浅倉久志のレビュー一覧
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内容はテンコ盛りだが、あまり記憶に残っていないのは、ヴォネガットに独特の奇想天外な展開がないせいではないか。
サマセット・モームがたしか「要約するとの」の中でプロット(物語の筋立て)の重要性を説いていて、フローベールの「感情教育」はすぐれた作品だけれども、それがないのでひどく読みにくいと言っていた。スティーブン・キングも「スタンド」の前書きで、「ヘンゼルとグレーテル」を例に挙げてその重要性を語っていた。
この作品では、米国の現状を告発する個々のエピソードが積み重ねられていて、それはそれでウィットに富んでいて面白く読めるものの、これまでの目のくらむような展開がなくなった分、読後の印象がモヤつつまれた漠然としたものになってしまったのではないか。
料理のレシピにも興味が湧かないし……。 -
Posted by ブクログ
初ヴォネガット。何だろうこのとっ散らかった文章は(困惑)ストーリーがあるにはあるが、途中で関係のあるような無いような話が様々な角度(しかも急角度)から入り込んでくる。当時のアメリカへ対する皮肉や批判をたっぷり込めた物語だ。終いには著者自身が登場して「私は創造主だ」と主人公と絡む始末。心に残った言葉は「ほかの作家たちには、混沌の中に秩序を持ちこませておけ。わたしは逆に、秩序の中へ混沌を持ちこもう。」頻繁に挿し込まれている著者の描いた挿絵はなかなか味があっていい。いずれにしても、私には早かったようだ。ちょっとどこかに本作の解説がないか探してみよう。
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Posted by ブクログ
なんともけったいな物語。以前「チャンピオンたちの朝食」を読んだときにも同じような印象を受けた記憶がある。高橋源一郎「さよならギャングたち」と同じ(というか高橋がパクったんだろうけど)なんだけど、「さよなら〜」ほど詩的なわけではないなあ。一応ストーリーはあるんだけど、それよりも即興的な文章を味わうべき小説なんだろう。その意味では翻訳で読んでもダメなのかもしれない。訳者あとがきで紹介されていた書評でもそのあたりについて書かれている。以下抜粋。
「ヴォネガットは、カウント・ベイシーがピアノの名人であるのと同じ意味で、文章の名人である−−どちらのスタイルも、簡潔で、おどけていて、リズミカルだ。そのために、多くの人びとは、この二人を平凡であると思う。だが、その真似ができると思うならやってみたまえ−−できはしない」(ネーション誌)
「『デッドアイ・ディック』のすばらしさは、その文章、その音、その匂い、その色彩、その飛躍にある。ヴァネガットはジャズの即興演奏家に似ている。自分ではどこへ行きつくかを知らずに、神秘的なタイミングの感覚で話を進めていく。いびきのように偉大なセンテンスをかき、くしゃみのように最高の隠喩を連発する。ときにはホットに、ときにはクールに、だが、つねにメロディックで、その文章の中から風変わりなイメージの小鳥をつぎつぎに羽ばたかせる。それをホワイト・ファンクと名づけよう。」(ナショナル・レビュー誌)
なによりも驚いたのは、
「トゥー・ビー・イズ・トゥー・ドゥー」−−ソクラテス
「トゥー・ドゥー・イズ・トゥー・ビー」−−ジャン・ポール・サルトル
「ドゥー・ビー・ドゥー・ビー・ドゥー」−−フランク・シナトラ
という落書きが最後の方にでてきたこと。これはリュック・ベッソン「SUBWAY」の冒頭で出てきたフレーズ。うまいなあと思っていたが、まさかこんなところに元ネタ?があったとは。 -
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著者覚え書きで「この小説には何の教訓もない」とある。確かに教訓は無いかもしれない。ただし、麻薬に対する強烈な批判と恐怖を語っている。教訓は小説から得るものではない。読者がどのような教訓を語れるかが本書を読み解くキーになるのかもしれない。本書は普通に読むと、よくあるドラッグ系の小説だ。麻薬でハイになったやつが大暴れするような。読むべきは最後の方でブルースが置かれる立場だ。私は、麻薬だけが悪いのではなく、麻薬の悪用を存在させる社会の仕組みが存在することが悪なのだと解釈した。もちろん、これはひとつの解釈に過ぎず、読者がそれぞれ感じるものは異なるだろう。描写は鮮明ながら、読者に与えるものは形を変えて届けられる。救いたいけど救えない世界だった。
