フィリップ・K・ディックのレビュー一覧
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やばい!ディックの悪夢世界から抜けられない・・・
でも、著者の「短期間で量産した」とまで言われる膨大な短編はどんな感じなのだろう?ということで読んでみる。
ここにもあるある!50年代の短編には見られない、精神分裂症的な影が60年代に現れてきているのです。自分が本物であることを信じきっている「にせもの」って今の我々にも悲しく重苦しく響くものがあります。じゃ、本物って何よと開き直る現代がさらに恐ろしく見えます。
きっとコンピューターの仕組みを理解しないで書いている「電機蟻」も気味の悪さは増すばかり。これって自分の脳をカスタマイズするってことじゃないですか!
必ずや発狂する「凍った旅」。傑作です。
う~ん、しばらく抜け出せない・・・ -
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ネタバレ第二次世界大戦で枢軸国側が勝利した世界に生きる人々の群像劇。
北米は3つに分断され、日本支配地域、ドイツ支配地域、中立地域となっている。
ドイツは水面下で、日本を破壊して世界を征服しようと画策している。(タンポポ作戦)その矢先にボルマン首相が死去。タンポポ作戦の賛成派であるゲッペルスが次の首相として有力視されている。一方、タンポポ作戦反対派のハイドリヒが盛り返しているという話もある。小説で描かれているのはこの辺までで、その後どうなるのかは分からない。
ホーソーン・アベンゼンが書いた「イナゴ身重く横たわる」という歴史改変小説が流行している。この本では(現実の歴史とは詳細が異なるが)連合国が勝利したことになっている。
登場人物の多くが易を行い、自らの行動を決定する。
設定はあくまで設定で、その中での複数の登場人物の行動がそれぞれ独立して描かれているのが面白い。各登場人物の行動は絶妙に交錯している。
ジュリアナの最後の結論「ドイツと日本が負けたのが事実」というのと、田上が見た幻覚がよく分からない。架空の登場人物が動く世界(高い城の男)が虚構で、ジュリアナと田上は現実(高い城の男の読者がいる世界)を一瞬垣間見たということなのか。 -
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フィリップ・K・ディックは、麻薬をテーマに扱った作品が多いけれど、この作品はその代表作。
「麻薬でトリップ→ひどい悪夢→やっと目が覚める→と思ったらまだ悪夢の中」という恐怖を、しつこいほどに描いています。人間の意識なんてあやふやなものだと思わされます。
麻薬による、人びとのそれぞれの夢の中に普遍的な神として君臨するパーマー・エルドリッチ。人間が己の瑣末な意識から逃れられない存在なら、神はその幻想さえ支配すれば神たり得るのかもしれません。
途中まで、主人公をバーニー・メイヤスンだと思っていました。公式の主人公はレオ・ビュレロなんですね。
タイトルは良いですね。美しいです。同じ作者の「流れよわが涙、と警官は言った」にも陶器の壺をつくる職業の女性が登場しますが、作者は陶芸する女性が好みなのかな。 -
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ネタバレSF界では有名な方らしいというのと、本屋で見た装丁がかっこよ(略)厨二心をくすぐられたので購入。よく耳にする「~は~の夢を見るか?」というタイトルの元ネタでる「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という作品を書いたフィリップ・K・ディックの長篇処女作。らしい。本当はどこかの作品でオマージュだか参考だかにされているから手に取ったんだと思うけど、その作品かは忘れてしまった。
ボトルという装置によってランダムに権威者が無作為に変動していく近未来の世界で、従属契約や刺客とディープの争い。《炎の月》。
絶対的君臨者として存在するヴェリック。それにつき従うエレノアとムーア。テッドは翻弄されるがままにその最高権力を取り戻すための戦いに巻き込まれていく。無級者として惨めな生活を強いられるカートライトも、そのボトルが巻き起こす嵐の真ん中に放り込まれていった。
突然始まるボトルという装置が支配する世界に戸惑うこともありつつ、SF世界として楽しめた。カクテルや飲み物にすら近未来の要素を持たせ、登場人物たちが交わす言葉も当たり前のようにSF要素が飛び交う。
いまいち登場人物たちの心情が理解できない部分も多かったが、おおよそ因果の破綻なく物語が進められるので、プロットの正確さを感じた。これまで私が手にした翻訳本の中ではかなり読みやすい。
エンターテインメントとしてストーリーの破綻は感じられず気持ちのいいテンポで進んで行く。絡み合う隷属関係はあまり意識しなかった。それが最も効果を表すのは後半になってからだ。また、《炎の月》という理想的世界と過程される惑星への希求も同様に。
全体を通してランダムに当てがわられる殺し合いゲームに主眼を添えられているので、ゲームならではのハラハラ感や攻略感も楽しめる一方でどこかグレーに彩られた世界で生きる登場人物たちの言葉がいやに光る。
物語の途中ではテッド・ベントリーが自分は精神病質なのか苦悩するシーンがある。違法は我々なのか世界なのか。異質なのは自らなのか周囲なのか。それはぺリグ・ボディにムーアの悪意によって突然放り込まれたテッドの戸惑いのように、ヴェリックに依存するしか存在できなかったエレノアのように自らのアイデンティティについて問いを少しづつ投げかける。
Mゲームによって歪められた世界から九惑星を越えて新たな世界を手に入れるその欲求、テッドがヒルを飛び出し違法を犯し社会と自分との折り合いを苦悩させるまでに至らしめた彼の欲求、それはどちらも物語最終の台詞のように前進する志向が含まれたからこそ成し遂げられ、虐げられるものではない。そして、ひとつのゲームが終わったのである。
「SFの古典」というおとで読みいにくいかと不安だったが、エンタメ要素は多く充分に現代でも楽しめる作品である。これを切り口に、「ニューロマンサー」や「アンドロイドは~」なども読んで、SF的世界の造詣を深めるための一歩にしては充分の役割を担えるだけの実力のある作品だった。 -
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PKDにしては、なんだか読みやすいぞ。最初の長編だから?
