フィリップ・K・ディックのレビュー一覧
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ネタバレ“彼はめざめた——そして火星を恋い、その峡谷を想った。一歩一歩、足を踏みしめてその谷間を歩くのは、どんな気分のものだろう。意識がはっきりしてくるにつれ、しだいしだいに大きくその夢はふくれあがっていった。その夢、その憧憬。自分をとりかこんでいるその世界の存在さえ、実感できるような心地がした。(『トータル・リコール』より、p.9)”
ハマっていると言うほどでもないが、ここ数ヶ月ディックをよく読んでいる気がする。短編集初収録の3篇を含む、全10篇を収録。
表題作『トータル・リコール』が良かった。火星に行くことに憧れる会社員クウェールは、ある日リコール社を訪れる。夢が到底叶いそうにないことを悟り、それならばと偽の記憶を植え付けてもらうつもりだったのだが・・・。若干バカSFっぽい、とても愉快な作品だった。「現実と非現実」というディックが好むテーマも見える。
トータル・リコール/出口はどこかへの入口/地球防衛軍/訪問者/世界をわが手に/ミスター・スペースシップ/非O/フード・メーカー/吊されたよそ者/マイノリティ・リポート -
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ネタバレフィリップ・K・ディックを読むのはこの本がはじめて。ディックと言えば『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の思弁系SFのイメージがあったけれど、この短編集には、軽いユーモアSFや超能力を題材とした正統派のSFが主に収められている。『パーキー・パットの日々』と表題作『変数人間』が印象に残った。
『パーキー・パットの日々』
“父親がつぶやいた。「あのオークランドの連中。あのゲーム、あの特別な人形、それがあの連中になにかを教えたんだよ。コニーは成長しなくちゃならない。それで、あの連中も彼女と一緒に成長するしかなくなったんだ。ピノールのまぐれものは、そのことをまなばなかった。パーキー・パットからは。これからも、まなべるかどうかはわからない。パットも、コニーとおなじように成長しなくちゃいけないんだ。コニーも、前にはパーキー・パットとおなじようだったようにちがいないよ。ずっと前には」
父親のいっていることに興味がないー人形だの、人形を使ったゲームなんかのどこがおもしろいんだろう? ティモシーはさっさと駆け出し、目をこらして、なにが行く手に待っているかをのぞいた。自分と、母親と父親、そして、リーガンさんを待っている、たくさんの機会と可能性を。(p.59)”
核戦争後の荒廃した地球で、火星人から与えられる物資を頼りに各地の地下シェルターで暮らす人々。大人たちが興じているのは「パーキー・パット」という名の人形を使った奇妙な遊戯で、彼女に手作りの小物を与え、架空の人生を送らせることでかつての豊かな日々を懐かしんでいた。そんな中、隣のシェルターには「コニー・コンパニオン」人形があることを知り、興味を持った彼らは…
少し前までは他でもない自分たちのものだった、たくさんの物に溢れ平和な人生を、人形に託すことで心の支えとする中年たち。
”ノーマン・シャインは自分のLPコレクションを覚えている。以前は、パーキー・パットのボーイフレンドのレナードとおなじように、高級な服を持っていた。(略)あのころのわれわれは、いまのパットとレナードのような暮らしをしていたんだ。(p.23)“
彼らの姿には同情と哀れみを覚えるが、手作りの人形に対するそのあまりの執着には、恐怖と同時に滑稽さも感じる。非常に味わい深い作品。
『変数人間』
“「これはーこれは変数なんです」カプランは身ぶるいしていた。唇は血の気がなく、顔は蒼白だった。「そこからどんな推論も引き出せないデータなんです。過去からきた男。コンピュータは彼を処理することができません。変数人間を!」(p.380)”
西暦二一二八年。地球は、太陽系を包囲するケンタウルス帝国と緊張状態にあった。彼我の勢力差を逆転させることを期待された、地球軍の新兵器イカロス。その完成する直前、過去からやってきた男トマス・コールが唯一の不確定要素となり、コンピュータは開戦後の趨勢を計算できなくなってしまった。公安長官エリック・ラインハートは、彼を排除せんと執拗に追いかけるが…
