あなたは、『葬儀社』にどのようなイメージをもっているでしょうか?
2024年4月時点で、国内には10,764ヶ所の”葬祭会館”があるようです。この数を多いと捉えるか少ないと捉えるかは人によって異なるかもしれませんが、ビジネスという側面で見る限り、少子高齢化の傾向が続くこの国にあっては、この業界は緩やかな成長が見込まれると位置付けられているようです。
私たちの誰もがいつかはお世話になるであろう『葬儀社』ですが、昨今の家族葬の一般化によって、そんな場所へと赴く機会は大きく減少しました。その結果、そもそも『葬儀』の意味合いを改めて感じる機会などまずないと思います。では、そんな『葬儀社』で働く人たちは『葬儀』をどのように捉えているのでしょうか?
さてここに、『葬儀は区切り』だと語る人たちが働く『葬儀社』を舞台にした物語があります。『亡くなった人を見送り、残された人がまた前へ進んでいくための区切りの儀式』と『葬儀』を日々取り行う人たちを描くこの作品。そんな『葬儀』の中で故人の思いを感じるこの作品。そしてそれは、”喪失の苦しみを優しくほどく”という『葬儀社』の”お仕事”を見る物語です。
『おはようございます』、『積もっちゃいましたねぇ』と、『スコップを持った』『葬祭部の若手職員、椎名さん』に挨拶するのは主人公の清水美空(しみず みそら)。『車道に積もらなくて助かったよ』と返す椎名に『昨夜の宿直、漆原さんでしたよね。こういうことは本来、宿直の人がやっておくんじゃないんですか』と言う美空は、『私の直属の上司であり、教育係でもある』漆原のことを思います。『およそ一年前、就職活動に行き詰まっていた私が、葬祭ディレクターを目指すという目標を持てたのは漆原のおかげだ』と思う美空は、『誰もが避けたがる、若者や不慮の死を遂げた方の葬儀を好んで引き受ける』漆原『の行う葬儀を手伝ううちに、本格的に葬儀の仕事に携わりたいと思うようにな』りました。同じように『漆原の下で仕事を学んだため、今でも頭が上がら』ず、『雪かきを押し付けられたとみえる』と椎名のことを思う美空が『事務所に入ると、件の男は共有スペースを悠々と陣取って、新聞を広げながらコーヒーをすすってい』ます。『昨夜は一件の電話も入っていないと椎名』から聞いた美空が、『夜中に一件も電話が入らないなんて、珍しいですね。さすがに仏様も漆原さんを避けたんでしょうか』と問うと『夜中には入っていないが、早朝にお迎えに行ってきた。ついさっき打ち合わせを終えたところだ』と漆原は語ります。『今回の故人は、十七歳の少年だ。名前は片桐圭太君』と説明する漆原は、『交通事故だ。喪主は父親の太一さん、式場は坂東会館の二階に決まった』と続けます。『どうでした、ご遺族の様子は』と訊く美空に『悲しみよりも、衝撃のほうが大きいのだろう。故人は昨夜、塾の帰りに事故に遭ったそうだ。病院に運ばれたものの、深夜に息を引き取っている』と言う漆原は『喪主はどこか他人事のような感じで、呆然としていた』とも話します。『いつもと同じ夜になるはずが、圭太君が帰って来ることはなかった。朝、学校へ行くのを見送ったまま、息子の姿はそこで途切れてしまった』と遺された両親のことを思う美空は、『おい』と、『声を掛けられてはっと顔を上げ』ます。『私は”気”に敏感な体質を持っている。他人の感情が伝わってきたり、その場に残った思念を感じ取ったりする』という美空は、それが『死者に残された思念も例外ではない』、そして『一般的に霊感と呼ばれる感覚を与えてくれたのは、私が生まれる直前に亡くなった姉ではないかと思ってい』ます。『漆原さん、私も圭太君にお会いしてきても構いませんか』と願い出た美空に頷く漆原は『保管庫から鍵を取り出』すと一緒に霊安室へと向かってくれました。『手を合わせたのち、棺の窓を開け』ると、そこには『高校生というよりも幼く見え』る圭太君の『穏やかな表情』が見えます。『命とはなんて、もろく儚いものかと思う』美空は、『圭太君の棺から漂う気配を』とらえます。『ただただ母親を案じていた』と『気配』を感じる美空は、『自分の死を嘆く母親を気遣っている』圭太君のことを思い、心が『締め付けられる』思いに囚われます。