【感想・ネタバレ】時間・自己・幻想 東洋哲学と新実在論の出会いのレビュー

あらすじ

「新実在論」の旗手、マルクス・ガブリエル氏は、本書の中でこう語っている。私の存在論は、ある意味両者(編集部注:西洋哲学と東洋哲学)の統合を目指しています。私の思想は14歳のときから東西双方の伝統に影響を受けてきました。両方が常に私の頭の中にあるのです。(中略)西洋思想と東洋思想の大きな違いは、西洋哲学が不変のものを探求している点だと思います。(中略)他方、日本人が問うのは、「変わらないものが存在するという幻想はなぜ生じるのか」です。東洋思想の立場からすると、西洋の形而上学は、初期からずっと幻想なのです。本書は、まさにマルクス・ガブリエル氏による「西洋哲学と東洋哲学の統合」の試みの一端を示したものになったといえる。我々(インタビュアーの大野和基氏と編集部)がガブリエル氏に、東洋哲学をテーマとしたインタビューを敢行した理由は二つある。一つは、ガブリエル氏が東洋哲学に大きな関心を抱いていること。ガブリエル氏は、3世紀の中国の思想家王弼が著した『老子』の注釈『老子注』をかなり熱心に読み込み、老子が無常を説いていることに重要な気づきを得たという。さらに、コロナ以降たびたび来日しており、日本の思想についても高い関心を寄せている。もう一つは、現代における東洋哲学の可能性である。現代は「入れ子構造の危機」の時代だ、とはガブリエル氏の言だが、一つの危機が別の危機に組み込まれ、拠って立つべき価値が見えづらくなっている時代において、「変わらないものが存在するという幻想はなぜ生じるのか」という問いを抱える東洋哲学の価値を、現代ドイツ哲学の第一人者が語ることには意義があるはずだ。幸いガブリエル氏に快諾していただき、実現したインタビューは、予想以上にエキサイティングなものであった。ガブリエル氏によると、ヒンドゥー教は「時間は幻である」と見なしている。また中国古典の『荘子』には、時空を越えた無限の宇宙に遊ぶ存在が登場する。仏教の「禅」には、座禅とは自我を消していくための訓練であるという捉え方があるが、ガブリエル氏はその志向に疑義を唱える。そして先ほど述べたように、東洋哲学は西洋の形而上学を「幻想」と見なしている。本書の議論により、西洋哲学に関心のある方も東洋哲学に関心のある方も、上記のような哲学の主要テーマについて、従来の枠組みを超えた捉え方を得られるのではないかと期待する。巻末には武蔵野大学ウェルビーイング学部客員教授である松本紹圭氏との対談を収録。

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Posted by ブクログ

著者の新実在論と東洋哲学の接点をインタビュー形式で語っていて、分かりやすい。西洋哲学はアイデンティティに関心を寄せ、東洋はその逆、流転に関心を寄せる、という比較、生物学的には、人間もほかの動物も植物も本質的に変わらない、という考察、日本らしい体制順応性が、かえって内面の自由を確保している側面があるというポジティブな観察は著者ならでは。

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2025年05月08日

Posted by ブクログ

注目を集める哲学者マルクス・ガブリエル氏との対談形式による、西洋哲学と東洋哲学の思考の往来は、難解ではあるが新たな気付きが散りばめられ、とても興味深く読み進めることが出来た。
墓場と高層ビル群の視点も面白い。

