マルクス・ガブリエルのレビュー一覧
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新しい実在論で世界を視るという本。
若さのせいか良く言うと「ハッキリものを言う人」、悪く言うと「口が悪い」という印象。
ただ言っている内容は納得のいくものも多く、良い学びになった。
【補講 新しい実在論が我々にもたらすもの】は自分には難しかった。
p.103 【民主的思考と非民主的思考の違いとは】
民主的な制度の機能は、意見の相違に直面したときに暴力沙汰が起きる確率を減らすことです。二人の当事者が異なる意見を持っているとき、民主的な機関の機能は双方の利益の間の妥協点を見つけ出すことです。
p.114【民主主義と多様性のパラドックスを哲学する】
(哲学者バートランド・ラッセルの解決法)
多様性で言うと、第一段階の排除は、女性や黒人などのマイノリティを排除することに当たります。第二段階の排除は、女性や黒人を排除する者たちを排除することです。第一段階の排除には排除者は含まれないが、第二段階の排除には排除者が含まれる。
p.165【知識とイデオロギーを分けて思考する】
「人間の定義は『一生懸命動物にならないようにしている動物』であり、だからそこに技術がある」
p.203【イメージ自体を欲望し始めた人々】
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Posted by ブクログ
マルクスガブリエルさんの考えはとても面白い。今まで読んできた哲学者の本と違って、自身の考え、現時点での答えを明確に述べていることが違う気がした。どの哲学書を読んでいても、答えは結局わからないといった感じになるのだが、ガブリエルさんの本では一つの道標が表されていて、とりあえずそれを信じてみたくなるし、そうすることで自分自身の生きる意味を見出せる気がするからだ。
この本ではパンデミックによってあぶり出された様々な繋がりについて解説されていた。
国と国、SNSなど。
特にSNSは自分が元々持っていなかったはずのアイデンティティを押し付けてくる。そして、押し付けられた誤った自己概念に基づいて行動するようになる。と書かれており、そのせいで生きづらさを抱えている人たちが増えていると私自身も心から納得だった。
自己とはなにか?という問いそのものを捨てて、近くにいる人たちと楽しさの共有をしていくことが人生を豊かにする方法なのかなと思った。 -
Posted by ブクログ
新実在論の話を聞いてから、たしかにそうだなぁと思うことが多くなった。
今回下の5つのテーマについてガブリエルさんの考察が書かれていた。
価値の危機
民主主義の危機
資本主義の危機
テクノロジーの危機
表象の危機
それぞれ面白い視点があったのだけれど、個人的には、多様性を否定する人を受け入れることが多様性なのかというパラドックスについての解説がとても納得した。
ラッセルのパラドックスから考えても、受け入れる必要はないという結論だった。
と言うよりも、受け入れてしまうと矛盾が生じるので、受け入れてはないないということだった。
個人としては多様性を否定する人も受け入れることが多様性なのだとは思うが、集団として多様性を受け入れることは、そうでない人を受け入れると成り立たなくなると考えるとわかりやすかった。
それ以外にも人は皆正しいと言うが、真と偽は存在しない、正しいと信じていることも実は偽であることは世の中にはたくさんあるのだと知った。
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友からの贈り物として。
ややこしい議論は抜きにして、ここでガブリエルたちが考えているのは、脳みそと意識の関係に他ならない。意識とは脳みその機能ととらえられるか。
機能とは目に見えない。けれど状況や環境に伴い機能は現れる。目に見えないが機能は確かにある。脳みそが環境と折衝する作用というものか。脳みそが自身のうちにあるものを具現化する、それこそが脳みその機能という形で現れる。心的語彙とは機能を意識化・言語化することそのものではないか。
脳みその機能は予測と制御である。それをもって、脳みそ同士をつなぎ、身体や環境という自然をその手中に収めようとする。人間が自己理解に照らし合わせてあり方を変えようとするとはそういうことではないか。いくら水がH2Oではないと言い張ってもH2OはH2Oだ。一方で脳みそは自らの機能を自然へと投影する。社会化文明化とはそういうものではないか。
けれど、すべてが予測・制御できるわけでは当然ない。脳みそもまた自然の産物だからである。自分とは何かと考えている当の本人は誰か。脳みそはそれを考えることができない。本当の意味で「ない」というものを脳みそは語れない。脳みそは日に一度その機能をとめる眠るという未知の存在と常に隣り合わせである。
