今井むつみのレビュー一覧
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判型は大きいけど、新書みたいなタイトルの通り、内容も新書っぽかった。一般向けというより、教育委員会や小学校の先生向けに書かれたような内容。
自分は小学校の頃国語も算数も得意でテストは100点以外ほとんど取ったことがないような子供だった。分数の割り算は分子と分母を逆さにして掛け算にするんだよ、と教われば素直にそういうものだと受け入れるタイプの子供だった。小学校で算数につまづく子供はどうやらそうではないらしい。間違いの原因にも何種類かあるのが分かった。0ベースで考えると、小学校の文章題はなかなかに高度な思考を子どもに強いている。こうして説明されると、確かに全くつまづかないですんなり納得できるほうが不思議なのかも、と思えてくる。
最終章の付録に、家庭での読書や読み聞かせの機会の多さと国語・算数の得点に正の相関が現れる、とあった。この最終章が一般家庭の親には一番ためになる章かもしれない。 -
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好きなことに夢中になれ、好きなことがないなら目の前のことに夢中になればいい。とのこと。
結局は努力して選ばれた人の、生存バイアスのある手記という印象になってしまった。
アブダクション推論(論理の飛躍を伴う)ができるのこそ人間だ、そのためには何万時間もそれにかかわることがいい、というが
その何万時間も一線でかかわれることこそ、選抜された証でもある。
大抵の会社員は自分のキャリアを自分で決められるということはなく、会社の事情でそれを変えなければならなくなってしまう。
そんな時どうするか。それこそ人生の大問題で、私たちが向き合うことだと私は感じる。 -
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感想
なんかアブダクション推論を帰納法でも演繹法でもない魔法の推論手法のように語っているけど、この「アブダクション推論」という概念自体がかなり緩く曖昧な定義だと思った。故に、アブダクション推論こそがAIにはできず人間にできるものだ(この主張は書かれていないがそういったものは感じられる)という論理に納得がいかなかった。AIも未解決問題を解決したり、AI for Scienceが議論されたりしている昨今、この言説は少し古い気がする。アブダクション推論が非論理的跳躍と言っても、無数の可能性による帰納法かもしれない。
こう思ったので調べると、最新のAI の論文では「アブダクション推論」自体はAIは可能ではないとの見方が優勢であることがわかった。具体的には、「非言語的・感覚的な接地(Sensory Grounding)からまったく新しい前提を定式化する「跳躍(Abductive Jump)」は、現在のLLMの構造上不可能であるという見解が有力視されていた。
なので、上の主張はあながち間違っていなかったのである。ただ、これができるのはアインシュタイン、アイザックニュートンとかの天才(人間だがほとんどの人間ではない)である。
システム1, 2についての話は面白かった。システム1をシステム2で鍛えて良いシステム1を作ると非常事態の対応や、生きていく上でスピードを保ったまま質の高い思考と行動ができる。それは「振り返り」だ。あの時、こうしておけばよかった。これをしなければよかった。どうしたらいいんだろう。という葛藤と思考でFBしてシステム1を鍛える。
なんか後半の「AIは記号接地しない=新しい知識・生きた知識を生み出さない」の章は、AIはこういうことできないけど、人間にはこういうことできるんだという人間賛美的に語っていて少々苦しい。落合陽一のデジタルネイチャー思想を理解してから語ってほしい。
この人の記号接地で語っているのは、マルチモーダル学習、強化学習といったものでおおよそ語ることができ、読みながら、「強化学習してるのね」「対照学習してるのね」とAIの分野の言葉で語られていってアブダクションの良さと新規性がどんどんわからなくなっていった。結局、AIの学習方法を語ってるやん!ってなっちゃった。
言わんとしていることはわかるし、人間頑張るぞというエンパワメントは感じるし、面白い人には面白いとは思うけど、AIを少しは勉強している人には首を傾げる部分は多くあると思う。そういう点でも、批判的に読めたので読んで楽しかった。 -
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AIは記号設置しない
人間はアブダクション推論で思考する
初めて耳にする言葉がたくさんあり、また難しいながらもわかりやすく書いてくださっているので、腑に落ちた。
多くの人は、「自分は合理的に判断し、決定している」と思っているが、じつは選択や意思決定は、多くの場合で最初に感情で、端的に言えば「好きか嫌いか」で判断し、その後、「論理的な理由」を後付けしているに過ぎないことがわかっている。
この、「どのように行動するべきかの価値観」であり、「物事を単純化するためのツール」こそが、「神聖な価値観」である。
神聖な価値観が従った判断は、素早くブレがないが、一方で、そもそもの判断は感情にあるため、判断の根拠に線理性がなく、自分と異なる意見を受け入れるのは難しく。
ここを知っておくとこれからのコミュニケーションにとても役立つ。 -
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普段小説やエッセイを読んでいると、オノマトペってどこか感覚的で、文章の上手い人が情景をサッと立ち上げるための「味付け」くらいに思っていたけど、いやいや、それどころか人間が言葉を獲得するための土台そのものだったとのこと。
犬を見て「わんわん」と言っていた子どもが、どうやって身体の感覚を切り離して「いぬ」という抽象的な記号へジャンプするのか。その橋渡しをしているのがオノマトペだという説明は快感。赤ん坊の喃語と大人の論理的な言葉のあいだにある、途方もないクレバスを飛び越えるための踏切板が、まさかあのユーモラスな擬音たちだったとは。
言語学の専門知識がなくても、普段から文章や言葉に触れるのが好きな人なら、自分の使っている「日本語」という道具の手触りがガラリと変わるスリルを味わえるのかも。 -
