フィリップ・K・ディックのレビュー一覧
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「狂気と正気の区別はカミソリの刃よりも細く、犬の歯よりも鋭く、牡鹿よりも身軽だ」
自伝的要素を含むディック晩年の宗教的・哲学的小説。
精神病者の魂の放浪?のようなストーリーだが、主人公は2人??? 一人称なのか三人称なのかわかりにくい叙述が混乱をまねく上、繰り返される神学談義が難解。この方面の知識がないとついていけないのかもしれないが、ディックという作家が持つテーマを掘り下げる内容になっているのはわかる気がする。
とある映画に誘われるところから物語は急展開。登場人物たちの反応は、アニメ「エヴァンゲリオン」を見た時の感覚を彷彿とさせる。あまりにも情報量の多い映像を何度も反芻して真意を汲み取ろうとする、あの体験を思い出した。仏陀、ゾロアスター、イエス、モハメットに続く第五の救済者を探し求める主人公が見出すものとは何か。結末をむかえても消化不良で、繰り返し読まなければならない本だと感じた。
作中で引用される釈義「トラクタテ」は巻末に全文が載っているが、あまりに難解で、ざっと読み飛ばした(汗)。いつか再読に挑戦したい。 -
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一息に読み切ってしまうくらいには面白かった。これまで読んできたディックの作品とは違って、結構オチもしっかりついていたし。ホバーカーを筆頭として、ディックらしいガジェットも多く登場する。そういういかにもなアイテムや制度に彩られて、個人的にはやや古臭さを感じるが、昨今のSFでは中々お目にかかれない、「これぞ空想科学小説」と言えるような世界が作り上げられている。着想元が新聞やカセットであるために、現在から想像できる未来と照らせば、ちょっと想像力の限界を感じざるを得ないけど。
作品の根幹となる2つの要素が、物語を追う内に段々と融合していって、最終的にはきっちりと収まったような印象を受ける。大ハマリはしなかったけど、楽しく読めた。
登場するキャラクターが多く、容姿なんかではかなり個性づけされているのが理解できるが、登場以後あんまりそういう個性が強調されることがない。だから、メインキャラ以外は覚えにくい――と、書こうと思ったのだけど。自分でも意外なことに、誰が誰なんだっけ、となることは(冒頭は少しあったけど)あまりなく、名前もしっかりとではないにせよ、読んでいて困らない程度には頭に入っていた気がする。ただ、もう少しそれぞれ活躍させてくれれば良かったのにな、と思う。キャラクター小説ではないから、仕方ないのかも知れないけど。書きながら思ったけど、キャラクターの個性があまり強調されない点が、個人的にディックにそこまでハマり込めない要因なのかも。あとは、ディック自身の常識から飛躍して世界が構築されているだろうがゆえの、特に服装に関しての想像のしにくさとか。
ネタバレ込みの感想については、コメントにて補足予定。 -
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ディックの小説の中でも好きな作品になった。
時に難解な(というか破綻している(そしてそれが魅力だったりする))他作品とは一線を画し、物語は分かりやすく、SFとしての魅力も十二分な世界観である。
事故にあった人々の理想世界に転移していくのだが、それぞれが思う理想郷がいかに他者にとってのディストピアとなるのか、そこに宗教や共産主義、はたまた人種差別などの要素をシニカルに描くあたりがディックらしい。
最後は後日譚の様相であるが、果たして現実に戻ったのか。よほど大きな事故にあったであろう当事者たちが元の元気な姿になるとは思えない。やはりこの世界は誰かの夢の中? -
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ネタバレ本作はSFの巨匠、フィリップ・K・ディックの遺作。SFでは映像化作品も多く、圧倒的な知名度を誇る著者であるが、本作はSF要素がない所謂「一般小説」となる。「ヴァリス」、「聖なる侵入」と合わせて「ヴァリス3部作」とも言われているが、SF的要素のある前2作とは形を異にしている。