現実とは、アイデンティティとは、という主題は出てこないと言っていい。唯一、複数人で一人の人格を形成する、一つの体を複数人でシェアする部分がかする程度。けど、大して触れられず、あっさり流される
ストーリー上、重きを置かれているのはM(ミニマックス)ゲームでもなさそう。結局運でも偶然でもないことが明らかになるし。
それよりは、人による人の支配の不当性が言いたいのかな?最初と最後でうまく繋がるし
炎の月は理解不能
最後の裁判はいささか唐突で、執筆直前にヴェニスの商人を読んだと言われても説得力があるほど
そう言えば、ドラッグが出てこなかった。これは特筆に値する! -
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02年再版版。
本作はPKDの長編では初期作品であるにもかかわらず、
そのドープさ加減は手加減を知らない。
至って面白みもないタイトルから安易に内容を予想するのは間違いで、
やはり一筋縄ではいかないストーリー。現実世界を歪んでいき、
最後のほうではやはり混沌に突入していきます。
PKDの著作の中でも、ベストに挙げる人が少なくない名作。
-ハヤカワオンライン「書籍詳細」より-
火星植民地の大立者アーニイ・コットは、宇宙飛行の影響で生じた分裂病の少年をおのれの野心のために利用しようとした。その少年の時間に対する特殊能力を使って、過去を変えようというのだ。だがコットが試みたタイム・トリップには怖るべき陥穽が隠されていた……P・K・ディックが描く悪夢と現実の混沌世界 -
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初ディック(正確には、『きょうも上天気』で一編読んだのが最初)。映画『アジャストメント』を観たことをきっかけに手に取ってみましたが、すごく読み応えがありました。とはいえ、表題作「アジャストメント(「調整班」改題)」は、映画にとってはほとんど原案程度みたいですね。
特におもしろかったのは「ウーブ身重く横たわる」、「にせもの」、「ぶざまなオルフェウス」です。
「ウーブ…」は高度な知性を持った宇宙豚の話。人間てどうしてこんなバカなことするんだろう…という落ち込みから一ひねりあるラストにぞくっとしました。
「にせもの」は自分という存在や記憶のあやふやさ、それを証明することの難しさがテーマ。すごく心許ない気分になり、あとを引きます。
「ぶざまなオルフェウス」はこの短編集唯一のコメディ。作家から霊感を奪う「逆ミューズ」になってしまう主人公が哀れだけれど、けっこうありそうな話かもしれない。
総じて一言「好き」とは言いづらいけれど読んでいていろいろ考えるし、惹きつけられる話ばかりでした。ディックの他の作品も読んでみたい。『ブレードランナー』大好きなので、やはり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』からかな。
しかし早川書房って、こういう良書をきれいな装丁で出してくれるところは本当に好きだけど、映画業界に軽々しく迎合してタイトルを換えちゃったりするところは嫌いだ。「調整班」のままにしておけばいいのに。 -
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〈私〉という存在は何か魂みたいなものがあって、生まれた時から存在するものではない。生まれてからの経験や思考を記憶として積み重ねていく、その積み上がった現在までの記憶の総体が〈私〉として認識されているだけなのだ。
とすると、自分の記憶は本物の記憶なのかという疑問は、〈私〉の存在自体をおびやかす疑問で、本作に収録されている「にせもの」や「電気蟻」は〈にせものの記憶〉がテーマになっていて読み終わっても、う~んと考え込んでしまって答えは出ないんだけど、その考え込むという行為を誘発させる読書というのは非常に贅沢。他にも「父祖の信仰」での共産主義の描き方はなるほどと思えるものがあるし、「凍った旅」は非情な状況の中での救いみたいなものがあってその他の作品とはちょっと違うし、どの作品もすばらしい。
マット・デイモン主演映画の原作「アジャストメント」は設定が同じで内容はまた別物っぽいので映画観た人でもまた楽しめるかも。 -
