久しぶりに読むヴォネガット。
だんだんどういう話か分かってきて、後半になるにつれおもしろくなっていく。
ざっくりいうと、「アメリカの超金持ちが、金関係なく他者を愛そうと試みる話」。コメディだけど、すごく悲しみも感じる物語だ。
主人公のエリオット・ローズウォーターは、ローズウォーター一族の資産を管理する財団の代表に就任し、とても使いきれないほどの大金を手にする。彼が何もしなくても金は増えていく。
戦争を経験したエリオットは、ある出来事をきっかけに「キじるし」になってしまったといわれている。敵兵たちが潜んでいる工場を見つけ、先頭を切って手榴弾を投げ込み、煙の中で数人を仕留めた。しかしそれは、ただの民間人だった。消防団が使っている施設だったのだ。
あるときエリオットは、SF作家たちの会合に乱入し、一説宣う。君たちこそが良心だ、こんなくだらないことを考え続けているんだから。
そして、そこにキルゴア・トラウトの姿がないことを残念がる。トラウトは、ヴォネガット作品に頻出する架空のSF作家である。どうもこの作品が初出らしい。本作内でトラウトの小説のタイトルとあらすじが複数紹介されることになるが、そのどれもが、ナンセンスで珍妙なディストピアSFだ。
エリオットは、自分の故郷であるローズウォーター群引越し、自分の事務所を開き、さらに消防団に入る。そこで電話を引き、地域の人々の相談に乗るのだ。もちろん消防団員としての活動もこなす。そして町の役立たずたちのどうしようもない話に耳を傾け、時に金を渡し、彼らの力となる。あるとき、ひとりの男が電話をかけてきた。彼は、金がなく、幸せなことも何もなく、人生に絶望しており、エリオットに罵声を浴びせる。エリオットは「1万ドルくれと言ってみろ」と言い、男がそのようにいうと、「くたばれ。1000ドルくれと言ってみろ」、男がそのようにいうと、「くたばれ、100ドルくれと言ってみろ」。さらに男がそのようにいうと、「やっとまともになってきたな。うちに来ないか?話をしよう」。
エリオットというのは、こういう感じだ。金も使うが、すべてを金で解決しようと思っていない。ただ、話を聞いてやることこそが必要と感じているのだ。
エリオットの父親や、財団の顧問弁護士たちは、エリオットの行いは気が狂った無意味で馬鹿げたものだと断ずる。何も労せず手に入れた使いきれないほどの大金があるなら、それに罪悪感を感じて困っている人のために使うのではなく、ただその幸運を喜ぶべきだと。
ローズウォーター財団のトップに就任するのは、ローズウォーターの血を引くものたちだ。そして、その者が狂人でないことが条件であると、明記されている。
財団の顧問弁護士を務める会社の、ムシャリという若い男が、そこに目をつけた。エリオットが狂人であることを立証し、ローズウォーターの遠縁の子男に相続させ、そのかすりを得ようと。
いずれエリオットが亡くなった際に、次にトップに就任する者に宛てて、エリオットは文章をしたためていた。ムシャリがそれを覗き見るのだが、その文章が泣ける。ローズウォーター一族がどのような歴史を経て大金持ちの一族となり、それを私が受け取り、そしてどれほどの夢想家であるかをユーモアたっぷりに書いているものだ。
その文章は、この一文で締めくくられる。
"親切であれ。芸術と科学は無視してもいい。どちらもだれのためにもならないからだ。それより、貧しい人びとの真剣で親身な友人になりたまえ。"