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2025年10月12日

Posted by ブクログ

哲学系の本の中では読みやすい方だと思う。日常的な言葉を使いながら話されている対談なので、新実在論や仏教思想、日本哲学について詳しくなくても面白く読める。

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2025年09月06日

Posted by ブクログ

知の好奇心を煽られた。
でもなかなか理解できないこともあり。
著者が語る新実在論。
脳が受信機であれば、同じ受信機ではない。
だから人それぞれ、少しずつ見ている番組が違う。
そして放送されている番組(=現実)は単一の番組ではない。つまり世界は存在しない。
「私たちは現実をあるがままに知ることはできるが、現実は一つではない。よって世界は存在しない。
その現実とは、さまざまな断片の集まりだから。
※つまり世界とは、ひとつに繋がっている物語でないといけないのに、断片的であるから、存在しない、ということ?
※確かに東洋哲学だと 断片 を重視している。つまり、過去と現在と未来につながりはない、と。
で、あればやはりニーチェの指摘のとおり、「仏教はニヒリズム」であり、そのニヒリズムからの脱却は難しいのでは?(それこそ超人以外は)
そして「世界は存在しない」のなら、なぜ著者は「もはやGDPを擁護する人はいない」といった経済学や「ウクライナへの戦争は、政治の問題ではなく宗教問題」などの国際情勢に首突っ込んで語るのか?
存在しえない世界を語っても、仕方ない、のでは?

でも一冊しか読んでいないし、私がよくわかっていないのだと思う。

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2025年08月01日

Posted by ブクログ

著書こそ出会ったことはなかったが、
若い天才的哲学者、マルクス・ガブリエルの名前は聞いたことがあったので、本屋さんで見かけて気になっていた。
しかも副題が、
「東洋哲学と新実在論との出会い」

新実在論の方は聞き馴染みがなかったが、東洋哲学については、ちょっと勉強したいぞ…とここ数年、ずっと思っているトピック。

今年は聖書読書会を通じて、聖書を開く時間が増えた。クリスチャンでもないし、ましてや新たなる信仰心から読もうと考えて通読を試みているわけでもないので、聖書について向き合う際には、ざっくり「東洋哲学や東洋思想とは別世界のもの」と思って読んできたんだが、ところどころ(私が知る限りなのでだいぶ怪しいが)仏教や道教の思想に通底する記述があったりして、その類似性を面白いなぁ…と興味深く感じていた。

なんだかんだ言って聖書は西洋哲学の基礎にあると考えているので、ガブリエルの述べる「私の存在論は、ある意味西洋哲学と東洋哲学の統合を目指しています」との言葉に、この辺の深掘りもできるのではないかと思って購入。

インタビューってもっとわかりやすくなるんだと思っていたよ!

いやぁ…めちゃくちゃ難しかったー。
でも面白いところもたくさんあった。

西洋哲学と東洋哲学との統合について、ではなく、純粋に東洋哲学についての内容が多かった。

タイトルにある通り、時間・自己・幻想について、仏教、中国思想、日本哲学を引きあいにだして語っている。

これは一度読んだだけではわからないな。何度も読み返してこそ気がつける、掴めるものがありそうな気がする。

そんな中でも私なりに引っかかったのが、85頁にある嫉妬についての記述。
人間が犯す多くの罪の中でも、「嫉妬」は何にも増して大罪であるという。

…そうかなぁ?
あんまり納得いかない。
私にとってのそれに当たる罪は、「傲慢」なのではないかしら、と思っている。
ただ、これについてはやはり個人の経験でそう思うところも大きいのかもしれないので、史上最年少でボン大学の教授になってしまうぐらいの天才はいろんな人から嫉妬されたりして苦しんだのかもしれないな、と邪推した。

東洋哲学と西洋哲学、どちらが優れているのか?どちら側に統合するのか?…という論点で読んでしまうと、結局のところ二元論的な安易なジャッジに落ち着いてしまうだろう。

東洋哲学の特徴的なところ、西洋哲学の特徴的なところ、合わせながら、都度グラデーションで判断したり、保留するのが妥当なのかな、と思う。

それから読み終わって印象的だったのは、巻末対談で松本紹圭さんが、
僧侶の仕事である葬儀について語る部分。
僧侶の仕事である葬儀が、一見過去を弔っているように見えて、
実は「よき先祖でいる」ことによって未来に開かれている、という話。
…なるほどなぁ。