漆原に『どうだった』と訊かれ『自分が死んでしまったことを嘆くよりも、母親のことでいっぱいなんです』、『お母さんが大好きだから、彼女を悲しませていることを、圭太君自身も悲しんでいるんです』と返す美空に『ゆっくり考えるのは、区切りをつけてからでいいのさ。まずは、葬儀で亡くなったことをはっきりと認知する。それが重要だと俺は思う』と語る漆原。そんな漆原は『朗報がある』と切り出します。『片桐家は光照寺の檀家さんだ。僧侶は里見を呼ぶ』と言う『漆原が”朗報”と強調したのにも理由があ』りました。『里見さんは、私よりもはるかに死者の”思い”を感じ取ることができる』と思う美空。そんな美空が、漆原の下で、『葬祭ディレクター』としての一つの試練、『司会者デビューを果たすことになる』までの日々が描かれていきます。
“人よりも’気’に敏感な体質を持つ清水美空が、スカイツリー近くの葬儀場・坂東会館で働き始めて一年が経とうとしていた。若者や不慮の死を遂げた方など、誰もが避けたがる「訳あり」葬儀を好んで引き受ける葬祭ディレクター・漆原のもと、厳しい指導を受けながら、故人と遺族が最良の形でお別れできるよう、奮闘する日々を過ごしている。交通事故に遭った高校生、自殺した高齢女性、妻と幼い息子二人を遺し病死した男性、電車に飛び込んだ社会人一年目の女性…それぞれの「お別れ」に涙が止まらない、あたたかなお葬式小説”と内容紹介にうたわれるこの作品。このレビュー執筆時点で3作目まで刊行されている長月天音さんの人気シリーズの第2作となります。
そんなこのシリーズは、作者の長月天音さんのこんなご経験から誕生しました。
“私が「ほどなく、お別れです」を書いたきっかけは、三年前(二〇一六年)に主人を看取ったことでした”。
“亡くなった主人に対して、生前にこんなことを言ってあげればよかった、彼からの問いかけにこう答えればよかったという思いが強く残っていました”
そんなこの作品は二つの側面から見ていくことができると思います。一つには、『葬儀社』の舞台裏で働かれている人たちの”お仕事小説”であるという点、もう一つは、『私は”気”に敏感な体質を持っている』という主人公の天音に光を当てる”ファンタジー”の側面です。順番に見ていきましょう。
まずは、美空が働く『葬儀社』、『坂東会館』の舞台裏を見る物語です。この作品は『およそ一年前、就職活動に行き詰ま』る中、当時『アルバイトに過ぎなかった』美空が、漆原の『葬儀を手伝ううちに、本格的に葬儀の仕事に携わりたいと思うようにな』り、『葬祭ディレクターを目指すという目標』を持って『坂東会館』の社員となった今を描いていきます。では、そんな物語の舞台、『坂東会館』について記された記述を追ってみましょう。
● 『坂東会館』ってどんな『葬儀社』?
・『スカイツリーにほど近い葬儀場』
・『地上四階、地下一階建ての葬儀場』、『二階、三階の式場のほか、四階の座敷を合わせれば、同時に三件の葬儀を行うことができる』
第1作ではもう少し丁寧な説明がありましたが、2作目ではこの程度の情報のみです。一方で、本を読み終えて気づくのが『スカイツリーにほど近い葬儀社』という設定からさまざまに描写される『スカイツリー』の様子です。
・『穏やかな表情で、ただじっと桜色に染められたスカイツリーの骨組みを眺めていた』。
・『スカイツリーのイルミネーションが、いつもと違うピンク色のグラデーションだったのだ。私はその輝きをしばらく見つめていた』。
・『暗い夜の空に、まっすぐに天を衝いて聳えるスカイツリーの青白い光が見えた』。
上記に抜粋した『スカイツリー』を描写したそれぞれの場面にはドラマのワンシーンが浮かび上がります。第1作ではここまで意識に上らなかったので、この第2作が意図して『スカイツリー』を物語に落とし込んでいることがわかります。これから読まれる方には是非『スカイツリー』の描写を意識して読んでいただければと思います。ちなみに、『スカイツリー』という言葉は、”42回”登場(第1作では11回)します!
