作品一覧

  • 考えるという感覚/思考の意味
    値引きあり
    4.3
    1巻1,809円 (税込)
    「考える」というのは人間だけに可能な営みなのか? そもそも「考える」とは、いったい何をすることなのか?――本書は、そんな根本的な問いに正面から取り組みます。 『考えるという感覚/思考の意味』というタイトルを見て、おや? と思うかたもいらっしゃることでしょう。本書の原題Der Sinn des Denkensには二つの意味がかけられている、と著者マルクス・ガブリエルは明言しています。一つは、「考えること(Denken)」とは、見ること、聞くこと、触ること、味わうことなどとまったく同じように「感覚(Sinn)」である、という意味。例えば、私たちは見ることでしか色には到達できませんし、聞くことでしか音には到達できません。それとまったく同じように、考えることでしか到達できないものがある――それが本書のタイトルに込められたもう一つの意味である「意味(Sinn)」にほかなりません。  「考える」とは「自然的現実と心理的現実のあいだのインターフェース」だと著者は言います。もっとくだいて言えば、私たちが現実と触れ合う、その接点に生まれるもの、と言い換えてもよいでしょう。その意味で、ガブリエルが「三部作」として構想した三冊のうちの第一作『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)で扱われた「世界」と、第二作『「私」は脳ではない』(同)で扱われた「私」との接点に生まれるのが、「考えること」そのものなのです。私たちは、考えることで「かけ離れたいくつもの現実を結びつけ、それによって新たな現実を作り上げる」と著者は言います。つまり、考えるとは「結びつき」を作り、その「結びつき」を認識することです。 「ポストトゥルース」と呼ばれる現実が席捲する一方で、AIによって人間の知的な営みが奪われ、いつかは「考えること」そのものさえ人間には必要なくなるのではないかと考えさせられる今日、もう一度、原点に立ち返って考えること。本書をもって完結する三部作で、著者マルクス・ガブリエルは、人間にしか可能でない未来への希望を語っています。 [本書の内容] 序 論 第1章 考えるということの真実 第2章 考えるという技術 第3章 社会のデジタル化 第4章 なぜ生き物だけが考えるのか 第5章 現実とシミュレーション 本書のおわりに
  • ドイツ流 絶対に怒らない子育て
    3.7
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ドイツでシリーズ累計50万部突破! ママ・パパたちが信頼・大絶賛する 国民的ベストセラー 着替えなくても、お菓子ばっかり食べても、 お皿を投げても・・・ 「ダメ」をやめるだけで、全部うまくいった! 「怒らない」と決めるだけで、 子どもも親もイライラしなくなくなる! 論文・統計・心理学・神経医学の最新情報を徹底分析! 「子育て本マニアのキャリアウーマン」× 「子どもの特別支援教員」の2人がつくりあげた! 科学的に正しくて、 いそがしい毎日で実際に使えるルールです!
  • 「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学
    値引きあり
    3.7
    1巻1,578円 (税込)
    今、世界で最も注目を浴びる哲学者マルクス・ガブリエル。大ヒット作『なぜ世界は存在しないのか』の続編にして、一般向け哲学書「三部作」の第2巻をなす注目の書が日本語で登場です。前作と同様に目を惹きつけられる書名が伝えているように、本書が取り上げるのは昨今ますます進歩を遂げる脳研究などの神経科学です。それは人間の思考や意識、そして精神は空間や時間の中に存在する物と同一視できると考え、その場所を特定しようと努めています。その結果は何かといえば、思考も意識も精神も、すべて脳という物に還元される、ということにほかなりません。でも、そんな考えは「イデオロギー」であり、「誤った空想の産物」にすぎない、というのがガブリエルの主張です。「神経中心主義」と呼ばれるこのイデオロギーは、次のように主張します。「「私」、「意識」、「自己」、「意志」、「自由」、あるいは「精神」などの概念を理解したいのなら、哲学や宗教、あるいは良識などに尋ねても無駄だ、脳を神経科学の手法で―─進化生物学の手法と組み合わせれば最高だが―─調べなければならないのだ」と。本書の目的は、この考えを否定し、「「私」は脳ではない」と宣言することにあります。その拠り所となるのは、人間は思い違いをしたり非合理的なことをしたりするという事実であり、しかもそれがどんな事態なのかを探究する力をもっているという事実です。これこそが「精神の自由」という概念が指し示すことであり、「神経中心主義」から完全に抜け落ちているものだとガブリエルは言います。したがって、人工知能が人間の脳を超える「シンギュラリティ」に到達すると説くAI研究も、科学技術を使って人間の能力を進化させることで人間がもつ限界を超えた知的生命を実現しようとする「トランスヒューマニズム」も、「神経中心主義」を奉じている点では変わりなく、どれだけ前進しても決して「精神の自由」には到達できない、と本書は力強く主張するのです。矢継ぎ早に新しい技術が登場してはメディアを席捲し、全体像が見えないまま、人間だけがもつ能力など存在しないのではないか、人間は何ら特権的な存在ではないのではないか……といった疑念を突きつけられる機会が増している今、哲学にのみ可能な思考こそが「精神の自由」を擁護できるのかもしれません。前作と同様、日常的な場面や、テレビ番組、映画作品など、分かりやすい具体例を豊富に織り交ぜながら展開される本書は、哲学者が私たちに贈ってくれた「希望」にほかならないでしょう。[本書の内容]序 論I 精神哲学では何をテーマにするのか?II 意 識III 自己意識IV 実のところ「私」とは誰あるいは何なのか?V 自 由