ガブリエルらが今後議論するとするなら、心ということばでもって何を語ってきたのか、自然ということばでもって何を語ってきたか。心が心であるということ、自然が自然であるということ、端的な事実としてことばが現に存在してしまっていることを考えられると思う。心無いやつだという段階で、もう心が存在してしまっている。ほんとうに心がないというなら、そもそもわかることなどできようにもないはずだ。
そして、心ということばでもって何を語り何を語らなかったか、この点を明らかにしていくこともまたできるのではないかと思う。 -
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一般向けという触れ込みだったように記憶してますが、十分に理解するのに手間取ってしまいました。
新しい存在論というテーゼは、世界は存在するすべての領域がその中に現れてくる領域、「すべての領域の領域」であるために、「果てしない派生のなかで果てしなく増殖していく無数の意味だけが存在する場」であるがゆえに「世界は存在しない」という論理なのだと思う。
唯物主義や構築主義を否定する論理はすべてを理解するには至ってないが、それぞれに理論を証明できない部分があることが何となく分かったし、特にそもそも事実は存在せず我々が一切の事実を構築しているのみという構築主義は人間軽視の感があって寂しさも感じるところ。
なんにせよ、哲学とは人間とは(私とは)何かを追求する学問で究極的な答えはでず、不完全な私たちがどういったものなのかを永久に問い続けるもの学問なのだと、なんか科学とは違うロマンがありますね。科学の世界感も本書は物議醸してますけど。科学第一主義の現代社会もどうかと改めて自問するきっかけにもなります。
あー難しかった。 -
Posted by ブクログ
著者の主張に対する他の哲学者の反論、意見、それに回答するという形の討論形式の本。
難しい。まず哲学に興味があり近代哲学の本を何冊か読んでいないと何言っているかさっぱり分からんと思う。
自然主義的還元論の中に「心」は収まるものではないという主張を繰り出しているのだけど、読めば読むほど思弁が言葉に縛られるという西洋哲学の根本部分の受け入れがたい何かにつきあたる。が、なんとなくざっと読んでいても面白い。
言葉による現象の分別、意味の場の分別、存在の意味などすべて言葉による分別智であり、分別智の極限に向け突き進んでいる感じがする。
全く持って議論も何が正しいのか分からないし、どっちが説得力があるのか判定できない天上での議論ナ感じであるのだけど、それはそれとして面白かった。
創作として「頭のいいキャラ」を描きたい場合なんとなくその雰囲気を作る材料になるかもしれない。
確かに自然科学的還元論で「脳」が精神を生み出しているとしても、その精神の様々な様相がどのような状態で再現できるのかというのは、自然科学の手に負える問題ではない気もするのだけど、科学が進歩すれば分かるかもしれず、現時点ではなんともいえない。 -
Posted by ブクログ
最近気になる「若き天才」マルクス・ガブリエル。ドイツの哲学者で彼の主張する「新実在論」が今世界中で脚光を浴びている。本書では、大きく変貌する現代社会が直面する5つの危機(価値、民主主義、資本主義、テクノロジー、表象)の提示とその本質の解説と、特に日本に対して「優しい独裁国」と評し、解決方法を提案している。「インターネットは非民主的」「人工知能など存在しない」「GAFAにただ働きさせられている」など、一旦立ち止まって思考することで見えくる本質の大切さに気付かされる。本書の主たるテーマとは異なるが、なるほどと思ったのは、よりよく生きるための思考法ともいうべき「哲学」を、なぜ小学校から教えないのかという点。算数や理科など基礎科目ができなければ、高度な技術や科学は駆使できない。それと同じで、生きるため、社会生活を営むにあたって必要な頭の使い方や先人の知恵を学ぶ機会が極端に少ないのはおかしいという主張。今後も彼の動向に注目したい。
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Posted by ブクログ
ネタバレ哲学者である著者が提唱する「新しい実在論」について、インタビューをもとに書き起こした本である。
本書では、「新しい実在論」を解説した後に、現代を5つの側面(価値、民主主義、資本主義、テクノロジー、表象)からの危機を論じている。
