あらすじ
ある日突然どういうわけか地球の重力が強くなり、そこへまた緑死病なる奇病まで発生して世界は無秩序、大混乱! アメリカ合衆国もいまや群雄割拠、ミシガン国王やオクラホマ公爵が勝手放題をしている始末。ジャングルと化したマンハッタンの廃墟では、史上最後の合衆国大統領が手記を書きつづる--愚かしくもけなげな人間たちが演ずるドタバタ喜劇、スラップスティックの顛末を……涙と笑いとハイホーに満ちた傑作長篇
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Posted by ブクログ
狂気や暴力を描いた前作とは打って変わって、落ち着いた作品になっている。相変わらずまえがきが素晴らしく、設定は少しSF風味。物語は題名ほどのドタバタ劇ではないが、その意味は読めばわかる。作者は奇形児でもなければ大統領でもないはずだが、どのあたりが自伝要素だったのだろう。ヴォネガットの中ではかなり好きな作品で、特に双子のキャラクターが良かった。決して明るい話ではないが、なんとも言えない著者の優しさが伝わってくる良作。
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考えずに読むと面白く、考えて読むと更に考えさせられて面白い作品。
シリアスな笑いとも呼ぶべき、糞真面目さとユーモアや皮肉が奇跡的に融合した文体は翻訳者に依る部分もあるかもしれないが、同氏の他作品にも興味がわいてきた。
ハイホー。
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SFというより昔話、民話の趣がある一冊。素晴らしかったです。色々なものが抽象化されて詰め込まれている気がする。特にお姉さんのくだり。
それにしても本の数十年前にはアメリカにもこんなに自由な思想があったのだ。アイロニックに見えて、今の視点から見ると逆にポジティブで牧歌的。
「(略)あなた方がもし諍いを起こしたときは、おたがいにこういってほしい。「どうか--愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」」
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スローターハウス5以前の作品の方が好きなんですが、これは良かった!
優しい雰囲気に包まれた小説です
色んな場面が本当に秀逸
卒業記念パーティでの姉との再会シーンが素敵すぎる
前作のチャンピオン達の朝食は陰鬱とした雰囲気でしたが、こちらはほのぼのとしてます
ま、世界がほぼ終わる話なんですがね
Posted by ブクログ
副題は「または、もう孤独じゃない!」。ヴォネガット1976年の作品。
ここでのテーマは拡大家族。そう、ヴォネガットが生涯テーマにした「拡大家族計画」だ。
「スラップスティック」は、設定も展開も登場人物も、なにもかもがハチャメチャで奇想天外。
特に、主役のスウェイン医師と姉のイライザとの「お祭り騒ぎ」のくだりは爽快そのものだ。
この爽快感がヴォネガットらしさなんだなぁ。
テーマ的としては、「猫のゆりかご」でヴォネガットが提唱したボコノン教をうんと推し進め、
現実的にしたもののように感じた。
人びとをカラースで分類した代わりに、「スラップスティック」ではミドルネームを政府が発行し、
無数のいとこ兄弟姉妹を提案した。
アイス・ナインで人類が瀕死のふちに立たされる代わりに、重力の激しい変動を用意した。
SF的な要素が濃いながらも、「タイタンの妖女」のようなやりきれなさは感じなかったし、
「猫のゆりかご」のように突き放した絶望感も感じなかった。
ただ訪れるものを受け入れつつ、人々が変容していくことにも動じず、
淡々と生きてゆく数少ない登場人物のありようは、ヴォネガット文学を貫く普遍的なテーマに則っている。
この作品は、設定の奇想天外さにおいても、
根底に流れるテーマの普遍性においても、ヴォネガットらしさがバランスよく含まれている。秀作。
なお、訳者あとがきでは、拡大家族のヒント、星座占いがなぜこうまでも受け入れられているかについて
ヴォネガットが語ったコトバが引用されていたが、
この作品を理解するうえでとても大きな助けとなった。うーん、さすがだ。
Posted by ブクログ
スラップスティック=ドタバタ喜劇。
世界観がとても好み。
中国に対する見方がヴォネガットが生きていた時代と今とリンクするところがあって、興味深かった。