ユーザーレビュー

  • 考えるという感覚/思考の意味

    Posted by ブクログ

    コンピュータは思考するか?
    人間の脳と何が違うのか。
    人間はどう感覚し、どう思考しているのか?

    実に興味深い。
    文章も平易、というか、ピンとくる、というかわかりやすい、というか、
    頭に入ってくる。
    自分は脳の働きに興味があるんだなあ、と思う。

    しかし、、
    情報量が豊富すぎて、結論、というか、著者が何を言おうとしているのかが、
    本全体としては入ってこなかった。
    これは斜め読みの欠点と、結局は私の理解不足。

    ただ思うのは、
    コンピュータが思考のまねごとをする、というのであれば、
    人間も同じ部分があるような気がする。
    ただ人間は生き物だから、理屈にない感覚、肌感覚、肉体的感覚で、
    衝動的に思い

    0
    2025年04月01日
  • 考えるという感覚/思考の意味

    Posted by ブクログ

    考えることの重大性を様々な角度から検討している。前2作とも関連するが必須ではない。

    問題意識の一つに人工知能の万能性への懐疑がある。人間性、生きることを取り戻す試みだ。思考とチューリングマシン(あたかも思考しているように思える)は位相が違う。

    また、より大きな文脈としては、社会構築主義と科学至上主義への反駁がある。わかりやすく言うと、この世は有意味であると言う主張だ。

    プラトン、アリストテレス、カント、ウィトゲンシュタイン、フーコー、ボードリヤール、サール、ブランダム、クワインなどが縦横に引用される。本書で最も重要なのはフッサールだろう。また、SF的な映画、小説の引用も豊富だ。

    リルケ

    0
    2024年12月30日
  • 「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学

    Posted by ブクログ

    論理的で、バランスの取れた著作。
    様々な論者の思想を暴き、批判し、人間の生、そして、哲学をあるべきものにする取り組みだ。
    特に最終章が素晴らしい。上への野蛮化が現代では神ではなく、テクノロジーに結びつき、下への野蛮化は進化論万能に結びつく。

    0
    2020年02月26日
  • 考えるという感覚/思考の意味

    Posted by ブクログ

    気鋭の哲学者であるマルクス・ガブリエル氏の三部作最終章。三部作のなかでは(文章が平易であるという点において)最も分かり易いものの、相変わらず内容はさっぱり理解できず。ただ、知的刺激は大いに受けた。
    前々作は「世界」、前作は「私」、本作は「考える」がテーマ。唯物論的神経中心主義を論駁した前作に対し、思想ならびにその表象化モデルである思考とはそもそも何かを再定義していく。著者は「考える」ことを「考覚」と言い、生物として元来備わっているものではなく、人間が生み出した「(人工知能ならぬ)人工知性」という捉え方がユニーク。
    著者が語る「考える」ということが持つダブルミーニングつまり感覚器官と表象手段は、

    0
    2025年07月11日
  • 「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学

    Posted by ブクログ

    いま最も有名な哲学者といっても過言ではないマルクス・ガブリエル氏の一般向け哲学書三部作の第2弾。1作目同様、内容はほぼ理解できなかったが、著者の深い造詣と考察に触れているだけで知的好奇心が刺激される。
    昨今のニューロネットワークのAI花盛りの時代にあって、「AGIの登場がまもなく」というまさに今、著者は「神経(ニューロ)中心主義」に異議を唱え、「私」≠脳というテーゼを以って、我々の精神の深淵や本質に対する論理展開を図る。自由意志の存在は第三章や量子力学的パラレルワールドからすると制約条件の結果という気もするが、志向的意識と現象的意識という観点を経ると「現象的」は人間の精神の複雑さを示しているよ

    0
    2025年07月05日

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