あらすじ
今、世界で最も注目を浴びる哲学者マルクス・ガブリエル。大ヒット作『なぜ世界は存在しないのか』の続編にして、一般向け哲学書「三部作」の第2巻をなす注目の書が日本語で登場です。前作と同様に目を惹きつけられる書名が伝えているように、本書が取り上げるのは昨今ますます進歩を遂げる脳研究などの神経科学です。それは人間の思考や意識、そして精神は空間や時間の中に存在する物と同一視できると考え、その場所を特定しようと努めています。その結果は何かといえば、思考も意識も精神も、すべて脳という物に還元される、ということにほかなりません。でも、そんな考えは「イデオロギー」であり、「誤った空想の産物」にすぎない、というのがガブリエルの主張です。「神経中心主義」と呼ばれるこのイデオロギーは、次のように主張します。「「私」、「意識」、「自己」、「意志」、「自由」、あるいは「精神」などの概念を理解したいのなら、哲学や宗教、あるいは良識などに尋ねても無駄だ、脳を神経科学の手法で―─進化生物学の手法と組み合わせれば最高だが―─調べなければならないのだ」と。本書の目的は、この考えを否定し、「「私」は脳ではない」と宣言することにあります。その拠り所となるのは、人間は思い違いをしたり非合理的なことをしたりするという事実であり、しかもそれがどんな事態なのかを探究する力をもっているという事実です。これこそが「精神の自由」という概念が指し示すことであり、「神経中心主義」から完全に抜け落ちているものだとガブリエルは言います。したがって、人工知能が人間の脳を超える「シンギュラリティ」に到達すると説くAI研究も、科学技術を使って人間の能力を進化させることで人間がもつ限界を超えた知的生命を実現しようとする「トランスヒューマニズム」も、「神経中心主義」を奉じている点では変わりなく、どれだけ前進しても決して「精神の自由」には到達できない、と本書は力強く主張するのです。矢継ぎ早に新しい技術が登場してはメディアを席捲し、全体像が見えないまま、人間だけがもつ能力など存在しないのではないか、人間は何ら特権的な存在ではないのではないか……といった疑念を突きつけられる機会が増している今、哲学にのみ可能な思考こそが「精神の自由」を擁護できるのかもしれません。前作と同様、日常的な場面や、テレビ番組、映画作品など、分かりやすい具体例を豊富に織り交ぜながら展開される本書は、哲学者が私たちに贈ってくれた「希望」にほかならないでしょう。[本書の内容]序 論I 精神哲学では何をテーマにするのか?II 意 識III 自己意識IV 実のところ「私」とは誰あるいは何なのか?V 自 由
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Posted by ブクログ
論理的で、バランスの取れた著作。
様々な論者の思想を暴き、批判し、人間の生、そして、哲学をあるべきものにする取り組みだ。
特に最終章が素晴らしい。上への野蛮化が現代では神ではなく、テクノロジーに結びつき、下への野蛮化は進化論万能に結びつく。
Posted by ブクログ
いま最も有名な哲学者といっても過言ではないマルクス・ガブリエル氏の一般向け哲学書三部作の第2弾。1作目同様、内容はほぼ理解できなかったが、著者の深い造詣と考察に触れているだけで知的好奇心が刺激される。
昨今のニューロネットワークのAI花盛りの時代にあって、「AGIの登場がまもなく」というまさに今、著者は「神経(ニューロ)中心主義」に異議を唱え、「私」≠脳というテーゼを以って、我々の精神の深淵や本質に対する論理展開を図る。自由意志の存在は第三章や量子力学的パラレルワールドからすると制約条件の結果という気もするが、志向的意識と現象的意識という観点を経ると「現象的」は人間の精神の複雑さを示しているように思える。
著者がユニークなのは例示に映画やTV番組、時事の話題などをふんだんに盛り込んでいる点だろう。だからといって解りやすいわけではなく、デカルトやカントのような不変的哲学書の地位にはなりえない面は否めないが、哲学をより身近にしていることは間違いない。
Posted by ブクログ
人間は、科学的に説明し得るのか。自然科学的探究を思考するときの「私」は、迫るシンギュラリティに備えようとし、それは説明可能性を受け入れている。一方で、答えのない未来を探究する思考に耽るときの「私」は、自然科学では構築しえないものであることを疑うことすらしない。だから、脳が単に神経回路で、内外の入出力を媒介するだけなら、「私」は脳ではない。生物的存在と社会的存在、そして、「私」にとっての世界によって、「私」が在る。ような気がする、所で一先ず。
Posted by ブクログ
平易な文章であるがゆえに,逆に分かりにくくなってる印象。全編にわたって神経中心主義を批判するのだが,論点が次々出てきて論旨が追いにくい。色々な学説(主義)に言及されるのだが,著者がそれに賛成なのか反対なのかすら,俄には読み取れない始末。神経中心主義が誤りであることが論証されているのか?なんだか議論をずらしているというか,噛み合っていないように思える。自分の読解力の問題か。
しかしガブリエルはドイツ哲学をベースにしながら,フランスはもちろん,英米にも造詣が深い。大陸系VS分析系という分類は乗り越えられつつあるように思った。
Posted by ブクログ
なんとなくしか読めてないけど。
人間としての実態ってなに?
脳が死んだら死んだと言えるの?
種の保存の法則の延長線上に意志とか欲求とかあるの?
我々は自由であるって言い切れへんねんな。
奪いされないもの尊厳、経験、意志そんなんを持ってるって言い切れるよな。
それは、宇宙とか物理とかエネルギーとかそんな冷たい連中に関係あるかい!ってゆうてんねんな。
Posted by ブクログ
マルクス・ガブリエルの「一般向け」哲学書の3部作の2作目。
「新しい実在論」というのが流行っているらしいのだが、どこが新しいのかは実はわからない。社会構成主義や価値相対主義を批判していて、日常のいわゆる「現実」をしっかり「現実」として位置付けるということになっているみたいだけど、本当にそうなのかな?
いろいろな「現実」を統合する「世界」は存在しないとしているので、いろいろな側面での「現実」が「実在」することになる。
これは、もしかすると、価値相対主義が嫌いな人には、さまざまな現実が、社会的に構成されるというほうが、まだよかったんじゃないとか、思ったりする。
さて、「「私」は脳ではない」というキャッチーな書名だが、脳から独立した精神的な私が実在して、死後も「私」は実在するというようなことを言っているわけでは全くない。
批判の対象は、神経・脳による「決定論」。それだけではなくて、あらゆる「決定論」への批判。
そして、最後には、人間の「自由」を宣言する。
構造主義、ポスト構造主義によって、終わったと思われていた「実存主義」が復興みたいな話もある。
一見、わかりやすそうに説明しているみたいだが、肝心なところで、ロジックの展開が早くて、結局のところ今ひとつ理解できない。
といっても、面白いといえば、面白いかな。