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舞台は第三次世界大戦後のアメリカ。大半の人々はテクノロジーに仕事を奪われ、少数のengineers & managersが富を得る形へと変わっていっていた。そんな物語の主人公は、東海岸に位置する架空の都市、Iliumの大企業Ilium Worksのマネージャー、 Paul Proteus。妻、Anitaと何1つ不自由のない暮らしを送っていた。しかし橋を渡ればそこに住むのは仕事もなく、社会から見放された大勢の人々。明らかな格差と人間の存在意義を問う姿勢が皮肉にも今の世界と通用する。
Vonnegutのデビュー作でもあり、のちの作品の原点とも言える。物語は定番のディストピアを題材としていて割と単調。しかし共感できる部分はたくさんある。SF好きには読んで欲しい一冊。 -
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浅倉久志訳による新装版「スキャナー・ダークリー」(旧訳「暗闇のスキャナー」)は、著者自身の実体験を踏まえた物語。テーマは、麻薬。
カリフォルニアのオレンジ郡保安官事務所麻薬課の捜査官フレッドは、上司からも自身の姿を隠す「おとり捜査官」である。彼の真の姿は、なんと麻薬中毒者ボブ・アークター。木乃伊取りが木乃伊になるそんな世界で、与えられた新たな任務は「麻薬密売人のボブ・アークターを監視すること」。自分自身を捜査対象にする彼は、麻薬中毒の深刻化も相まってしまい…
「わたしはドラッグの危険性を訴える福音を説こうと誓った」とは、訳者あとがきで引用される著者の言葉。麻薬中毒の経験があり、その目で幾人もの友人(=麻薬中毒者)の死や破壊を目の当たりにした彼だからこそ響く重い言葉ですが、本書で麻薬中毒の恐ろしさを知る…ほど無教養ではなく、麻薬の恐ろしさは既にありとあらゆる媒体を通じて理解しているところ。ただ、だからといって、何にも感じなかったのかというと、もちろんそうではありません。
主人公アークターは、自分自身を監視する過程において、ある時点ではっきりと「おかしく」なってしまいます。正直、この瞬間に「あぁぁ…」と嘆いてしまいました。それ以降は、凋落の一途を辿るばかり。物語は終盤、アークターが廃人として施設に収容されてしまう姿をみると、ただただ空しい感情にとらわれます。そんな感情は、物語に出てくる言葉の節々で感じるところ。
「黄金時代。そこでは知恵と正義がおなじものだった。すべてが砕けて、鋭い破片になる前のことだ。もう二度と組み合わせることができず、いくら努力しても二度ともとどおりにならない破片の山になる前のことだ。」
「想像してみてよ。意識はあるけど、生きてないってことを。見ることもできるし、知ることもできるけど、生きてない。ただ、外を見てるだけ。認識はしても、生きてない。(中略)もうすでにそれは死んでて、ただいつまでもじっと見てるだけ。見ることをやめられない」
著者は、また、あとがきでこのようにも述べています。
「麻薬乱用は病気ではなく、ひとつの決断だ。(中略)おおぜいの人間がそれをはじめた場合、それはあるひとつの社会的な誤り、あるひとつのライフ・スタイルになる。この特殊なライフ・スタイルのモットーは、『いますぐ幸福をつかめ、明日には死ぬんだから』というものだ。しかし、死の過程はほとんどすぐにはじまり、幸福はただの記憶でしかない。」
引用が多く、長くなりましたが、何を思ったかというと、ただ単に空しい感情が襲ったということだけ。でもこの空しさこそが著者が訴えたいひとつのパーツではないでしょうか。
ちなみに著者特有の陰謀論っぽさは、相変わらず健在です(笑)