人類が宇宙に進出した未来を舞台にした、大スケールのSFアクション中編。コールを匿った研究所での戦闘シーンは迫力がある。
パーキー・パットの日々/CM地獄/不屈の蛙/あんな目はごめんだ/猫と宇宙船/スパイはだれだ/不適応者/超能力世界/ペイチェック/変数人間 -
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歴史改変系SF小説。
日本とドイツが戦争に勝ってアメリカを統治している世界、そんな世界で流行っている小説は『イナゴ身重く横たわる』という、連合国側が勝利したらと言う歴史改変小説だったりする。
登場人物が、歴史上の人物だったりオリジナルだったり、国籍人種も多様で何回も読み返さないといけなくて時間がかかってしまった。
真偽
これがテーマなのだと思う。本物と見分けがつかない贋作。歴史という付加価値の曖昧さ。小説と現実。偽名の政治家と暗殺者。
歴史を失った国で生まれた新たな芸術と、歴史ある占い易が、本来あるはずだった歴史を垣間見せるというのが面白い。
一方、読み終わった時に「え、これで終わっちゃうの」とも思った。 -
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ネタバレアベンゼンは『易経』を使って小説『イナゴ身重く横たわる』を書いていた。ジュリアナが「なぜその本を書いたか、我々はその本から何を学ぶべきか」という問いを立てて易を行うと、「真実」という回答を得る。ジュリアナは、本に書かれていることが真実であるというメッセージとして受け取る。これが、本作の幕切れ直前、結論のような位置に置かれているシーンだ。
ここから読者は何を読み取ればいいのだろうか?
(a)彼らの世界で起こった出来事は真実ではないということか? それとも、(b)これからドイツ帝国の崩壊や、日本への水爆投下が起こり、プロセスこそ違えど、最終的には本に書かれた世界と同じような結果にたどり着くという予言なのか? あるいは、(c)幾千幾万もの偶然の積み重ねにより、無数の可能世界が生じているという視座を暗示しているのか(この解釈は弱い。もしそうならば、彼らの世界も、本に書かれた世界も同等に「真実」なのだから)。しかし、(d)そもそも『易経』は単なる占いであり、占いは信じなければ無意味だし、信じる人には、曖昧な示唆のレベルで意味を持つものだ。アベンゼンの本が占いの結果の集積であるなら、その本が価値を持つのは、それを真摯に受け止める場合のみである。だから、アベンゼンの本から学ぶべきことは、「戦勝国となった枢軸国がアメリカを支配する現状を宿命と受け止めて、その現状に馴致するような生き方をするな。彼らの勝利は確率的なものでしかないし、彼らは勝ちながらにして実質、負けていることすらあり得る」といったメッセージだ。
本作では、個人がさまざまな選択を迫られ、よくわからないままにどれかを選択しながら生きている様子がしばしば描かれている。田上にしろ、フランクにしろ、ロバートにしろそうだ。その都度選択をし、そして人生が展開していく。そのことを肯定的に書いていると思う。反対に、「あり得たかもしれない世界」「選ばなかった世界」についてあれこれ考えを巡らせることは停滞でしかない。だから、パラレルワールドの存在を示唆しているといった解釈は、本作の場合、そぐわないと思う。ロバートは、日本人たちに表面的に媚びへつらう商売をしながら、やがて西欧文明を受け継ぐものとして自信を取り戻していった。戦争に負けても、そのことを絶対視する必要はなし、ましてや卑屈になる必要はない、という価値観を示すためにロバートというキャラクターは作られたのだと思える。だから、私は解釈(d)こそが一番もっともらしいと思う。
負けは負けとして認める。けれど、そのことを絶対視して卑屈になるべきではない。戦争の話じゃなくて、個人の人生の教訓。
「ディック作品にありがちなプロットの破綻が見られず」(訳者あとがき)という点が高評価(1963年ヒューゴー賞受賞)の一因らしいが、私はプロットが破綻しているディック作品のほうが断然スリリングだと思う。プロットをあまり決めずに書くようになった『OUT』以後の桐野夏生のほうが、彼女の初期作品より素晴らしいように。 -
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飽きることなく(一気に、とまではいかないにしても)読み進められる。かなり読みづらいんだけど、不思議なことに。