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なぜ人間は言葉を話すことができるのか、そしていつ人間は言葉を得たのかに関する考察。言語学、進化学、脳科学、考古学などの広範な知見を基に論じている。
基本的には言語は人間だけのものという立場。鈴木俊貴先生の動物言語学の議論と照らし合わせてみると面白いのではないかと感じた。
まず、そもそも言葉とは何かを論じる。ヒト以外の動物(ミツバチ、イルカ、など)のコミュニケーションについても論じ、それらが言葉である可能性を完全に否定はしないものの、明確に言葉を持っているのは人間だけだとする。
特に、類人猿ということで、チンパンジーが本書には多く登場する。チンパンジーは種々の研究によって原始的な言葉を習得するくらいの認知能力をもっているが、それにもかかわらず、自然状態では言葉を発達させない。「できるのにやらない」とも言える。
また、古代の人間、たとえばアウストラロピテクスには言葉はなかっただろうとも論じる。
ただし、骨格の特徴から、少なくとも100万年前の人類は言葉を持っていたし、ネアンデルタール人は我々と遜色ないくらいのレベルで言葉を操れただろうとしている。
ダーウィン的進化論の観点から、言葉が進化するに足る条件を探っていく。
言葉が淘汰圧を引き起こすだけのメリットがあることは概ね自明だから、どちらかというと、他の動物が言葉を進化させなかった理由について探っている。なぜ他の動物が言葉を使わないか(または、使えないか)を明らかにすることで、逆に、人間が言葉を使える理由を明らかにしようというわけだ。
筆者の主張は、だいたい終章にまとめられている。
それによれば、原始の言葉は、人類進化の初期に誕生した。発話による言葉と手話的なジェスチャーとの混合として始まり、少しずつ進化してきた。そして、言語を可能とする能力よりも、むしろ話すことへの意欲を持つような性向が言語発達に大きくかかわっている。
筆者が重視していることの一つが、人間社会の協調性だ。
言葉では簡単にうそをつくことができる。互いを信頼しない社会では、うそが蔓延し、言葉の有用性が発揮されないから進化しない、だから協調性が言語進化の必要条件になる、という理論だ。
…が、個人的にはこれは説得力に欠けるように思われた。
自然界にも、擬態したり、死んだふりをしたり、実際より体を大きく見せたりして、比較的低コストな手段でうそをつく動物はたくさんいる。だが、必要に応じてうそをつかれた側にも対策が進化するので、必ずしもうそをつく側が一人勝ちという状況にはならない。
人間においても、うそをつくことは容易かもしれないが、うそを見破る技術も進化しうる。見破れないうそをつくことは、それ自体が高度な能力を必要とするだろう。うそをつくとペナルティが与えられる場合もある。
言葉によるうそが、他の手段によるうそと比べて、必ずしも簡単でローコスト・ローリスクとは言えないし、うそを防ぐための手段としてわざわざ協調性を持ち出さなくても良いのではないか。
また、初期の言語は、もっぱら「今、ここ」にあるものを語るものであっただろう。それならば、そもそもうそをつく余地は少なかったのではないか。
また、協力関係の進化の原因として、出産時の協力(助産師)を挙げている。
だが、本書で紹介されているのは血縁のある者の協力関係なので、出産の場面に限らなくても協力関係は進化しうるのではないだろうか。
コミュニティがこのような血縁関係であれば、特別な協力関係の進化云々を持ち出さなくても、互助関係が自然に進化しうる。そのような状況下ならば、わざわざ助産を持ち出さずとも、うそをつかずに互いを利することが、進化的にも自然なのではないだろうか。
鳥の歌のような機能から言葉が進化したという説に対して、言葉は両性が話すことができるから否定的だと論じているが、この論拠も疑問だ。
性淘汰で片方の性に進化した形質であっても、その形質を可能とする遺伝子は他方の性にも等しく受け継がれていく(性染色体に乗っているのでない限り)。それが片方の性だけの形質となるのは、そう発現するように調節されているからに過ぎないはずだ。
仮に当初は片方の性だけで発現していた形質だったとしても、それが言葉のような汎用性のある機能であれば、やがて性による発現調節が外れて、両性で等しく発現するというのは、十分あり得るのではないか。
疑問を感じるところもあったが、言語に関する大量の知見を得ることができて勉強になった。
最初の言語を探求する本だが、結論としては、言語は漸進的に、そしてもしかすると多発的に発生した。したがって、最初の言葉をどこで、だれが、何のために使用したのかという問いはほとんど意味をなさない。
面白かったところのメモ:
心の理論。今・ここにない物事を考える能力。チンパンジーは、このようなことを考えることができるが、それを表象する能力を通常は持たない。
チンパンジーは人間の子供と同じくらいの認知能力を持っている。また、訓練によってコミュニケーション能力を持たせることは出来る。しかし、それを率先して使おうという意欲に欠ける。
世界中の言葉の文法は、ある程度の規則に当てはめることができる。これは、人間の認知が言葉を規定していることの証拠なのか。(ただし、著者は、人間の脳に生得的に文法を生み出す機能が備わっているという立場には反対である。) -
Posted by ブクログ
ネタバレ色の部分を重点的に読んだ
言語により色のカテゴライズに差分がある
赤青黄などの言葉に対する実際の色の範囲が異なる
人間は色を見た時にその色のカテゴライズが思い浮かぶ
赤色を見ると、赤色という言語が出てくる
見たものを言語として理解する
つまり、思考にはことばが必要と理解している
そして、発することば次第で人の思考を左右することができる
例えば、A の方法を選んでも B の方法を選んでも、救える人の数は同じだとしても、A や B の方法の説明の仕方次第で A を選びやすくさせることができる
マーケティングはこれを利用しているんだなと思った
売るための言葉、選ばせようとする言葉
自分にとってより良いものを選ぶために、印象で選ぶのではなく、事実を自分で整理していく力がこの先生きて行くために必要だなと感じた