浅倉久志のレビュー一覧
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ネタバレ機械が高度に発達し、コンピュータEPICACによりIQと適性を認められた極小数の管理者と技術者が支配する未来のアメリカ。大多数の人間は職を失い、自尊心をも失いかけていた。
第三次世界大戦中に人手不足のため機械への依存が高まると、機械は飛躍的に進歩し、EPICACと呼ばれるコンピュータにより全てが決定されることとなった。この組織を作り、発展させたジョージ・プロテュース博士の息子、ポール・プロテュース博士は高い地位にあったが、このような世界を徐々に疑問に感じ始めた。ポールより出世が早かったがその地位を投げ打った旧友フィナティー、夫を出世させることにしか頭に無く、何事に関しても口出しする妻のアニータ、人生のすべてを競争だととらえ行動する部下のシェパード、そして、彼らとは別視点から、この機械に支配された世界を眺めるブラトプールの国王(シャー)と通訳のハシュドラール・ミアズマと合衆国国務省のハリヤード博士。
ポールは会社をやめ、妻のアニータと共に農業を営んで暮らすことを決意した。しかし、アニータ猛反対した。ポールはアニータと別居したあと、フィナティーが参加する幽霊シャツ党と呼ばれる機械の支配を脱し、人間の尊厳を恢復するための革命の盟主に祭り上げられた。しかし、この革命は失敗し、幽霊シャツ党の幹部が警察へ出頭するところで終わる。 -
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(一部の?)アメリカ人が「自由」というものを
どう捉えているのかの一端を知る。
本当に自由というのは誰かの庇護のもとにはなく
自分の裁量で最良をえらぶのかという信念を。
なんの実用性もない動物にもかかわらず
人類のパートナーとして2度猫を選ぶところは
自由の意味を表す象徴か。(愛玩動物だけど)
そして、人間のしぶとさを絡めて、
飼いならされた人間には、そういう信念が
時にどれほど鬱陶しく、時に妥協や甘受を
できない人のガムシャラさが愚直に感じるかを。
それから、ちょっと「常識」を別の角度からみたら
どんなに突っ込みどころがあるかも。
核戦争をシェルターでしのいだ一家が
荒野でサバイバルかと思いきや
あんな世界で文明生活をするためのサバイバル、
そして悲劇の先に現れる、サバイバルを脱する
ラッキーな世界。しかし、そこで待ち受ける
自由への闘争と逃走。
日本人は最後まで読んでようやく現代の意味を
感じ取るだろうが、ネイティブには出落に
ならないのかな? -
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一読しての感想は、「非常に純度の高いSF」。
先に誤解のないように申し述べておきますと、「SFとしての純度の高さ」と、「物語としての完成度」は別物です。この短編集の「物語としての完成度」はお世辞にも高いとは言えず、状況説明だけで何のオチもなかったり、自説を滔々と述べるだけの尻切れトンボで終わったりと、普通の面白さを期待して読むと肩すかしを食う類いの作品だと思います。
そんな振り切れっぷりの高い作品群を、「面白い」と思えるかどうかがSF者の試金石。この場合の「面白さ」とは、「楽しさ」ではなく「興味深さ」です。
似たような作風のSF作家にA・E・ヴァン・ヴォークトが挙げられますが、不思議とヴォークトの作品は「面白い」と思えないんですよねー。両者の違いは、話のネタとなるアイディアのぶっ飛びぶりではないかと。著しく読む人を選びますが、鴨的にはこの短編集、おススメです。 -
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序盤、エリオット・ローズウォーターがなぜこのような慈善の人になったのか、また彼を取り巻く貧しく不運な多くの人々の描写などが、まるで演劇の舞台を基礎から創っていくかのように細かく丁寧に描写される。この状況説明を読みこむのに時間がかかり、「この作品はタイタンの妖女みたいに自分には向いていないのか?」と思いきや、中盤から愛すべきエリオットという人が掴めるようになる(それまでの丁寧な描写がここで効いてくる!)と、どんどん面白くなっていき、最後高みに飛び立って、ストンと終わる。
でも。
私にはエリオットのような人間愛はきっと寂しく思えてしまうだろう。彼の妻が、彼を愛していても寂しかったように。彼の父が、常に息子に裏切られ憎まれていると思ってしまうように。彼に助けられたはずの人々が、彼にいつか捨てられると思い込んでいるように。
最後エリオットは晴れ晴れとしたはずだ。エリオットが幸せなら、ハッピーエンドじゃないか。なのにもやもやとしたある種の寂しさを感じてしまうのは、私が俗物だからなのかもしれない。 -
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ヴォネガットの小説はいつも話の筋になかなか掴みどころがない。
そしてこの作品は今までにましてストーリーが掴めなかった。
読んでいて、いるのかいないのかも分からない透明のウナギを捕まえろ!と命令されている気分。
狂った登場人物たちによる、でたらめな事実が箇条書きで続いていく。
訳者のあとがきによると、“ヴォネガットが書いた最も直接的なアメリカ批判の書”なのだという。
確かにその通りで、“ヴォネガットらしい”宇宙を感じさせられる途方もない視点から見たアメリカという国を、
かなり痛烈な言葉で批判したり皮肉っている文章が多く目に付いた。
例えば、コロンブスがアメリカ大陸を発見した“1492年”について…
“先生たちはこの国にこの大陸が発見された、と子供たちに教える。ところが、1492年のこの大陸には、すでに何百人もの人間が、充実した、想像力豊かな生活を送っていたのだ。この年は、海賊たちが、その人間たちをだましたり、略奪したり、殺したりしはじめた年でしかない。”(p26)