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地球が放射能で汚染され、生殖能力のある適格者たちはそのほとんどが火星へと移住し、廃墟と灰の中でわずかな残存者が暮らしている近未来のサンフランシスコ。火星で人間の暮らしを支えるために開発され使用されてきたアンドロイドは、今や人間と見分けがつかないレベルの高性能ヒューマノイドとなっているが、火星での暮らしを嫌い地球に逃亡してくる者が後を絶たない。そうした反社会的アンドロイドを「廃棄処理」し賞金を稼ぐことで生計を立てているリックは、新たに最新型ヒューマノイド6体の処理を任される。死んでしまった羊の代わりに飼っている電気羊とは違う、その多くが絶滅し今や貴重なものとなっている本物の動物を買うためにも、リックはアンドロイドたちを追うが―――
人間を人間たらしめるもの。生命を生命たらしめるもの。それはその身を構成する有機的な組織、神経の反射なのか? それとも、他者に、他の生命に共感し感情移入する情動なのか? では、人間と同じ有機的な身体を持ち、かつ、仲間と連帯する情動を持つアンドロイドは、人間とどこが違うのか? 生命ある一つの種ではないのか?
本作はこの問いに、否、と答える。代謝の限界で短い寿命しか持てない有機物であっても、怒りや怯えという感情や、夫婦という関係性を結ぶことさえできたとしても、アンドロイドはアンドロイドであり、彼らは生命を理解しない。人間から虫まで、生命あるものすべてがその生の中に内包している奇跡のような誕生の過程、その尊さに対する畏怖や崇敬の思いを持たない。
では、だが、人間は? 人間は生命を畏怖し崇敬し、尊んでいるだろうか。自らが汚し環境を破壊した母星を捨て、種の存続に不要な者たちを切り捨て置き去りにし、高性能アンドロイドに労働を肩代わりさせて新たな社会を作ろうとしている本作における近未来の人間たちは、生命の尊厳を尊んでいるとはとうてい思えない。そこに、人間とアンドロイドの境界線の曖昧さが生まれる。アンドロイドが人間に寄るのではなく、人間が非人間に寄っていくディストピア世界である。
人間を含めあらゆる生き物が灰の中で死んでいく世界において、本物の動物たちは貴重であり、高値で取り引きされている。生き残った生命を少しでも守っていくというモラル的な志向もさりながら、値が付く商品として当然のごとくステータスを示すためのものとして、動物たちはもてはやされる。大切にしていた、けれど抱き上げたことはない猫が死んで、代替として電気猫が届けられたら――飼い主は気づくのだろうか?
蜘蛛の足を顔色変えず興味本位でハサミで切り落とすアンドロイドの行為は、空恐ろしさを感じさせる。しかし、素晴らしい歌声を持ち絵画を鑑賞する心を持ったアンドロイドを、あるいはついさっきまで上司として共に働いていたアンドロイドを、問答無用で銃で撃ち破壊することができる人間に、彼らアンドロイド以上の「人間性」があるのだろうか。アンドロイドたちは、人間の非人間性までも写し取っただけなのではないだろうか。
そうした揺らぐ境界線の狭間で、リックは翻弄され、アンドロイドに強く共感もし、強く忌避感を持ちもする。本物の動物、本物の生命を強く求めるリックの思いは、血が通うもののために生きたい、他の生命のために生きたいというレーゾンデートルに関わる必死の欲求である。けれど彼は、彼の世界は、彼に本物の動物を与えない。アンドロイド処理の賞金で購入した本物の山羊は失われ、結局彼の手に残るのは電気動物だけである。
人間たちの信じる「融合精神」、キリストの受難と救済を思わせる苦行の神マーサーと機械を介して繋がり、機械に接続している者同士が共感力によって互いの喜びや悲しみや期待を混ぜ合わせ、先の見えない時代にあっても明日に向かう勇気を支え合って奮い起こすための大いなる幻影を、アンドロイドは打ち壊そうとする。けれど、人間は夢見ることをやめない。やめられない。電気羊を抱いて本物の生命を夢見ながら、すぐ隣りにいる人を抱きしめることを忘れる。そんな、愚かで夢見る人間たちの、愚かさと儚い夢が、アンドロイドには生み出せ得ない人間らしさそのものなのかもしれない。