二部終盤辺りから凄く面白くなって、そこから加速度的に面白くなるのに、膨らみ切らずに終わってしまったような印象を受ける。いつも思うけど、ディックと自分の関心は別のところにあるんだろうな。ストーリよりもむしろ、葛藤とか、アイデンティティクライシスみたいなところに、凄く神経を割いている気がする。
あとは、人物の考えや、話の方向性がころころ変わったり、事実と虚偽が同列に並べてあって分かりづらい。いつものことと言えば、そうかも知れないけど。
また今回は更に、単語の説明も少ないと感じた。作中のアイテムや単語に関してキャラクターがべらべら説明しないのは、それが彼らにとっては当然のものなんだし、理には適っているんだけど。こういう部分も含めて、ディックの見えていた世界が映し出された未来観かな、と思った。大学や強制収容所という単語にさして説明がないのは、(後者はともかくとして)そういう単語が出てきた時点で、発表されたリアルタイムだったらば、「今のこの事態を発展させたものね」という感じでするっと理解できるからなのかな、と。また、世相という点のみならず、自伝的な内容であるらしいという観点からも、ディックの視点を通じて描き出された小説だったといえるかもしれない。 -
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SF界の巨匠・フィリップ・K・ディックによるSFサスペンス・ミステリー。未開の辺境惑星"デルマク・O"に集った14人の男女に降りかかる"死"、その真相とは――――。
外部との通信が断たれ、脱出することも出来ず、惑星に閉じ込められた男女が次々と"死"に誘われるという、なかなかのサスペンス・ミステリーが味わえる。惑星に存在する謎の構築物の正体は何か、「神が実在する」という設定がどう絡んでくるのか、ワクワクしながら読み進めることが出来た。
ディックの作品は、『ヴァリス』3部作を除けば比較的読み易いものが多いが、本作は特に読み易くまとまっている印象。ただ、その分尖った要素が少な目なので、少々物足りなく感じるかもしれない。 -
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時間逆流現象で人々が若返っていく世界。スーパーファミコンのEMITを思い出した。赤川次郎シナリオ原案のあのゲームをプレイしたときに「そもそも設定に無理があるなぁ」と感じた感覚が、本書を読んでそのままよみがえってきた。体は逆転していっても、ビデオテープを逆再生するような感じでもなく、生活のすべてが逆まわしになっているわけではない様子。この小説が面白くなってくるのは、世界に大きな影響力をもつ教祖が蘇り、彼をめぐって3つの勢力が、スパイ小説よろしく騙し合いのアクション映画的展開を繰り広げるあたりから。男と女の話になったり、神学的要素が見え隠れしたり。秩序とエントロピーについてのテーマ性については、物語の結末がすべてを語っているのかもしれない。
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タイトルから受ける印象通りの、へんてこりんな世界観。序盤こそディストピア的な管理社会を描いているが、仕事を受けて地球を飛び出し、未知の星へ降り立った後から始まる冒険はSFというよりファンタジー。これは好みが分かれそう。自分はストーリーについては今一つ楽しめなかったものの、部分部分で興味をひかれる要素がちらばっており、全体としては面白かったと思う。
特に面白いのは、英語の小説や映画のタイトルを外国のコンピュータに音声入力して外国語に翻訳させ、それをもう一度コンピュータ英訳したフレーズから、もとのタイトルを当てるゲームが登場すること。少し前までネットの自動翻訳で面白い訳を目にしていた我々の世代には既視感があるが、これを1960年代に考えていたディックの先見性たるや。 -
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ネタバレ『ブレードランナー』として映画化された『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が有名なフィリップ・K・ディックの短篇傑作選の第5集。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の元(創作のきっかけ)となった作品が表題の「小さな黒い箱」です。全11作品。