少し脱線してしまいましたが、この作品では『坂東会館』という『葬儀社』が舞台となります。いつか自分もお世話になるであろうそんな場所ですが、家族葬が急速に一般化した現代社会では思った以上に赴く機会が少なくなったと思います。しかし、小説に『葬儀社』は相性が良い部分は間違いなくあります。私が読んできた小説にもそれなりに登場します。まとめておきましょう。
● 『葬儀社』が登場する作品
・町田そのこさん「ぎょらん」:”葬儀社は年中無休、二十四時間営業”という”天幸社”を舞台に人の死を見つめる物語
・宮木あや子さん「セレモニー黒真珠」:”葬式のあの何とも言えない荘厳さと悲しさが好き”という”セレモニー黒真珠”の裏側を見る物語
・村山由佳さん「花酔ひ」:”三日やったらやめられない”という葬儀屋”セレモニー桐谷”の舞台裏をW不倫の官能世界に見る物語
いずれもインパクトある作品が並びます。人の死を物語に描く以上、それだけで作品が帯びるものもあるように思います。そして、この長月さんの作品では『不慮の死など、苦しみが伴うものが多い』という”特別な事情のある葬儀を専門”とする『フリーの葬祭ディレクター』の下で働く主人公の”お仕事”をストレートに描いていく物語です。この作品は〈プロローグ〉と〈エピローグ〉に挟まれた4つの短編が連作短編を構成しています。そのそれぞれに主人公=この作品では自動的に故人と残された家族が登場します。視点をそんな家族にもっていく方法も考えられますが、長月さんはあくまで主人公・美空の目を通してそんな家族の姿、亡くなられた方の思いを見ていきます。そこには、まさしく『葬儀社』で働く人たちの”お仕事小説”が展開するのです。
『友引の日を定休日としている火葬場が大半である。そうでもしないと、この業界で働く人は休みを取るのも難しそうだ』。
人の死はいつ訪れるかわからず『葬儀社』はいつ何時連絡が入っても対応できる体制を整えておく必要があります。一方でそんな『葬儀社』で働く人にも生活があります。一般的な会社であれば年末年始のお休みが考えられますが、『友引の日を定休日』というのは『葬儀社』ならではだと思います。しかし、外からはなかなか伺いしれないこともあります。『ご自宅、つまりこのマンションで亡くなったとしたら、ご遺体のお迎えはどのようにする?』と疑問を抱く美空への答えがこんな風に記されます。マンションによってはエレベーターにストレッチャーが乗らない場合も当然あり得ます。そんな時どうするのでしょうか?
『抱き上げるしかないのさ』、『当然だろう。体格にもよるが、ひとりではさすがに厳しい。ご遺体には硬直もあるし、変に関節などを曲げようとして傷付けるわけにはいかない。おまけに、ご遺族の目もあるしな。椎名ともやったことがある。椎名がおぶって、俺が後ろから支えた。いかにご遺体を丁寧に扱うか、それが何よりも大切なことだ』。
一瞬、ギョッとする思いに囚われますが、ここにプロの”お仕事”があるのだと思います。物語では、このように2年目に入ったばかりの美空の目を通して『葬儀社』の”お仕事小説”が描かれていくのです。
次に、”ファンタジー”の側面を見てみましょう。上記した通りこの作品の主人公・美空は、『私は”気”に敏感な体質を持っている』、『死者に残された思念も例外ではない』と語ります。同じように死者の思いに寄り添うファンタジー作品としては辻村深月さん「ツナグ」と続編の「ツナグ 想い人の心得」があまりにも有名であり涙なくしては語れない傑作中の傑作です。私は第1作目のレビューで、そんな「ツナグ」を例に出してこんなことを書いています。
“残念ながら「ツナグ」にはこれ以上続編が刊行される雰囲気がないこともあり、あの世界観をもう一度!と思われる方がいらしたとしたら、この作品をおすすめしたいと思います” (長月天音さん「ほどなく、お別れです」さてさて氏レビューから抜粋)