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「チャンピオンたちの朝食」(1973)の次に発表された作品。
この作品から、ジュニアが取れて、カート・ヴォネガット名義で発表される。
「タイタンの妖女」(1959)、「母なる夜」(1961)、「猫のゆりかご」(1963)、そして代表作「スローターハウス5」(1969)に比べると、ややパワーダウンが感じられるが、それでもヴォネガットはヴォネガットだ。
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魅力のありかがどうにも分からない。分からないのだけど琴線に触れるなにかがある。そんな気持ちがしています。
無人島にもっていくとしたら? というときに上位に入ってしまうかも知れない一冊です。
傑作! だとか絶対におすすめ! などとはなかなか言えそうにないけれど。
フィクションとリアリティのバランスがよくて、シリアスとチャーミングも同じ場面に併存しています。
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世界が終わり破壊されたあとにでも、人は家族として支えあいあるいは憎み合ったり離れたり、つまりは身内として生き、自分の血を新しい生命に託そうとする。末尾を締めくくるメロディの物語が示すように、たとえ世界が滅びてもその先にやはり希望はあるのだ
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主人公の波瀾万丈の人生を綴った手記。たとえ悲劇であってもそうとは感じさせない文章は、ヴォネガットらしくて読んでて心地よかった。
泣き笑いの人生、人の繋がりっていいなと思える作品だった。
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ヴォネガットの作品中でもこれが一番好きっていう人は、多いのか少ないのか。どうなんだろう。
わたしが思うのは、ヴォネガットの愛情深くセンチメンタルな一面がもっとも強く(あるいはもっともストレートに)出ている作品なんじゃないかなということです。
ストレートって言っても、まあ本当の意味でストレートじゃ当然ないのですが、自分の心には直球で届いた言葉がいくつもあった。
読んでいて、線を引きたい!って思う気持ちに何度かなった。これまでほとんどそういうことはなかったのだけど・・・
手元に本がないので、はっきりと引用できないけど、
勉強にしろスポーツにしろ、才能を周囲から認められている地方在住の少年少女は故郷から出るな、そうしている限り幸せでいられる
…というような趣旨の一文があって、なんかもう深くうなずいたものです。
才能ということについて、あれこれ考えていた時期だったので。
買わなきゃいけない、何度も読み返さなきゃいけない本です。
Posted by ブクログ
・愛をちょっぴり少なめに、
ありふれた親切をちょっぴり多めに。
・愛してるよ、のことばは、
人に、本心じゃないことを言わせる仕掛け。
・歴史にできるのは、われわれを次の驚きに対して準備させることだけである。
拡大家族に対する、彼の論文のよう。
血液型でも、星座でも、くだらないミドルネームでも。
同じものをもつだけで、親しみがわく。
孤独じゃなくなる。
どんなわかりあえないひとでも、なにか共通点を見つけること。
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初ボネガット。
さすがアーヴィングのお師匠様。
奇妙奇天烈、悲喜こもごもな人生譚。
ニヤリとさせられる場面がしばしば。
名字、同じ人は拡大家族かーそうかー。
Posted by ブクログ
廃墟と化したNY。最後の奇形大統領が述懐するこの世の終わりと自伝。ヴォネガッド一流の省略と分割、累積で物語が綴られる。あっけないほど空虚で、乾いたユーモアがそこかしこにばら撒かれ、断片と変人のエピソードの重層に惹かれ、なんとなく最後まで読んでしまう。プロローグのリアルなぼやきから物語へ滑り込むあたり、何も考えて無さそうだが、細かい計算づくだろうか。最後もあまりに唐突。しかも物語の続きを匂わせる。自伝は長い時間の一片であり、さらに別の視点で先へ続くと示すがごとく。舞台仕立ては瑣末なこと。拡大家族システムこそがテーマか。孤独じゃない。ハイホー。