そして前2作と本作とでは語られる視点に大きな違いがある。3作とも共通のテーマとして「神秘体験」があるが、前2作は体験した者の視点で描かれるのに対して、本作は体験した者を客観的に観察する立場から描かれる。
本作では、「神秘体験」をした者(ティム、キルスティン)は悉く悲惨な末路(死)を辿っており、そこから救うことができなかった主人公(エンジェル)は自身の行動・判断を嘆く。そして彼らの死後、新たに「神秘体験」の当事者となったキルスティンの息子であるビル(ティムが転生して自身に宿っていると言う)を、今度こそは救済すると決意して物語を終える。
前2作と違い、本作は神秘体験・宗教・信仰という名の迷宮に陥った者を、他者が救い出すという希望が描かれているのが特徴的である。
「ヴァリス3部作」はディック自身の神秘体験をきっかけに著されたというが、元々彼の作品には「現実と虚構の曖昧さ」や「自己疑念」をテーマにしたものが多く、著者自身の永遠のテーマでもあったのではないかと思う。「神秘体験(=超自然的なもの。現実と虚構を曖昧にするもの。)」で心惑わされた者へ救済の手を差し伸べるラストを描いた本作が遺作というのは、どこか考えさせられるものがある。 -
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話としては少し古さは感じるものの、のびのびしたSFって感じがして楽しめた。
ただ、ディックの原文が問題なのか大森さんの訳なのか、今ひとつのめり込めない話だった。勿論、あくまで僕には合わなかった、という話だけど。
説の引きは凄く上手いのに、数日に分けてちびちび読めるくらい(本当に気に入った本は、勿体ないからと脇に置いても、気になってすぐに続きを読み始めてしまう)にしか惹かれなかった。ただ半ば過ぎた辺りからは、一息に読んだので、面白く感じたんだろうと思う。
展開的には凄く盛り上がってるはずだし、ビジュアルも結構浮かぶんだけど、なんだかこう身に迫ってこない感じ。ただ、話が本格的に動き出すまでが遅くて、ちゃんと完結するのか不安に思っていたら、後半ぐいぐいと話をまとめあげていたところは好きだった。その辺の話とか展開としては好きなんだけど、やっぱり読んでいて興奮とかはしなかったんだよなぁ。
現実との繋がりを感じさせるタイプのSFではなくて、全体的に話の規模は大きく、小さなものに着目している場合でも、そこから哲学的な方向に話が発展していく。そういう話を中心として展開し始める辺りから、ぐんぐん面白くなってはいった。ガジェットや世界設定でなく、テーマとしてアンドロイドが好きなら、気にいるかも。
のめり込めなかった原因の一つが会話文で、お互いの話を聞こうとしていないのか、かなりの箇所で、唐突だったり噛み合っていない印象を受けた。
それから、訳者も指摘しているけど、現行の技術を彷彿とさせる設定が登場するのには、非常に感銘を受けた。読んでいて、これってあれっぽいな、と思う技術が結構出て来る。また、描かれる地球の設定も、はっきりとは見えてこないものの、どことなく退廃的で、好きな人は好きかも。
感想を書いていて思ったのは、作中の設定を地の文で詳らかにするってことを、ディックはあんまりやってないのかも、ていうこと。アンドロイド、高い城を読んだのは随分前になるし、漠然と思ったので実際は的外れなのかも知れないけれど、冒頭の地球の生活とかは特に、出てきた事象については作中におけるシチュエーションでしか知ることができず、その全容をあんまり掴むことができない気がした。語り手が、その状況に置かれた一個人であると言う前提からするとそれは凄く正しい書き方なんだと思うけど、なんだか個人的にはもやもやした。 -
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翻訳ミステリ札幌読書会に初めて参加させて頂く機会を得たのだが、最初の課題本が何とこれ。ミステリでもなければ、ディックの代表作品でもなく、どちらかと言えばゲテモノ扱いされる異色作。
