マルクス・ガブリエルのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
話題の哲学者マルクス・ガブリエルのリード論文と4名の哲学者のコメントからなる対論集。いささか仰々しい宣伝文句とは裏腹に、内容は真っ当な自然主義・還元論の批判、ヒューマニズムの擁護です。AI時代にウケがいいのも納得。精神(Geist)という大陸観念論の伝統を現代的な形式で再提出・復権を目指しているのも好感触で、新実存主義という括りにもさほど違和感はありません。気になったのは氏の精神史観で、この新書では明らかとなりませんが、新書サイズでは求め過ぎでしょうね。氏の他の本も読みたくなった。御年88歳のテイラーが活き活きと、ガブリエルより分かりやすくポイントを説明していたのは流石。
-
Posted by ブクログ
ガブリエルの「新実存主義」という論文が中心になっていて、それに対する同業者(?)の序論やコメントがあって、最後にコメントに対するガブリエルによる回答がおさめられているという構成。
新書なので、わかりやすいのかな?と思って、買ってみたのだが、わりと専門的というか、学術的な本でした。
より一般向きと思われる(文章とか例示はわかりやすそうなのだが内容的にはそんなにわかりやすいわけではない)「なぜ世界は存在しないのか」「私は脳ではない」をまず読まないと、ここでの議論にはついていけないんじゃないかな、と思う。(私は、2つとも読んだけど、この本の議論にあまりついていけなかったが、、、)
さて、ガブリエルは、サルトルなどの名前をだしながら、自分の立場を「新実存主義」と位置付けている。サルトルは、戦後〜60年代(日本では70年代くらいまで?)の一種のヒーローだったわけなのだが、批判も多く、ブームの反動で、急速に評価がさがった哲学者。今では、批判されることもなく、スルーされてしまう感じ。
というなかで、ガブリエルが、「私は脳ではない」で、サルトルや実存主義にかなり好意的に言及しているのに驚いたわけだが、この本は、まさにタイトルが「新実存主義」で、しかも自分の立ち位置を「新実存主義」とはっきり位置付けている。
とはいえ、この本を読んでも、「新実存主義」がどんなものかは、よくわからない。
というのは、議論されていることの中心は、いわゆる心脳問題なのだ。ここで、批判されているのは、決定論的、還元論的な唯物論的な「自然主義」と呼ばれるもの。
そもそものところで、「唯物論」は、ある種の形而上学というか、実証することのできない仮定に依存しているということに始まり、「自然主義」「ニューロン中心主義」への批判、そしてガブリエルが提示する「条件主義」は、私にとっては納得性があるものに思える。
一方、その話が、実存主義にどう接続するのか?
ガブリエルは、実存主義に連なる思想家として、カント、ヘーゲル、ニーチェ、キルケゴール、ハイデカー、サルトルをあげる。これらの思想家が共有する前提として、「精神、つまり人間の心に制度をつくる能力があるという信念である、人とのまじわりのなかで、行為やそれについてのそれについての説明が大きな文脈のなかにどう収まるかをイメージし、そのイメージに照らし合わせて制度を構築する能力だ。人間は、いかなる状況においてもいまいる位置を超えて、ものごとの連関という、より大きな地図のなかに自分を絶えず置き直す。われわれは、ほかの人々がべつの前提のもとに生きていることを踏まえて、自分の人生を生きている。だからこそわれわれは、同類であるほかの人間がわれわれをどう見つめ、現実をどうとらえているかに関心を寄せるのである」とする。
たしかに、カントからサルトルにいたる思想家の共有するものとして、そういう前提のようなものがあるかもしれないし、わたしもその前提については共感できる。
が、ここに挙げられている思想家は、通常、「実存主義」とは位置付けられない人もいるわけで、この共通の前提をもって、「新実存主義」といわれても、なんだかわからないわけである。
と思うのは、私だけではないみたいで、序論を書いているマクリュールや他のコメンターも「新実存主義」というネーミングについては、モヤモヤしたものを感じているようだ。
第5章では、そうした批判に応えて、サルトルの「人間的現実」に関するものとして、実存主義から取り入れた考えは、
・人間は本質なき存在であるという主張
・人間とは、自己理解に照らしてみずからのあり方を変えることで、自己を決するものであるという思想
と整理している。
しかし、たとえば、フランス哲学の世界で、「実存主義」の批判のもとにでてきた「構造主義」や「ポスト構造主義」の論者でも、この2つのポイントにはそんなに違和感を持たない人も多いのではないかと思う。
哲学というマイナーな世界ではあるが、ガブリエルはもっとも注目されている人で、その議論には共感できるところが多い。
が、哲学のプロではない私には、本当のところ、どこが新しいのか、すごいのかは、よくわからない。
分かるのは、今、ガブリエル的な立ち位置が求められているのだということ。
「自然主義」「科学主義」が生み出しがちな唯物論的で、決定論的な人間観。
「構造主義」、「ポスト構造主義」、「社会構成主義」などが生み出しがち言語決定論的で、相対主義的な人間観。
いずれも、非人間的で、ニヒリズムの危険性を内包する。
そうしたなかで、自然科学や文化の多様性との関係性を健全に取り戻し、なんらかの「実在」性を認知し、そしてなにより「ヒューマニズム」を復権させようというニーズにガブリエルは応えているのだ。
そのチャレンジがどこまで成功しているのかはわたしにはわからないのだが。。。。 -
Posted by ブクログ
マルクス・ガブリエルの「一般向け」哲学書の3部作の2作目。
「新しい実在論」というのが流行っているらしいのだが、どこが新しいのかは実はわからない。社会構成主義や価値相対主義を批判していて、日常のいわゆる「現実」をしっかり「現実」として位置付けるということになっているみたいだけど、本当にそうなのかな?