またこの対談の最後の方、
動物とはなにか、という動物の定義から植物も動物であるという話。

生命のあるもの、有機物の話からなんとなく、バラモン教のいう無から有の話にも繋がりそうで、はたまた聖書の「塵から人へ」も、道教の「無為自然」も、
全部がつながっているような気がして、
ただそこがどんなふうにどう繋がるかは勉強不足で感覚的なので、備忘録程度にここに書き記しときます笑

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2025年10月30日

Posted by ブクログ

本書は時間・自己・幻想という3つのテーマを置いて、「新実在論」を唱えるドイツの天災哲学者、マルクス・ガブリエル氏と作家で国際ジャーナリストの大野和基氏の対談形式から生まれた書籍である。哲学という響きからは理解が難しく、近寄り難い雰囲気が漂ってくるが、ガブリエル氏の様々な出来事や事例を挙げて明快な解答をしていく内容はわかりやすく、読みやすいものとなっている。とは言えベースは哲学であるから、ある程度頭をクリアにした状態(特に起きたばかり、朝の時間帯)で読む事を勧める。
今回はその様なガブリエル氏の主張の中に西洋哲学だけではなく、「東洋哲学」が深く影響している点を詳しく説明している。とは言っても東洋的な考え方が、まるでそのまま同氏の考え方に一致するというわけではなく、東洋思想に見られる考え方や、行動(修行や坐禅、掃除から祭事まで)について、自分なりの解釈を加え、より深い位置で理解しようとする同氏の試みの成果である事を理解できる1冊だ。西洋哲学が「物事の不変的な真理」を追求して、これ以上細分化できない本質まで分解していくのに対して、東洋的な考え方には、常に変わらないものなどこの世には無く、「変わらないものがあるという幻想」とみなしている点。一見すると相容れない思考の方向性に見えるかもしれない。だが、仏教が全ての欲望を捨て無我の境地に至るため、静かに座禅を組んだりする事自体、「無」を欲するという欲求がそこには見られると喝破する。仏教は知的活動に不可欠な「大脳新皮質」の機能を低下させる事を目的とするが、ガブリエル氏はこの大脳新皮質を最大限活性化させることこそ、我々人間の新たな知的好奇心による幸福に結び付けられると言う。前者が意識レベルを極限まで押さえつける事で、身体的な機能を融合させることが可能であると解くのに対して、後者(ガブリエル氏の考え方)はいずれも高次のレベルで最大限発揮させようとするものである。とは言え、ガブリエル氏自身が自身の最大の発見とする「新実在論」は仕事に忙殺され、鬱状態にあった時期の湯船に浸かっている際に思いついたという話もあり、いかにも脳が疲弊し、それを回復させることが必要な状態=リラックスと思考が無に近い状態、に感じられるのも不思議なエピソードであった。中々こうしたガブリエル氏との会話の中から、今日明日すぐにでも使えるスキルや考え方が身につくわけでは無いが、要するにこうした書籍を読みながら、頭を使うという行為自体が大切なのでは無いかと感じさせる。そして、そうした考え方に至るまでのプロセスは常に自分の頭の中の「知りたい」という好奇心と、知ろうとする「意思」が生み出しているわけだから、だから私はこうして存在している、という事に気付くのである。

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2025年05月25日

Posted by ブクログ

今をときめくマルクス・ガブリエル氏の新著ということで購入。対談方式のため、氏のこれまでの本の中では読みやすいのだろうと思うが、まだまだ自分には氏が考える「新・実在論」を理解しきれていない。
それでも、本書を通じて、分析に重きを置く西洋思想、心身の統合を重んじる東洋思想、それを融合させた思想を、これからの人間は考えていかなければならないということはぼんやり理解できた。特に、「瞑想」が大脳皮質の活動をむしろ低下させて、心身の働きを活性化させる点が東洋の伝統的な宗教の特徴という指摘は面白かった。

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2025年05月07日

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