初めて会う方ばかりだったが、ぼくのテーブルにはロバート・クレイスの翻訳者である高橋恭美子さんや、ヒギンズの大ファン氏でありながら何故かディックにも詳しい方がおひとりいて、この作品の位置づけを教えて頂けた。
どちらかと言えば、傑作を二つ三つものにした後の疲労回復のために肩の力を抜いて書いた作者のお遊び的作品なのではないか、という辺りで、多くの読者の感覚は落ち着いたのだが、まさに自由気ままに浮かび上がるイマジネーションを主人公である壺なおしのジョー・ファーンライトを軸に、展開して遊び抜いた、一言でいえばおもちゃ箱のような一冊である。
しかしディックのことだから、ともすれば深淵な意味合いが込められた奥行きのある哲学的書物であるということも考えられなくはない、という見方もあながち空想的と言い切れない。どうも怪しげなスタンスに立つ難物の作品であるようである、少なくともディックの研究家にとっては。
しかし、ぼく自身SFから十代で足を洗い、その後現実や歴史に即した人間の内部に迫る小説を好んで読んできた経緯もあって、ディック作品も初である。映画『ブレイドランナー』信者ではあるが、あれの原作者がディックということくらいしか持ち合わせない知識で、あの映画自体もぼくはハードボイルドとして観たという主観が強く、本作のような銀河の果てに出かける冒険譚というのは、極めて異色の読書経験なのである。
前段が極端な管理社会の中で生きる意味を失うジョーの虚無的な日々が描かれる。思考まで他人に読み取られ、歩行速度まで監視され警告される、度の超えた管理社会。そこは2046年のクリーブランド。作品が書かれたのが1969年だから、77年後の想像された地球である。
そこから自分の生きる意味を見つける冒険の機会を得て、壺なおしという極めて専門的な技術を持つ職人のジョーは、地球を後にして遥かな星の海洋から神殿を引き揚げるという大作業に集められた者たちと行動を共にする。異星では、仲間となる異質な生命体たちや、ロボット、雇用主たる巨大な変容体生命グリマングなどと出会ってゆく。
ロボットとの奇妙で滑稽な会話や、仲間のクールで奇妙な女性との恋愛、仲間たちとの対立や迷いなどの末に、大団円を迎える大冒険の果てに待つのは、何と……。
SFというジャンル故に産み出せる、とても奇妙な小説。これが半世紀ぶりに読むSF作品として相応しいか否かはともかく、ここまであらゆる理解を拒む、あるいはあらゆる自由理解を受容する作品を選んだ読書会主催者の発想にこそ拍手を送りたい。 -
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本屋で「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」と並んで平積みに。表紙のデザインが同じ感じだ。中身も、どうしてこんな社会になってしまっているんだ? という暗黒感は同じだ。
未来社会、道徳再生運動が行われ、住民は自治会集団の集会で不道徳な行いについて訴追されることになっている。主人公アレンは広告会社を経営していたが、何かの衝動にかられ、この道徳再生運動の創始者の石像を壊してしまう。ここからアレンは安定した暮らしを失っていく。
「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」が一体救いはあるのか?といったどろどろの世界なのに対し、こちらの主人公アレンは理解ある妻がいて、最後は希望が持てそうな終わり。
2018.11.9購入 -
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ディックにしては珍しい(?)群像劇。登場人物が20人を超える多さで、かつ場面の転換も多いので、途中でどういう展開かよくわからなくなることがしばしば。
世界設定がワルシャワを中心とする共産主義体制とヨーロッパ・アメリカ合衆国(USEA)に二極化された社会であったり、タイムトラベル装置でナチスのゲーリング元帥を呼び出す展開、模造人間(シミュラクラ)や火星生物の登場、…などなど、おもしろそうな要素で溢れているにも関わらず、これらがうまく物語に溶け込んでいない印象(結局、ゲーリングはなんで召喚したのか?笑)。