いろいろな「現実」を統合する「世界」は存在しないとしているので、いろいろな側面での「現実」が「実在」することになる。
これは、もしかすると、価値相対主義が嫌いな人には、さまざまな現実が、社会的に構成されるというほうが、まだよかったんじゃないとか、思ったりする。
さて、「「私」は脳ではない」というキャッチーな書名だが、脳から独立した精神的な私が実在して、死後も「私」は実在するというようなことを言っているわけでは全くない。
批判の対象は、神経・脳による「決定論」。それだけではなくて、あらゆる「決定論」への批判。
そして、最後には、人間の「自由」を宣言する。
構造主義、ポスト構造主義によって、終わったと思われていた「実存主義」が復興みたいな話もある。
一見、わかりやすそうに説明しているみたいだが、肝心なところで、ロジックの展開が早くて、結局のところ今ひとつ理解できない。
といっても、面白いといえば、面白いかな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの人の定義する「世界」は存在しない、ということはわかりましたが、世間でそんなにもてはやされるほどの哲学者なのか、革新的な考え方を新たに提示したのかは私にはわかりません。一方で歴史上の偉人を小ばかにするような表現も鼻につく。
--
・存在すること=何らかの意味の場に現象すること
・世界とは、すべての意味の場の意味の場、それ以外の意味の場がその中に現象してくる意味の場である
・崇拝されるのが神なのかビッグバンなのかは表面的なことにすぎず、決定的な問題ではありません。
本当の問題は、これぞ宇宙全体の根源だとして崇拝される何かがあるということそれ自体です。
それがどんな姿をとっているかは、まったくどうでもいいわけです。
・「神」があらわしているのは、概念によってとらえきることのできない無限性という理念だというわけです。
かといって、私達がそのような無限性に解消されてしまうわけではありません。つまり神とは、どんなものも
-たとえわたしたちの理解力を超えていようとも-決して無意味ではないという理念にほかなりません。
「我々には捉えがたい「意味」が確かに存在していて、我々を捉えこんでいるのだ」という信念です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ〝世界は存在しない〟というセンセーショナルなタイトルですが、ガブリエルさんが言いたいのは全ての森羅万象を包含する一つの世界というものはなく、考えることの意義を考えられる唯一の動物である人間の数だけ多様な世界が存在するということ。この不必要な統一性を目指すことなきことこそが、現代的な自由であると。
自然科学を相手にしている時間が長いと、万物の根源に迫る統一ルールやプロセスが存在すると誤解しがちですが、仕事をしているのはさしたる特徴を持たない素粒子の塊ではなく、考える葦である人間です。それぞれの人間が自分の人生を豊かにしようと積極的に仕事に関与することが、仕事を通じて他の人に影響を与え、それぞれの世界の進歩を促します。ルールに縛られる、物事が転ぶ方に身を任せるのは現代的な自由を放棄していることになり、そこに関与する人達の人間性の発揮を阻害するのだなと感じました。
多数の哲学書が引用されていて、初学者の哲学の道歩き方としても良い本だと思いました。また、映画や小説も多数引用されていて、ガブリエルさんはいろんなことに興味がある人なんだなというのも伝わってきます。