姫田多佳子のレビュー一覧
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コンピュータは思考するか?
人間の脳と何が違うのか。
人間はどう感覚し、どう思考しているのか?
実に興味深い。
文章も平易、というか、ピンとくる、というかわかりやすい、というか、
頭に入ってくる。
自分は脳の働きに興味があるんだなあ、と思う。
しかし、、
情報量が豊富すぎて、結論、というか、著者が何を言おうとしているのかが、
本全体としては入ってこなかった。
これは斜め読みの欠点と、結局は私の理解不足。
ただ思うのは、
コンピュータが思考のまねごとをする、というのであれば、
人間も同じ部分があるような気がする。
ただ人間は生き物だから、理屈にない感覚、肌感覚、肉体的感覚で、
衝動的に思いもよらぬことを考えたり行動したりする、ということではないか。
コンピュータにはそれはないはず。あったとしたらそれは暴走か。
基本は人間もコンピュータ同様、学習して少しずつ思考のレベルを上げる。
赤ちゃんのそれと、63歳の自分の思考は明らかに違う。
この積み重ねはコンピュータにも可能な気はする。
ただ、それ以外の部分を人間は持っている、ということではなかろうか、
ガブリエルの言ってることと違うかもしれないけど。
なぜ世界は存在しないのか、「私」は脳ではない に続く三部作の完結作。
二つ、読んでたかどうか、、
まえがき
序 論
第1章 考えるということの真実
無限の複雑性/考える? それはいったい何だ/考えることができるのは人間だけではない/宇宙の範囲/アリストテレスの感覚〔Sinn〕/コモンセンスは時に感覚的/「感覚〔Sinn〕」の意味〔Sinn〕、あるいは思い違いの仕方あれこれ/宇宙に亡命し、そこから眺めているのは誰だ/すべての対象が物なのではない/赤い蓋は(現実に)存在するか/思考は神経の興奮ではない/真理以外の何ものでもない/世界はお望みのままに/フレーゲの「思想〔Gedanke〕」/意味と情報、そしてフェイクニュースのナンセンス/私たちの第六感
第2章 考えるという技術
地図と領土/コンピューターは中国語ができるか/写真はクレタ島を覚えていない/一匹のアリが砂の上を這いまわることは、なぜウィンストン・チャーチルと無関係なのか/インターネットという神/文化の中の居心地悪さ/感情的知性と、記号のデジタルジャングルに隠された価値/「機能主義」という名の宗教/思考はタバコの自動販売機ではなく……/……心はビール缶の山ではない/ステップ・バイ・ステップで脳をぺースメーカーに?/技術という理念、あるいは、どうやって家を建てるか/総動員/社会はビデオゲームではない/機能主義のアキレス腱
第3章 社会のデジタル化
論理的でしょ?/集合とのピンポンゲーム/いずれすべてがクラッシュする/そもそもコンピューターにできることはあるのか/ハイデガーのつぶやき/奇跡も多すぎると不安になる/「完全なる用立て可能性」の時代に/『サークル』に捕まった?/ヴィンデンへの寄り道/意識一つ、テイクアウトね/ここでは誰が問題を抱えているのか
第4章 なぜ生き物だけが考えるのか
ヌースコープ/魂とカードボックス/「さあ、来い、古箒!」/照らし出された脳/意識ファースト/内、外、それとも、どこでもないところ?/湿っぽくて絡み合った一個の現実
第5章 現実とシミュレーション
空想はスマホと出会う/避けられない「マトリックス」/追 悼/ホラーとハンガー(ゲーム)/美しき、新しき世界/あなたは目覚めているのか、それとも、夢と独り言の中に囚われているのか/あなたはオランダを知っていますか/物質と無知/現実とは何か/どっちつかずの現実/魚、魚、魚/つかみどころのない現実の変動幅/カエサルの髪とインドのマンホールの蓋とドイツ/フレーゲのエレガントな事実理論/私たちの知の限界を超えて/思考の現実は頭蓋基底のレッスンではない/マッシュルームとシャンパンと思考‐思考との違い/人間は人工知性だ/人間の終焉
本書のおわりに
謝 辞
原注
文献一覧
語彙集
人名・作品名索引 -
Posted by ブクログ
考えることの重大性を様々な角度から検討している。前2作とも関連するが必須ではない。
問題意識の一つに人工知能の万能性への懐疑がある。人間性、生きることを取り戻す試みだ。思考とチューリングマシン(あたかも思考しているように思える)は位相が違う。
また、より大きな文脈としては、社会構築主義と科学至上主義への反駁がある。わかりやすく言うと、この世は有意味であると言う主張だ。