内容的には新書であるため、どうしても表面的なものとなってしまい、著者の哲学自体を理解するには内容が乏しく(自分の理解力の問題か?)、本質をもっと理解するためには他の著書を読み込む必要があるが、内容としては興味深いものであった。
本書で著者が主張していることは、自分ももだ未消化で文章としてうまく表現できないのが残念であるが、確かに現在の様々な問題に対する新たなアプローチを示している。そのなかでも、倫理学の重要性を主張している点は興味深い。何が正しいのかは、各人が倫理学を学び、それに基づいて判断すべきであり、他者に依存してはいけないのである。
そのためには、差別をなくすためには倫理学を学科として扱い、小学生から教える必要性を訴えています。
同様に会社にも倫理委員会を設ける必要性もあります。
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・普遍的な倫理観には、生粒学的な基礎があります。我々はもともと皆同じ種だからです(これは、人類という種であり、民族などによる異なるものではないということ)。
・言語と文化は同一のハードウェア(人類)上のソフトウェアのようなものである。
・現代社会では、ほとんどの人が文化相対主義を信じています。人間は使うソフトウェアによってきっぱり分かれているという思想です。つまり、ムスリム(イスラム教徒)は二十一世紀のマンガ狂やロシアの売春婦とは全く異なった価値体系を持っていることになるのですが、実際そんなことはありません。
・任芸性というのは極めて普遍的なものですが、我々はそれを無視しています。というのも、現在地球規模でサイバー戦争が起きているからです。今この時代に蔓延している文化相対主義の機能は、非民主的なインターネットを正当化するためのものだと私は思います。
・道徳には三つのカテゴリーがあります。程度の差はありますが、基本的に「善い(Good)」「中立(Neutral)」「悪い(Bad)」の三つに分けられます。「善い」にはマザーテレサは全ての人を救うというようなこと、「悪い」にはヒトラーが全ての人を殺害するというようなことが当てはまります。「中立」には、今日は半そでのシャツを着ようか、長そでのシャツを着ようかということが当てはまります。例えば現代ヨーロッパでいえば、ヒジャブ(イスラム教徒の女性が着用する頭を覆う布)を学校で着用していいのかどうか、といった問題もあるでしょう。個人的な見解を述べると、「神がヒジャブを着用することを望んでいる」と信じている人は、道徳の面で間違いを犯していると思っています。でも、だからといって、その女性がヒジャブを着用すべきではないという意味ではありません。彼女は間違いを犯していますが、人が時に間違いを犯すことは道徳的には許容されます。彼女の新年は間違っているけど、それは私の問題ではなく、彼女の問題です。
・しかしこれが耳目を集める問題になるのは、人々がムスリムから人間性を奪って殺めたいと思っているからに他なりません。ヒジャブを使うことでムスリムを非人間化できるからです。
・現実には、特定のグループの人たちから人間性を奪う可能性についてばかり取り沙汰されています。
・道徳観を教える倫理学は、数学と同じように一つの学科です。子供に教えていないから、学科ではないと考えてしまうのです。ドイツでは倫理学の代わりに宗教を小学校から教えています。これを宗教ではなく、倫理学に変えなければいけません。
・現在、人々は「民主主義は、自分が信じているものを何でも自由に言える権利」と思っています。民主主義を特定の表現の自由と混同しています。
・民主主義とは、民主的な制度の機能は、意見の相違に直面したときに暴力沙汰が起きる確率を減らすことです。二人の当事者が異なる意見を持っているとき、民主的な機関の機能は双方の利益の間の妥協点を見つけ出すことです。
・文化には多元性があり、ある文化には明白に見えないことも別の文化には明白に見えるということです。でも、地域の視点を超える、明白な事実もあると思います。しかし、時に文化は、明白さを否定します。我々は、一つのレベルしかない明白な事実という存在を、皆で見つけ出さないといけません。明白な事実が何であるか、我々は完全には分かっていないからです。
・「人間はこうあるべきだ」というモデルを、社会システムにいる全ての人間に押し付けるべきではありません。そのモデルは、人間の現実に即していないからです。それが多様性への論拠になります。「人間はそれぞれ少しずつ違っている」という事実(Fact)が、多様性の根拠です。
・我々は未だかつて(完全に)グローバルな自由貿易が行われたことはありません。どの国もある程度は自国の製品を保護しています。過去の不況でも保護主義で乗り越えてきたことがあります。現在のトランプ大統領の保護主義やEUの瓦解を密につけても、「世界史の針は巻き戻っている」と感じます。