しかし、この第2作を読み終えて私はこの記述は少なくともこの第2作ではちょっと違う、という印象を持ちました。「ツナグ」はもちろんのこと、このシリーズ第1作では、まさしく死者の魂に寄り添う主人公、そして『私よりもはるかに死者の”思い”を感じ取ることができる』という僧侶の里見を通じて、まさしく”ファンタジー”な物語が描かれていました。死者と対話していく世界観の物語は人によっては興味ないという方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも私は、ツボにどハマりしました。それが、第2作では『私は”気”に敏感な体質を持っている』とは言え、それは常識的な範囲内と捉えることができるものであり、”ファンタジー”とまでは言い切らないギリギリの世界が保たれています。逆に言えば第1作では、”ファンタジー”の力を存分に借りる必要があった物語展開を、この第2作では、ギリギリ”ファンタジー”の一歩手前で、展開させていく長月天音さんの筆の力で魅せる物語が書かれているという言い方もできると思います。この辺り、人によってどちらを魅力的に感じるかは、ハッリキリと分かれそう、そんな感想は抱きました。私は断然第1作ですが、それによってこの第2作の魅力が落ちているとは思いません。これから読まれる方には、是非その違いを堪能いただければと思います。
そんなこの作品は、いつかは『葬祭ディレクター』になることを夢見て『坂東会館』に入社した美空の日常が描かれていきます。第1作より一編増えた四つの短編から構成されるこの作品ですが、その短編タイトルをと故人(内容紹介から抜粋)をご紹介しましょう。一方で、”→”の後は私の感涙レベルです。
・〈プロローグ〉
・〈第一話 揺蕩う心〉: “交通事故に遭った高校生”
→ しんみり
・〈第二話 遠景〉: “自殺した高齢女性”
→ しんみり
・〈第三話 海島の棲家〉: “妻と幼い息子二人を遺し病死した男性”
→ しんみり
・〈第四話 それぞれの灯火〉: “電車に飛び込んだ社会人一年目の女性”
→ 大号泣
・〈エピローグ〉→ “遺体がなくても、お葬式ってできるの?”という全編通しての物語に対する答えを見る物語
→ しんみり
もちろん人によって受ける印象は異なると思いますが、私的には第1作ほどには心が揺さぶられなかった印象はあります。恐らくは上記した、”ファンタジー”の描写の違いが影響しているように感じました。
一方でそんな物語では、『葬祭ディレクター』を目指して漆原の下で学びの日々を送る美空の姿が描かれていきます。
『突然、命の終わりを迎えた彼に、思い残すことはなかったのだろうか。そもそも、自分の死を受け止めることができているのか』
そんな思いの先に、自分が担当することになる死者に向き合っていく美空は、『命とはなんて、もろく儚いものかと思う』という思いの中に、故人一人ひとりと向き合っていきます。そんな中で美空は自分の役割をこんな風に理解しています。
『何か思いが残っているのならば、それを受け止めてあげたい。それが”気”を感じられる体質を持った自分の役目でもある気がするのだ』。
これは、『私は”気”に敏感な体質を持っている』という自身を見据えるからこそ見えてくるものです。そんな美空が『司会者デビューを果たす』ために、学びを深めていく様を見る物語。そこには、『ほどなく、お別れです』という、『人々の悲しみを包み込むような優しい余韻をもって心に残る言葉』をもって亡くなられた人たちの最後の瞬間を大切に思う『葬儀社』の人たちの姿が描かれていました。
『単なる終わりの儀式ではない。故人を悔いなく旅立たせ、見送る人々にも区切りとなり、前へと歩ませるための儀式』。
『スカイツリーにほど近い葬儀場、坂東会館』で働きはじめて一年が経過したという主人公の美空。この作品にはそんな美空が『葬祭ディレクターを目指』して日々学びを深めていく姿が描かれていました。『葬儀社』の”お仕事小説”であるこの作品。そんな物語に、ちょっぴり”ファンタジー”色を漂わせるこの作品。
『スカイツリー』のある景色がとても印象深く物語を演出してもいく、そんな作品でした。