プラトン、アリストテレス、カント、ウィトゲンシュタイン、フーコー、ボードリヤール、サール、ブランダム、クワインなどが縦横に引用される。本書で最も重要なのはフッサールだろう。また、SF的な映画、小説の引用も豊富だ。
リルケの詩の紹介は中でも最も印象的な部分だった。また、ゲーテのファウスト博士の嘆きを理解できたのも大きかった。p340 -
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気鋭の哲学者であるマルクス・ガブリエル氏の三部作最終章。三部作のなかでは(文章が平易であるという点において)最も分かり易いものの、相変わらず内容はさっぱり理解できず。ただ、知的刺激は大いに受けた。
前々作は「世界」、前作は「私」、本作は「考える」がテーマ。唯物論的神経中心主義を論駁した前作に対し、思想ならびにその表象化モデルである思考とはそもそも何かを再定義していく。著者は「考える」ことを「考覚」と言い、生物として元来備わっているものではなく、人間が生み出した「(人工知能ならぬ)人工知性」という捉え方がユニーク。
著者が語る「考える」ということが持つダブルミーニングつまり感覚器官と表象手段は、「テセウスの船」が示すような「思想」というものの物理との分離性と一体不可分性を感じる。
「哲学のロックスター」とも称される著者だが、三部作を通じて最も伝わることはTV番組に対する深い造詣と愛情であろう! -
Posted by ブクログ
いま最も有名な哲学者といっても過言ではないマルクス・ガブリエル氏の一般向け哲学書三部作の第2弾。1作目同様、内容はほぼ理解できなかったが、著者の深い造詣と考察に触れているだけで知的好奇心が刺激される。
昨今のニューロネットワークのAI花盛りの時代にあって、「AGIの登場がまもなく」というまさに今、著者は「神経(ニューロ)中心主義」に異議を唱え、「私」≠脳というテーゼを以って、我々の精神の深淵や本質に対する論理展開を図る。自由意志の存在は第三章や量子力学的パラレルワールドからすると制約条件の結果という気もするが、志向的意識と現象的意識という観点を経ると「現象的」は人間の精神の複雑さを示しているように思える。
著者がユニークなのは例示に映画やTV番組、時事の話題などをふんだんに盛り込んでいる点だろう。だからといって解りやすいわけではなく、デカルトやカントのような不変的哲学書の地位にはなりえない面は否めないが、哲学をより身近にしていることは間違いない。 -
Posted by ブクログ
ハウトゥー本の中でも脳がどうこうとか発達心理学っぽい理屈とか色々つけてくれるので好き。俺理屈っぽいからそういう根拠づけというか権威づけみたいのしてもらえると嬉しくなっちゃう。
後半気が抜けたのが根拠づけがあまりなされなくなるのが残念。普通のハウトゥー本みたいになる。脳とか心理に関する未知の概念に一々引っ掛からなくてよくなるのでむしろ読みやすくなるのだけど。
普通に使えそうなライフハックが多々描かれている一方で、それは希望的すぎやしない?と少し疑問になるようなライフハックも散見された。まあ所詮ハウトゥー本だから使えるところを使っていく程度の腹積りでいればいいんだけど。
読んでよかった、自分の育児における言動も割と反省するところがあった。 -
Posted by ブクログ
マルクス・ガブリエルの「一般向け」哲学書の3部作の2作目。
「新しい実在論」というのが流行っているらしいのだが、どこが新しいのかは実はわからない。社会構成主義や価値相対主義を批判していて、日常のいわゆる「現実」をしっかり「現実」として位置付けるということになっているみたいだけど、本当にそうなのかな?
いろいろな「現実」を統合する「世界」は存在しないとしているので、いろいろな側面での「現実」が「実在」することになる。
これは、もしかすると、価値相対主義が嫌いな人には、さまざまな現実が、社会的に構成されるというほうが、まだよかったんじゃないとか、思ったりする。
さて、「「私」は脳ではない」というキャッチーな書名だが、脳から独立した精神的な私が実在して、死後も「私」は実在するというようなことを言っているわけでは全くない。
批判の対象は、神経・脳による「決定論」。それだけではなくて、あらゆる「決定論」への批判。
そして、最後には、人間の「自由」を宣言する。
構造主義、ポスト構造主義によって、終わったと思われていた「実存主義」が復興みたいな話もある。
一見、わかりやすそうに説明しているみたいだが、肝心なところで、ロジックの展開が早くて、結局のところ今ひとつ理解できない。
といっても、面白いといえば、面白いかな。