらに低く評価する理由もないだろう。(中略)いずれにしても、作戦次元の山本五十六は、真珠湾攻撃を除けば、愚将とはいわぬまでも、平凡、場合によっては、それ以下の指揮しか示していないことを認めねばならないだろう。(中略)かくのごとく、戦いをなりわいとする軍人でありながら、対米戦争必敗を唱え、その回避に努め、ひとたび、それが挫折するや、万に一つであろうと可能性を見出せるような戦略を策定した。こうした戦略家としての山本の行動には、光彩陸離たるものがある。戦術次元よりも作戦次元、作戦次元よりは戦略次元と、より高位の次元になればなるほど、優れた指揮官は得られなくなる。山本は、戦術・作戦次元の能力には疑問が残るとはいえ、戦略次元での卓越した識見と決断を示した戦略家・用兵思想家であったと結論づけてもさしつかえあるまい。 -
Posted by ブクログ
過去から何度も読んできたロンメル将軍の物語だが、こうした評伝は初めて。
こうした歴史上の人物は、近世の人と言えども様々な文献により評価が異なるのか。評価者の想いで意図的に曲げられもするのか。
そういう意味では読んでよかった。こうした軍人の再評価は中々行われない、と書かれてあったが、なるほど敗戦国ならなおさらだ。
ロンメルに関しては特に戦いのロマンチシズムの中で作り上げられたイメージが強くあったわけで、私のイメージもそうだった。
元帥まで昇進しながら「よく出来た師団長」程度との評価は正しかったのかも知れないが、それでも「戦いにフェアネスを重んじた」ところは、彼の面目躍如であろう。ちょっと嬉しかった。 -
Posted by ブクログ
「砂漠の狐」とあだ名されたドイツの名将ロンメルの生涯を追った本。物語ではなくて、歴史を紐解き、そしてロンメルの評価が時代によってどのように変わっていったのか、本当に名将だったのかを検討している。おそらくは、優れた戦術家ではあったのだろうが、もっと大局から見るような作戦級の人物ではなかったようだ。ただその割には自己宣伝欲が強かったことの理由(ドイツにおいては王道の家柄に生まれたわけではなかったので出世してゆくにはアピールが必要であったこと)や、なぜ作戦級の能力を身に着けることがなかったのか(きちんとした軍事教育を受けていなかった)などが説明される。戦闘の解説が多いので、もうすこし地図や図表が多いとわかりやすかったと思う。