今回はじめて読んだフィリップ・K・ディックなのですが、彼の作品には映画『ブレードランナー』しか触れたことがなく、ゆえにディックはもっとハードボイルドなSF作家かとイメージしていました。どっこい、その作風にはユーモアとウイットがふんだんに感じられました。
SF作家をプレコグ(予知能力者)とみなす短編があって、舞台となる未来世界から時間旅行をした未来人が1950年代のSF作家の集まりにまじるのだけれど、レイ・ブラッドベリがでてきたり、アシモフを探したり、そこでの主要人物で未来に連れ去られるのが実在のSF作家だったり、ずいぶんくだけたことをやってるなと思いました。ノリはもはや同人誌です。
SF作家をプレコグとみる、なんていうのは、たとえば最近、IT企業が未来予測のためにSF作家を雇うなんてのが実際、現実にあったんじゃなかったでしたっけ? となると、ディックのイマジネーションと論理力、それら自体がまさにプレコグ的であり、自分でそれに気付いて「SF作家=プレコグ短編」を書いたようなもので、なんだかおもしろい。自己言及性が生じていますから。
またモノレール交通システムがよくでてきます。1950年代のアルヴェーグ式モノレール(ゴムタイヤモノレール)の登場で、それ以降はモノレール交通システムが普及していくと見られていたようですから、この近くの年代のSF小説作品での未来世界ではモノレールが走っていたりするのでしょう。アニメ化や実写映画化された漫画『映像研には手を出すな!』の舞台となる未来世界でモノレール交通システムが普及しているのは、そんな昔のSFへのオマージュなんだなあと納得しました。昔の時代に思い描かれていた未来世界の断片的実現を、創作世界で何十年もたった今やっているのでした。オマージュは、愛ですね。
特に好みの作品を挙げるとすると、次の二つになります。「ラウタヴァーラ事件」と「時間飛行士へのささやかな贈物」。二つとも、生から死への直線的な道理からはずれている作品です。前者はエイリアンによる蘇生が呼んだ過去の追体験が物語られていますし、後者は閉じた時間の輪のなかにいる者たちが自分たちの葬儀に参列するなどの奇妙な時間の送り方が描かれている。こういった死生観みたいなものを、ほとんど考えたことのないような分解の仕方をして再構築して物語ってみせるようなのものは、どうやら僕はおもしろいと感じやすいのかもしれません。不意をつかれるのに似てもいます。
SFは、現代物理学はもちろんそうですが、いろいろな理工系の知識に明るくなければ本格モノって書けないような印象があります。そればかりか、哲学や精神医学にも並大抵以上の知識をもって物語を構築していくようなイメージがあります。僕なんかはSF始めは「SF=すこしふしぎ」の藤子F先生で、藤子っ子としてSFに触れていますし、その後に手塚作品で『火の鳥』を手始めとして子どもの頃にいろいろ読んだものでした。そういった漫画作品と、『スターウォーズ』『スタートレック』といった映像作品が土台にあります。でも、SF好きのひとって、そういう子どもの頃の刷り込みを超えて、柔軟にいろいろと新たなSFにも対応できるような頭をしている気がします。少なくとも僕自身はそういうタイプだと思うんです。まあ、面白いですよね。
世の中には、こういったSFという世界も豊饒なものとして存在しているわけで、まだその片鱗しか知らないような僕にとっては、わくわくしてきますし、楽しくうれしい気分になります。 -
Posted by ブクログ
「狂気と正気の区別はカミソリの刃よりも細く、犬の歯よりも鋭く、牡鹿よりも身軽だ」
自伝的要素を含むディック晩年の宗教的・哲学的小説。
精神病者の魂の放浪?のようなストーリーだが、主人公は2人??? 一人称なのか三人称なのかわかりにくい叙述が混乱をまねく上、繰り返される神学談義が難解。この方面の知識がないとついていけないのかもしれないが、ディックという作家が持つテーマを掘り下げる内容になっているのはわかる気がする。
とある映画に誘われるところから物語は急展開。登場人物たちの反応は、アニメ「エヴァンゲリオン」を見た時の感覚を彷彿とさせる。あまりにも情報量の多い映像を何度も反芻して真意を汲み取ろうとする、あの体験を思い出した。仏陀、ゾロアスター、イエス、モハメットに続く第五の救済者を探し求める主人公が見出すものとは何か。結末をむかえても消化不良で、繰り返し読まなければならない本だと感じた。
作中で引用される釈義「トラクタテ」は巻末に全文が載っているが、あまりに難解で、ざっと読み飛ばした(汗)。いつか再読に挑戦したい。