・グローバル経済が、グローバル国民国家の存在なしで機能し続けることは絶対にありません。
・会社の中に倫理委員会が設けられ、彼らは完全な雇用保障、職務保障を得られ、大学の就寝在職権のように、解雇されないモデルが設けられるべきです。
・資本主義は「内なる他者」を生み出し続けている。資本主義の構造がそうなっているからです。現代の資本主義は、必然的に搾取されるグループを作り出すようになっており、そのグループは膨大な数に上ります。自分が消費したいと思う製品を作っている人、それが「内なる他者」です。彼らは、消費する人よりもひどい労働環境にいるに違いありません。絶対的に見ると、下層にいる人の数がこれほど多くなったことは人類史上ありません。グローバル資本主義は、人類が今まで見たこともないほどの貧困を生み出しています。
・自然科学の問題は、倫理観を否定していることにあります。自然科学の観点からでは、倫理学を研究することはできません。物理学の世界では、人間について研究するとき「ある動物の行動」という見方をします。しかし「動物の行動」なんて見方では、人間の価値を認識することはできません。価値とは行動規範のことで、行動規範とは、たとえば「人殺しはいけない」ということです。自然科学者にはこの行動規範という概念がありません。
・(本書の趣旨から外れるが)趣味が悪い人ほどネットに口コミを書きたがるものです。そういう人々の取るに足りない行動を、インターネットはいちいち律儀に登録しているのです。現実世界では、低評価をした人物の意見があなたの決断に及ぼす影響は何一つありません。それがオンラインになったとたんに、その人物の薦めに従ってしまうのです。インターネット上では愚者が愚者にモノを薦めあっている。それを群知などともっともらしい名前で呼んでいます。実際は群れの知識でなく、群れの凡庸化です。
・自動化が最適だというのは、昨今信じられている壮大な神話です。大抵は逆で、自動化は物事を凡庸化してしまいます。
・GAFAはデータで利益を得ています。そのためのインプットは、例えばバーベキューパーティを主催し、その写真をアップする。GAFAはそのアップされた写真から利益を得ます。バーベキューパーティを主催して写真を撮りアップするのは、労働と言ってよい。その人が手を動かしているからです。これはつまり、人々がGAFAに雇われている、文字通りGAFAのために働いているということです。しかし、GAFAは彼らに労働の対価を払っていません。
・各国政府は、我々国民がGAFAに雇われているという事実を認識した方がいい。近いうちに、GAFAは全てを変えるか、我々にお金を支払うかのどちらかを行うと思います。それで経済的な問題の多くは解決されるでしょう。
・減税を公約に掲げた候補者に票を入れたとしましょう。そしてその候補者が当選し、減税を行わなかったら、多くの人はきっと彼を嘘つき呼ばわりするはずです。でも彼は嘘つきではない。彼は有権者を表象しているのです。当選前の公約は「そうなるように努力します」という約束であり、必ず公約が果たされるということはできません。
・人の行う思考は、必ずそれ自体を真だと考えます。「これは正しい思考だ」という思考なしに思考することは不可能です。あなたは自分を信じているのです。というより、自分を信じないことは不可能です。思考それ自体が「これは偽だ」という思考をすることはありません。
・検索アルゴリズムは、最高のレストランではなく、最高の評価されたレストランを表示ます。人間の行為を合計したものを表示ます。間違いを犯す人間はいますが、それでも彼らはレストランを評価します。ですから、シリコンバレー的、統計的な世界観というのは、社会が間違いを犯す可能性を上げているのです。この統計的な世界観がなぜしっぱいするかというと、真実の真実、または偽りを考慮していないからです。 -
Posted by ブクログ
2人の著者が現代社会の問題について、新たな全体主義の脅威への対応という視点から対談されています。まず、全体主義とは何なのか、それが現代にどのような形で存在しているのかについて明らかにされています。また、過去の例を採り、それらは全体主義にどう相対したのかを振り返る形を採られています。著者のガブリエルさんの新実在論と、東アジアの哲学(主として中国)をヒントに、資本主義を変化させることによって、将来の危機を克服することができるという光明があるということについて語られています。私たち全員の意識の問題だと思いますが、自分や仲間だけ良ければ良いという考え方ではなく、また自分の価値観が普遍だという誤った認識も改めないといけない、そうではないのだということを意識する必要性を考えさせられます。