僕はヴォネガットのこういった、国や地球から飛び出したような、俯瞰的な視点から皮肉った文章が好きだ。
読んでいる自分も一緒に異空間に連れて行ってくれる。見たことのない景色を見せてくれる。自分が宇宙人であるような気分すら味わえる。
他にも、黒人奴隷問題やベトナム戦争についても、ブラックユーモアを交えて書いてある。
そんなヴォネガットの伝えたいエネルギーは凄く感じられるのだけれど、いかんせんストーリーが意味不明。
ついには語り手である作者自身も、創造主として小説の中に登場して、もはや『ソフィーの世界』的混乱状態。
“なにがアメリカをこんなに危険で不幸な国、実生活でなにもすることのない人びとの集まった国にしているのか、いったんそれを理解したとき、わたしはストーリーテリングを避けようと決心した。人生について書こう。どの人物にも、ほかの人物とまったくおなじ重要性を与えよう。どの事実にもおなじ重みを持たせよう。なに一つなおざりにはすまい。ほかの作家たちには、混沌の中に秩序を持ちこませておけ。わたしは逆に、秩序の中へ混沌を持ちこもう。自分ではそうしたと思う。”(p264)
こんな弁解めいた文章もあって、でもこの一節がこの作品をよく表してる。
ヴォネガットの小説はどの登場人物も狂おしく、愛らしく描かれているのだ。
なんじゃこりゃとしか言えないのは、まだ僕の読書経験、ヴォネガット経験の不足が致すところでもある。
しかし、頻繁にはさまれる作者自身によるヘタウマな挿絵も一役買っているし、
キルゴア・トラウトやローズウォーターといったほかの作品でなじみのある登場人物も出てくるし、
他の作品も含めて何度か読めばヴォネガットの世界がより楽しめると思う。
作中に出てくるトラウトの『いまこそ話そう』という架空の小説の、
自分だけが自由意志を持っていて、他のみんなはなにも感じない機械だ(p317~)という表現は、
現代社会の人間関係を言い当てているようで面白いけれど、怖さも感じる。
ひと言じゃ言い表すことができない
“その他いろいろ”
そこに人生の実質があるのかなぁ?
今まで読んだなかで良くも悪くもいちばんデタラメな小説だと思う。
日本語では際どい(てかアウト!?な)ワードも多いので、原文で読んだほうが楽しめるかも。 -
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ネタバレ第二次世界大戦で枢軸国側が勝利した世界に生きる人々の群像劇。
北米は3つに分断され、日本支配地域、ドイツ支配地域、中立地域となっている。
ドイツは水面下で、日本を破壊して世界を征服しようと画策している。(タンポポ作戦)その矢先にボルマン首相が死去。タンポポ作戦の賛成派であるゲッペルスが次の首相として有力視されている。一方、タンポポ作戦反対派のハイドリヒが盛り返しているという話もある。小説で描かれているのはこの辺までで、その後どうなるのかは分からない。
ホーソーン・アベンゼンが書いた「イナゴ身重く横たわる」という歴史改変小説が流行している。この本では(現実の歴史とは詳細が異なるが)連合国が勝利したことになっている。
登場人物の多くが易を行い、自らの行動を決定する。
設定はあくまで設定で、その中での複数の登場人物の行動がそれぞれ独立して描かれているのが面白い。各登場人物の行動は絶妙に交錯している。
ジュリアナの最後の結論「ドイツと日本が負けたのが事実」というのと、田上が見た幻覚がよく分からない。架空の登場人物が動く世界(高い城の男)が虚構で、ジュリアナと田上は現実(高い城の男の読者がいる世界)を一瞬垣間見たということなのか。 -
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もしも完全に利他的な人間が、働かなくてもお金の手にはいるような大金持ちだったら?
これはヴォネガットのいつものユーモアと皮肉と笑いをまじえて大金持ち、エリオット・ローズウォーターの生き方を描いた小説。
エリオットの周囲にいる人間たちを同じ人間とも思わないような俗物らしいエリオットの父親は、誰をもを愛していると言っているエリオットに対し、特定の人間を特定の理由で愛する自分たちのような人間は、新しい言葉を見つけなければいけないと嘆く。
エリオットが「役立たずの人間」に奉仕するときの「愛」とはどんなものなのか?
住民たちのもとを離れ、もう戻りたくないと思いながらも、まだ見もしらぬ子どもたちのためにお金を与えるのはどうしてか?
助けてきた住民の名前も忘れてしまうエリオット。彼が愛するというとき、それは目の前の個人ではなく、人間という存在そのもの。特別な存在として自分を見てくれないエリオットを、他の人間は愛せないように思う。愛するにしてもそれは神への愛みたいなものか。
二つの愛という概念は、宗教をもっている人間ならわかるのかな? -
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フィリップ・K・ディックは、麻薬をテーマに扱った作品が多いけれど、この作品はその代表作。
「麻薬でトリップ→ひどい悪夢→やっと目が覚める→と思ったらまだ悪夢の中」という恐怖を、しつこいほどに描いています。人間の意識なんてあやふやなものだと思わされます。
麻薬による、人びとのそれぞれの夢の中に普遍的な神として君臨するパーマー・エルドリッチ。人間が己の瑣末な意識から逃れられない存在なら、神はその幻想さえ支配すれば神たり得るのかもしれません。
途中まで、主人公をバーニー・メイヤスンだと思っていました。公式の主人公はレオ・ビュレロなんですね。
タイトルは良いですね。美しいです。同じ作者の「流れよわが涙、と警官は言った」にも陶器の壺をつくる職業の女性が登場しますが、作者は陶芸する女性が好みなのかな。