マルクス・ガブリエルのレビュー一覧
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マルクス・ガブリエルと「世界哲学史全8巻」の編纂者の一人中島さんの対話にもとづく本。
マルクス・ガブリエルは、なんだか面白そうなんだけど、どこが新しいのかはよくわからなかった。ポストモダーンの構築主義を批判する「あたらしい実在論」というのだが、「世界は存在しない」と主張していて、超越的な「1」を否定するポストモダーンの哲学者にみえる。
つまりは、構築主義が「あれも構築、これも構築。実在とか、本質なんてない」というところを「あれも実在、これも実在。すべてを包含する一つの世界はない」といっているだけ?たしかに「すべて構築」というより、「すべて実在」というほうが、なんか元気がでるけどね。。。。
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Posted by ブクログ
●最近本屋でよく顔を見るこのひとの本、初めて読んだ。
難しいとこも多いけど面白かった。内田樹の本読んでる感覚に似てた。
第4章:民主主義
民主主義では何でも自由に言えると誤解されている。文化的多様性は事実で、minorityを排除しようとする人を民主主義は排除すべき。でも他人の尊厳を減らす人は自分自身の尊厳も減らしていると考えよ。つまり尊厳がゼロになれば人間でなくなるのだから死刑はダメ
第5章:資本主義
グローバル経済が、グローバル国民国家の存在なしで機能することはない。インターネット上の危機と似ている。法律上の制限がないグローバル経済は明らかに問題。ここにトランプは気づいた。世界国家のな -
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ネタバレ・インターネットはすべてが反・社会主義的。民主主義の土台を揺るがしている。デジタル化によって、リアルとバーチャルの境目があやふやになった。
・新しい実在論における氏の主張は二つ。「すべてを包摂する現実は存在しない」、「現実はそのまま知ることができる」。現実は数多く存在する。「意味の場」は複数ある。
・「新しい実在論」はリアル(真実)とバーチャル(嘘)の境目を明確にするもの。真実に目を向けるための思考法。新しくグローバルに協力し合おうという提案。
・相手を悪だと思うことも、善だと思うことも、人から人間性を奪う。
・特定の偏見を克服するためには、「意味の場」を学ぶこと。「我々は何人たりとも排除して -
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インタビュー文字起こしがベースで日本人読者向けという意識があるので読みやすいし、それほどのボリュームでもないのでこの時期にサクっと読んでしまうにはうってつけの教養本でした。
哲学界のロックスターと呼ばれるドイツの哲学者が「新しい実在論」を軸に世界の危機を読み解くという本。
彼が「表象の危機」と表現し米国、欧州、中国の振る舞いというのは「そういうフリ」でしかなくて、目に見えていることとは全く異なる衝突が起きているんだよ、という解説が私には1番スリリングな内容でした。
政治や地政学、デジタルに経済も網羅的に語ってくれるので、何やら複雑怪奇な現代というシステムを俯瞰するのに良い知恵を授けてくれ -
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「新しい実在論」を説く若手哲学者による哲学書。
訳語がですます調なのと、卑近な例が多く使われていて、思ったよりも読みやすい。
どうも近年?の哲学は、観察する側とされる側(主体と客体というか)のどちらに重きを置くかの論争になっていて、本書の著者はどちらにも重きを置く立場らしい。
同じものでも見る人によって見え方が違うというのは至極当たり前だが、量子論的とも言えなくはない。
著者がいう「世界は存在しない」ことの理屈は理解できる(わかりやすく図解までされている)が、それは「世界」の定義によるところが大きく、言ってしまえば「全知全能の神(いるとして)を作ったのば誰?」という問いにも似ている。
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哲学の本としては、異例に評判になっているらしい。
「現代思想」の本としては、わりと読みやすいかな。
ある意味、当たり前のことを言っている感じもする。
この本が評価されるということは、これまでの哲学が極論というか、話を必要以上に難しくしすぎていたということか?
ポストモダーン思想をある程度読んだ人には、この「新しい実在論」は、ちょっとしたコロンブスの卵に思えるかもしれないが、あまり哲学を読んでない人、つまり「素朴な実在論者」にとっては、この本自体が「ポストモダーン」な相対主義の本に思えるかもしれない。
だって、普通の人は、目の前の「現実」がもしかすると本当は存在しなくて自分の心が「構築 -
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Posted by ブクログ
著書こそ出会ったことはなかったが、
若い天才的哲学者、マルクス・ガブリエルの名前は聞いたことがあったので、本屋さんで見かけて気になっていた。
しかも副題が、
「東洋哲学と新実在論との出会い」
新実在論の方は聞き馴染みがなかったが、東洋哲学については、ちょっと勉強したいぞ…とここ数年、ずっと思っているトピック。
今年は聖書読書会を通じて、聖書を開く時間が増えた。クリスチャンでもないし、ましてや新たなる信仰心から読もうと考えて通読を試みているわけでもないので、聖書について向き合う際には、ざっくり「東洋哲学や東洋思想とは別世界のもの」と思って読んできたんだが、ところどころ(私が知る限りなのでだい -
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