最後は尻すぼみ、というか投げっぱなしで終わったし、これまで読んできたディックの長篇小説の中でもとりわけ場当たり感の強い作品でした。 -
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異星間同士の戦争に巻き込まれ、リーグ星人と泥沼の交戦状態にあった人類。そんな人類の独裁的指導者モリナーリの主治医となったエリックは、妻キャシーに騙されて新型のドラッグJJ-180を飲んでしまう。ドラッグを飲んだエリックの意識は遠く1年後の未来に飛ばされ…
物語の展開が継ぎ接ぎ的な印象だったり、回収されない伏線があったりと、正直腑に落ちないところもある本書ですが(むしろディックらしい?)、訳者あとがきで詳しく解説されており、理解の助けになりました。リーグ星人との異星間戦争という大きな動きに隠れて、エリックと妻キャシーとのとてもプライベートな問題に焦点をあてた本書。あらためて考えてみると、本書のような登場人物のプライベートな問題を物語の芯に据えた作品は、ディックのこれまで読んだ作品のなかでもあまり思いつきませんでした(読み足りないだけでしょうが…)。それだけ離婚寸前の状況が苦しかったのか、と愚察してしまうところですが、現実のディックと本書で示されるラストの示唆が対照的であることは、どうにも気になるところ。「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」でディックが示したような前向きさが本書でも表現されたのか、あるいは、現実逃避を本書で図ったのか。凡人には理解の及ぶところではありません。 -
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著者覚え書きで「この小説には何の教訓もない」とある。確かに教訓は無いかもしれない。ただし、麻薬に対する強烈な批判と恐怖を語っている。教訓は小説から得るものではない。読者がどのような教訓を語れるかが本書を読み解くキーになるのかもしれない。本書は普通に読むと、よくあるドラッグ系の小説だ。麻薬でハイになったやつが大暴れするような。読むべきは最後の方でブルースが置かれる立場だ。私は、麻薬だけが悪いのではなく、麻薬の悪用を存在させる社会の仕組みが存在することが悪なのだと解釈した。もちろん、これはひとつの解釈に過ぎず、読者がそれぞれ感じるものは異なるだろう。描写は鮮明ながら、読者に与えるものは形を変えて届けられる。救いたいけど救えない世界だった。
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ネタバレ長編はいくつか読んだが、短編集は初めて。巻頭は「パーキー・パットの日々」というディックらしい想像力を刺激する題名の作品だ。内容は核戦争後のシェルターで人形遊びに興じる人々の話。異常と悲惨と滑稽が見事に調和し、愚かだが愛すべき人々の姿を描き出す。しかもエンディングでは彼らが新しい世界へ踏み出す姿が描かれており、なんとこれはディック版「オメラスを歩み去る人々」であった。感心して他の作品も読み進めていくと、短編だけにアイデアの消化がメインで人間の内面を描き出すような作品はなかった。巻末の解説を参照すると「パーキー・パットの日々」のみ60年代の作品で、最晩年の一篇を除いて、他は50年代前半の作品であった。なるほどと腑に落ちて、ディックも最初はこういう作品を書いていたのかと、後に巨匠となる若い作家の情熱を思うとこれらの作品の味わいも深まった。それにしても、本書の表紙カバー絵は二色刷りの線画で描かれた不気味なものだが、昔のハヤカワ文庫のカバー絵は同じく不気味さを感じさせてはいたがフルカラーで色調は明るかった。カバー絵に魅せられて本を買ったこともよくあった。なぜこのような陰気なカバーにしたのだろう。色彩豊かなほうが若い人は興味を持ちやすいと思うが。素人にはわからぬ理由があるのだと思うが、あまり玄人好みに作ると読者層が広がらないのではと、昔のきれいなカバー絵にわくわくした人間は余計な心配をしてしまうのである。